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父の四十九日の法事、最近みたオペラ映像「オネーギン」「ジークフリートの冒険」「サロメ「タンホイザー」のことなど

 125日、1026日に亡くなった父の四十九日の法事のために妻とともに大分県日田市に向かった。

福岡市内に宿泊予定だったが、一月ほど前に予約をしようとしてもできなかった。後で知ったことだが、5日と6日、「ドリカム」公演が福岡市で行われたらしい。そのため、どこのホテルも満室になったとのこと。日田市内のホテルも便利なところが取れなかったので、福岡から日田への中間点である久留米市に宿泊し、翌6日、法事の当日、久留米からゆふいんの森3号で久留米から日田に向かおうとした。

ところが、久大線が事故で1時間ほど遅れそうになったので、法事に間に合わなかったら大ごとだと思って、久留米からタクシーに乗った。ちょっと頼りない高齢の運転手さんだったし、予定外の出費になったが、ともあれ日田に到着。

無事、法事を行い、墓に骨壺を収めた。その後、ごく親しい親戚が集まって会食。父は日田市に暮らしていたが、独立した生活ができなくなった母とともに今年の2月に東京に移転、そして10月に亡くなった。縁のある人はみんな日田市にいる。そのため日田市で法事を行うことにしたのだった。

無事、終えてバスで日田から福岡空港に移動。帰宅したのは深夜だった。

 

今日(2015年12月7日)また、今年のもう一つの不幸が起こった。午後、13歳の我が家のメスの柴犬(正確には雑種らしい)ライムが死んだ。

昨年あたりから体調が悪かった。獣医に何度もみせたが、改善しなかった。ついに皮膚が変色し、今年の夏には毛がすべて剥げて、化け物じみた姿になってよたよたと歩くようになった。再び毛が生え始め、もとの姿に戻りつつあったので、奇跡の復活をするのではないかと期待したが、またぐったりしてきた。そして、本日、ついに命尽きた。ペット葬儀者に連絡して、自宅で小さな葬儀を行ってから、遺体を引き取ってもらった。

今年は不幸が続く。が、すべて若すぎる死というわけではない。自然の摂理としての死。受け入れるしかない。これが運命だと言い聞かせるしかない。

 

 しばらく前から鑑賞していたオペラ映像について感想を書く。

 

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「エフゲニ・オネーギン」メトロポリタン歌劇場 2013年

 メトロポリタン歌劇場ライブビューイングで上映されていた作品。劇場に足を運びたいと思いながら、残念ながら時間が合わずにみられなかった。DVDを購入。

まず、ゲルギエフの指揮が素晴らしい。力感にあふれ、ロマンティックで音の重なりが実にみずみずしく生き生きとしている。まさしくゲルギエフ・マジック。デボラ・ワーナーの演出もオーソドックスで、文句なし。第三幕、別れる前にタチアナがオネーギンと激しいキスをするのが目新しい。なかなかに感動的。

歌手ではやはりタチアナを歌うアンナ・ネトレプコが圧倒的。ただ、タチアナにしては第一幕からあまりに堂々としている。タチアナの内向的で夢見がちでうぶな様子が希薄。ただ、第三幕はまさしくタチアナ。ピョートル・ベチャワのレンスキーも、まさしく理想的。ただ、オネーギンを歌うマリウシュ・クヴィエチェンとグレーミンを歌うアレクセイ・タノヴィッツキーが少し弱い。

 

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「ジークフリートの冒険」~子供のための「ニーベルングの指環」(三澤洋史の編曲、マティアス・フォン・シュテークマンの脚色による)

 

『ニーベルングの指環』の短縮版かと思っていたら、かなり大胆にアレンジしたものだった。「指輪」のメロディが使われるし、ごく大まかなストーリーは「指環」に「似ている」が、別の登場人物が別の状況で歌うなど、かなり自由な発想に基づいている。考えてみれば、それはそうだろう。「指環」のストーリーを1時間と少しでまとめるのはそもそも無理だ。これはまさしく小学校低学年向けの換骨奪胎の「指環」。演奏は小規模オケによるが、歌手も含めてなかなかのレベル。そして、何よりもみんなが芸達者で、子供向けにうまく演じている。

