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オペラ映像「アミカ」「アルジェのイタリア女」「新聞」

 少し時間的余裕ができた。久しぶりにオペラ映像をみたので、簡単に感想をまとめる。

 

889 マスカーニ「アミカ」 ヴァッレ・ディトリア音楽祭 2007年

 先日、静岡県民オペラ公演「イリス」をきいて、マスカーニの真価を知ったので、このDVDを購入した。先に言ってしまうと、よくぞこのレベルの上演を映像化したものだと、むしろ感心するくらいの質の低い演奏だ。

マンリオ・ベンツィ指揮のイタリア国際管弦楽団(どんなオケなんだろう?)の音がかなり濁っているし、切れもよくない。聴くのがつらくなるほど。歌手陣も超一流ではなさそう。悪い歌手というわけではないが、しばしば不安定になる。それにヒロインのアミカを歌うアンナ・マラヴァージ(オリジナルがフランス語によるので、これはアミーカではなく、アミカと発音するべきだろう)を除いて、ダヴィド・ソトジュ(ジョルジョ)もピエルルイジ・ディレンジーテ(リナルド)もマルチェッロ・ロジエッロ(カモワーヌ)も、あまりにイタリア訛の強いフランス語で歌いまくる。

 ただオペラとしては、これはなかなかおもしろい。「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「イリス」を思わせるところがいくつもある。ジョルジョとリナルドの兄弟の両方から愛され、ジョルジョとの結婚を叔父に命じられて、リナルドを愛するアミカは苦しむ。最後の場面はかなりストーリー展開に無理があるが、ともあれドラマティックでしかも田舎の情緒がしっかりと描かれる。アレッシオ・ピツェッシュの演出もわかりやすい。

 

960 ロッシーニ「アルジェのイタリア女」2006年 ペーザロ ロッシーニ音楽祭

 とても楽しい。歌手陣もそろっている。イザベッラを歌うマリアンナ・ピッツォラートが太めの声ながら軽快に歌う。とても魅力的。ムスタファーのマルコ・ヴィンコ、タッデーオのブルーノ・デ・シモーネともになかなかの芸達者で声もよく通る。声がきれいだし、実にうきうきと楽しくなってくる。エルヴィーラのバルバラ・バルニェージもアリのアレックス・エスポージトも安定している。ただ、リンドーロを歌うマキシム・ミロノフが私には耐えがたい。この人が歌うときには私は耳をふさぎたくなる。ほめる人もいるのが、私には信じられない。私には音程がくるって、しかも不安定に聞こえる。最も苦手なタイプの歌手だ。

 指揮はドナート・レンゼッティ。ロッシーニらしく生き生き溌剌で、大変気に入った。ボローニャ市立歌劇場管弦楽団も悪くない。ダリオ・フォーの演出はとても楽しい。賑やかで色彩的。着ぐるみの動物たちが登場。様々なモノまでが浮き立ち、動く。舞台上でロッシーニの音楽にぴったりの動きが展開される。ミロノフがほかの人に変わっていれば最高だったのに・・・と思った。

 

038 ロッシーニ「新聞」2014年 ワロン王立歌劇場

 第一幕に新発見の五重唱が加えられているという。世界初収録らしい。事情はよく知らないが、とても楽しい音楽だった。

 歌手陣は突出した人はいないが、全員がそろっている。リゼッタを歌うチンツィア・フォルテは容姿も美しいし、声も特に高音がきれい。ドラリーチェを歌うジュリー・ベイリーもとても魅力的。フィリッポのローラン・クブラもしっかりした声と歌いまわし、アルベルトを歌うロッシーニ・オペラの常連エドガルド・ロチャもよい味を出している。ドン・ポンポーニオを歌うエンリコ・マラベッリもアンセルモを歌うジャック・カラタユーも芸達者。ただ、歌に感動するというほどではなかった。

 ステファノ・マッツォニス・ディ・プララフェラの演出はちょっと遊びすぎの感がある。レチタティーヴォの部分で別の作曲家の曲が出てきたり、おふざけの場面があったり。とても色鮮やかで楽しいのだが、私にはついていけないところがあった。

