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父の通夜と葬儀を終えた

 父の通夜を昨日(20151030日)、葬儀を本日(1031日)、無事終えた。父は棺の中に入れられ、焼かれた骨になり、灰になった。

 棺には、一昨日届いたばかりの私の新刊本「バカに見える人の習慣」(青春出版)を入れた。

 最近、妻子は私が本を出しても見向きもしない。読むどころか、本のタイトルさえも気に留めない。父だけは、私の本が出るのを楽しみにし、一応は目を通してくれていた。今回の本も、何度も「いつ出るのか」と聞かれた。まさか、この本が発刊される前に父が死ぬとは思わなかった。だから、死出の旅の途中、ちらっと読んでほしいと思って、棺の中に入れることにした。

 この本は、「バカに見える人」のバカっぽさを描写した本だ。「人間、いろんな場面で、周囲からはバカに見えているんですよ。だから、気を付けましょう」という趣旨の本だ。

この本の中で描いた「バカに見える人」にはモデルがいる。モデルの中にも、私が尊敬している人も含まれる。私が尊敬している人も、時に愚かなことをする。妻子も私自身も、もちろんバカに見える人のモデルだ。そして、父もその一人だ。

 父はとても善良でとても愛情深い人だったが、自分本位だったので、私にはしばしば愚かに見えた。それをこの本の中に書いた。父はそれが自分のことだと気づいたら怒るかもしれないな・・・、そう思いながら何か所か書いた。

 父を怒らせるような本を棺に入れるのはやめようかとも思った。が、怒るなら怒るでいい。死出の旅の途中の父を怒らせてやろう。これが父への私流の愛情表現だ。私が心の底から父を愛していたことを父は間違いなくわかってくれるだろうから。

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父の死

 昨晩(2015年10月26日)、父が亡くなった。91歳だった。

 両親二人での生活が立ち行かなくなって、九州の自宅から東京のサービス付き高齢者住宅に移転したのは、今年の2月。その時には、元気な父が要介護3の母を支える形だった。ところが、7月ころから、とつぜん体力が落ちた。要介護度が増し、老人ホームに移転した。以前からの肺気腫の悪化のせいで食が細くなり、やせ細ってきた。あまりに食事をとろうとしないので、高カロリー輸液を行うための手術を行ったところだった。食事とトイレのために時々起き上がるだけの寝たきりの一歩手前の状態になっていた。

 そして、ついに昨晩、トイレで倒れた。急変を聞いて私の家族が駆けつけたときには、すでに亡くなっていた。トイレで倒れると同時に息を引き取った状態だったらしい。21時、死亡。

 わがままで頑固だったが、底抜けの善人だった。家族、親族に愛情を注いだ。職場でも家庭でも多くの人に愛されていた。ただ、私からすると、その善意や愛情があまりに自己本位であるため、私は小学校高学年のころから、ずいぶんと反発した。とはいえ、反発しながらも、大好きな父だった。

 91歳だから、仕方がない。大往生だった。幸せな人生だったことを願う。

 本日はずっと葬儀に向けての打ち合わせや、遠方にいる親族との連絡で費やした。

昨晩、父の遺体を前にあれほど気を落としていた母が、なんとか気を取り直そうとしているのがうれしい。

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アレクサンダー・マルコフの無伴奏ヴァイオリンに興奮!

 20151019日、武蔵市民文化会館でアレクサンダー・マルコフの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。素晴らしい。圧倒された。

 私がマルコフを知ったのはそれほど前のことではない。大学のゼミの時間、学生にパガニーニのカプリースを聴かせようとしてyoutubeを探した。ものすごい演奏だった。いったいこのすごい演奏家は誰だ?と思って確認すると、それがマルコフだった。そのマルコフが武蔵野市民文化会館で演奏するというので胸をわくわくさせて出かけた。そして、期待通りの素晴らしい演奏だった。

 前半にバッハの無伴奏パルティータ第2番。ジーグまではさらさらと演奏。この時点では、私としては少しだけ期待外れだった。が、シャコンヌになって俄然スケールが増してきた。単に技術がすごいとか、音がきれいとかいったレベルではない。むしろ、音そのものは少し雑な気がした。その点、あまりに達者な印象を受けたyoutubeの演奏と雰囲気が異なる。しかし、まさしく宇宙的な精神世界が一台のヴァイオリンから紡ぎだされる。求心力がすさまじい。がっしりと人の心をもぎ取る感じ。

 後半は、カプリースから1番、11番、6番、16番、20番、24番。これまたすさまじい。とてつもないテクニック。しかし、こぎれいに弾きまくるというのではなく、聴く者の精神を捉えて揺り動かす。ともかくスケールが大きい。24番はことのほか圧巻。構成感が見事で、だれるところがない。あっと驚く音がするが、聴き進んでいくと、その音の展開に納得する。そして、深く感動する。

