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暗澹たる気持ちになった 相模原障碍者施設大量殺人事件

 一昨日(2016年7月26日)、相模原の知的障害者施設で起こった19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件について、だんだんと犯人の生い立ちが明らかになってきた。事件現場は多摩地区にある私の家からそれほど遠くない。他人事とは思えない。私は暗澹たる気持ちになった。

 現実世界に不満を持つ人間が、自分よりも弱い人間をターゲットにして、憎悪と差別の意識をつのらせ、浅はかなで幼稚な価値観によって、そのような人々を一方的に攻撃することを正義とみなし、そうすることによって自分の価値を見出そうとする。これはISなどのテロリストとまったく同じ心理だ。人を人間と思わず、平気で殺していく。高齢者施設でヘルパーが数人の高齢者を殺したという事件もまったく同じ構図だ。

明らかな犯罪だけではない。「在特会」という団体、クレーマー、そして炎上をあおる人々もまったく同じ心理だ。わかりやすい子どもっぽい狭い正義だけを信じて、それに反する人間を見つけると、相手をゼロとみなして攻撃する。相手の落ち度を見つけると、それがすべてにように考えて、相手を全否定する。過激な行為であればあるほど、小さな仲間たちはそれを喝采する。喝采されると、またそれを実行する人が出てくる。このような人々が増殖しているのだろう。

 いつの間にこのような不寛容な社会になってしまったのだろう。近代文明が長い時間をかけて作り上げてきた多様な価値観を許容し、寛容を何よりも重視する社会が今壊れつつあるのだろうか。

 今回の事件で殺害された人々の痛ましさについては言葉もない。だが、今回の事件が植松聖という一人の狂った人物の狂った行為であるなら、まだ救いがある。だが、多くの同じタイプの人間がいるのではないか。障害者だけでなく、これから次々とターゲットをふやすのではないか。格差が拡大し、満たされない思いをする人々が増え、ネットによって愚かな考えをばらまいて仲間を増殖させることのできる社会においては、ますます不寛容が幅をきかせるのではないか。そして、狂った世界でヒーローになって喝采を浴びることを求める人間が出てくるのではないか。今回の事件や海外でのテロ事件が引き金になって、また同じような愚かな正義を振りかざす犯罪が起こってしまうのではないか。

 だが、言うまでもなく、他者をごみ扱いし、人間として尊重できないということは、自分自身をも尊重できないことだと思う。自分という存在に自信があれば、他者の存在も尊重できる。おそらく他者の存在を全否定している人は、自分の存在を全否定されるかもしれないという恐怖を抱いている人なのだろう。まず人間がするのは、他者の存在を否定することではなく、自分の存在を肯定することなのだ。そのためにしっかりと考え、行動することなのだ。

 植松聖容疑者は教員を目指していたという。本気で思っていたとは思えないが、言うまでもなく、彼はもっとも教員には向かない。教員こそが子どもたちに自分を肯定する力を教える存在なのだ。同時に、教師こそが自ら寛容の精神を抱き、寛容の精神を教える存在なのだ。

 教育に携わるはしくれとして、ここに書いたことを忘れずに若者に接したいと思う。それだけが、今回の事件のようなことが二度と起こらないために、私のできるたった一つのことだと思う。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私もまったく同じ想いです。障害者だとか、異教徒だとか、自分とは異質の人間を認めない精神構造に震撼します。憎悪の対象はどこにでも向かい得る、そんな社会になったような気がします。

投稿: Eno | 2016年7月29日 (金) 06時31分

今回の事件に関しては、強い憤りを覚える。テロの思想に通じるというのも全く同感である。

しかし、そのテロを生み出している大元は何か。このような事件が起きる社会的背景は何かということを考えたとき、世の中は未だに寛容・多様性とはほど遠い状況であると考えずにはいられない。

この大元を見ないで事件について論ずる限り、テロやヘイトクライムなどが無くなることはないと思う。

投稿: ジャック | 2016年7月29日 (金) 10時36分

この犯人は、分の存在や行動に箔をつけ、己を誇示し飾り立てることにのみ偏執し、そのためには他人の世界や存在などどうでもいいという、極めて異常そして極めて自分だけがかわいくてしかたがないという本質のみの人間だったと思います。

おそらくこの男は自分の思考や発言に酔い、自分こそ他人より優れた存在であり世界を変えることができると思い込んでしまっため、ISに感化されたテロリストや、サリン事件を起こした新興宗教の信者と同じような考えに凝り固まってしまったのでしょう。

