« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

多摩大学樋口ゼミ主催のリサイタルのお知らせ

 多摩大学樋口ゼミは、クラシック音楽を広める活動を行っている。117日には、ギター界のプリンスといわれる松尾俊介さんのリサイタルを行う。松尾さんが得意とするバッハの名曲や親しみやすいシャンソン曲が演奏される。ギター・マニアの方からギター初心者の方まで楽しめるプログラムだと思う。ぜひ、多くの方においでいただきたい。

 

●ギター界のプリンス松尾俊介リサイタル

日時 2015117日(土) 18時半開場  19時開演  

会場 寺島文庫Café「みねるばの森」 九段下駅(5番出口) 徒歩3分

料金 3500円 (軽食、ドリンク付き)

曲目 J.S.バッハ リュート組曲第2 ハ短調 BWV997

         シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番より)

F.タレガ 「アルハンブラの思い出」、

M.モノー 「愛の賛歌」、

R.ディアンス、トリアエラ 「ブラジルでの武満徹」「スペインがジャズに出会うとき」「サーカスでのジスモンチ」

 

◆ ご予約・お問い合わせE-mail 21211083rk@tama.ac.jp

TEL 080 -1223 -65976597

(このブログでも、ご予約を受け付けます。私宛にご連絡ください)

 

 なお、詳細は未定だが、2016520日(金)には、戸田弥生さんと野原みどりさんのデュオ・リサイタルを代々木上原のムジカーザで行うことが決定している。お二人はいうまでもなく、日本を代表するヴァイオリニストとピアニスト。ぜひ多くの方においでいただきたい。詳細は、決定次第、このブログでもお知らせする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

衝撃の演出、グラインドボーンの「ばらの騎士」、そして2本のオペレッタ映像

 大学の授業が始まり、いよいよ忙しくなった。今日は祝日だが、授業あり。このごろ、祝日でも授業がある。これまでに3本ほどオペラとオペレッタの映像をみたので、感想を書く。

 

231


「ばらの騎士」 
2014年 グラインドボーン音楽祭 ロンドン・フィル

 何よりもリチャード・ジョーンズの演出に衝撃を受けた。とてもおもしろい。ある意味、目を見開かれた。

ロココ風の「ばらの騎士」ではない。表現主義的というか、あるいはむしろグラン・ギニョール的というべきだろう。グラン・ギニョールというのは、19世紀末から20世紀前半、パリのグラン・ギニョール劇場で演じられた血なまぐさく不気味な見世物をいう。オッフェンバックの「ホフマン物語」がその一つの系譜だといえるだろう。もともとはギニョール(人形芝居)に基づく。

第三幕はまさしく不気味な人形劇の世界が展開される。とりわけマルシャリンがまさしく人形のような扮装と歩き方。脇役の集団も不気味な目つき、服装で雰囲気をかきたてる。背景には崩れ落ちそうな大きな逆三角形が描かれている。壁に新ロココ様式のアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」の絵が飾られているが、それも照明によって薄暗くされている。「これはロココ的なオペラではないんですよ」という演出家の主張だろう。

このオペラの第三幕には確かに不気味な見世物小屋の不気味な要素がある。これまでの「ばらの騎士」の多くは官能的で上品で優雅で、まさしくロココ風だったが、考えてみれば、この登場人物たちは心の中にどすぐろい闇を持っている。エロスへの喘ぎ(マルシャリン、オクタヴィアン)、権力の希求(オックス、ファニナル)、闇の世界のゴシップ(ヴァルツァッキ、アンニーナ)。それに、何しろ作曲者は「サロメ」や「エレクトラ」を作曲したシュトラウス。そこにグラン・ギニョール的な要素はたくさんある。この演出はそれを抉り出して見せる。

歌手陣もとてもいい。マルシャリンを歌うケイト・ロイヤルは初めて知る名前だが、きれいな歌と容姿で、グラン・ギニョール的に演じて見事。オクタヴィアンのタラ・エロートは残念ながら男性には見えないが、幼げな雰囲気があっておもしろい。ゾフィーのテオドラ・ゲオルギューも、第三幕では得体のしれない雰囲気があってなかなかに不気味。ただ、オックス男爵を歌うラルス・ヴォルトの歌唱がかなり弱い。

指揮は若き俊英ロビン・ティチアーティ。第一幕、第二幕をみている間、あまりに先鋭的で官能的な遊びのない演奏にかなり違和感を抱いたが、第三幕の演出をみて納得。なるほどこのような不気味さを強調する演出だったら、このような演奏でいいだろう。

私の好きな「ばらの騎士」演出ではないが、これはこれで刺激的で、新たな発見をもたらしてくれる演出ではあった。

 

 

644


オペレッタ「ウィーン気質」
2007年 メルビッシュ音楽祭

 

 メルビッシュ音楽祭のライブ映像。「ウィーン気質」はウィーン会議の時代を題材にしたヨハン・シュトラウスのオペレッタ。みるのに苦しさを覚えた。野外オペラなので、顔に張り付けた小型マイクで歌うが、風の音が入ってしまう。風で衣装や髪が動くのも気になる。歌手陣にも私はあまり魅力を感じなかった。ペピを歌うルネ・シュッテングルーバーの声が割れているように思うのだが、これでよいのだろうか。それとも、その日、不調だったのか。

 オペラそのものについても、あまりにセリフが多く、肝心の音楽が少ない。半分以上がセリフなのではないかとさえ思える。セリフをカットすれば、1時間もかからないのではないか。ドイツ語圏の人にとっては、セリフがおもしろいのかもしれない。実際、しばしば笑いが起こっていた。が、日本人としてはつらい。

