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高齢者問題・テロ問題

 

 このブログにはしばらく音楽のことばかり書いてきた。たまには社会問題についても書こう。というわけで、しばらく前から考えていた高齢者問題とテロ問題について、正月を機会に少しまとめてみた。

 

 

 

・高齢者の環境を変えるとよくないということ

 

 強い自責の念とともに、高齢者問題について考えていることがある。

 

「高齢者の環境を変えるとよくない」といわれる。父の状況を考えると、まったくその通りだ。90歳を超えても70歳代に見えていた父が、大分県日田市から東京都多摩地区の高齢者施設に住む場所を変えたところ、たった8か月で寝たきりに近い状態になり、昨年の10月に亡くなった。まさしく環境を変えたとたんに気力をなくして死んでいった。

 

「環境を変える」ということを、私は「新しい友人の獲得」「出かける場所」「食住」というように考えていた。だから、それに気を付ければ何とかなるだろうと考えていた。しかし、最も大きな問題はそんなことではなかったとあとで気づいた。

 

 環境を変えることで最も大きな問題は、「特別な存在ではなくなる」ということだと思い知った。多くの人が地域でそれぞれに一目置かれ、自分のポジションを得て暮らしている。それなりに「特別の存在」という意識を持っている。だが、土地を離れると、周囲は未知の人ばかりになる。すると匿名の存在になってしまう。特別な存在でなくなることは、とりわけそれなりの地位を得ていた人間には耐えがたいことなのだ。

 

 高齢者問題で最も大事なのは、一言で言えば、一人一人の高齢者を特別扱いする状況を築くことだと思う。現在は公平性と効率性のために、高齢者施設では、特定の人を特別扱いしないようにしている。だが、それではいつまでたっても高齢者は不満を抱くだろう。もっと高齢者が自慢をし、「自分は特別の存在だ」「私はほかの誰よりも愛されている」という意識を持てるような環境を作るべきではないかと思う。

 

 そして、それは高齢者問題に限らない。「一億総活躍社会」というのは、全員が実際に活躍する社会である必要はない。幻想でもいい。「私は特別な存在なのだ」とみんなが思えるような社会、そして、人々が相互に「あんたは特別な人間なんだ」といいあえるような社会だと思う。

 

 

 

・テロについて

 

 パリでのテロの後、「昔からヨーロッパに住むキリスト教の白人とイスラム系住民との間の格差がテロの温床になっている。テロを撲滅するには、そのような格差をなくす必要がある」という論がしばしば聞かれる。

 

もちろん、格差をなくすほうがよい。格差が治安を悪化させ、経済を停滞させる。だが、そのような格差がテロを生んでいると考えるのは間違いだと思う。そのような格差がテロの温床だとは私は思わない。

 

どんなに良い社会を作っても、1万人に1人くらいは過激な思想を持つ人間が現れるだろう。10万人に1人くらいは過激な思想を実行しようとする人間が出てくるだろう。むしろ、害悪となるような存在がごく稀にいるほうが、ある意味で健全な社会だった。そのような人間までも排除しようとすると、生きにくい社会になってしまう。これまでは、10万人に1人くらいそのような人間がいても、それぞれが孤立し、しかも武器を持っていなかったので、テロに結び付くことはなかった。

 

しかし、10万人に1人といっても、10億人の中では1万人になる。過激な活動家1万人がネットで集結し、連絡し合い、ネットを参照して兵器を作り、一般の民衆を攻撃し始めたら手に負えなくなるのは目に見えている。

 

ネット世界が教えてくれたのは、ごく少数の人間であっても捨て身で攻撃すれば社会に大きな打撃を与えられるということだった。そして、ごく少数の人間が捨て鉢で攻撃することによって世界に大きな打撃を与えようという思想は、まさにテロリズムの考え方だ。

 

ネットの築いた世界がまさにテロになじむものだったといえるだろう。しかも、ネットによって、テロリストが大義を掲げることができるようになってしまった。それにおもしろがって呼応する人々が増殖するという状況にもなってしまった。ネット自体がテロリストの持つ最大の武器になってしまった。

 

端的に言うと、テロを作り出しているのは格差ではない。むしろネット、そしてグローバル化だ。世界中の孤立した人にネットという最大の武器を与えたことだ。これは格差をなくしたところでどうにもならない問題だ。ISへの空爆を繰り返したからといってどうにもならない問題だ。

 

 これからの社会がどうなるのかわからない。しかし、いずれにしてもこれまで理想とされてきた民主主義の考えを覆すだろうことは間違いない。これまで民主主義は、多数による決定という原則と同時に、少数者尊重という原理を打ち立ててきたが、テロの横行するネット社会ではそのような生ぬるいことは言えなくなる。

 

 もしかしたら、インターネットは核兵器以上に人類にとって危険な発明だったのかもしれない。

 

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コメント

私も数年前に片親を亡くしましたが、このとき思ったことに、「自分が必要とされてない」もしくは「自分の存在する意義がない」と思うようになると急速に衰えてしまうということがありました。

もちろん生きがいというものが大事ということで、それなりにそういうことにも気を使ってきたと思いますが、どこか健康第一、無理させたくない、という姿勢が強すぎでそれらのことを潰していったのではないかという気がしてしばらく自分を責めたことがありました。

ただこのとき当時の主治医の先生が、「それを言ってはダメ。それは自分を納得させようとして納得できないことばかりをかえって考えているからであってそれは結果論。真逆のことをやったらそれはそれでまた違った問題を引き起こしていたかもしれない。むしろそういうことを考えるという行為が、それだけあなたが親御さんに対して心を砕き世話をし面倒をみてきた証だということを知るべきです。そんなあなたにみてもらった親御さんは、私からみればとても幸せだと思います。」と自分におっしゃられた言葉がそのときどれだけ救いになったことか。

高齢者に対する考えは樋口さんと同じですが、自分はさらに残された人たちの心のケアというものも、これからの再出発にとても大事という気がします。残された人たちがそれこそ今度はどう自分達が「必要とされてる」「存在する意義がある」と前向きに歩み出していけるか。特に残された人が高齢になればなるほどそれは大事だと思います。

そういうケアもしっかりとできるシステムづくりをこれからはぜひより進めてほしいと思います。

投稿: かきのたね | 2016年1月 3日 (日) 23時22分

かきのたね様
温かい声をおかけいただき、本当にありがとうございます。
考え直してみれば、私の両親に対する対応は、それぞれの局面でそれ以外の選択はあり得ないという状況でなされてきたように思います。ただ、それが積もっていくと、予想していたのとはまったく違った方向に進んでいきます。
多くの方が経験なさってきたことなのでしょうが、改めて高齢者問題の難しさを感じます。

投稿: 樋口裕一 | 2016年1月 6日 (水) 09時01分

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