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オペラ映像「ルル」「炎の災い」「ジンプリチウス」「湖上の美人」のことなど

 年末になって少し時間に余裕ができたので、何本かオペラ映像をみた。感想を書く。

 

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ベルク「ルル」 (チェルハ補筆
3幕版)2010年 ザルツブルク音楽祭、フェルゼンライトシューレ

 

 とてもおもしろかった。歌手がそろっている。ルルを歌うパトリシア・プティボンはちょっと線が細いが、これはこれで見事。悪女というよりも、むしろ愛情を知らずに育ったがゆえにコミュニケーション障害を起こし、心の中に深い空虚をたたえた女といった雰囲気。こんな役作りもあるだろう。声も美しくて音程がよく、容姿もルルにふさわしい。ゲシュヴィッツ伯爵令嬢を歌うターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー、画家を歌うパヴォル・ブレスリク、アルヴァのトーマス・ピフカ、ジゴルヒのフランツ・グルントへーバー、猛獣使いなどを歌うトーマス・ヨハネス・マイヤー、そして、侯爵役のハインツ・ツェドニク、いずれも適役。さすがザルツブルク音楽祭だけある。

その中でも、シェーン役のミヒャエル・フォレが圧倒的。多重性のある人間像を描いて見せる。声もいいし、容姿もシェーンにぴったり。存在感が凄まじい。

ウィーン・フィルはもちろん素晴らしい。指揮は、マルク・アルブレヒト。もう少し鋭利でもよいと思うのだが、手堅くまとめた印象。ヴェラ・ネミロヴァの演出も現代的で飽きさせない。特に個性的な解釈はないように思う。

 

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リヒャルト・シュトラウス 「炎の災い」 
2014年 パレルモ、マッシモ劇場

 リヒャルト・シュトラウスの初期のオペラ。「火の欠乏」「火の危機」などとも訳される。CDは聴いたことがあったが、映像は初めて。もちろん実演はまだ見たことがない。初めのうち、オーケストラの貧弱さを感じたが、だんだん調子に乗って、最終的にはまったく貧弱とは思わなくなった。超一流の演奏とはいいがたいが、オペラの真価を知るには十分。指揮のガブリエレ・フェッロもしっかりと音楽を作っている。ディームートを歌うニコラ・ベラー・カルボーネは清楚できれいな容姿と歌声、クンラートのディートリヒ・ヘンシェルは若者を歌うには少々高年齢すぎるが、歌唱は見事。オペラそのものはとてもおもしろい。さすがシュトラウス。「サロメ」の一作前のオペラだが、十分に歌劇場のレパートリーになりうる作品だと思う。

 演出はエンマ・ダンテ。黙役のダンスが大活躍する。オペラそのものが退屈なときにこの種の演出が行われるので、私の好みの演出ではない。が、間違いなく劇的効果を高めてくれる。

 

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ヨハン・シュトラウス
2世 「ジンプリチウス」2000年 チューリッヒ歌劇場

 ヨハン・シュトラウス2世にこんなオペラがあることさえ知らなかったが、ネットを検索中に見つけて購入してみた。とてもおもしろかった。

 オペレッタではなく、正真正銘のオペラ。とはいえ、ストーリーも他愛がないし、音楽もいつものヨハン・シュトラウスであって、特に深刻なわけではない。舞台は17世紀。名家の当主ヴェンデリンは30年戦争中に兄を殺してしまったことがトラウマになって地位を捨て世捨て人になって、息子ジンプリチウスとともに森で暮らしている。そこに兵士がやってきて、ジンプリチウスは戦争に巻き込まれるが、ともあれ最後には恋人を見つけ、行き別れていた兄とも出会い、ヴェンデリンの財産も2人の息子で継ぐことになって、めでたく終わる。