 もっとも問題を感じたのはヤン・シュルツ指揮によるワロン王立歌劇場管弦楽団だった。音が貧弱で溌剌とした楽しさが伝わらない。あちこちでもたつく感じ。オーケストラの性能にも疑問を抱いた。

 

468 マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」、レオンカヴァッロ「道化師」 チューリッヒ歌劇場 2009

 ホセ・クーラがトゥリッドゥとカニオを歌う。以前、NHK・BSでも放映されたもの。やはりクーラがあまりにすごい。その存在感、強い声、生々しさ。「カヴァレルア・ルスティカーナ」のサントゥッツァを歌うパオレッタ・マオシュもきれいな声だが、クーラのトゥリッドゥと比べると、やはり少々弱い。ローラはしばしば容姿が美しいだけのあまり有名でない歌手が歌うが、この映像ではリリアーナ・ニキテアヌ。ローラにふさわしい容姿としっかりした声で素晴らしい。

「道化師」のほうは、フロレンツァ・チェドリンスが美しく、しかも芯が強くて、ちょっと育ちの悪そうなネッダを見事に演じている。トニオのカルロ・グエルフィも冒頭の前口上を含めてとてもいい。ただ、これもクーラのとてつもない存在感が目立つ。

 グリシャ・アサガロフの演出は大胆な色遣いと賑やかさでとてもいい。際立った新解釈はないと思うが、舞台上に引き付けられる。ただ、私としてはステファノ・ランツァーニの指揮のせいか、音楽そのものにぐいぐいと引き付けられることはなかった。

 

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たまフェス2016のこと、英国のEU脱退のこと

 2016625日、多摩市のヴィータホールでTAMA女と男がともに生きるフェスティバル2016が開かれた。その初めに行われたのが「0歳からの親子で楽しめるコンサート」。入場無料のコンサートで、入場者は100名を超した。音楽を聴く機会に恵まれない小さなお子さんやそのご両親に楽しい音楽を提供しようという企画で、樋口ゼミが協力して今年で4年目。

 毎年、一人か二人のお客さんに「クラシック音楽を聴きに来たのに、小さな子どもがうるさくて聴いていられない。子どもを入れるべきではない」「子どもが泣いたり歩いたりして、演奏家に失礼だ」という厳しいアンケートをもらう。私自身は対応できなかったが、今年は受付をしていた学生にかなり長い時間にわたって激しく抗議に来た方がおられたらしい。

 しかし、言うまでもなく演奏家の方たちには0歳からの子どもたちが聴きに来てくれることを承知で依頼している。しかも、今年演奏してくださった演奏家は昨年も出演し、このコンサートの趣旨を理解してくれたうえで今年も出演を快く引き受けてくれたのだ。そして、立ち歩いていた小さなお子さんの一人は演奏家のお子さんでもある。静かにクラシックの曲を楽しみたいのであればいくらでもコンサートがあるだろう。ぜひともこのコンサートの趣旨をご理解いただきたかった。

 とはいえ、多くの方にコンサートを楽しんでいただけたと思う。ソプラノの田中樹里さんが歌とお話で盛り上げてくれたおかげで、子どもたちの一緒になって歌い、楽しむことができた。私自身は、フルートの池田里奈さんとピアノの村田千晶さんの演奏したピアソラ作曲の「天使の死」を初めて聴き、その素晴らしさを知ることができた。フルートというまさに天使的な音色の楽器がこれほどまでに天使的ではない音まで出せることに感動した。また、村田さんの演奏したピアノソロ版の「からたちの花」は、村田さんらしい清潔でしなやかな素晴らしい演奏にも驚いた。ヴァイオリンの内田沙理さんの演奏するハンガリー舞曲も第一番も弾みがありながらもみずみずしい演奏に心惹かれた。

 ゼミ生はMCとして、裏方として活動してくれた。もちろん小さな失敗はたくさんあったが、学生たちはとてもしっかりとやってくれた。頼もしい。

 ところで、昨日からの私の関心事は、英国のEU脱退だ。まさかとは思っていたが、英国民がこのような決断をするとは! 世界経済への影響もさることながら(といいつつ、私は経済のことはさっぱりわからないのだけど)、英国、EU諸国、そして世界全体の政治への影響が心配だ。これが世界的な国家分裂、閉鎖主義、排外主義の始まりでなければいいが。民主主義の名のもとに、傍からは自分の首を締めているとしか思えない民衆の選択が広まっていかなければいいが。これがむしろ世界のテロを誘発することにつながらなければいいが。もちろん専門家ではないので、よくはわからないが、あれこれと最悪のシナリオが頭に浮かんで仕方がない。

