ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏最終日 そして宇野功芳氏の訃報
2016年6月16日、横浜市鶴見区のサルビアホールでパシフィカ・クァルテットによるショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏最終日を聴いた。最後まで緊張感あふれる素晴らしい演奏だった。
曲目は、前半に11番と13番、後半に14番と15番。親しい人が死に、自分の死が近づいていることを意識する時期のショスタコーヴィチの陰鬱で複雑な感情が描かれる曲。ショスタコーヴィチが信頼し、彼の弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン・クァルテットのメンバーの死を追悼する意味の含まれる曲が多く、それぞれの楽器の使い方が曲により異なる。
パシフィカ・クァルテットはそれらの曲の複雑な表情を実に鮮烈に、しかも緊張感にあふれて再現した。強い音の表現がみごと。四人の息もぴったり。やはり、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏を連想する。独特の境地とでもいうか。ただ、とりわけ第1番に関しては、私にはまだまだ理解できないと思った。中学生だったか高校生だったかのころ、初めてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いて途方に暮れた時のことを思い出した。まだまだショスタコーヴィチに関して、私の修行が足りないということだろう。
いずれにせよ、私はショスタコーヴィチについては交響曲よりも室内楽のほうにずっとひかれることを改めて感じた。交響曲は大衆を意識し、ソ連当局を意識するので、内面そのものでなく、あれこれと政治的な言い訳を加えたり、韜晦を加えたりといった余計なものがたくさんある。が、室内楽にはショスタコーヴィチの屈折した内面がそのまま表れる。そこが最高におもしろい。とりわけ、弦楽四重奏曲を最初からずっと聞いていくとその人生の軌跡が見えてくる。しかも、このパシフィカ・クァルテットはそれを最高の生々しさで描いてくれる。
このような最高の企画をしてくれている横浜楽友会に感謝。
といいつつ、鶴見に通って4日間ショスタコーヴィチを聴くというのはなかなかつらい。このところ食欲がなく気が晴れない(といいつつ、一昨日は銀座三越のレ・ロジェ・エギュスキロールで実においしいフランス料理を食べたが)のはショスタコーヴィチの気分を引きずっているからのような気がしてならない。
なお、数日前、ショスタコーヴィチ連続演奏に通っている間に音楽評論家の宇野功芳氏死去の報道に接した。私は高校生、大学生のころ、氏に非常に大きな影響を受けた。その後、氏のあまりに断定的な表現、芸術に順位をつけるような考え方に反発し、私にとって最も嫌いな評論家になっていた。しばしば氏の批評に腹の立つことがあった。だが、CDを聴き、自分なりに感想を抱いた後、宇野氏の評を読むと、私の感想とそっくり同じであることに驚くことも多かった。
5、6年前、一度、出版関係者の紹介で話をする機会(ベストセラー作家であり、クラシック音楽好きで、音楽関係の著書も数冊あると私は紹介された)があり、率直に私の思いをお話しすると、「宇野功芳と対決するという本でも出しませんか。いつでも受けて立ちますよ」といわれた。ちょっと考えたが、音楽に対する知識でとうてい氏に及ぶわけはないと思ってあきらめた。今となってはよい思い出だ。合掌。
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コメント
宇野さんはここ数年過去に自分の言った言葉の数々に囚われてしまったようにかんじられました。音楽を聴くときに言葉に囚われることの悲劇というのを、自分は過去ある演奏者の方から直接聞いたことがあります。それをふと思い出してしまいました。
投稿: かきのたね | 2016年6月19日 (日) 03時24分
幻に終わった宇野功芳氏との対決本、もしできていたら、面白い本になったかもしれませんね。読者も参加できたら(投稿か何かの方法で)、私も一言くらいは参加したかも‥と思ってしまいました。
投稿: Eno | 2016年6月19日 (日) 18時12分
かきのたね 様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。確かに、あのように断定的な言い方をすると、のちに考えが変わったり、別の視点で聴き返してみたりしたとき、前言を翻すのが難しくなってしまいますね。ある意味で自分の成長を自分でとどめてしまうことになるかもしれません。しかも、氏の場合、以前と矛盾したことを書くと鬼の首を取ったようにあげつらうアンチも多かったようですし。あのような文体も一つの芸だったとは思いますが、ご自分へのマイナス面のあったのでしょう。
投稿: 樋口裕一 | 2016年6月19日 (日) 21時58分
Eno様
コメントありがとうございます。
宇野氏の追悼本として、そのような本の企画をどなたか考えてくれませんかねえ。それがもっとも宇野氏にふさわしい本になるように思います。多くの投稿者が一つのオマージュとして宇野氏への批判をするような本です。私も一人の投稿者として加わりたいですね。
投稿: 樋口裕一 | 2016年6月19日 (日) 22時07分