最後、めでたしめでたしの楽しいワルツになるが、その間、歌手たちとダンサーの上に処刑された人間たちの首をつられた死体がいくつもぶらさがっている。おそらく、この時代の背景に戦争で犠牲になった人たちがいることを思い出させようという演出家デイヴィッド・パウントニーの主張なのだろう。

 隠者のもとで自然の中に育ったジンプリチウス(英語で言うsimpleを語源に持つらしい。「単純」ということ)は、ワーグナーのジークフリートを想起せずにはいられない。ただし、ジークフリートと違って、怖がりで意気地なしで平和主義者という設定。ヨハン・シュトラウス(あるいは、演出家?)に、ワーグナーの傲慢で暴力的なジークフリートに異議申し立てる意図があったのかもしれない。

 チューリヒ歌劇場の公演だけあって、歌手たちは最高レベルにそろっている。隠者ヴェンデリンの歌うのはミヒャエル・フォレ。さすがとしか言いようがない。ジンプリチウスのマルティン・ツィセット、ヒルデガルテのエリーザベト・マグヌソン、メルヒオールのオリヴァー・ヴィドマー、いずれもとてもいい。アルニムを歌う歌手が素晴らしいと思ってよく見たら、なんとピョートル・ベチャワだった。うまいわけだ。指揮はフランツ・ヴェルザー=メスト。ヨハン・シュトラウスの音楽がとても高貴で知的になっている。

 

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ロッシーニ 「湖上の美人」
20153月 メトロポリタン歌劇場

 METライブビューイングでみたのと同じ映像。素晴らしかったので、今回、ソフトを購入して見直した。やはり、凄まじい上演。ジョイス・ディドナート、フアン・ディエゴ・フローレス、ダニエラ・バルチェッローナ、ジョン・オズボーンの四人が圧倒的。ミケーレ・マリオッティの指揮もロッシーニにふさわしく、メリハリがあり、生き生きとして躍動している。それにしても、ロッシーニは楽しい。ますます好きになりそう。

大晦日、NHKで紅白歌合戦が放送されている時間帯に、2015年最後のオペラ映像としてこれを見た。昨年までは、「ベートーヴェンは凄い 全交響曲連続演奏」を聴いていたが、今年は残念ながら欠席した。

2015年は義父、実父、叔母、そして我が家の愛犬までも亡くなる散々な年だった。これからの時代の困難を象徴するようなパリのテロも起こった。2016年がよい年であることを祈る。

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二面性をリアルに描く映画「ヴィオレット」

 岩波ホールでマルタン・プロヴォ監督のフランス映画「ヴィオレット」をみた。二次大戦後の忘れられた作家ヴィオレット・ルデュックの人生を描いている。かつてフランス文学を学び、その時代の文学作品を好んで読んでいた人間としては、この映画を見ないわけにはいかないと思って足を運んだ。

 私生児の醜い女性として生まれたヴィオレットは、同棲相手から勧められて文章を書くようになる。闇屋で生計を立てながら書いた原稿がボーヴォワールに認められ、最後には著作がベストセラーになる。とはいえ、サクセスストーリーではなく、ここに描かれるのは、母との葛藤、ボーヴォワールへの一方的な愛(ヴィオレットは同性愛的な傾向が強い)、生まれることを望まれなかったという私生児としての苦しみ、醜いことへの劣等感、心の病、そして生きる苦しみだ。自分の怒りや呪いを書くことによって救いを得ようとする必死の姿がリアルな映像で描かれる。

 それぞれの人物の揺れ動く心の二面性が説得力を持って描かれる。ヴィオレット(エマニュエル・ドゥヴォス)はボーヴォワールや母親に対してまさしく愛と憎しみを抱き、引き裂かれている。ボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)は、理性を失ったストーカーまがいのヴィオレットに辟易しながらも、その才能を認めて支えようとする。ヴィオレットの母(カトリーヌ・イジェル)も娘を憎みながらも時に寄りかかり、時に支える。そのような二面性を役者たちがみごとに演じている。