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日生劇場「セビリアの理髪師」を楽しんだ

2016618日、日生劇場でNISSAY OPERA2016「セビリアの理髪師」を見た。とても楽しかった。

演奏は園田隆一郎の指揮による新日本フィルハーモニー交響楽団。とてもよかった。園田は、とりわけ煽り立てることはないが、きれいな音で生き生きと、そしてきびきびとドラマを進める。日本に素晴らしいロッシーニ指揮者がいることを誇りに思う。新日フィルもとてもいいオーケストラだと改めて思った。

歌手もそろっていた。私がもっとも心惹かれたのはロジーナを歌った富岡明子だ。豊かな声量、美しい声、歌いまわしも躍動感があってロジーナにふさわしい。容姿、演技も素晴らしいと思った。バルトロの増原英也も安定した歌唱でとてもいい。しっかりとロッシーニの歌唱を身に着けているのに驚いた。ドン・バジリオの伊藤貴之、ベルタの山口佳子も演技、歌唱ともにとても楽しめた。

 アルマヴィーヴァ伯爵の中井亮一とフィガロの青山貴ももちろん見事。二人とも出だしは少し不安定だったが、徐々にのびのびとした演技と歌唱になった。フィガロは大変な役だとつくづく思った。ウォーミングアップなしに、舞台に出ていきなり「私は街の何でも屋」を歌うのだから、初球から160キロのスピードボールで三者三振にすることを義務付けられているピッチャーのようなものだ。

演出は粟國淳。とりわけ新しい解釈はないと思う。伝統的な服装、伝統的な動き。だが、そうでありながら少しも飽きない。新鮮さを持たせるために細かい工夫がなされているためだろう。舞台上にもう一つ舞台を作り、二重舞台をうまく使って動きを出している。そこに「意味」はあまり込められていないようだが、視覚的にも動きがあって楽しい。

「セビリアの理髪師」を見るごとに思うのだが、これほどこのオペラは「鍵」が大きな意味を持ち、それこそがまさに「キーワード」なのに、なぜ、いろんな人たちがこうもやすやすと突然、バルトロの家に入ってくるのだろう。一体この家のカギはどうなっているんだろう。

 そしてもう一つ。ベルタはいったい何者なのだろう。まったく存在する必要はない。むしろ公証人のほうにちゃんとした歌を与えるべきなのに、公証人は声を出さず、ベルタは第二幕では魅力的なアリアまで与えられている。音楽的にソプラノが必要だったということもあるのだろうが、それにしても謎めいている。少し考えてみたい。

 ロッシーニのオペラを見ると、日ごろのうつうつとした気分をしばしの間、忘れることができる。ロッシーニは素晴らしい。

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ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏最終日 そして宇野功芳氏の訃報

 2016616日、横浜市鶴見区のサルビアホールでパシフィカ・クァルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏最終日を聴いた。最後まで緊張感あふれる素晴らしい演奏だった。

 曲目は、前半に11番と13番、後半に14番と15番。親しい人が死に、自分の死が近づいていることを意識する時期のショスタコーヴィチの陰鬱で複雑な感情が描かれる曲。ショスタコーヴィチが信頼し、彼の弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン・クァルテットのメンバーの死を追悼する意味の含まれる曲が多く、それぞれの楽器の使い方が曲により異なる。

パシフィカ・クァルテットはそれらの曲の複雑な表情を実に鮮烈に、しかも緊張感にあふれて再現した。強い音の表現がみごと。四人の息もぴったり。やはり、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏を連想する。独特の境地とでもいうか。ただ、とりわけ第1番に関しては、私にはまだまだ理解できないと思った。中学生だったか高校生だったかのころ、初めてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いて途方に暮れた時のことを思い出した。まだまだショスタコーヴィチに関して、私の修行が足りないということだろう。