 オーケストラとルドルフ・ビーブルの指揮については、音楽的な環境のよくない中では、とてもしっかりした演奏だと思う。

 

195


オペレッタ「ジプシー男爵」
2000年 メルビッシュ音楽祭

「こうもり」とともにヨハン・シュトラウスの代表作とされるオペレッタ。「ウィーン気質」があまりおもしろくなかったので、あまり期待しないでみはじめたが、とても楽しめた。「ウィーン気質」と比べて演奏の質はこちらのほうがずっと高い。それ以前にオペレッタそのものとして、音楽もストーリーもこちらのほうがやはりずっとおもしろい。

 バリンカイを歌うハリー・ヴァン・デル・プラス、ホモナイ伯爵を歌うペーター・エーデルマン(わが愛する往年の名歌手オットー・エーデルマンの息子!)、カルネロ伯爵を歌うハインツ・ツェドニク(わが愛する往年の名歌手その人!)、ジュパーンを歌うヘルムート・ベルガー=トゥーナ、ツィプラを歌うブリギッテ・ピンターどなどすべての役がまさしく適役。そして、ヒロインであるザッフィを歌うマルティーナ・セラフィンがあまりに美しい。

 ブルゲンラント交響楽団を指揮するルドルフ・ビーブルも実に手際がよく、とてもたのしめる。これも「ウィーン気質」と同じメルビッシュ音楽祭の映像だが、風が強くないので、特に違和感なくみることができた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

藤岡幸夫+日フィル グノー「聖チェチリア祝日のためのミサ・ソレムニス」

 2015921日、東京芸術劇場で藤岡幸夫指揮、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。前半に、ソヌ・イェゴンのピアノが加わって、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、後半はグノーの「聖チェチリア祝日のためのミサ・ソレムニス」。

実をいうと目的はグノーのほうで、前半は私にとっては「おまけ」のようなもの。ラフマニノフはロマン主義の極致だという人がいるが、どうも私はよくわからない。もともとあまりピアノ曲は聴かないし、俗っぽいメロディが超絶技巧のピアノとともにとりとめなく演奏される感じがしてなじめない。今日の演奏も私のラフマニノフ不感症を治癒させるには至らなかった。少々退屈した。ソヌ・イェゴンは1989年生まれの韓国出身のピアニスト。とてもきれいで張りのある音だと思ったが、私の好きな曲を演奏してくれないことには、ピアノ演奏についてどうこう言えない。

グノーも大好きな作曲家というわけではない。ただ、昨年のラ・フォル・ジュルネで「レクイエム」を聴いて、あまりに美しいメロディに圧倒された。それ以来、オペラや宗教曲をCDDVDで触れてきた。とても魅力ある作曲家だと思う。そんなわけで、ぜひとも宗教曲の実演を聴きたいと思っていたところ、このコンサートを知ったのだった。

期待していた通りの、とてもきれいな曲だった。CDで数回聴いたことがあったが、改めて美しさを感じた。美しいメロディが現れる。時としてドラマティックに盛り上がるが、全体的には穏やかで深く心に染み入るような曲。ただ、ほぼ同時代のワーグナーやブラームスのように聴き手を引き込むかというと、やはりそれほどの魔力はない。深く感動するとまではいかなかった。

オーケストラ、合唱ともにとてもきれいにまとまり、美しい音を堪能した。半田美和子のソプラノ、鈴木准のテノール、浅井隆仁のバリトン(日本フィルハーモニー協会合唱団の指揮も兼ねていたらしい)が加わる。半田は宗教曲にふさわしい澄んだ美しい声。浅井のバリトンも音程がしっかりした美声。とても良い演奏だったと思う。

もう少しグノーの曲を聴いてみたい。ワーグナーやブラームスとはだいぶ差があるが、とても魅力ある作曲家・・・というのが本音だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ブロムシュテット+N響のベートーヴェンに感動

 2015920日、所沢のミューズアークホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団の演奏会を聴いた。素晴らしかった。感動した。

 前半は、アラベラ・美歩・シュタインバッハーのヴァイオリンが加わって、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。後半が、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。アンコールはなし。

 実に若々しい演奏。ブロムシュテットは老いるということを知らないようだ。きびきびした音楽。まったく誇張がない。しかし、実に自然に音楽が流れる。何もやっていないように見えるのだが、完璧な音楽が作られていく。しなやかで美しい。しかも、大きく盛り上がり、構成感にあふれたドラマを作っていく。

 シュタインバッハーのヴァイオリンがまた素晴らしい。この人の演奏を聴くのは三度目だったかと思うが、今回はこれまで以上に素晴らしいと思った。自然に流れ、しなやかで限りなく美しい。ふくよかで香りがあり、隅々まで神経が行き届いている。とりわけ、高音の美しさに天にも昇る心持になった。ブロムシュテットの指揮するオーケストラにぴったり。ロマンティックすぎず、無理がなく、しかし最高に美しく流れていく。そして、自然に盛り上がって感動を呼ぶ。

 第二楽章がとりわけ見事だった。静謐のなかにこの上なく美しい音が現れては消える。N響の楽器の美しさを堪能。弦の厚みのある音にも感動した。超一流の指揮者が振るとき、この楽団は実力を発揮する。管楽器も弦楽器も、そしてティンパニもしみじみと心を打つ音を奏でていた。

 シュタインバッハーのアンコールはイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番第1楽章。バッハのパルティータを引用しながら「死」を描く。目を見張る演奏。しかし、テクニックをこれ見よがしに披露するのではなく、本当に美しく自然に音楽が作られる。