 見終わった後、水の場面が印象的なのに気付いた。ヴィオレットは川のほとりで水道の水で体をふく。川に足を入れる場面もあったような気がする。洗面器にお湯(西洋言語では、水とお湯は同じ単語を使う!)を張り、そこに足を入れて執筆する。汚れから逃れたいという無意識を暗示しているのだろうか。

フランス文学を学んだ者にはなじみのボーヴォワールやジュネが登場し、映画には現れこそしないが、サルトル、カミュの名前がしばしば語られる。私としては、実に懐かしい世界に放り込まれた思いだった。

とはいえ、ボーヴォワールの著作については、1冊通して読んだものはまったくないことに思い当たった。1970年代に翻訳されていたフランス文学作品のほとんどを読んだつもりでいた(サルトル、カミュ、ジュネに関しては、主要なものはほとんど読んでいる!)が、ボーヴォワールは男の読むものではないと勝手に決めつけていたように思う。この映画のヒロインであるルデュックについては、まったく知らなかった。ただ、このルデュックは「ボーヴォワールの女友達」という邦題で出された本の著者だという。この本のタイトル、そしてカバー(アマゾンで確認した)には覚えがある。知り合いの女性の誰かが読んでおり、「おもしろい」と語っていたのをうっすらと覚えている。

2時間半ほどの長めの映画だが、まったく退屈せず、引き込まれてみた。ルデュックの翻訳も読みたくなって、何冊か古本を注文した。読む時間が取れるかどうかはわからないが・・・。

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東京シティフィルの第九 円熟のマエストロ飯守

 20151228日、東京文化会館で飯守泰次郎指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団によるベートーヴェンの第九特別演奏会2015を聴いた。今年三度目の第九。素晴らしい演奏。

 25日に聴いたパーヴォ・ヤルヴィ+N響の第九がまだ耳に残っていたため、第一楽章が始まった途端、「なんと遅いんだ!」と思ったが、もちろんヤルヴィが速すぎたわけだ。

ティンパニで縁取りしつつ、要所要所で「タメ」を作って輪郭を明確にして偉大な世界を作り上げていく。ヤルヴィのような若々しいベートーヴェンではなく、大きな足取りで世界を構築していく巨大なベートーヴェンが浮かび上がる。それが実にベートーヴェン本来の音楽のあり方にマッチしている。徒に巨大なのではなく、じっくりと精神的に深い世界を構築していくのがよくわかる。

まさしくマエストロ飯守の円熟ということだろう。私は第一楽章から第三楽章まで、何度となく魂を震わせた。第三楽章も実に美しい。東京シティフィルもきれいな音で深くて大きな世界を作っていく。木管楽器の掛け合いがとてもしっかりしているのを感じた。

先日のヤルヴィの第九にも大きな説得力を感じたが、巨大な第九を子どものころから聴いてきた私は、マエストロ飯守の第九のほうにいっそう感動する。

 ソリストは小森輝彦、望月哲也、池田香織、横山恵子。合唱は東京シティ・フィル・コーア。もちろん見事な歌唱だったが、ソリストの音程の不確かさや合唱のアンサンブルのずれを少しだけ感じるところがあった。とはいえ、最後はやはり圧倒的に盛り上がった。

 やはり第九は素晴らしい。そして、マエストロ飯守の円熟も素晴らしい。心から感動した。

 これが今年最後のコンサートになる。ここ数年、大晦日は「ベートーヴェンは凄い!」ベートーヴェン全交響曲連続演奏を聴くことにしていたが、今年は父が亡くなり、母が一人残されているので、大晦日は母のいる施設に顔を出すことにして、コンサートには出かけないことにした。