薬等はそのための手助けであり、ひょっとしたら刑事事件から逃れるための免罪符として確信的に使用していたのかもしれません。だとしたらその卑劣な考えには断固たる措置をとり、裁判においてその思考過程等を白日の下に晒さないと、この事件の解決や模倣事件の発生を防ぐことはできないと思います。


ただその大元にある「自分さえ納得できれば他人はどうなってもいい」という身勝手極まりない自己中心的な考えは、最近の演奏会におけるマナーの低下とも相通じるような気もしています。

私も今回のそれは暗澹たる気持ちになりましたが、そこにはその部分も上乗せされています。これは考えすぎでしょうか。

投稿: かきのたね | 2016年7月29日 (金) 22時15分

Eno様
コメント、ありがとうございます。本当に嘆かわしいことだと思います。社会がいっそう悪いほうに進まないように、及ばずながらも自分にできることはしたいものです。

投稿: 樋口裕一 | 2016年7月30日 (土) 14時25分

ジャック様
おっしゃる通り、今回の事件について「論じる」のであれば、そのほかの多くのこととともに根本的な社会背景を探るのが不可欠です。
が、もちろん、おわかりいただけていると思いますが、私はこのブログ内で「論じ」ているつもりはまったくありません。1000字やそこらで論じられる問題とも思っていません。これを論じるとしたら、最低でも数か月の取材時間と100ページ以上の字数が必要でしょう。また、テロやヘイトクライムをなくすための提言をしようとしているわけでもありません。
私がこのブログに書いたのは、容疑者が生活をし、教育を受けてきたであろう地域と重なりのある地域で教育にかかわる仕事をしている人間として、暗澹たる気持ちに陥ったという感慨、そして、その中で私が個人としてできるのは何なのかについて自分なりに考えたことの表明にすぎません。

投稿: 樋口裕一 | 2016年7月30日 (土) 14時44分

かきのたね様
コメント、ありがとうございます。
コンサートのマナー違反につきましては、私は「公共意識の喪失」つまりは、自宅にいるときのままの態度を公共の場でとることの問題だと考えています。
周囲に自分以外の人間がいないと同じように感じてしまう・・・という点ではまさしくテロや今回の事件と通底するかもしれませんね。
恐ろしいのは、若者だけでなく、高齢者にも、このような人間が増えているように思えることです。

投稿: 樋口裕一 | 2016年7月30日 (土) 14時52分

お返事ありがとうございます。

樋口先生のお気持ちはもっともだと思いますし、私もそれについて文句をいうつもりはありません。

ただ、メディア等を通じて一般的に論じられていることを含めて私なりの考えを書かせて頂きました。

まず、寛容や多様性に関しては、昔からみれば認識が進んでいるように思います。例えば女性やLGBTに対するものなど、十数年前の日本にはLGBTという言葉すらなかったでしょう。

しかし認識が進んだとはいえ、社会的な差別や偏見は続いています。障害者の方に対する差別や偏見など、挙げればきりがありません。

また自己肯定感を育むというのも、今の偏差値主義教育では難しいように思われます。私の学生時代を振り返ってみても、勉強ができる、スポーツができる、友達作りがうまい生徒は居場所があるのですが、このどれもが不得意な人間は居場所がなく、自己肯定感を育むことが難しいのです。

また社会に出れば、五体満足で社会の役に立つ人間が求められます。障害者雇用も徐々に進んでいるとはいえ、共生社会とは程遠い実情でしょう。口ではどんな命も貴いと言いながら、心の中では「社会の役に立たない奴は生きる価値がない」との社会的背景があるように感じます。まさにナチスがこの理屈で障害者の虐殺を実行したのは周知の事実です。

このような社会的背景も、今回の事件の大きな要因になっているのではないかと感じています。私の少ない知識と得られた情報の中での個人的な考え・感想ですが。

投稿: ジャック | 2016年8月 1日 (月) 11時37分

ジャック様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃることはわかります。が、現段階で、メディアで語られる意見は私の知る限り、すべて「論じ」ているものではないと思います。私と同じように、誰もが、この犯行にうろたえ、暗澹となり、自分の立場でとりあえずどうするべきかを考えている段階でしょう。つまり、大けがの後、ともあれ出血を止め、輸血するのと同じように、今は対症療法を語っている時期だと思います。
今回の事件の「大元」は、おそらく格差拡大と貧困をもたらしている現在のゼロ成長社会のあり方だと思います。が、それを考え、社会全体のあり方を含めて「論じる」のはもう少し後でいい、そんなに簡単に解明することもできず、解決することもできない問題なので、それほど安易に考えるべきではないと思うのです。

投稿: 樋口裕一 | 2016年8月 2日 (火) 22時58分

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