 後半の「英雄」も素晴らしかった。力感にあふれるが、少しも無理やりなところがない。この曲は、力みが目立つ曲なのだが、ブロムシュテットにかかると、力感と若々しさを保ちながらも、強引すぎるところが気にならない。リズム感に富み、若々しく爆発する。第四楽章のワクワク感は驚くほどだった。

 ブロムシュテットの解釈はこれまでと変わりはない。が、静謐さを強調する傾向が強まったように思った。沈黙の中に音が立ちあがっていく。静かな音が美しい。繊細に音が絡み合う。

 NHKホールを避けてわざわざ所沢まで来た甲斐があった。NHKホールではこの静謐を聴きとることはできなかっただろう。

 ただ、第一楽章の途中から、ハウリングの音が強まって、私はかなり気になった。客の誰かの補聴器に原因があったのだろう。第三楽章ころから気にならなくなったが、それ以前はかなりひどかった。集中できなかった。残念。

 しかし、本当に感動した。ハウリングなしでもう一度このメンバーの演奏を聴きたくなった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ロイヤルオペラ公演「ドン・ジョヴァンニ」 素晴らしいがNHKホールは大きすぎる!

 2015917日、NHKホールで、ロイヤルオペラ公演「ドン・ジョヴァンニ」をみた。

 もっとも強く感じたのは、モーツァルトのオペラのためには、NHKホールは大きすぎるということだった。ザルツブルク音楽祭で用いられるモーツァルト劇場は客席数1500程度。やはり、このくらいの容積であってほしい。NHKホールほどになると、オーケストラと歌手陣の間合いに緊密性(あるいは親密性)が薄れ、どうしても散漫になってしまう。・・興行という面を考えれば、これほどのメンバーを呼ぶには、NHKホールであらざるを得ないのかもしれないが。

 モーツァルト劇場で見ていれば、これはどれほど素晴らしいのだろう・・・と思いつつみていた。そんなわけで、十分に素晴らしかったが、衝撃を受けるほどではなかった。

 歌手陣は最高レベル。序曲の始まる前、責任者の方が登場し(通訳の方が舞台上で激しく転んだが、怪我はなかっただろうか?)、「ドン・オッターヴィオ役のヴィラゾンがのどを壊しているが、本日は期待に応えて歌う」という説明があった。異議のあろうはずがない。

 そのヴィラゾン。高音で数回音が濁ったし、いかにも安全運転という感じだったが、全体的にはさすがというべき美声による丁寧な歌いまわし。引き付ける力を持っている。私は生で聴くのは二度目。最高のコンディションであればもっと輝かしい声だっただろう。

 私はドン・ジョヴァンニを歌うのはイルデブランド・ダルカンジェロとドンナ・エルヴィーラを歌うジョイス・ディドナートがとりわけ素晴らしいと思った。ダルカンジェロはまさしくドン・ジョヴァンニそのもの。悪の魅力にあふれ、人間の強さと弱さをうまく表現できる。声も美しく声量も豊か。ディドナートも芯の強い声で内的なドラマを表現する。ただ、もう少し小さな劇場であれば、もっと細かいニュアンスまで聴きとれただろうと思った。昨年のザルツブルク音楽祭モーツァルト劇場でのダルカンジェロのドン・ジョヴァンニはそれはそれは凄まじかった!

 レポレロのアレックス・エスポージトも声もいいし、動きも軽妙。すぐにドン・ジョヴァンニを歌うようになるだろう。ドンナ・アンナを歌うアルビナ・シャギムラトヴァもきれいな澄んだ声。ツェルリーナを歌うユリア・レージネヴァ(サハリン出身だとのこと。よくままあそんなところから、このような歌手が生まれたものだ!)はよく通る声が可憐でチャーミング。マゼットのマシュー・ローズ、騎士長のライモンド・アチェトも主役格にまったく負けない歌いぶり。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。ドラマティックで一つ一つの音に表情があって素晴らしい。ただ、前にも書いた通り、ところどころで歌手との間合いの悪さを感じたが、きっとそれはステージの広さによる散漫だったのだと思う。第二幕になってからは、間延びした時間はなくなった。

 ちょっと違和感を覚えたのは、カスパー・ホルテンの演出。どういう仕掛けなのか知らないが、舞台上に映像が投影される。序曲の間は、手書きの女性の名前が次々に増えていく。ドン・ジョヴァンニがものにした女性の記録、要するに、レポレロが手にしている手帳のリスト(昔は「カタログ」と呼んでいたが)ということなのだろう。

その後、舞台上に建てられた二階建ての建物を中心に、その1、2階を行き来する形で話が進むが、その建物いっぱいに、落書きよろしくあれこれの映像や図が投影される。映像は派手な色彩の細密な模様になったり渦巻きになったり。昔、「サイケデリック」という言葉がはやったが、まさしくそのような色彩だった。サイケな舞台は、ドン・ジョヴァンニの煩悩にあふれた心的世界を表わしているのだろうが、そのおかげで、歌手たちが様々な色や形に紛れてしまい、私は歌手たちの大事な動きを見落としてしまった。音楽とも合致していないように思った。

 最後、地獄落ちはしないで、ドン・ジョヴァンニはおびえたように舞台中央にうずくまる。要するに、愛を求め、救いを求めて女性をあさりまくったが、理想は得られず、絶望し、孤独に追いやられるしかなかったとのことだろう。

 第一幕冒頭、ドンナ・アンナはドン・ジョヴァンニを自ら迎え入れているところが描かれる。近年、このような解釈が増えているが、やはりそうすると、どうしても「さらば」という言葉で、アンナが、父を殺した犯人がドン・ジョヴァンニだと気づく場面に矛盾が残る。矛盾を減らすような場面が挿入されていたが、少し無理があると思った。