 最後にシューベルトのエレンの歌Ⅲ。一般に「アヴェ・マリア」として知られている曲。これを無伴奏で演奏する。これにも驚いた。あの聴きなれた「アヴェ・マリア」のメロディなのだが、ヴァイオリンの音が実に感動的。ゆっくりと情緒豊かに鳴らす。しかし、感情に堕することなく、音楽の本質がぐいぐいと迫ってくる。虚飾をすべてはぎ取った後の人間の心そのもののような音楽。ヴァイオリン一台で、まったく不足なく音楽そのものが立ち現れてくる。

 アンコールはマスネーの「タイスの瞑想曲」。無伴奏だが、まったく違和感がない。音楽そのものが立ち現れる。いったいどういう魔法なのだろう。あまりに素晴らしい。

 マルコフは一般にはあまり知られていない。だが、とてつもない巨匠だと思った。この巨匠をなんと1800円で聴けるなんて。

・・・売り切れのはずだったのだが、なぜか空席が目立った。マルコフの真価が知られていないために、チケットを購入しながら、会場に足を運ばなかった人が多かったのではないかと思った。

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照屋江美子ソプラノ・リサイタル「ロッシーニからの贈り物」 楽しかった!

 20151016日、音楽の友ホールで照屋江美子によるソプラノ・リサイタル「ロッシーニからの贈り物」を聴いた。ピアノ伴奏は高島理佐、バリトンのゲスト出演は萩原潤。近年ロッシーニに目覚めた私としては、ロッシーニの歌曲が聴けるこのリサイタルを逃すわけにはいかなかった。ロッシーニの歌曲はCDで何枚か持っているが、実演を聴く機会はめったにない。期待通り、とても楽しかった。

 前半はロッシーニの歌曲「音楽の夜会」「黙って嘆こう」「ヴェネツィアの競漕」。

 ロッシーニらしく、機知に富み、躍動し、しかもオペラと違って静かに物思いにふける部分もある。「黙って嘆こう」はメタスタージオの同じ詩にロッシーニは三回作曲をしたという。それぞれまったく異なる曲想に驚いた。

照屋の演奏は、ロッシーニの世界を自分のものにして、自分の表現で伝えようとしている。日本人歌手のリサイタルは、名歌手の場合であっても、どうしても発表会になり、お勉強のおさらいになりがちなのだが、照屋の場合はそんなことはない。自分で楽しみ、それを観客にぶつけてくる。明るくて、楽しくて、観客をひきつける。魅力的な容姿、明るい笑顔がいっそうリサイタルを楽しいものにしている。

後半は「オテロ」と「セヴィリアの理髪師」からのアリアや二重唱。前半と比べてずっと華やかで躍動的になる。照屋もコロラトゥーラの声を響かせ、声の力を増してくる。実は、照屋の音程に不安定なところもないではなかったが、そんなことは気にならないほど、観客をひきつける力を持っている。これこそがロッシーニを歌うときに必要な力だろう。

フィガロとして登場し、「私は町の何でも屋」を歌った萩原も声量豊かな美声で見事。この人も素晴らしい。

アンコールは、中田義直の「結婚」(萩原)、高田三郎の「くちなし」(照屋)、最後に二人で「芭蕉布」。日本の歌もとてもおもしろく聞いた。ロッシーニの後に日本歌曲というのもじつにいい。

ロッシーニは楽しい。改めて実感。

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新国立「ラインの黄金」 感動した!

 2015104日、新国立劇場で「ラインの黄金」をみた。演奏についてはまさしく世界一流の劇場に匹敵すると思う。感動した!

 何よりも飯守泰次郎指揮、東京フィルが圧倒的に素晴らしい。2時間40分、まったく緊張感が途切れず、ワーグナー特有にうねり、厚くしかも精妙な音が奏でられる。これまで時々東フィルのワーグナーに不満を持つことがあったが、今日は満足。まさしくワーグナーの世界が音だけでも広がる。最初の「始原」もよかったが、私はとりわけ第3場のニーベルハイムの場面のおどろおどろしい音にうっとりした。エルダ登場の場面も実に美しかった。マエストロ飯守はまさしく世界の巨匠だと思う。

 歌手に関しては、やはり外国人勢がすごい。とりわけアルベリヒのトーマス・ガゼリとローゲのステファン・グールドが高いレベルの歌手陣の中にあっても図抜けていると思う。声量、歌いまわし、音程の確かさ、そして演技。いずれも役になり切り、「リング」の世界を作り出す。フリッカを歌うシモーネ・シュレーダーも安定した美声で素晴らしい。ミーメのアンドレアス・コンラッド、エルダのクリスタ・マイヤーもまさしく役柄にぴったりの声と歌。ヴォータンを歌うユッカ・ラジライネンは少し不調なのかもしれない。悪くはないのだが、ちょっと声に伸びを欠く気がした。

 日本人歌手陣も健闘していると思う。安藤赴美子(フライア)、黒田博(ドンナー)、片寄純也(フロー)、増田のり子(ヴォークリンデ)、池田香織(ヴェルグンデ)、清水華澄(フロスヒルデ)は外国人にまったく遜色がないと思う。

 ただ、やはり演出の古めかしさはいかんともしがたい。なにしろ、ゲッツ・フリードリヒの演出なのだから。一時代をなした演出家だが、1980年代に活躍し2000年に亡くなった人だ。今回とは別の演出(タイムトンネルを使った演出だった!)だが、私が1987年に東京でみた「リング」のチクルス(オーケストラもさることながら、ルネ・コロの歌うジークフリートに度肝を抜かれたのをよく憶えている!)もゲッツ・フリードリヒ演出だった。

しかも、今回、フリードリヒの新演出というわけではなく、ヘルシンキで以前上演されたものだという。20年前には斬新だったのかもしれないが、今となれば、とりわけどうということのない、これまで何度も見てきたものと同じような演出だった。やはり、東京の新国立劇場として、新たな演出を世界に発信してほしい。あるいはせめて、新しい演出意図にあふれて、世界で話題になっているものを見せてほしい。

とはいえ、これほど素晴らしい演奏を聴かせてくれると、演出が古いのも気にならなくなる。演出に音楽の邪魔をされなかったことでよしとしよう。

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東京二期会「ダナエの愛」 素晴らしい!

 2015年10月3日、東京文化会館で東京二期会公演「ダナエの愛」をみた。演奏と演出に関しては素晴らしいと思った。

 クレメンス・クラウスの指揮するCDはずっと昔に購入し、何度か聴いた。マッケラス指揮のCDも聴いている。DVDも先日購入して楽しんだ。が、実演は初めて。それもそのはず、今回は日本初演だ。

 歌手陣は全員、大健闘。この難しいオペラを見事に歌いこなしていた。ヨーロッパの舞台でも十分に通用すると思った。本日は、若手中心のキャスト。ユピテルの大沼徹は容姿も見事で堂々たる歌いっぷり。ミダスの菅野敦も、ほんのちょっとだけ声の疲れを感じたが、全体的に見事な歌。ダナエの佐々木典子はまさしく貫禄の歌唱。私の大好きな歌手だ。素晴らしい。そのほか、メルクールの糸賀修平、ポルクスの高田正人、クサンテの佐竹由美も、四人の女性たちも水準を超える歌。二期会のレベルの高さを改めて感じる。

 指揮は準・メルクル、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。ほんの少し歌と合わないところを感じたが、実演においてはこのくらいは致し方ないだろう。全体的にはシュトラウスの精妙な音の世界を最高に美しく作りだしてくれた。二期会合唱団も、この難しい合唱を見事に歌っている。

 演出は映画監督の深作健太。第二幕まではかなり常識的と思える演出だった。ところが、第三幕、ガイガーカウンターを持った防御服姿のメルクールが現れる。防御服を脱ぐと、医師の姿。そして、舞台上には廃墟が広がっている。要するに、ここは核戦争で廃墟になった都市で、多くの人が瀕死の状態にあるという設定だろう。拝金主義=高度資本主義社会によって世界は破滅し、拝金主義でなく人間の愛を選んだダナエとミダスは生命をたたえる・・・というメッセージだと思う。なるほど、このように解釈すると、拝金主義の要素の強い第1・2幕とつじつまが合う。現代的な意味も持つ。

 シュトラウスのオペラそのものにも、ユピテルは「リング」のヴォータンめいたところがあり、メルクールにはローゲめいたところがあるが、深作の演出はそれを強調している。ユピテルのいでたちはまさしくヴォータン。「神々の黄昏」の終幕と同じように、人間の愛に期待をしてオペラは終わる。

 とても意欲的な演出。これからが楽しみだ。これからもぜひとも意欲的な演出を見せてほしい。

 私としては、むしろこのオペラにも、形而上学の否定が現れていることを再認識した。私はシュトラウスのオペラの特徴は、それまでの形而上学的な要素を否定し、あえて形而下的にしたことだと考えているが、このオペラはまさしく全能の神であるユピテルでなく人間ミダスを選ぶという人間主義をテーマにしている。

 ただ、みながら思ったのは、やはり台本にはかなり欠点があるということだ。グレゴールの台本に問題があるというのは、オペラ史の常識だが、確かにそれを強く感じる。大まかなストーリーは単純でわかりやすいが、台詞の一つ一つが何を意味するのか、その場面にどのような意味があるのかさっぱりわからない。四人の女性がなぜ登場するのか、ダナエはミダスのどんなところに惹かれたのか、なぜダナエはミダスを愛するのか。そのような根本的なところに疑問を感じる。そうなると、登場人物の歌にどのように感情移入すればよいのかわからない。第三幕は無意味に長いように思えるし、とってつけたような説明も不自然。頭の中に次々と疑問が生じて、せっかくの素晴らしい音楽に浸ることができなかった。

 とはいえ、このようなシュトラウスの珍しいオペラの上演は実にうれしい。私は中学生のころからシュトラウスのオペラが大好きだった。当時、まさか日本にいながらシュトラウスのこのようなオペラが将来みられるようになるとは思ってもいなかった。かくなる上は、ぜひとも「グントラム」「火の欠乏」「平和の日」を上演してほしいものだ。

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