いずれにせよ、私はショスタコーヴィチについては交響曲よりも室内楽のほうにずっとひかれることを改めて感じた。交響曲は大衆を意識し、ソ連当局を意識するので、内面そのものでなく、あれこれと政治的な言い訳を加えたり、韜晦を加えたりといった余計なものがたくさんある。が、室内楽にはショスタコーヴィチの屈折した内面がそのまま表れる。そこが最高におもしろい。とりわけ、弦楽四重奏曲を最初からずっと聞いていくとその人生の軌跡が見えてくる。しかも、このパシフィカ・クァルテットはそれを最高の生々しさで描いてくれる。

このような最高の企画をしてくれている横浜楽友会に感謝。

といいつつ、鶴見に通って4日間ショスタコーヴィチを聴くというのはなかなかつらい。このところ食欲がなく気が晴れない(といいつつ、一昨日は銀座三越のレ・ロジェ・エギュスキロールで実においしいフランス料理を食べたが)のはショスタコーヴィチの気分を引きずっているからのような気がしてならない。

なお、数日前、ショスタコーヴィチ連続演奏に通っている間に音楽評論家の宇野功芳氏死去の報道に接した。私は高校生、大学生のころ、氏に非常に大きな影響を受けた。その後、氏のあまりに断定的な表現、芸術に順位をつけるような考え方に反発し、私にとって最も嫌いな評論家になっていた。しばしば氏の批評に腹の立つことがあった。だが、CDを聴き、自分なりに感想を抱いた後、宇野氏の評を読むと、私の感想とそっくり同じであることに驚くことも多かった。

5、6年前、一度、出版関係者の紹介で話をする機会(ベストセラー作家であり、クラシック音楽好きで、音楽関係の著書も数冊あると私は紹介された)があり、率直に私の思いをお話しすると、「宇野功芳と対決するという本でも出しませんか。いつでも受けて立ちますよ」といわれた。ちょっと考えたが、音楽に対する知識でとうてい氏に及ぶわけはないと思ってあきらめた。今となってはよい思い出だ。合掌。

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パシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ第2夜・第3夜 圧倒的演奏!

 2016613日・14日、横浜市鶴見区のサルビアホールでパシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏の第2夜と第3夜を聴いた。本当に素晴らしい。パシフィカ・クァルテットの名前はこのたび初めて知った。こんなすごい弦楽四重奏団がいたなんて!

 完璧なアンサンブル。リリックな部分、ロマンティックな部分、絶望的な部分、うつうつとした部分、躁の部分がとても自然に、しかもメリハリが付けて演奏される。その多くの部分に心を奪われ、時に胸を締め付けられる気持ちになり、時に叫びだしたい気分になる。音楽の中に音楽そのもののドラマがあり、それが余すところなく表現される。しかも、余計なものは含まれていないのを感じる。だからこそ、いっそう魂を揺さぶる。

 私は特にショスタコーヴィチ好きというわけではない。交響曲に関していうと、どちらかというとやや苦手な曲が多い。20年近く前、ボロディン弦楽四重奏団の全集CDを見つけて購入し、その凄まじい演奏に圧倒されて以来、室内楽曲には魅力を感じてきたが、本当のことを言うと、ボロディン四重奏団の全集も通して聴いたのは2、3回だと思う。ショスタコーヴィチの曲を聴くと、胸がいっぱいになって続けて聴きたい気持ちが起こらない。そんなわけで、今回も、初めて聴いたに等しい曲も何曲かあった。

 しかし、そうであったとしても、今回のパシフィカ・クァルテットの演奏には驚嘆する。ぐさりぐさりと心に突き刺さってくる。私はとりわけ第2日(613日)の第8番と第3日(614日)の第9番と第12番に感動した。音によって作りだされる複雑な人間の魂の世界に揺り動かされた。

 100人くらいしか客の入らないサルビアホールで独り占めするのがあまりにもったいない。世界最高レベルのクァルテットだと思う。最終日が楽しみだ。

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トリオ・ワンダラーのベートーヴェンとパシフィカ・クァルテットのショスタコーヴィチ