 とはいえ、世界でもめったにみられない高いレベルの上演だったのは間違いない。満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランス・オペラの映像3本「ドン・キショット」「ラオールの王」「夏の夜の夢」

 大学の夏休みも終わりが近づいた。しかも、このところ、両親の家の後片付けに九州に行ったり、人間ドックに入ったり、両親の暮らす施設にたびたび行ったりして、何かと忙しい。

 そんななか、細切れに時間を作って、フランス・オペラのDVDを3本みた。感想を書く。

 

636


マスネ「ドン・キショット」
2006年 トリエステ・ヴェルディ劇場

 あまりレベルの高い上演ではない。

サンチョを歌うアレッサンドロ・・コルベッリは素晴らしい。軽妙なサンチョ。声も美しいし、フランス語も見事。ところが、ほかの歌手たちのフランス語はフランス語とはいえそうもない。イタリアとフランスは隣国同士であり、交流も多いだろうに、なぜこのようなことが起こるのか。

ドン・キショット役のジャコモ・プレスティアの声はいかにもドン・キショット(ドン・キホーテ)でなかなかいいのだが、フランス語には聞こえない。字幕をフランス語にして聴いてみたが、語尾のeをほとんど「エ」と発音している。デュルシネのラウラ・ポルヴェレッリも同じ傾向。母音の発音もあまりフランス語らしくない。しかも、私にはきれいな声に聞こえない。容姿はこの役にぴったりだが、やはり歌にもう少しの魅力がほしい。

 トリエステ・ヴェルディ劇場管弦楽団、指揮はドワイト・ベネット。私が「フランス」ということにこだわりすぎているのかもしれないが、これもフランスのオペラに聞こえない。そのため妙に生々しくて、マスネの音楽の深い悲哀と気品が伝わらない。フェデリコ・ティエッツィの演出も私は特に面白いとは思わなかった。

 

026


マスネ「ラオールの王」 
2004年 フェニーチェ劇場

 このオペラ、初めてみるつもりだったが、始まって10分ほどで数年前にこの映像をみたことがあるのに気付いた。

 インドが舞台になっている。ドリーブの「ラクメ」を思い出す。ストーリーはかなり安易で、納得しがたいが、音楽はとても魅力的。マスネらしいロマンティックなメロディにあふれている。

演奏については、「ドン・キショット」と同じ傾向。シタを歌うアナ・マリア・サンチェスはとてもきれいなフランス語で歌う。ふくよかでとても魅力的なソプラノだと思う。王役のジュゼッペ・ジパーリもとてもいい。きれいな声。だが、ほかの歌手たちは、まったくフランス語とは言えない言葉で歌う。Je n’aime le ・・・を「ジェ・ネメ・レ・・・」と歌ったのでは、まったくフランス語には聞こえない。冒頭の合唱からして、まったくフランス語ではない。とりわけ、シンディアのウラディミール・ストヤノフ、チムールのリッカルド・ザネッラートは、フランス語で歌っているというつもりがまったくないのではないかと思いたくなるほど。

 指揮は今は亡きマルチェッロ・ヴィオッティ。しなやかで、大げさでなくとてもいい。アルノ・ベルナールの演出はかなり納得のいくもの。わかりやすい。

 

438


アンブロワーズ・トマ「夏の夜の夢」 
]1994年 コンピエーニュ音楽祭

 私たちの世代のオペラ好きにはなじみのピエール・ジュルダン演出によるコンピエーニュ音楽祭の上演。かなり前に購入して、そのままになっていた。先日、「ばらの騎士」のDVDを探しているうちに、みないままでいたこのDVDを発見。

 フランス語という面では、これはまったく別次元。正真正銘のフランス人歌手たちが最高に美しいフランス語で語り、歌う。やはり、フランス・オペラはこうでなくては! ただ、その分、ミシェル・スヴィェルチェフスキ指揮のオーケストラ(ポーランド・クラクフ放送交響楽団)は少々聴きおとりがする。

歌手陣はそろっている。エリザベス1世を歌うギスレーヌ・ラファネルはとても魅力的。女王の品格があり、コロラトゥーラも素晴らしい。顔はキリ・テ・カナワにちょっと似ている。シェークスピアのアラン・ガブリエル、ファルスタッフのジャン=フィリップ・クルティスもオリヴィアのセシル・ベスナールもしっかりとした味のある歌で、とてもいい。ジュルダンの演出もわかりやすくてとてもおもしろい。

 シェークスピアの「夏の夜の夢」のオペラ化だとばかり思っていたら、そうではない。むしろシェークスピアの楽屋裏話。シェークスピアやファルスタッフやエリザベス1世が登場する喜劇。言ってみれば、酔っぱらったシェークスピアがファルスタッフとともに行った騒動を、エリザベス女王が「詩人の空想」としてなかったことにして、シェークスピアを許す話。ファルスタッフがシェークスピアの影の分身としての役割を果たしているのがおもしろい。

 私がクラシック音楽に夢中になったのは小学校5年生の時。学校の音楽の時間に聴いた「ウィリアム・テル」序曲に感激したのがきっかけだった。その少しあと、親にねだって17センチ盤のレコードを買ってもらったが、そのB面に録音されていたのが、トマ作曲の「ミニョン」序曲だった。つまり、トマは私が最初に買ったレコードの作曲者の一人ということになる。「ウィリアム・テル」序曲に比べてあまりにつまらないと思ったが、レコードを1枚しかもっていないわけだから、繰り返し聴いた。それ以来、トマにはずっと関心を抱いてきた。

