映画「火の山のマリア」 原初的な生の力
岩波ホールで「火の山のマリア」(ハイロ・ブスタマンテ監督)を見た。素晴らしい映画だった。日本で初めて公開されたグァテマラ映画だとのこと。
グァテマラの火山のふもとで暮らす先住民の一人娘マリアは、地域の有力者イグナシオの後妻になる話には気が進まず、コーヒー農園で働くあまり階層の高くない男と関係を結んで妊娠してしまう。いやいや子どもを堕ろすことに同意するが、それができず結局生むことを決意する。しかし、畑で毒蛇にかまれて瀕死の状態になる。母子とも無事だったものの、死産だったと知らされ、子どもを奪われる。後になって子どもが生きていたことを知り、捜索を懇願しようとするが、スペイン語を話せないため相手にしてもらえない。結局、当初の考え通り、イグナシオの妻になる。
豚の交尾、屠殺、野菜の生育などがたびたび映し出される。生と死と生殖。今までの歴史の中で、数え切れないほど起こったであろう男と女の物語。そのような原初的な人間の営みが自然の営みとして火山のたもとで展開される。
まさしく神話の世界。裸の大地が存在し、そこにマリアという名の女が父なし子を孕み、ヘビが登場する。生贄もあげられる。しかも、主要人物たちは先住民、つまりはその土地に古代から暮らしていた人々。人間の原初的な営みが神話として展開される。どこにでもある男女の生の営みの一コマであるがゆえに普遍的な神話の相貌を持つ。
私は河瀬直美監督の映画を思い出した。「殯の森」「朱花の月」「二つ目の窓」と同じようなテーマだと思う。ただ決定的に違うのは、河瀬にとっての自然が数えきれないほどの生命が宿る豊穣で神秘的な森や海であるのに対して、ブスタマンテ監督は生命の育たない溶岩の見える火山であり、ヘビがいるために耕作できずにいる荒野だということだ。だが、火山が豊穣ではないというわけではない。内部に火を持ち、大地を作り出す火山は豊饒なる大地をイメージさせる。飾りを捨て去り、裸になった原初の自然。河瀬が東洋の自然をイメージするのに対して、ブスタマンテは西洋、南米の自然のイメージだといえるかもしれない。映画の中でマリアは火山に例えられる。まさしく生のエネルギーを持つ生命体。
私は母親とマリアの入浴のシーンに涙が出そうになった。母親は娘をいたわりながら、泣く泣く堕胎を勧める。生命を生み出し、苦しい人生を生き抜いてきた母親の裸体、そして生命を宿して苦難に挑もうとしている娘の裸体。二人の裸は何と美しんだろうと思った。
この映画のカメラワークには大きな特徴がある。大事な部分が描かれないということだ。冒頭の豚の交尾の部分も、それを見ている人間と豚の声だけで表される。映像は上半身を描くことが多いが、多くの場合、何かが行われているのは腰から下の部分だ。
これも神話らしさを映画世界にもたらしているともいえそうだ。聖書でも仏典でも物事は比喩によって語られる。真実はそのまま名指しされず、ほのめかされる。直接な形がもたらされないがゆえに人々の頭の中にくっきりと映像がもたらされる。
気になったことがある。マリアの結婚相手であるイグナシオは何者なのか。どうやら嬰児誘拐に気付きながら、子どものいないマリアを安上がりに手に入れるという自分の利益のために真実に目をつむっているようだ。イグナシオはマリアの先住民の言葉とスペイン語の両方を話せる。本人に悪気はないのかもしれない。良かれと思ってしているのだろう。資本主義の側でほどほどに成功し、先住民を手助けしている人間、しかし、少し考えを変えれば、知恵をつけて先住民を巧みに利用しているヘビともいえるだろう。
原初的な生にあふれた先住民が資本主義に翻弄されながらも本来の生を全うしようとする様を一つの神話として提示した映画といえそうだ。時代に取り残されて消滅していく先住民に同情するのではなく、先住民の世界の力を現代資本主義社会に呼び戻そうとしているかのようだ。
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コメント
河瀬直美監督作品との比較や神話性、そして資本主義の話と興味深いレビューです。母と娘のシーンいいですね。
投稿: PineWood | 2016年3月 2日 (水) 11時19分
PineWood 様
コメント、ありがとうございます。おほめいただいたようで恐縮です。母と娘のシーン、本当に素晴らしいと思いました。
投稿: 樋口裕一 | 2016年3月 4日 (金) 10時00分