ベロッキオの映画「ポケットの中の拳」「エンリコ四世」「肉体の悪魔」
芸術・演出の分野で私が日本で最も尊敬する人物(あえて名前は伏せる)から薦められてマルコ・ベロッキオの監督作品をいくつか見た。ベロッキオについては、「そういえば、名前を聞いたことがある」という程度だった。日本ではベロッキオの作品はほとんど公開されていないので、私自身を含めて、あまり関心を持っていない人が多いのではないか。初めてベロッキオの映画を見た。あまりのすごさに驚いた。簡単な感想を書く。
「ポケットの中の拳」 1965年
モノクロによるベロッキオの処女作。簡単にまとめれば、盲目の母と障害のある弟を殺して、邪魔になる家族からの解放を企てる青年アレッサンドロ(ルー・カステル)の物語なのだが、そんなストーリーではまとめきれない衝撃作だ。長兄アウグスト(マリノ・マゼ)も同じように家族を重荷に思いながら、そこから完全には逃げさせずにいるのに対して、アレッサンドロはそれを実行したわけだが、最後、自らも家族を閉じ込める家の中で痙攣を起こして、脱出できないことを認識する。
私は「カラマーゾフの兄弟」を思い出した。三人の男の兄弟と一人の妹。男女の違いはあるが、ドミートリー、イヴァン、アリョーシャと異母兄弟のスメルジャコフに重なる。しかも、この家族は遺伝的にスメルジャコフと同じように(そして、ドストエフスキーと同じように)「てんかん」の持病を持つ。そして、親殺し。「カラマーゾフの兄弟」では、理念だけを語り、実行できなかったイヴァンに代わってスメルジャコフが殺人を実行するが、本作では、脱出しようとするだけでできなかった長兄に代わってアレッサンドロが殺人による閉塞状況からの脱出を図る。だが、それでもブルジョワ家族のがんじがらめにされた生活から逃れることができない。ここに描かれるのは、おそらく1960年代のイタリアの閉塞的な資本主義社会だろう。
とはいえ、ここに示したようなストーリーの「謎解き」では捉えきれないエネルギーや社会に対しての怒り、生きることへの息苦しさがこの映画には渦巻いている。閉塞状況の中で生きる若者のぶつけようのない生の苦悩を感じた。
私も高校生のころ(つまり、50年ほど前の1967~70年)、生徒たちに坊主頭を強制し、一切の自由を許さずにまるで軍隊のように受験競争に駆り立てる地方の進学校の息苦しさに我慢ができず、暴力的に怒りをぶちまけていた。このアレッサンドロと同じような状態にいた。あの頃を思い出した。
「エンリコ四世」1984年
私が偏愛するイタリアの大作家ピランデッロの戯曲の映画化。なんとマルチェロ・マストロヤンニの主演。クラウディア・カルディナーレも出演している。
エンリコ四世(日本では、ハインリヒ四世として知られている。カノッサの屈辱で世界史上に知られる11世紀の神聖ローマ皇帝。教皇と対立して抵抗したもののついにはカノッサで教皇に謝罪をした)の扮装をしているときに落馬して頭を打ち、自分が本当にエンリコ四世だと思いこんで20年以上を生きた男の物語。最後、エンリコ四世はすでに狂気から回復していたらしいことがわかるが、それがまた新たな狂気なのか、あるいは周囲の人々のほうが狂気なのか重層化してくる。人生は虚構、人生は狂気、何が真実なのか、もしかしたら何も真実ではないのかも・・・というピランデッロの世界が映像化されている。
とてもよくできた映画だと思ったが、本来的に虚構が見え透く舞台ではなく、リアリティのある映画にすると、ピランデッロの虚構の見え透く世界が薄れてしまう気がした。ベロッキオをもってしても、ピランデッロのこの戯曲は映画化が難しかったのかもしれない。
「肉体の悪魔」 1986年
レーモン・ラディゲ原作の映画化だが、時代も場所も設定も登場人物の名前も原作とは異なる。かなり自由な映画化。これは大傑作。
まさしく肉体性の魔にとりつかれた男女。相手を求めあい、愛し合い、セックスに耽る。それが実に美しい。反社会的な肉体、反社会的な性行為の素晴らしさとでもいうか。一途に、ほかのすべてをなげうって二人の愛に燃える。それだけの映画といえるのかもしれないが、その衝撃度が大きい。ジュリア役のマルーシュカ・デートメルスがあまりに官能的で美しい。アンドレア役のフェデリコ・ピッツァリスも見事に肉体の喜びを表現している。
名場面がいくつもある。冒頭の飛び降りをしようとする下着姿の黒人女性、衆人環視の檻の中でセックスをする男女、ボートの乗る2人、酒場で踊るジュリア、そして最後の、口頭試問を受けるアンドレアの後ろで涙を流すジュリア。画面自体が官能的で、引きこむ力を持っている。言葉をなくして映像に見とれた。
ほかにも数本ベロッキオの映画を入手した。近いうちに見るつもりでいる。
九州で地震が続いている。18歳まで住んでいた土地なので大いに心配。
しかも、あと1時間ほどで九州に向けて出発しなければならない。仕事の途中、実家のあった大分県日田市に寄って、相続などに関する雑務を行うつもりだったが、今朝(2016年4月16日)の地震で到着できない恐れがあるので、取りやめた。が、仕事を控えているので、九州にはいかないわけにはいかない。途中で足止めを食うかもしれないが、ともかく出発する。
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