 正直言って、あまり名作だとは思わない。深く感動することもないし、きれいなメロディにあふれているわけでもない。が、とても楽しい。3時間を超すので、少々長すぎる気がしないでもないが、最後まで楽しめた。もっと上演されてもいいオペラだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ルナノバ公演、「アルジェのイタリア女」 ロッシーニは楽しい

 2015911日、川口リリアホールで、ルナノバ第8回公演、ロッシーニ「アルジェのイタリア女」(ピアノ版)をみた。

 全員が大健闘。ロッシーニを上演してくれるのはとてもうれしい。ロッシーニのめったに上演されないオペラをこれからもどしどしお願いしたい。

 エルヴィラの川越塔子はきれいな声でしっかりと歌う。ムスタファの田中大揮は太い声。リンドーロの布施雅也は丁寧な歌い回し。イザベッラの鳥木弥生はしっかりとした声。タッデオの増原英也はなかなかの芸達者。ズルマの星野恵里も安定している。ハーリーの小仁所良一もなかなかの演技。ただ、歌手たち全員に音程の不安定さを感じる。一人で歌うときにも声が安定しないでふらつくが、重唱になると美しくハモらない。

 指揮は辻博之。ピアノは服部容子。やはりオーケストラで聴きたい気持ちを強く感じる。ロッシーニ特有のワクワク感をピアノだけで出すのは難しいと思った。演出は今井伸昭。おもしろい演出で会場の笑いを誘っていたが、私の趣味からすると、ちょっとドタバタにして笑いを求めすぎているように思った。普通に上演しても、たとえ演奏会形式による演奏でも十分におかしみを感じるオペラなのだから、無理やり笑わせようとする必要はないのではないかと思えてしまう。

 第一幕の字幕はあまりに現代的で砕けた表現を多用していた。第二幕に入ると、かなりおとなしくなった。その落差に少々違和感が残る。第一幕だけ、砕けた表現にしようと工夫して、第二幕で放棄したのでは?と疑った。これも私の趣味からすると、それほど砕けさせなくてもよいのではないかと思う。私のわかる限りでは(ごくまれにわかるところがある!)、特におかしなイタリア語ではないのに、方言丸出しの台詞にしているところもあったが、そんな必要はないのではないか。

 といろいろ不満を言いつつも、ともあれロッシーニのオペラをもっとみたい。ロッシーニは難しい。難しいロッシーニに挑戦してくれたことに感謝する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日の読響「トリスタン」について付け加える

 昨日(20159月6日)、カンブルラン指揮、読売日本交響楽団の定期演奏会で「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式)を聴いた。その素晴らしい演奏については昨日書いた。

 一日たって考えてみた。興奮はまだ残っている。素晴らしい歌手陣、素晴らしい指揮、素晴らしいオーケストラ。まったく不満には思わない。こんな演奏を聴けて幸せこの上ない。

 ただ、カンブルランの指揮は、やはり「愛」の音楽だったのだと強く思った。私は悲劇的な「愛の喜び」に強く感動した。つまり、私が「トリスタンとイゾルデ」の中で大好きだった形而上学的な要素は薄れていた。カンブルランのように透明で爽やかな音で演奏すると、デモーニッシュなもの、神聖なものは現出しなくなる。フルトヴェングラーのレコードのようなスケールの大きさ、宇宙的な広がり、人と宇宙との合体、二項対立の解消といったテーマが聴きとれなくなる。

 もちろん、これで悪いとは言わない。ただ、ある種の感慨は禁じ得ない。時代の変化なのか。あるいは、私自身の年齢による受け取り方の違いなのか。

 もう一つ気になったのは、三つの幕のすべてで音楽が途切れた直後に起こったブラボーの叫びだ。同じ人物のようだった。毎回、「指揮者が指揮棒をおろすまで余韻をお楽しみください」(必ずしも正確ではないが)というアナウンスをして、そのような行為をしないように会場側も注意を呼び掛けているのだから、ブラボーを叫んだ人は周囲の不快を意識しつつもあえて行っているのだろう。

 これはサッカーのフーリガンと同じような行為なのだから、人物を特定して出入り禁止にするような措置があってもよいのではないかと思う。

 私の席にすぐ近くでも、一人の客がなにかの袋をしばしばガサガサ言わせていた別の客を幕間に怒鳴る場面が見られた。怒鳴られたのはかなり高齢の男性だったが、納得できずに反論していた。怒鳴るのは行き過ぎにしても、私もカサカサいう音に閉口していたのは間違いない。昨日はかなりマナーが良かったと思うが、それでも演奏中に音を立てている人は何人かいた。全体のマナーがいいだけに、数人のそのような人が目立ってしまう。

 テレビ収録が行われていた。日本テレビ系で近日中に放映されるのだろう。楽しみだ。その時には、あの「ブラボー」の声を技術的に消してほしいものだ。テレビでこれを見る人の心にまでも、素晴らしい演奏の最後に不快な汚点を残すこともあるまい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

カンブルラン+読響の「トリスタンとイゾルデ」に涙を流した

20159 6日、サントリーホールで「トリスタンとイゾルデ」(演奏会形式)をみた。

 指揮はシルヴァン・カンブルラン、オーケストラは読売日本交響楽団。素晴らしかった。興奮がしばらく続いた。演出は一切つかないが、まったく退屈することなく、ずっと感動していた。しばしば涙を流した。

 歌手は全員が素晴らしい。演奏会形式の場合、声がオーケストラに埋もれてしまいがちなのだが、今回はすべての歌手がしっかりと聞こえてきた。もっとも一階のかなり前方の席だったが。