昨年まで、ラ・フォル・ジュルネのコンサートを加えると、毎年、100前後のコンサートを聴いていたが、今年は、数えてみると67のコンサートしか足を運んでいなかった。チケットを持ちながら、両親の体調悪化や父の死、その後の儀式などのために行けなくなったコンサートもいくつかあった。後半はそもそもチケットを入手することも自粛気味だった。もう少し聴きたかったが、やむを得ない。

が、ともあれ、最後のコンサートがこのような名演だったことはとてもうれしい。

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拙著「読んだつもりで終わらせない名著の読書術」刊行

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 10日ほど前、拙著「読んだつもりで終わらせない名著の読書術」(KADOKAWA)が発売になった(その後、様々な家庭の事情などもあって、このブログに報告するのが遅れた)。

 名著、とりわけ文学作品を読みたいと思いながらなかなか手に取れずにいる人に向けて、古典作品の読み方を紹介して、もっと古典に親しんでいただくように勧める本だ。

 本書の第一部では、どのように名著に向かえばよいのか、どのように味わえばよいのかを文学の初心者向けに説明している。

 もちろん、名著の正しい読み方などない。人それぞれの読み方、味わい方がある。いいかえれば、それぞれの人が自分の思いを仮託しながら読むことのできる書物こそが名著だといえるだろう。だからから必然的にすぐれた文学作品はわかりにくい。様々な解釈が可能であるがゆえに、エンターテインメントのようにわかりやすく書かれていない。そのために、多くの人が古典の名著に少し触れて、「わからない」「つまらない」と思ってしまう。そうした状況を少しでも変えたいと思って、この本を企画したのだった。

 まずは、様々な読みがあるのだから正解探しをするべきではないこと、しかし、そうはいっても文学作品を読む場合には目の付け所があること、そして何よりも、繰り返し読み返したりすることによってだんだんと理解が深まってくることを実例を挙げながら紹介している。

 第二部では、第一部で紹介した方法を取りながら、具体的に太宰治「人間失格」、夏目漱石「こころ」、カフカ「変身」、ドストエフスキー「罪と罰」、パスカル「パンセ」を題材に私なりの読み方、私なりの解釈を紹介している。

ここに取り上げたのは、日本文学とドイツ文学、ロシア文学、そしてフランス思想関係の書物だ。私のもともとの専門は20世紀フランス小説と、現代アフリカ小説なので、本書で取り上げたのはいずれも専門外のものばかり。専門家ではない私が自分なりの読みを紹介するのは少々おこがましくはないかという思いもあったが、専門家ではないがゆえに自由な読みができるのではないかと考えて、あえて以前から親しんできたこれらの作品を選んだのだった。専門家ではないがゆえの弱点もあるかと思うが、逆に強みもあると信じたい。

多くの人に本書を読んでいただけるとうれしい。そして、私の読みを参考にして、自分なりにもっと深い読みを見つけ出していただきたい。

 少し私の近況を記す。

 今年は、6月に義父、10月に実父、12月に我が家の飼い犬が亡くなった。そして、12月18日には、大分県杵築市で暮らしていた叔母が89歳で息を引き取ったとの知らせが入った。幼かったころ、しばらくの間同じ家で暮らした叔母だった。急な葬儀が大学のAO入試と重なったので私は出席できなかった。合掌。

 大学の授業が終わり、あれこれの雑用が終わって、やっと一昨日から新しい本の原稿の執筆を再開。8月に両親の状況の悪化のためにそれまでの施設にいられなくなってから執筆はまったく捗らなくなり、10月に父が亡くなってからはぴたりと止まっていた。私には兄弟がいないので、ふだんはかなり気楽に生きていけるのだが、親の面倒、親の死、その後の様々な儀式や手続きとなると、すべて私と妻にかかってきて、どうにも動きが取れない。締め切りを過ぎた原稿。事情が事情だけに編集者も理解してくれてはいるが、責任を感じる。正月明けまでには何とか完成させないと!