 201669日、三鷹芸術文化センターでトリオ・ワンダラーによるベートーヴェンのピアノ三重奏曲全曲演奏の二日目、第1・3、変ホ長調WoO38、「仕立て屋カカドゥの主題の夜変奏曲とロンド」、第7番「大公」を聴いた。トリオ・ワンダラーはこれまでナントと日本のラ・フォル・ジュルネで何度も聴いてきたが、実は私はどうもよさがわからない。雑な気がしてしまう。が、強く薦める人がいたので、再び聴いてみた。だが、やはり印象は変わらなかった。

 もう少しじっくりと演奏してほしい気がしてしまう。意味なく速く、せわしげに演奏しているような気がしてならない。第三番の作品1-3のハ短調の曲も、あの若きベートーヴェンの人生に対する鬱積が伝わらない。「大公」も凛とした気品が伝わらない。私がこれらの曲に求めるものとは違うものをこのトリオは表現しているのだろう。「やはり、私にはよくわからない団体だ」ということを再認識した。

 翌610日、横浜市鶴見区のサルビアホールでパシフィカ・クァルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲連続演奏の初日、第1273番の演奏を聴いた。これは素晴らしかった。ショスタコーヴィチの醍醐味を味わった。

 サルビアホールで聴いたのは初めてだった。鶴見駅からすぐのところにある100名を少し超すくらいの規模のホールだが、音響面に優れているように思った。このホールで室内楽を聴くのはとても贅沢だ。

 パシフィカ・クァルテットは1994年結成の弦楽四重奏団。もっと若いのかと思っていたら、今や中堅といえそう。アンサンブルがびしりとあって実に見事。時々テンポを動かすが、テンポの揺れが指揮者なしで完璧に行われるのは小気味いいほど。しかも、それが音楽の流れに沿っているので、まったく不自然ではない。音楽の表情も豊かで、完璧なアンサンブルによってショスタコーヴィチ特有のヒステリックといえるような激しい高揚が展開される。人生のやるせなさ、激しい焦燥、怒り、生そのものの激しい衝動。そのようなものが目の前で繰り広げられる。この団体の凄さだけでなく、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の素晴らしさも改めて知ることができた。第3番は素晴らしい名曲だと思った。

 実は、とても忙しい。たまたまいくつかの仕事の締め切りが重なってしまった。しかも、コンサートや芝居、オペラなどに立て続けに行く予定。そんなわけで、今日はこれ以上文章を書く時間的余裕がない。このくらいにしておく。

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横濱ニューオペラ顔見世興行、美男美女による最高に楽しい現代版浅草オペラ!

 横濱ニューオペラ顔見世興行をみた。最高のエンターテインメントだった。

8台の弦楽器とピアノ(指揮はロレンツォ・タッツィエーリと柴田真郁)による「威風堂々」に始まり、イタリアと日本の一流の歌手たちが次々と登場して、「カルメン」「ゴッドファーザー」「魔笛」「ラ・ボエーム」「メリー・ウィドウ」などなどのオペラやミュージカルのナンバーを歌う。「川の流れのように」までも出てきたのには驚いた。ほとんど脈絡がない。ただ、「真実の愛を見つけにいく」という寸劇が間に挟まる。これらの歌は、真実を見つけるための主人公たちの遍歴ということなのだろう。

 そのような寸劇が入るだけなのに、なぜか見ているほうは納得してしまう。私はわくわくしながら、休憩なしの2時間半、まったく飽きずに見入った。魔法にかかったかのよう。

 もちろん、歌のレベルの高さが成功の最大の要因だろう。私はソプラノのシモーネ・トーダロ・パヴァロッティにもっとも驚嘆した。ルチアーノ・パヴァロッティと関係があるのだろうか? 美しくてきれいにコントロールされたリリックな歌唱。フェデリーカ・ヴィタリもドスのきいた強いドラマティックなソプラノで素晴らしい。サルヴォ・グァステッラはちょっと声のコントロールが崩れるところがあったが、見事な美声。イタリア勢の三重唱は圧巻だった。

 日本人勢も負けていない。原田恵、小林未奈子、鷲尾麻衣、柴田紗貴子、楠野麻衣、長島由佳、神田さやか、藤田美奈子、川越塔子、郷家暁子といった歌唱と容姿のそろった女性歌手たちが次々と登場。男声陣も中鉢聡、樋口達哉、青柳素晴、清水良一、森口賢二、高橋正典、大山大輔、大塚博章(思うに、男のほうは女性よりも容姿的にはそろっていないような気がする)らと実に充実。