 トリスタンを歌うのはエリン・ケイヴス。大きな声ではないが、芯のしっかりした高貴な声で、歌い回しも見事。イゾルデはレイチェル・ニコルズに変更されていた。最後のころには疲れが見えたが、大健闘。若くて小柄で美しい女性。イゾルデにふさわしい。トリスタン役のケイヴスと相性が良い感じ。同じように小ぶりではあるが、とても清潔で高貴な雰囲気をかきたてる。それでいて第二幕は十分に官能的。

 ブランゲーネのクラウディア・マーンケも実に素晴らしい。明るめの声だが、しっかりした美声。安定感がある。クルヴェナールの石野繁生もほかの主役たちに一歩も引けを取らない。それどころか、こんなに素晴らしいクルヴェナールを聴くのは久しぶりだと思った。どっしりとした声で声量も豊か。世界を代表するワーグナー歌手になれる人だと思った。アンドレ・モルシュのメロートも実にいい。水夫などを歌った与儀巧も音程の良い美声。第一幕冒頭、水夫の声で今回の公演がいかにレベルの高いものであるかがわかった。

 歌手はみんな素晴らしかったが、その中でもやはり図抜けていたのが、マルケ王のアッティラ・ユン。私はバイロイトで何度か聴いているが、改めて圧倒された。第二幕の嘆きの場面は、圧倒的な存在感。サントリーホール全体に朗々と響き、しかも嘆きが伝わってくる。すごい歌手だと思う。サルミネンにも負けていないのではないかと思った。

 そして、やはりなんといっても、カンブルラン指揮の読売日響がいい。まったく集中力が途切れず、美しくうねり、しかも音が透明。弦のトレモロがとても美しい。ピアニシモの緊張感にとりわけしびれた。小さなミスはいくつもあるのに気付いたが、全体的にこれほどの演奏はめったにないのではないかと思う。カンブルランの指揮は、きわめて理性的で整理されている印象を受けた。構築的で情緒に流されない。だが、そうでありながら官能と神秘の世界を築いていく。どういう魔法なのか素人である私にはわからない。

「トリスタンとイゾルデ」は大好きなオペラなので、これまで何度も見ているが、演奏会形式は実に久しぶり。第一幕の魔酒を飲んだ後の楽器の様子が見えて、とてもおもしろかった。カンブルランも素晴らしい指揮者であり、読売日響も素晴らしいオケだと改めて認識。

 このところ、家ではロッシーニのオペラ映像ばかりをみていた。両親が東京の施設に入ってから、重い音楽を聴くのが息苦しくなっていたのかもしれない。が、久しぶりにワーグナーを聴くと、やはりこれは特別の存在だ。そして、やはり私はほかのだれよりもワーグナーが好きだ。体全体がゆすぶられ、感動に全身が震える。60歳を過ぎても、まだ愛の音楽にとろける。私の心の中に愛が充満した

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オペラ映像「アルジェのイタリア女」「チェレヴィチキ」「マゼッパ」「オルレアンの少女」

 この10日間ほどは大学での仕事は2回だけだったので、基本的には家での仕事に励んでいる。外に出るのは、両親のいる施設にいくときくらい。施設の関係者や医療関係者と話をする場合を除いて、両親の施設にいるのは1時間以下なのだが、重苦しい状況でもあるので、家に帰るとぐったりと疲れている。しばらく気を取り直すためにオペラDVDや映画DVDをみて、意欲がわいてきたら仕事にかかるという日々。

 また数本、オペラDVDをみたので感想を書く。

 

599


ロッシーニ「アルジェのイタリア女」 
2013 ペーザロ・ロッシーニ音楽祭

 またまたロッシーニのオペラDVDをみた。聴覚的にも視覚的にも最高に楽しい。

ムスタファを歌うアレックス・エスポージトの歌が圧倒的。全体的にとてもレベルの高い歌手陣の中にあっても図抜けていると思った。安定した音程でバリトンの美声が響く。しかもアジリータもお手のもの。そのほか、イザベッラのアンナ・ゴリチョーヴァがコントラルトの声でありながらも輝かしく色気がある。容姿も素晴らしく、スタイルも抜群。リンドーロのシー・イージェ(石倚潔)もヨーロッパの歌手たちの最高レベルの歌唱を聞かせてくれる。輝かしい美声。タッデオのマリオ・カッシも実にいい。

オーケストラはボローニャ・テアトロ・コムナーレ。ホセ・ラモン・エンシナールの指揮もわくわくするようなキレの良さ、引き締まっ他音が美しい。演出のデヴィッド・リヴェルモアは、時代を現代に移し、ピンクや赤などの派手な色彩を用いたポップな舞台を作り上げている。飛行機事故で救われたイタリア人がアルジェで人質になり、そのなかに美女に、愛嬌のあるアルジェの権力者が惚れてしまった・・・という設定。まるでイタリアのしゃれた映画を見ている感じ。

 

593


チャイコフスキー「チェレヴィチキ」
2009年 コヴェント・ガーデン王立歌劇場

 チャイコフスキーのオペラ。童話に基づくもののようだ。魔法使いが出て、間抜けな男が運よく愛を得る物語。音楽的には「イオランタ」と似た雰囲気。映像も実演も、これまでみたことがなかった。

 ソローハのラリッサ・ディアドコヴァ、悪魔のマキシム・ミハイロフ、オクサーナのオリガ・グリャコーワ、ヴァクーラのフセヴォロド・グリヴノフ、チュブのウラディーミル・マトリンなど、いずれもとてもいい。図抜けた歌手はいないように思うが、全体的にはとても高いレベル。指揮はアレクサンドル・ポリャニチコ。まったく初めての曲なので、演奏の良しあしについては特に何も言えない。