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ヤルヴィ+N響の第九 若々しいベートーヴェン

 20151225日、NHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェン第九演奏会を聴いた。歌手は、森麻季、加納悦子、福井敬、妻屋秀和。合唱は国立音楽大学の学生たち。素晴らしい演奏。数日前に聴いたキエフ国立フィルハーモニーとはまったく別の曲のように聞こえる。

 若々しいベートーヴェン。引き締まっており、起伏が大きく、ドラマティックでスリリングでエネルギッシュ。かなりの快速。時間を計ったわけではないが、1時間かからなかったのではないか。N響はヤルヴィの指揮にしっかりついてまったく乱れない。実に美しい音を出す。かなり起伏が大きいとはいえ、決してわざとらしくない。音楽が生きており、実に理詰めで音楽が展開していくために、誇張しているようには感じない。もちろん巨匠風ではない。まさしく若々しいベートーヴェンがよみがえる。こんな第九もあっていい。いや、これまで聴きなれた巨匠風の「第九」ではなく、これこそが「第九」だろうという気がしないでもない。

第一楽章と第四楽章がとりわけよかった。第四楽章の合唱が始まる前の緊迫感、最後の祝祭的な高揚感はヤルヴィならでは。逆に言うと、第二楽章にダイナミズムと第三楽章の美しさについては、ほかの楽章に比べると少し物足りなかった。快速「第九」にすると第三楽章に物足りなさを感じるのはやむを得ないところだろう。

第四楽章の歌手陣もみごと。特に私はソプラノの森麻季の声の美しさにほれぼれした。国立音大の学生による合唱も若々しくて、ヤルヴィの指揮にぴったり。

 ただし、いつも思うことだが、NHKホールは広すぎる。私は1階のやや右寄りで聴いたが、音の渦に巻き込まれない。もう少し響きのよいホールで聴いたら、もっと興奮していたかもしれない。とはいえ、本当に素晴らしい演奏。疾風怒濤の音楽だが、感情におぼれるわけではない。そこが凄い。

 

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キエフ国立フィルの二つの「第九」に失望

 20151221日、武蔵野市民文化会館大ホールで、ニコライ・ジャジューラ指揮によるキエフ国立フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。なんと、曲目は前半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、後半にベートーヴェンの交響曲第9番。要するに、二つの「第九」(とはいえ、今は記憶している人は少ないかもしれないが、私が音楽を聴き始めたころ、「新世界」は交響曲第5番と呼ばれていた。私が中学生のころ、突然、交響曲第9番になって驚いたのを覚えている!)。

二つの「第九」を聴けるなんてお得だと思って会場に行ったが、はっきり言ってかなり期待外れだった。いや、それどころか、「この人たち、本当にプロなのだろうか?」と思う箇所が何度かあった。

 まずオーケストラの音程が甘い。最初から最後までずっと音が濁って聞こえたのは、私の耳のせいではあるまい。「新世界」の第一楽章の最後、コントラバスが異様な不協和音を出していた。ホルンも終始、不安定。第九の第三楽章も予想通り音を外した。木管楽器もアンサンブルが合わない。

 ニコライ・ジャジューラの指揮はいたって普通。ただ、オーケストラがこれほど不調では指揮がどうこうという以前の問題だと思う。いったいどうしたのだろう。これがこのオーケストラの実力なのだろうか。それとも、本日は不調なのか。あるいは、本日はふだんと異なるメンバーが演奏しているのか。

 ベートーヴェンの第九の第四楽章になってだいぶ良くなった。ソリストは全員が声量のある美声(ソプラノ:イワンナ・プリシュ、アルト:オリガ・タブリナ、テノール:オレクサンドル・チュフピロ、バス:アンドリー・マスリャコフ)。ただし、音程はソリストたちも少し不安定だった。

もっとも感銘を受けたのは合唱団だった。辻志朗指揮による「キエフ国立フィル第九公演記念合唱団」という名称になっている。急ごしらえの合唱団なのかもしれないが、声もよく出て音程も安定していた。オーケストラよりもずっとレベルが高いと思った。