 そして、座長は秋川雅史。秋川さんの歌唱もほかの一流のオペラ歌手にまったく引けを取っていなかったことに正直言って私は驚いた。音程も確かでとてもきれいな高音。私の周囲の中年女性たちがどうやら秋川さん目当てのようで、秋川さんが登場するごとに大きな反応を示すのにはちょっと閉口したが、それは致し方のないところだろう。容姿の上で男の私から見ても、確かにずば抜けている。

 しかも、これらの歌手たちが演技も見事。日本人がドレスを着てオペラを歌うと鹿鳴館のようになって滑稽になることがある。芝居も学芸会風になりがちだ。だが、まったくそんなことはなく、笑うべきところで笑い、しんみりさせるところでしんみりさせる。

 そして、狂言回しのような役割で全体をつなげるのが俳優=ダンサーの古賀豊。あれこれの役を演じ、踊り、その美しい体の動きを見せる。びしっと姿勢が決まって見事。

 しかし、それ以上に、私は「真実の愛を探す」という要素を入れるだけでこのごたまぜの歌をまとめてしまったアイデア(おそらく演出の三浦アンコウさんによるのだろう)に脱帽。

 まるでフェリーニの後期の映画のよう。しっちゃかめっちゃかにあれこれのことが起こり、どんちゃん騒ぎのようになり、脈絡がないように見えて、なぜか最後には納得するというフェリーニしかできないと思っていた魔法を三浦さんが使っているのに驚いた。

 私は、しばらく前から浅草オペラに関心を持ってきた。私が子どものころ、テレビに浅草オペラ育ちの芸人が登場していた。とりわけ私はエノケンが大好きだった。エノケンの歌ったCDも愛聴している。浅草オペラのようなものが復活するとおもしろいのになあ・・・とずっと思っていた。

 今回の横濱ニューオペラを見て思った。これぞまさしく浅草オペラの現代版だろう。秋川雅史というスターを座長に据えて、浅草という今ではちょっと古めかしく少々ダサい場所ではなく、もっとおしゃれな横浜で、美男美女を取り揃えての浅草風オペラ。なるほど、これこそがオペラを大衆化する新しい道だろう。素晴らしい試みだと思った。

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METライブビューイング「エレクトラ」 最高の名演に興奮

METライブビューイング「エレクトラ」をみた。凄まじいまでの名演。すべてが圧倒的。ずっと興奮しながら1時間50分を見続けた。

その中でもやはりエレクトラ役のニーナ・ステンメがとてつもない声の威力を聴かせる。単に声が大きくて強いだけではない。実に繊細にエレクトラの心を歌い上げる。まるでリートのような歌いまわしをするところもある。それがこれまでのエレクトラ歌いと違うところだ。だが、そうしたところも少しもだれずに緊迫感を盛り上げる。最後までまったく声の疲れを感じない。これまで彼女の演じるイゾルデやブリュンヒルデも素晴らしかったが、エレクトラもそれに劣らない。

 クリソテミスを歌うエイドリアン・ピエチョンカも、まさしくクリソテミスにふさわしい歌唱。清楚で美しく、しかも芯が強い。この人もしばしばリートのように繊細に歌うが、そうでありながら迫力満点。エレクトラとの掛け合いの迫力にはすさまじいものがあった。ステンメに一歩も引けを取らない。これほどまでにエレクトラに負けないだけの威力を聞かせてくれるクリソテミスも珍しい。私は彼女のアリアドネとゼンタを実演で聞いているが、それ以上の深い感銘を受けた。

クリュテムネストラと歌うのはヴァルトラウト・マイヤー。全盛期と比べれば確かに声の輝きは失われている(バイロイトの前から2列目の席で聴いた彼女の「愛の死」は私のもっとも幸せな音楽体験の一つだ!)が、その迫力と独特の色気は相変わらず圧倒的。あまりに若々しく魅力的なクリュテムネストラだと思った。

オレストのエリック・オーウェンズ、エギストのブルクハルト・ウルリヒはもちろん、召使たち一人一人に至るまでまったく非の打ち所がない。召使たち一人一人の声と演技にしっかりとした個性があり、ドラマに奥行きを作りだしている。