 仕方がないとは思うものの、やはり私としては、もう少し原作に近いほうが嬉しい。誰か、全部で3時間程度の短縮版「ニーベルングの指環」を作ってくれないだろうか。

 

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「ばらの騎士」 
2010 シドニー・オペラ・ハウス

 一体どうしたのだろう。アンドリュー・リットンは悪い指揮者ではないし、これまで何度もとても感心して聞いた記憶がある。が、この「ばらの騎士」には私は我慢できない。少なくとも私の耳にはあまりに一本調子でがさつに聞こえる。とりわけ第一幕は、快速で元気いっぱいに潤いのない音が鳴り続ける。リットンはこのオペラをどうとらえているのか、私にはよくわからない。

 マルシャリンのシェリル・パーカー、オクタヴィアンのキャサリン・カービー、オックスのマンフレッド・ヘム、ゾフィーのエンマ・ピアソンなどの歌手たちは決して悪くないが、とびきり素晴らしいわけではない。ブライアン・フィッツジェラルドの演出はかなりオーソドックス。

 

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「サロメ」 ボローニャ、テアトロ・コムナーレ 
2010

素晴らしい上演だと思う。オーケストラの精度があまりよくないのが難点といえば難点。が、歌手たちはみんなが素晴らしい。サロメのエリカ・ズンネガルドは美しく強い声で、容姿も十分に美少女に見える。ヨカナーンのマルク・S・ドス、ヘロデのロバート・ブルベイカー、ヘロディアスのダリア・シェフターも私はほれぼれとして聴いた。第一声を歌う小姓役のノラ・スルジアンもしっかりした声が印象的。ナラボートを歌うマーク・ミルホーファーがあまりに癖の強い声なので違和感を覚えたが、聴き進むうち、異様な「サロメ」の世界のなかではとくに気にならなくなった。

舞台上に拡大鏡が置かれ、七つのヴェールの踊りの部分ではご丁寧にズンネガルドの美しい裸身を拡大して見せてくれる。舞台そのものが遠近法のゆがんだ世界になっている。ヨカナーンの生首は大きな石像として示される。いびつで不気味な雰囲気をかきたてる。

指揮はニコラ・ルイゾッティ。ドラマティックでエロティックでとてもいい。もっとオーケストラの精度が高かったら、もっと切れがよくなるのだろう。とはいえ、十分に「サロメ」の世界を堪能した。

 

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「タンホイザー」
1994年 バイエルン国立歌劇場

 タンホイザーを歌うのはルネ・コロ、ヴェーヌスはヴァルトラウト・マイヤー、エリーザベトはナディーヌ・セクンデ、ヴォルフラムはベルント・ヴァイクル、ヘルマンはヤン=ヘンドリク・ロータリングという当時の大スターたちの共演。指揮はズービン・メータ。

 もちろん素晴らしいのだが、最高に素晴らしかったころのコロやマイヤーを生で聞いたことのある人間としては、少々物足りなさを感じないでもない。圧倒的なすごみは感じられなかった。実は私は、ヴァイクルの歌については声の不安定さを感じることが多いのだが、今回も不調に聞こえた。指揮のメータも緊張感に乏しいところを時に感じた。きっと実演でみると興奮するのだろうが、DVDでみると、一つの時代の頂点の上演ではあるのだろうが、歴史上とびぬけた上演ではないと思う。

 演出はデイヴィッド・オールデン。第一幕はまるでキリコの絵のような舞台装置。現実とは異なるいびつな世界を作るが、特に大きな読み替えはなさそう。現在からみると、かなり穏当な演出といえるだろう。

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