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父の四十九日の法事、最近みたオペラ映像「オネーギン」「ジークフリートの冒険」「サロメ「タンホイザー」のことなど

 125日、1026日に亡くなった父の四十九日の法事のために妻とともに大分県日田市に向かった。

福岡市内に宿泊予定だったが、一月ほど前に予約をしようとしてもできなかった。後で知ったことだが、5日と6日、「ドリカム」公演が福岡市で行われたらしい。そのため、どこのホテルも満室になったとのこと。日田市内のホテルも便利なところが取れなかったので、福岡から日田への中間点である久留米市に宿泊し、翌6日、法事の当日、久留米からゆふいんの森3号で久留米から日田に向かおうとした。

ところが、久大線が事故で1時間ほど遅れそうになったので、法事に間に合わなかったら大ごとだと思って、久留米からタクシーに乗った。ちょっと頼りない高齢の運転手さんだったし、予定外の出費になったが、ともあれ日田に到着。

無事、法事を行い、墓に骨壺を収めた。その後、ごく親しい親戚が集まって会食。父は日田市に暮らしていたが、独立した生活ができなくなった母とともに今年の2月に東京に移転、そして10月に亡くなった。縁のある人はみんな日田市にいる。そのため日田市で法事を行うことにしたのだった。

無事、終えてバスで日田から福岡空港に移動。帰宅したのは深夜だった。

 

今日(2015年12月7日)また、今年のもう一つの不幸が起こった。午後、13歳の我が家のメスの柴犬(正確には雑種らしい)ライムが死んだ。

昨年あたりから体調が悪かった。獣医に何度もみせたが、改善しなかった。ついに皮膚が変色し、今年の夏には毛がすべて剥げて、化け物じみた姿になってよたよたと歩くようになった。再び毛が生え始め、もとの姿に戻りつつあったので、奇跡の復活をするのではないかと期待したが、またぐったりしてきた。そして、本日、ついに命尽きた。ペット葬儀者に連絡して、自宅で小さな葬儀を行ってから、遺体を引き取ってもらった。

今年は不幸が続く。が、すべて若すぎる死というわけではない。自然の摂理としての死。受け入れるしかない。これが運命だと言い聞かせるしかない。

 

 しばらく前から鑑賞していたオペラ映像について感想を書く。

 

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「エフゲニ・オネーギン」メトロポリタン歌劇場 2013年

 メトロポリタン歌劇場ライブビューイングで上映されていた作品。劇場に足を運びたいと思いながら、残念ながら時間が合わずにみられなかった。DVDを購入。

まず、ゲルギエフの指揮が素晴らしい。力感にあふれ、ロマンティックで音の重なりが実にみずみずしく生き生きとしている。まさしくゲルギエフ・マジック。デボラ・ワーナーの演出もオーソドックスで、文句なし。第三幕、別れる前にタチアナがオネーギンと激しいキスをするのが目新しい。なかなかに感動的。

歌手ではやはりタチアナを歌うアンナ・ネトレプコが圧倒的。ただ、タチアナにしては第一幕からあまりに堂々としている。タチアナの内向的で夢見がちでうぶな様子が希薄。ただ、第三幕はまさしくタチアナ。ピョートル・ベチャワのレンスキーも、まさしく理想的。ただ、オネーギンを歌うマリウシュ・クヴィエチェンとグレーミンを歌うアレクセイ・タノヴィッツキーが少し弱い。

 

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「ジークフリートの冒険」~子供のための「ニーベルングの指環」(三澤洋史の編曲、マティアス・フォン・シュテークマンの脚色による)

 

