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映画「サウルの息子」 衝撃的な「視野の狭さ」!

 映画「サウルの息子」をみた。あまりに衝撃的! こんな映画初めて見た。

 主人公サウルはナチス時代のアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で働くゾンダーコマンド(ユダヤ人でありながら、ナチの手先として、同胞がガス室に送り、死体を処理するのを手伝う存在。彼らも数か月で殺される運命にある)のひとり。人間性をなくして機械的に同胞を次々と死に送りこんでいるが、ある日、ガス室に送られて殺された少年を自分の息子と思いこみ、ラビの祈りとともに埋葬してもらおうと必死になる。ゾンダーコマンドたちも脱走を企て、混乱の中でサウルも逃亡するが、最後に殺害される。

 何よりも驚くべきなのは、サウル一人に焦点が当てられていることだ。映画史の上では、オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」がディープ・フォーカスのカメラを用いて、近くから遠くまで焦点を合わせてクリアな映画世界を作り上げたことで知られているが、「サウルの息子」はむしろ徹底的に焦点をサウルに合わせる。しばしばサウルの背中からサウルの体験する行為を描いていく。周囲の様々な出来事は焦点の合わないぼやけた映像として示される。これは映画技術の発展にあえて逆行するきわめて衝撃的な方法だ。

 しかも、画面は横長ではなく、むしろ正方形に近い。つまり、左右の視野も制限されている。広い視野で現実を見渡すことができない。だから、しばしば何が起こっているのかよくわからない。ガス室に送られるユダヤ人やゾンダーコマンドたち(各国から送りこまれている!)の何語だか不明な言葉があちこちから聞こえてくる。サウルから見えないこと、サウルに関心のないことは画面上には明確には見えない。サウル以外の登場人物のほとんどの見分けもつかない。サウルはあれこれとドイツ人やらユダヤ人やらに命令され、怒鳴られるが、多くの場合、その理由がわからない。わけのわからない中、右往左往している。理不尽で不条理なカフカ的世界。

「全貌を見渡せない」という映画のあり方は、もちろんサウルの精神状態をも示している。ユダヤ人がひっきりなしにガス室に送りこまれたり、銃殺されたりしている中、ゾンダーコマンドたちは休む暇もなくその死体の処理をして全員が殺気立っているうえ、すべてが混乱している。しかも、サウル自身、理性を失い、精神のバランスを失い、常軌を逸している。仲間を危険に追いやっても、大事なものをなくしてもただひたすら息子の埋葬に執着している。その中で、サウルたちは未来のことも、周囲のことも理解しない。まさしく視野が狭い。

 見ている観客も周囲が見渡せず、閉塞感を覚える。息苦しくて、周囲が理解できずにいら立つ。理性を失ったサウルと同化せざるを得ない状況に追いやられる。

観客は狂気のただなかに右往左往しながら立ち合い、理不尽と不条理を生きる。そのリアリティが凄まじい。きっと戦場にいる兵士たちはこんな感じなのだろう。いや、人間だれもが極限状況の中ではこのようになるだろう。裸の人間はこのような状況の中で生きているのだろう。

 人間が大量虐殺され、「部品」として扱われ、それを処理する側も人間性を失いそうになる中、サウルは殺された少年を「人間」として埋葬しようとしたのだった。それ自体は人間らしい振る舞いなのだが、そんなきれいごとは通用しない。サウル自身が理性を失い、人間性を失っている。

 この作品は、世界史のある時期の極限状況に立たされた人間の存在を描く映画であると同時に、人間そのものの裸の姿を描いた映画だともいえるだろう。監督・脚本のネメシュ・ラースローのとてつもない才能、サウルを演じるルーリグ・ゲーザ(詩人・小説家でもあるらしい)の独特の存在感に圧倒された。

 最近、良い映画をかなり見ているつもりでいたが、これは別格だった。私がこれまで見た多くの映画(20代のころ、1年に360本以上の映画を見ていた。何しろ私は早稲田大学第一文学部演劇学科映画専攻の出身なのだから!)のなかでももっとも衝撃を受けた数本に入るだろう。

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コメント

気になっていた映画です。ご紹介ありがとうございます。最近出不精になってしまい、映画はいつも見逃すのですが、この映画だけは見ておこうと腹が固まりました。近々行ってきます。

投稿: Eno | 2016年2月 1日 (月) 11時51分

Eno様
コメント、ありがとうございます。
「サウルの息子」に、私は50年近く前にパゾリーニやゴダールの映画を初めて見た時のような衝撃を受けました。ただ、あちこちのレビューをのぞいてみますと、必ずしも万人に受け入れられているわけではないようです。Eno様はどう思われますでしょうか。
ブログを拝見しました。シュトゥットガルトにいらしてたんですね!私は一昨年、一泊だけしましたが、素晴らしい都市だと思いました。ブログを楽しみにしております。

投稿: 樋口裕一 | 2016年2月 2日 (火) 10時19分

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