 演出はフランチェスカ・ザンベッロ。絵本のような舞台、色鮮やかな民族衣装、わかりやすくてユーモラスな登場人物の動きなど、とても楽しい。

 ただ、私としては、「イオランタ」ほどの魅力を感じなかった。あまりきれいなメロディがないように思った。おもしろいとは思いながらも、特に音楽に惹かれるところなく終わった。

 

025


チャイコフスキー「マゼッパ」 キーロフ歌劇場 ワレリー・ゲルギエフ指揮

「マゼッパ」というとどうしてもリストを思い浮かべる。チャイコフスキーの「マゼッパ」については、序曲などは聴いたことがあったが、オペラをみるのは実演はもちろん、映像も初めて。リストの交響詩の連想から、ウクライナの高潔な英雄の物語だとばかり思っていたら、独裁者マゼッパの残虐とそれに苦しむ人々がむしろ物語の中心だった。マゼッパの愛の苦しみも描かれるが、むしろ実の父を夫であるマゼッパによって殺される妻マリアが中心的に描かれる。イタリアオペラのように、実の父を夫によって死に追いやられたマリアの狂気の場面が終幕の山場になる。

 なかなかおもしろかった。ドラマティックで情熱的。交響曲の情熱的な盛り上がりを思わせるような音楽がふんだんにある。ただ「エフゲニ・オネーギン」好きの私(チャイコフスキー好きではないのだが、「オネーギン」だけは中学生のころから愛してやまない)としては、もう少し陰影にあふれた美しいメロディがほしいと思う。

 マリア役のイリーナ・ロスクトーワ、マゼッパ役のニコライ・プチーリン、マリアの父親役のセルゲイ・アレクサーシキン、アンドレイ役のヴィクトル・ルツィウク、いずれも実に見事。ロシアの歌手陣のレベルの高さを見せつけられる気がする。太くて豊かな声。ゲルギエフの指揮もドラマティックで躍動感にあふれている。

 演出については、とてもわかりやすく、衣装が豪華。バレエも場面も見事だと思った。

 

 

074


チャイコフスキー「オルレアンの少女」
1993年 モスクワ、ボリショイ劇場

 しばらく前に購入してそのままになっていた。みはじめてすぐにかなり前にみた映像だということに気付いた。最初にみた時、かなり大きな不満を抱いたのを思い出した。しかも、今からみると、映像も古い(映像のサイズ自体、現在のような横長ではない)し、不鮮明。演奏や演出についても古めかしさを感じる。

 あまりレベルの高い上演ではない。ジャンヌ・ダルクのニーナ・ラウチオとリオネルのウラジミール・レジキンはまだよいとしても、父親のヴァチェスラフ・ポチャプスキー、シャルル7世のオレグ・クリコ、アグネサのマリア・ガヴリーロフ、枢機卿のグレブ・ニコリスキーの音程がよくなく、声があまりに硬い。全員が同じように不安定。どういうことだろう。当時、ボリショイ劇場ではこのような発声がよいとされていたのだろうか。

 指揮はアレクサンドル・ラザレフ。好きな指揮者なのだが、この演奏はあまりに大味。抑制されたところがないので、聴いているほうとしては息苦しくなってくる。

 演出はボリス・ポクロフスキー。豪華絢爛でおごそかでなかなか良いのだが、かなり当たり前の演出に思える。

 容貌の面からはそれぞれの歌手たちは確かに登場人物らしくみえるし、舞台装置は豪華絢爛なのだが、この演奏ではドラマに乗れない。そのままオペラは終わってしまった。

 ただ、オペラとしては、やはりよくできているように思う。聞き覚えのある美しいメロディが出てくる。チャイコフスキーらしい憂いとドラマとパッションにあふれている。もっと良い演奏でこのオペラをみてみたいと思った。といいつつ、やはり「エフゲニ・オネーギン」はチャイコフスキーをもってしても奇跡的な出来のオペラなのだと改めて思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画DVDの感想 「天才スピヴェット」「デリカテッセン」「ロング・エンゲージメント」「ミックマック」「ニュルンベルグ裁判」

 8月中は一度もコンサートに足を運ばなかった。もともとこの時期はコンサートが少ないが、それ以上に、何度か両親の健康上の理由でコンサートに行けないことがあったので、チケットの入手そのものを自粛している(といいつつ、9月ころからはそれなりにチケットを用意している)。

ここ数日は、仕事をしながら、あまり根を詰めずに映画のDVDをみたり、オペラ映像をみたり。ジャン=ピエール・ジュネ監督の映画を中心に数本見たので、感想を書く。

 

「天才スピヴェット」 ジャン=ピエール・ジュネ監督

「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネがアメリカで作った映画。劇場でみたいと思っていたが、公開当時、忙しくて時間が取れなかった。DVD発売を知ってすぐに予約したが、やっと少し時間が取れたので、ようやくみられた。3D映画のはずだったが、DVDでは2D。

「アメリ」もそうだったが、ある種の「物語の破壊の物語」。観客が完結した物語世界に没入するのではなく、登場人物が観客に向かって話をしたり、物語から外れたエピソードが入ったり。完結した虚構世界を信じられなくなった現代人のあり方、映画芸術そのものの在り方を問いかけていると思う。

 内容的には、「エデンの東」を下敷きにしている雰囲気。兄弟だけが愛されて自分が愛されない少年が家を離れて都会に移動する。ロードムーヴィー的に話が展開。様々なアメリカ映画へのオマージュがいくつも混じる。そして、実は誰からも理解されない天才少年の見た世界として家族愛の枯渇という普遍的なテーマを描いていく。10歳の天才少年を主人公にしたことで、人々を上目線から皮肉に見る視線が嫌味にならずに描かれて、とても魅力的。大変おもしろかった。が、3Dだと、どこがどうなっていたのだろう?