指揮はエサ=ペッカ・サロネン。このオペラはつい力で押しがちになるが、サロネンはしばしば繊細な部分を作る。むしろ抑制気味。しかし、それが一本調子にならずにドラマ性をいっそう強めている。鋭利で繊細でドラマティック。

演出は故パトリス・シェロー。シェローにしては大胆な解釈はないが、人物の動きが音楽にぴたりと合い、エレクトラの異様な執念を描く。このあまりに非人間的な心理が、すべての人間の中にあるものであることも浮き彫りにしているかのようだ。

一言で言うと、指揮も演出も歌手たちもオーケストラも、すべてが素晴らしかった。私は高校生のころ、つまりは1960年代からこのオペラが大好きで、日本で上演された実演はもちろん、録音・録画すべてみているはずだ(1981年のウィーン国立歌劇場日本公演のニルソンの歌うエレクトラも聴いている!)。その中でも今回のライブビューイングは傑出している。

映像ではあるが、「エレクトラ」の最高の名演に触れることができて、実にうれしい。改めてこのオペラの凄さを思い知った。

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新国立「ローエングリン」 フォークトの凄さを味わった

201664日、新国立劇場で「ローエングリン」をみた。今日が最終日。日本でみられる最高レベルの上演だった。素晴らしかった。興奮した。

 何はともあれ、題名役のクラウス・フロリアン・フォークトがずば抜けている。歴代のローエングリン役の中でも傑出しているのではないか。容姿的にもローエングリンにぴったり。ほとんどヴィブラートのない自然な発声、柔らかくて気品にあふれる声。軽く歌っているように思えるのだが、場内にビンビンと響きわたる。来日した往年の大歌手フィッシャー=ディスカウと共演したことのある日本人歌手が、「舞台上で一緒に歌っていると、あんな歌い方で客席まで届くのだろうかと思う。ところが、後で客席にいた人に聞いてみると、フィッシャー=ディスカウの声だけがビンビンと聞こえていたということだった」と語っていた。それを思い出した。私はこれまでバイロイトを含めて何度か彼のローエングリンを見ているが、実に幸せなことだと思う。

 そのほか、フリードリヒのユルゲン・リン、オルトルートのペトラ・ラングが見事だった。二人とも年齢のせいなのか、声の点からすると少し輝きが失われているように思う。が、その声の演技力は見事。どす黒い心を迫力をもって歌っている。エルザのマヌエラ・ウールは素晴らしい容姿と美しい声。これも素晴らしい。国王のアンドレアス・バウアーもしっかりとした威厳ある声。日本人勢(萩原潤・望月哲也・秋谷直之・小森輝彦・妻屋秀和)も見事なのだが、やはり世界一流の外国人勢に比べると分が悪い。

 特筆するべきは三澤洋史の指揮による合唱の素晴らしさだろう。ふだんから素晴らしいが、今日はことのほかその圧倒的な声の厚みとキレの良さに驚いた。これは間違いなく世界超一流だと思う。

 そして、もう一人特筆するべきは指揮の飯守泰次郎。ゆったりとしてスケールの大きな演奏だが、的確にオーケストラをコントロールしているのがよくわかる。これまで聞こえてきたことのない楽器の音やメロディ線が聞こえてはっとするような箇所がいくつもあった。

 マティアス・フォン・シュテークマンの演出は、とても色彩的で美しい。第三幕での寝室などシンプルで視覚的に見事。最終場面以外は、あまり新しい解釈はなかったように思う。

その最終場面、黙役のゴットフリートが登場。ところが、ローエングリンに期待されている軍の統率には無関心でエルザのもとに駆け寄って抱き合おうとする。ところが、エルザのほうは弟のことなど気づきもせずにローエングリンを追ってふらふらと走り去る。一人残されてゴットフリートはうなだれる。つまりは、ローエングリン、エルザ、ゴットフリートの思いがそれぞれにすれ違い、それぞれが絶望することになる。シュテークマンのこのオペラをそのようなものにとらえたのだろう。なるほど。それはそれで鋭いアプローチだと思う。

フォークトの声に興奮したまま会場を出て帰宅した。

 

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