新国立劇場「イェヌーファ」 最高レベルの上演 現代の白い閉塞
2016年3月2日、新国立劇場で「イェヌーファ」をみた。素晴らしい上演。
歌手陣はおそらく現在このオペラを上演するのに考えられる最高レベル。コステルニチカを歌うジェニファー・ラーモアがやはり最高の歌唱と演技。ラーモアはCDやDVDで何度も聴いていたが、初めて実演を聴くことができた。ただコステルニチカ歌うにはちょっと美しすぎ、若すぎて、多少違和感は残った。イェヌーファのミヒャエラ・カウネも素晴らしい。しっかりとした人間に育っていく様を見事に演じている。ラツァ役のヴィル・ハルトマンも張りのある美声。誠実で一途なラツァを演じている。シュテヴァ役のジャンルカ・ザンピエーリ、おばあさん役のハンナ・シュヴァルツ(昔からよく聴いててきた大歌手だが、少しも衰えていない!)もまったく文句なし。
日本人の歌手陣も引けを取らない歌と演技だった。萩原潤(粉屋の親方)、吉原圭子(ヤノ)、志村文彦(村長)、針生美智子(カロルカ)、与田朝子(村長夫人)、鵜木絵里(羊飼いの女)、小泉詠子(バレナ)、いずれもみごと。冨平恭平の指揮による合唱もいつもながらに素晴らしい。東京交響楽団も見事な演奏だと思った。とても繊細で潤いのある音が聞こえた。
トーマス・ハヌスの指揮については私は多少不満がある。最初からあまりに耳あたりのよい音楽を作りすぎていると思った。ヤナーチェクのこのオペラはもっと厳しく、もっと鋭利なのではないか。登場人物たちは田舎の閉塞状況のなかで苦しみながら生きているのではないか。コステルニチカはもっと激しく切り裂かれているのではないか。そのような激しい苦しみがオーケストラによって表現されなかった。第二幕では、もっと観客の心を切り刻むような音楽がほしかった。おそらく指揮者は、そのような方向よりも、登場人物の愛ややさしさのようなものを強調したかったのだと思うが、私はそれをすると、このオペラの最大の魅力が薄れてしまうと思う。私が以前見たDVDは同じ演出、同じ主役陣だが、指揮はランニクルズだった。DVDのほうはもっとずっと鋭利だったように思う。そして、厳しい音楽で続けてこそ、最後の5分間の愛の歌にぞくぞくするような強い感動をもたらすのだ。
もちろん今回の上演でも、私は最後の5分で涙を流しかけたが、これらの歌手陣からするともっと大きな感動が得られるはずだったと思った。
演出はクリストフ・ロイ。私自身はもっと地方色を出してほしいのだが、この演出はむしろそれをできるだけ排そうとしているようだ。
第一幕、第二幕の背景に送電柱が見える。だが、電線は張られていない。近代化が進みつつある時代。いいかえれば、前近代と近代がせめぎ合っている時代。ヤナーチェクの時代のブルノ付近でおそらくこのような状況だっただろう。ロイはこのオペラをチェコの片田舎で起こったローカルな事件とはとらえない。前近代と近代のはざまで起こった普遍的な出来事としてとらえる。だから、現代的な服(第一幕のイェヌーファの赤いドレス、お婆さんの上品なスーツ、男たちのおしゃれなスーツ、女たちのおしゃれな服)が目を引く。人々は実は閉塞的な前近代的な田舎にうんざりして都会的になりたいという意欲を持っている。ハンナ・シュヴァルツ演じるおばあさんも例外ではない。そのような動きにあらがうのがコステルニチカだ。だが、第一幕では野良姿だったラツァも第二幕以降きちんとしたスーツを着こなしている。前近代を通そうとした悲劇が浮き彫りになっている。
ただ白い壁のなかで展開されるこのオペラは、そうした前近代と近代という問題以上に、今、私たちが生きている現代の閉塞感も感じさせる。今回の演出では、第一幕は、嬰児殺しの罪で逮捕されて取調室にやってきた(と思われる)コステルニチカが登場し、回想するという形で始まるが、取調室と思われた白い壁で囲まれた部屋が最後まで使われる。観客は最後までずっと閉塞感を覚える。演出家が訴えているのは。前近代の閉塞感ではない。現代社会の閉塞感。暗くて思い閉塞感ではない。現代の白い閉塞感なのだろう。
「イェヌーファ」はヤナーチェクのオペラとしては例外的に台本がわかりやすいのだが、それでもしばしば理解しづらい感情やセリフが現れる。ヤナーチェクのオペラ特有の「わからなさ」がこのオペラにもたくさんあることを改めて感じた。
ともあれこんな高いレベルのヤナーチェクのオペラの上演が日本でなされたことは実にうれしい。今後、またヤナーチェクのオペラが次々と上演されることを願う。とりわけ私の大好きな「カーチャ・カバノヴァ」がみたい! まだ実演をみたことのない「運命」、そして初期の「シャールカ」もみたい。
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