『ニーベルングの指環』の短縮版かと思っていたら、かなり大胆にアレンジしたものだった。「指輪」のメロディが使われるし、ごく大まかなストーリーは「指環」に「似ている」が、別の登場人物が別の状況で歌うなど、かなり自由な発想に基づいている。考えてみれば、それはそうだろう。「指環」のストーリーを1時間と少しでまとめるのはそもそも無理だ。これはまさしく小学校低学年向けの換骨奪胎の「指環」。演奏は小規模オケによるが、歌手も含めてなかなかのレベル。そして、何よりもみんなが芸達者で、子供向けにうまく演じている。

 仕方がないとは思うものの、やはり私としては、もう少し原作に近いほうが嬉しい。誰か、全部で3時間程度の短縮版「ニーベルングの指環」を作ってくれないだろうか。

 

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「ばらの騎士」 
2010 シドニー・オペラ・ハウス

 一体どうしたのだろう。アンドリュー・リットンは悪い指揮者ではないし、これまで何度もとても感心して聞いた記憶がある。が、この「ばらの騎士」には私は我慢できない。少なくとも私の耳にはあまりに一本調子でがさつに聞こえる。とりわけ第一幕は、快速で元気いっぱいに潤いのない音が鳴り続ける。リットンはこのオペラをどうとらえているのか、私にはよくわからない。

 マルシャリンのシェリル・パーカー、オクタヴィアンのキャサリン・カービー、オックスのマンフレッド・ヘム、ゾフィーのエンマ・ピアソンなどの歌手たちは決して悪くないが、とびきり素晴らしいわけではない。ブライアン・フィッツジェラルドの演出はかなりオーソドックス。

 

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「サロメ」 ボローニャ、テアトロ・コムナーレ 
2010

素晴らしい上演だと思う。オーケストラの精度があまりよくないのが難点といえば難点。が、歌手たちはみんなが素晴らしい。サロメのエリカ・ズンネガルドは美しく強い声で、容姿も十分に美少女に見える。ヨカナーンのマルク・S・ドス、ヘロデのロバート・ブルベイカー、ヘロディアスのダリア・シェフターも私はほれぼれとして聴いた。第一声を歌う小姓役のノラ・スルジアンもしっかりした声が印象的。ナラボートを歌うマーク・ミルホーファーがあまりに癖の強い声なので違和感を覚えたが、聴き進むうち、異様な「サロメ」の世界のなかではとくに気にならなくなった。

舞台上に拡大鏡が置かれ、七つのヴェールの踊りの部分ではご丁寧にズンネガルドの美しい裸身を拡大して見せてくれる。舞台そのものが遠近法のゆがんだ世界になっている。ヨカナーンの生首は大きな石像として示される。いびつで不気味な雰囲気をかきたてる。

指揮はニコラ・ルイゾッティ。ドラマティックでエロティックでとてもいい。もっとオーケストラの精度が高かったら、もっと切れがよくなるのだろう。とはいえ、十分に「サロメ」の世界を堪能した。

 

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「タンホイザー」
1994年 バイエルン国立歌劇場

 タンホイザーを歌うのはルネ・コロ、ヴェーヌスはヴァルトラウト・マイヤー、エリーザベトはナディーヌ・セクンデ、ヴォルフラムはベルント・ヴァイクル、ヘルマンはヤン=ヘンドリク・ロータリングという当時の大スターたちの共演。指揮はズービン・メータ。

 もちろん素晴らしいのだが、最高に素晴らしかったころのコロやマイヤーを生で聞いたことのある人間としては、少々物足りなさを感じないでもない。圧倒的なすごみは感じられなかった。実は私は、ヴァイクルの歌については声の不安定さを感じることが多いのだが、今回も不調に聞こえた。指揮のメータも緊張感に乏しいところを時に感じた。きっと実演でみると興奮するのだろうが、DVDでみると、一つの時代の頂点の上演ではあるのだろうが、歴史上とびぬけた上演ではないと思う。