 

「デリカテッセン」 マルク・キャロ、ジャン=ピエール・ジュネ 共同監督

 1991年の映画。「天才スピヴェット」がとてもおもしろかったので、ちょっとジュネ監督の映画をみたいと思った。

人を食う人々の住むアパートに紛れ込んでしまった芸人(ドミニク・ピロン)が、人食いの首謀者である肉屋の娘(マリー=ロール・ドゥーニャ)と心を通わせるようになって・・・というファンタジー。ファンタジックで不気味な映像、薄汚いとはいいながらも魅力的な小道具、個性的な俳優たち。さすが、「アメリ」の監督だけのことはある。おしゃれでセンスがよく、残酷な題材なのにユーモラス。

 とはいえ、私はほかの映画ほどの魅力は感じなかった。

 

「ロング・エンゲージメント」 ジャン=ピエール・ジュネ監督

ジュネ監督の2003年の映画。

 第一次大戦で自傷行為によって戦闘から逃げようとした5人が死刑判決を受けるが、処刑される代わりに5人はフランス軍とドイツ軍の対峙する戦場に放置される。その一人であるマネク(ギャスパー・ウリエル)の許婚者だったマチルド(オドレイ・トトゥ)は戦後になって、マネクは生きていると確信して探し回る。

 そんな話だが、5人の死刑囚ひとりひとりの複雑な物語が語られ、それぞれに友人がいて恋人や奥さんがいて、戦友たちや顛末の証言者も大勢いて、マチルドの周囲にも何人もの人物が登場。しかも、それがいりくんでいる。このごろフランス映画をみていないせいか、知っている俳優はほんの数人。しかも多くが軍服を着ている! よくできた映画なので、事後的にはストーリーは理解できたが、みている最中は、多くの登場人物に対して「これはいったい誰だ???」「この名前は誰のことだ???」と思い続けていた。DVDだったので、二度目みて、細かいところまで納得(ただ、ベルネーに関する暗号を解く部分はどうもよくわからない)。私は難解な映画を理解することに関しては少し自信があるが、顔の識別については、平均をはるか下回る能力だと思う。参った!! 重要な枠役にジョディ・フォスターが登場したのには驚いた。

 原作はジャプリゾ。私はジャプリゾの本を読んだことはないが、この人の原作の映画はかなり見ている。

 映像美に圧倒された。戦場もリアル。それだけではなく、カメラアングル、風景の色彩など、「アメリ」の監督ならではのセンスの良い美しさ。映画の中にのめりこむのではなく、含み笑いを誘うような小さな遊びがいくつもあるのがいい。マチルドがちょっとしたことで縁起を担いだり、小さなことにこだわったり、郵便配達夫が自転車の止め方にこだわったり。そうしながら、最後にはチャンと感動させてくれる。純愛映画なのだろうが、そこに復讐、嫉妬、友情など大人の心情が入り混じる。実に深い。

 

「ミックマック」 ジャン=ピエール・ジュネ監督

 2009年の映画。最高におもしろかった。私の大好きなタイプの映画。父親を戦地の地雷で亡くし、自分は流れ弾に当たって頭の中に銃弾の残る男(ダニー・ブーン)が愉快な仲間たちと、武器商品をだまして懲らしめる話。仲間たちが協力して悪徳巨大企業をぎゃふんと言わせる話はハリウッド映画にもよくあるが、そこはフランス映画。とぼけた雰囲気でしかもエスプリがいっぱいで知的。

私がとりわけおもしろいと思ったのは、二つの軍事産業の会社を目にして主人公の怒りが高まり、それに合わせてオーケストラの音楽が盛り上がるシーン。すると突然、主人公の背後の道路脇にその曲を演奏しているオーケストラ団員たちが現れ、主人公が頭をたたくと同時に、それが消える。そんな遊びが随所にある。チャップリンやジャン・ルノワールへのオマージュと思われるような部分も。

しかも、映像があまりに美しい。主人公の仲間たちの集まるごみ屋敷のような廃墟も軍需工場も、そして俳優たちの着ている薄汚れた服さえも芸術的。俳優たちも個性的。しかも、ハリウッド映画よりもそれぞれに役に人生的な奥行きが感じられるのが、いかにもフランス映画。もちろん、パリの光景があちこちで見られる。

 

「ニュルンベルグ裁判」 スタンリー・クレイマー監督

 今年の初めころから、東京裁判にかかわるものを中心に戦争ものの映画をかなりみている。小林正樹監督の映画はとてもおもしろかった。ドキュメンタリー映画「ニュルンベルク裁判」もみた。今回、ハリウッド映画の「ニュルンベルグ裁判」。戦後噴出した問題のエッセンスがすべて含まれているのに驚いた。現在の日本の抱える問題の原型がある。ドイツと日本の戦争責任のあり方についてよく問題になるが、それについてもここに提出されている。

 シナリオもさることながら、役者たちの演技力と存在感に驚嘆。裁判長のスペンサー・トレイシー、ヤニング被告のバート・ランカスター、検事のリチャード・ウィドマーク、弁護士のマクシミリアン・シェル、ベルトホルト夫人のマレーネ・ディートリッヒ、イレーネ・ホフマン証人のジュディ・ガーランド、ペーターゼン証人のモンゴメリー・クリフト。ハリウッドの大スターたちの底力を思い知った。伊達にスターだったわけではない。3時間近い大作だが、空いた時間に少しだけみようと思ってみはじめたら、やめられなくなった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »