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オッコ・カム+フィンランド・ラハティ交響楽団のシベリウス圧巻

 20151129日、多摩大学では「私の志」小論文・スピーチコンテストの表彰式が行われた。私は小論文部門の審査委員長として表彰を行った。大変レベルの高い小論文がそろった(内容については、多摩大学のHPを見ていただきたい)。若者は実に頼もしい。

 懇親会の後、車で急いで、初台のオペラシティに急いで、コンサートホールでオッコ・カム指揮、フィンランド・ラハティ交響楽団のコンサートを聴いた。シベリウスの交響曲全曲演奏の3日目。第5・67番。すばらしかった。

 自然体という言葉がぴったりだろう。カムは指揮壇に立つとすぐに、場内が静まるのを待たずに演奏を始める。オーケストラをきちんとコントロールしているようには見えない。さりげなく、何気なしに始まる。そして、事実、オーケストラが指揮に即座に反応しているとはいいがたい。が、徐々に盛り上がっていく。そういえば、シベリウスの交響曲自体がそのような雰囲気だといえそう。何やかやとやっているうちに、流れが決まり、音が重なり、全体が一つの大きな流れになり大きなうねりができて激しく盛り上がっていく。そうであるがゆえに、無理なく自然に、そして自発的に盛り上がる。そこが素晴らしい。

 シベリウスは好きな作曲家の一人ではあるが、それほど聴いているわけではないので、私には演奏について云々する資格はない。が、とても気持ちの良い演奏だった。ピアニシモの弦の音が実に美しい。

 アンコール曲はすべてシベリウスの曲。「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「ある情景のための音楽」。最後はやはり「フィンランディア」。言葉をなくす素晴らしさ。

 昨日は岡田博美。そして今日はフィンランド・ラハティ交響楽団。二日連続で素晴らしい音楽を聴くことができた。

 

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圧巻の岡田博美のピアノ版ワーグナー

2015年11月28日、東京文化会館小ホールで岡田博美リサイタルを聴いた。曲目は前半にシューベルトのソナタ第20番D.959、後半にワーグナー(リスト編)の「イゾルデの愛の死」、リスト「孤独の中の神の祝福(詩的で宗教的な調べより)」ワーグナー(リスト編)「タンホイザー」序曲。すさまじいの一言。

このブログにたびたび書いている通り、シューベルトはちょっと苦手な作曲家。しばしばあまりの長さに途方に暮れる。が、岡田さんのシューベルトは、そのようなストレスを感じさせない。ロマンティックすぎない。はじめロマンティックな感興が沸き起こってくるが、それが崩され、もっと根源的な絶望感があふれ出てくる。きわめて現代的な響きがする。繊細で透明で研ぎ澄まされていて、しかもヴィヴィッド。とりわけ第2楽章は感傷的すぎない抒情が圧巻。なるほどこれが岡田さんのとらえるシューベルトなのだろう。

後半はもっとすごかった。「イゾルデの愛の死」と「孤独の中の神の祝福」も素晴らしかったが、やはり私は「タンホイザー」序曲に魂が震えた。ものすごい数の音がうねりながら次から次へと湧き出してくる。すべての音が透明で粒だっていて、まったく破綻がない。ダイナミックでロマンティックで、しかも澄んでいて歪んでいない。私は、どちらかというとフルトヴェングラーの指揮するような歪みのあるワーグナーのほうが好みなのだが、これほど正確で繊細でありながら、まぎれもない奥深く激しいワーグナーが聞こえてくることに驚嘆した。

一昨年の秋、私の指導する多摩大学樋口ゼミの主催により多摩大学内で岡田さんにリサイタルを開いていただいた。私たちの無謀な依頼を快く引き受けてくださり、今回と同じ「タンホイザー」序曲を演奏してくれた。この曲を初めて聴いた私はあまりのすさまじさ位に圧倒されたのだった。その時のことを思い出した。

アンコールはリャードフ「音楽の玉手箱」、ストラヴィンスキー「ドイツ人の行進」、シューベルト「楽興の時」。これらも素晴らしい。聴きなれた「楽興の時」が、まるで別の曲のように聞こえる。珠玉の美しさ。

11月末の暖かい日だった。岡田さんのコンサートの前、音楽友だちと、上野のフランス料理の店「ペペ・ル・モコ」で昼食を取った。上野も乗換駅の新宿も、ものすごい人出だった。昼間は温かいが、朝晩は冬の気配が迫っている。

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海治陽一 ミニコンサート 高齢者に感動していただいた

 2015年11月27日、東京都町田市にあるサービス付き高齢者向け住宅、悠楽里まちだスカイビューで、樋口ゼミ主催のミニ・コンサートを開いた。

 高齢者は孤立しがちで、仲間づくりが難しい。しかも、自由に外に出て生の音楽を聴く機会が少ない。そこで、高齢者に生の音楽を聴いていただく機会を作りたいと思い、多摩大学から車で20分ほどのところにある悠楽里まちだスカイビューの協力を得て、その機会を作ったのだった。樋口ゼミでは、以前、立川市の医療施設で患者さんのためのコンサートを行ったことがある。今回は、30名ほどの高齢者や施設のスタッフの方が聴いてくれた。

演奏をお願いしたのは以前からの畏友である海治陽一さんと奥様の久美子さん。海治さんは、東京シティフィルで35年にわたってフルート奏者として活躍した方だ。現在は、後進の指導に当たっておられる。

 曲目は、「城ヶ島の雨」「春の海」「南国土佐を後にして」「宵待草」「ちんちん千鳥」「赤とんぼ」「荒城の月」、「精霊の踊り」(グルック)、「故郷」「ハンガリー田園幻想曲」(ドップラー)など。クラシックだけではなく、高齢の方に喜んでいただけそうな曲をお願いした。なお、大変申し訳ないことに、私は大学の授業の関係で少々遅刻して会場に入った。

 実を言うと、ほとんどが私の趣味の曲ではない。とりわけ、「うさぎおいし・・・」の「故郷」や「荒城の月」はかなり嫌いな曲。私はこの種ののっぺりした情緒的な曲はどうも好きになれない。が、海治さんの演奏は繊細で美しい。しみじみとした懐かしい音色。一流の演奏家の生のフルートの美しい音は、その場にいた人を驚かせたらしい。高齢者の方は、「南国土佐を後にして」や「赤とんぼ」「故郷」などではともに歌って、楽しんでくれた。

 コンサートの後は、悠楽里まちだスカイビューの特別の計らいで「おやつ」の会が開かれ、演奏者お二人とともに私やゼミ生も招かれた。高齢の方々から感動の声をいただいた。

 盛り立ててくれたスタッフの方々に感謝する。ゼミ生もしっかりと仕事をしてくれた。

 高齢の方々の楽しみになってくれたとしたら、こんなうれしいことはない。同時に、フルートの音の美しさを多くの人に知ってもらえたとしたら、それもまたとてもうれしい。

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東京二期会「ウィーン気質」 歌詞が聞き取れずにストレスを感じた

20151123日、日生劇場で東京二期会公演「ウィーン気質」をみた。

ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラを中心に見ているので意外に思われるが、私はヨハン・シュトラウスが大好き。「ウィーン気質」はこれまでみたことがなかったので、喜んで出かけた。

音楽自体はとても楽しい。ヨハン・シュトラウスの名曲をメドレーにして歌詞をつけてオペレッタに仕立て上げたものだが、とてもよくできている。阪哲朗の指揮と東フィルはきびきびとしてしなりのある音楽を作り上げている。伯爵夫人の澤畑恵美はとても美しい声。貴族の気品を見せてくれた。カーグラーの鹿野由之は張りのある声。

ただ、一番の問題は言葉が聞き取れないこと。日本語の訳詞なのだが、日本語だと気づくのにしばらくかかった。レチタティーヴォ風のところを除く「歌」の部分は、私はほとんど聞き取れなかった。日本語で歌われているのに言葉が聞き取れないと、大きなストレスを覚える。かなりいらだった。

歌手の発声に問題があるわけではなさそう。日本語の訳語が音楽に合わないために聞き取れないのではないかと思った。そして、オーケストラの音量が大きすぎたのかもしれない。せめて字幕をつけてほしい。

笑いを求める荻田浩一の演出にも私は問題を感じた。学芸会風というといいすぎだが、私は、テレビでときどき見かける、笑わせようとあれこれと仕掛けはするがまったく笑いの起こらないコントを思い出した。笑っている人がいたが、少なくとも私は全体を通じてクスリともしなかった。結局、残念ながら私はオペレッタを楽しむことができなかった。むしろ、日本語を聞き取れないためのストレスがたまり、苦行をこなしている気分になった。

 東京二期会はほとんど毎回、素晴らしい公演を見せてくれる。ただ、今回ばかりは私は不満に思ったのだった。日本人がヨーロッパのユーモアあふれるオペレッタを面白く上演するのは実に難しいことを改めて痛感した。

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上海クァルテット メンデルスゾーンに涙が出そうになった

 2015年11月16日、武蔵野市民文化会館で上海クァルテットの演奏を聴いた。素晴らしかった。

 曲目は前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第3番とメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番、後半にグリーグの弦楽四重奏曲イ短調。

 ベートーヴェンの出だしの柔らかさには圧倒された。若いころのベートーヴェンの初々しくも溌剌とした音楽。しかも、様々な表情を見せる。楽章が進むにつれて情熱的になっていくが、それでもしなやかさを失わない。後年のベートーヴェンの音楽のように剛直ではなく、もっとしなやか。それを実にうまく演奏してくれる。完璧なアンサンブル。インターナショナルすぎる気がしないでもない(要するに、ドイツっぽさをあまり感じない)が、これも素晴らしいベートーヴェン。初期のベートーヴェンを弦楽四重奏曲の魅力を堪能できた。

 メンデルスゾーンはもっと素晴らしかった。作曲家メンデルスゾーンについては、底が浅いなどという評がしばしばみられる。最晩年のこの弦楽四重奏曲第6番についても、ベートーヴェンの真似だとか、創作力の衰えなどといわれる(プログラムにもそのようなことが書かれていた)が、私はまったくそうは思わない。大好きな曲の一つだ。ベートーヴェンの影響は強いと思うが、晩年のメンデルスゾーンの人生に対するやるせなさ、悲しみ、怒りをたたきつけたかのよう。お行儀のよい均整美の中にロマンティックな感情を押し込めようとしてきたメンデルスゾーンが晩年になって本音を吐露したのが、この曲だと思う。

 第二楽章が素晴らしかった。涙が出そうになった。ぐっと抑えられた悲しみが深く沈潜し、心の奥底で渦巻く。終楽章のうねりも素晴らしい。感情移入し過ぎない演奏であるがゆえに、深い思いが描き出される。アンサンブルは最後までまったく乱れず、しかも、安定した低弦にヴァイオリンのつぶやきが重なる。特に感情移入を強めなくても、そこに作曲者の深い思いが伝わってくる。

 グリーグの弦楽四重奏曲もとても良かった。第二楽章の叙情的なメロディはうっとりするほど。終楽章のうねりも素晴らしい。インターナショナルな演奏だとはいえ、ノルウェーらしい(ゲルマンでもスラヴでもラテンでもない特有の抑揚)がしっかりと聴きとれ、特有の情景が浮かび上がる。

グリーグは、小学生のころ「ペール・ギュント」組曲を繰り返し聴いていたが、その後、聴く機会はほとんどなかった。が、ヴァイオリン・ソナタといい、弦楽四重奏曲といい、まさしく名曲。これからもっと聞きたい作曲家の一人だ。

 上海クァルテットを聴くのは二度目だと思う。以前、ベートーヴェンの中期の弦楽四重奏曲を聴いた記憶がある。改めてこの四重奏団の力量を思い知った。

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パリの同時テロの被害者を悼む 第三次世界大戦の始まり?

 

 2015年11月13日、パリで同時テロが起こった。120人を超す被害者を悼みたい。

 

私は今回のテロに強い衝撃を受けている。恐れていたことが起こった。これが第三次世界大戦の始まりでなければよいのだが。世界大戦は国家対国家の戦争だとばかり思っていたが、そうとはかぎらない。第三次世界大戦は、テロリストと市民の闘いなのかもしれない。そして、その幕開けがこのパリでのテロなのかもしれない。

 

おそらく、オランド大統領の言う通り、首謀者はISなのだろう。フランスはどう対応するのだろう。テロに屈するわけにはいかない。屈すると、テロリストはますます勢力を拡大する。が、ISへの攻撃を続けると、報復テロが起こるだろう。それが世界中に広がる恐れがある。

 

 パリだけでなくフランス各地、IS空爆に加わっている英米やロシアもテロの対象になるだろう。ISだけではない。世界各地のテロリストが呼応するだろう。日本も西側陣営の一つとして、テロとの戦いに加わるしかない。

 

 国内でのテロとの戦いは、国家間での戦闘よりもずっと厄介だ。敵味方の区別がつかない。テロリストは利害では動かないので交渉が難しい。イスラム教徒の分断も生んでしまう。一般市民の自由に制限にもつながるだろう。

 

 何とかテロが拡大しない方向に進むことを祈る。

 

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新居由佳梨のラヴェルを堪能した

 20151111日、王子ホールで新居由佳梨ラヴェル・ピアノ・シリーズ第3回を聴いた。曲目は、前半に「前奏曲」「水の戯れ」「鏡」、後半に橘高昌男が加わって、連弾による「マ・メール・ロワ」と「スペイン狂詩曲」。

 新居さんのラヴェルは何度か聴いているが、まさしく絶品。これぞラヴェル。透明でしなやかで知的で高貴で内向的で繊細。心のうねりがあり、深い悲しみがあり、官能にあふれているが、激しい感情を激しく表に出すのではなく、韜晦に包み、諧謔にまぶして心の痛みを表に出す。そうであるがゆえに、この上なく美しく、心に染み入る。橘高さんのピアノも実に素晴らしい。二人の息がぴったり合っている。

 10年ほど前から私は新居さんの美しい音に惹かれて(あまりに美しい容姿にだけ惹かれているのではない!)聴いているが、この数年の表現力の深まりには驚嘆する。間違いなく、日本を代表するラヴェル弾きだと思う。

 ふだんピアノを聴かない私も、その澄んだ美しさに圧倒された。新居さんの考えるラヴェルを、まさしくそのままの姿で演奏してくれていると思った。新居さんの素晴らしさを痛感すると同時に、ラヴェルというのはとてつもなく素晴らしい作曲家だと改めて思った。

 ラヴェルは好きな作曲家(私は、「ラ・ヴァルス」「ツィガーヌ」、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン・ソナタが大好き!)だが、この作曲家についてもピアノ独奏曲はあまり聴かなかった。もっと聴いてみたいと思った。

 

 猛烈に忙しい。父の葬式の後、両親が2月まで住んでいた大分県日田市の家の整理に行った。東京に戻ってすぐの117日にゼミ主催の松尾俊介ギター・リサイタルがあり、119日には東京私立中学高等学校協会・文系強化研究会で「アクティブラーニングを成功に導く論理的思考」について講演(とても楽しく話すことができ、大変好評だった)をし、翌10日には同じ市ヶ谷アルカディアで学研アソシエ主催の「クリティカル・シンキング・セミナー」での基調講演(これも好評だったと信じる。少なくとも、このセミナーはとても有意義だった)を行った。今、やっと少し落ち着いている。とはいえ、大学の授業があり、父の病状悪化のために中断したままの原稿がある。しなければならないことはたくさんある。

 先日の松尾さんのギター・リサイタルも素晴らしかったが、あのリサイタルは私のゼミの主催だったのであれこれと気になり、ゆっくりと音楽を味わうどころではなかった。本日は新居さんのピアノに心の底から満足した。

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多摩大・樋口ゼミ主催 松尾俊介ギター・リサイタル 大成功

 201511月7日、九段にある寺島文庫Caféみねるばの森にて、多摩大・樋口ゼミ主催 松尾俊介ギター・リサイタルを開いた。素晴らしい演奏だった。

私のゼミは、多摩地区をはじめとする日本全国にクラシック音楽を広める活動を行っている。今回は、これまで何度も協力願った日本を代表するギタリストの松尾さんに演奏していただいた。ゼミ生の努力もあって、カフェ内は満席になった。

 曲目は、前半にバッハのリュート組曲第2番と「シャコンヌ」(もちろん、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のギター編曲)。シャコンヌは凄まじかった。ヴァイオリンと違って、多くの音が重なり合うため、独特の深みが出る。

私はこの曲を聴くと、最近なぜか心の奥底で敬虔な気持ちになり、深い悲しみや喜びが入り混じって、涙が込み上げる。今回もそうなった。そして、どういうわけか亡き父を思い出していた。そういえば、父はほんの一時期だったが、ギターをいじっていた。

 後半はディアンスの名曲が中心。サウダージ第2番・第3番、「トリアエラ」が聴けた。素晴らしい。ディアンスは存命中のギタリストにして作曲家なのだが、現代曲の難解さはなく、様々なテクニックを要し、しかも抒情的で華麗。また、久しぶりにギターの名曲、タレガ作曲の「アルハンブラの思い出」やシャンソンの名曲「愛の賛歌」も聴けた。そして、最後はディアンスの有名な「タンゴ・アン・スカイ」。これまた絶品。松尾さんのギターに酔った。

 松尾さんのテクニックはあまりに華麗。すべての指が絶え間なく動くだけでも圧倒されるのに、洗練され、香り豊か。関西訛の少々おちゃらけたトークが入るのでつい油断してしまうが、実は松尾さんの音楽は、テクニックを見せつけるのでなく、繊細で美しく、しかも高貴な雰囲気がある。そこがたまらない。

 リサイタルの運営には問題がないでもなかった。が、様々な面で制約のあるカフェでのリサイタルであり、学生主体の活動ということで、参加いただいた方にはご容赦願いたい。

私には、いつもは頼りないゼミ生たちがとても頼もしく見えた。リサイタルの後、学生たちと中華料理の店で打ち上げをした。

 

父が亡くなってから最初のコンサートだった。これまで、自宅でもCDDVDで音楽を聴く気になれなかった。

91歳だったとはいえ、やはり父をなくすと、身体の奥のほうに「悲しみ」というのか「喪失感」というのか「後ろめたさ」というのか、なんとも呼べない塊を感じ、それがいつまでも溶解しない。ふだんはそれを忘れているが、時としてその塊が存在感を増して、つい泣きたくなってくる。肉親をなくすというのはこういうことなのだろう。

父の死以降コンサート・チケットを二枚ほど無駄にしたが、そろそろ気を取り直して、コンサートに出かけようと思っている。

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