 演出はデイヴィッド・オールデン。第一幕はまるでキリコの絵のような舞台装置。現実とは異なるいびつな世界を作るが、特に大きな読み替えはなさそう。現在からみると、かなり穏当な演出といえるだろう。

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METライブビューイング「タンホイザー」 感動の涙を流した

銀座の東劇でMETライブビューイング「タンホイザー」をみた。素晴らしかった。終幕は感動の涙を流した。

歌手陣は言うまでもなく全員が最高レベル。ヨハン・ボータのタンホイザーは第三幕の「ローマ語り」が絶品。ミシェル・デ・ヤングのヴェーヌスはエロティックで力感にあふれる。ギュンター・グロイスベックはちょっとだけ声の出ないところがあった(風邪でもひいていたのか?)が、全体的には貫禄あふれるヘルマンを歌い切った。牧童のアジア人歌手も素晴らしい。とても美しい声。

その中でもとりわけ私が心惹かれたのはヴォルフラムを歌ったペーター・マッテイだった。第二幕も表現力も豊かで声も美しく、姿かたちも様になる。第三幕の「夕星の歌」から後は、ただひたすらそのすごさに圧倒された。「ローマ語り」の後のやり取りは真に迫っている。ヴォルフラムの苦悩と人柄が伝わってくる。

エヴァ=マリア・ヴェストブルックのエリーザベトも実に美しい。気丈で愛情にあふれ、しかも可憐で、十分に肉感的。まさしくエリーザベトだと思った。エリーザベトは清純なだけの聖女ではない。清純な聖女があんなアリアを歌わない! ヴェストブルックのエリーザベトこそが私の考えるエリーザベトだ。

もう一つ特筆するべきは合唱のすごさ。機敏で繊細で、ダイナミック。このオペラの場合、ワーグナーの世界が合唱によって作られているのを強く感じる。

指揮はジェイムス・レヴァイン。ロマンティックで感情の起伏をダイナミックに描く。ただ、歌手たちはインタビューに応じていたのに、レヴァインに関してインタビューがなかったのが気がかり。指揮する姿を見ても、少し手が不自由に見えた。気のせいならいいが。

演出はオットー・シェンクの伝統的なもの。1977年初演だという。なるほど、このオペラはこのような物語だったんだ…ということを認識するにはありがたい。ト書き通りの時代、ト書き通りの仕草。それでいて、中世の絵巻になっている。これはこれですごいことだ。

それにしても、メトロポリタンの実力はすさまじい。それにしても、ワーグナーのオペラは素晴らしい。改めて思った。

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戸田弥生・野原みどり デュオ・リサイタルのお知らせ

2016年5月20日(金)、日本を代表する二人の演奏家、戸田弥生(ヴァイオリン)と野原みどり(ピアノ)のデュオ・リサイタルを多摩大学樋口ゼミが主催します。演奏されるのは、ショスタコーヴィチのヴァイオリン・ソナタなどの名曲の数々です。とりわけ、戸田・野原のショスタコーヴィチのソナタはいかに壮絶で、しかも美しい演奏になるのか、多くの人がわくわくするのではないでしょうか。

なお、チケットぴあにてチケット発売中です。多くの皆様のご来場をお待ちします。

 

●日時 2016年5月20日(金) 19時開演 18時30分開場

●場所 MUSICASA (ムジカーザ 代々木上原駅東口 徒歩2分)

●演奏曲目

・ドビュッシー 「亜麻色の髪の乙女」

・ラヴェル 「ツィガーヌ」

・プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」からの10の小品 Op.75より

・ショパン ワルツ 第5番 作品42 

・ショスタコーヴィチ ヴァイオリン・ソナタ 

●全自由席 料金

・一般 3500円 学生 2500円。 小中学生 1000円。 

(当日、学生証を提示いただければ、差額を返金いたします)

●連絡先 090-8103-1243  

●主催者 多摩大学・樋口裕一ゼミ

 

 なお、当ブログに連絡をいただきましても、予約できます。

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