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二面性をリアルに描く映画「ヴィオレット」

 岩波ホールでマルタン・プロヴォ監督のフランス映画「ヴィオレット」をみた。二次大戦後の忘れられた作家ヴィオレット・ルデュックの人生を描いている。かつてフランス文学を学び、その時代の文学作品を好んで読んでいた人間としては、この映画を見ないわけにはいかないと思って足を運んだ。

 私生児の醜い女性として生まれたヴィオレットは、同棲相手から勧められて文章を書くようになる。闇屋で生計を立てながら書いた原稿がボーヴォワールに認められ、最後には著作がベストセラーになる。とはいえ、サクセスストーリーではなく、ここに描かれるのは、母との葛藤、ボーヴォワールへの一方的な愛(ヴィオレットは同性愛的な傾向が強い)、生まれることを望まれなかったという私生児としての苦しみ、醜いことへの劣等感、心の病、そして生きる苦しみだ。自分の怒りや呪いを書くことによって救いを得ようとする必死の姿がリアルな映像で描かれる。

 それぞれの人物の揺れ動く心の二面性が説得力を持って描かれる。ヴィオレット(エマニュエル・ドゥヴォス)はボーヴォワールや母親に対してまさしく愛と憎しみを抱き、引き裂かれている。ボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)は、理性を失ったストーカーまがいのヴィオレットに辟易しながらも、その才能を認めて支えようとする。ヴィオレットの母(カトリーヌ・イジェル)も娘を憎みながらも時に寄りかかり、時に支える。そのような二面性を役者たちがみごとに演じている。

 見終わった後、水の場面が印象的なのに気付いた。ヴィオレットは川のほとりで水道の水で体をふく。川に足を入れる場面もあったような気がする。洗面器にお湯(西洋言語では、水とお湯は同じ単語を使う!)を張り、そこに足を入れて執筆する。汚れから逃れたいという無意識を暗示しているのだろうか。

フランス文学を学んだ者にはなじみのボーヴォワールやジュネが登場し、映画には現れこそしないが、サルトル、カミュの名前がしばしば語られる。私としては、実に懐かしい世界に放り込まれた思いだった。

とはいえ、ボーヴォワールの著作については、1冊通して読んだものはまったくないことに思い当たった。1970年代に翻訳されていたフランス文学作品のほとんどを読んだつもりでいた(サルトル、カミュ、ジュネに関しては、主要なものはほとんど読んでいる!)が、ボーヴォワールは男の読むものではないと勝手に決めつけていたように思う。この映画のヒロインであるルデュックについては、まったく知らなかった。ただ、このルデュックは「ボーヴォワールの女友達」という邦題で出された本の著者だという。この本のタイトル、そしてカバー(アマゾンで確認した)には覚えがある。知り合いの女性の誰かが読んでおり、「おもしろい」と語っていたのをうっすらと覚えている。

2時間半ほどの長めの映画だが、まったく退屈せず、引き込まれてみた。ルデュックの翻訳も読みたくなって、何冊か古本を注文した。読む時間が取れるかどうかはわからないが・・・。

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