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ジョルダーノ作曲のオペラ映像をみた

 夏休みが終わり、秋学期の授業が始まった。久しぶりに授業をすると、とても疲れる。そんなわけで、家に帰ると原稿を書くなどの仕事をする気分になれず、音楽を聴いたり、テレビを見たり。

 少し前までまったく関心がなかったが、ジョルダーノのオペラの映像をいくつかみてみたので、感想を書く。

 

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ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」 2015年 コヴェント・ガーデン王立歌劇場

 私がよく知る唯一のジョルダーノのオペラ。昔、フランス文学を学んだので、そのころから、革命精神をたたえつつも、フランス革命時、ギロチンによって処刑された詩人アンドレ・シェニエには関心を持っていた。ジョルダーノのこのオペラは、そのアンドレア・シェニエを主人公にしている。もちろん、そこはイタリアオペラなので、メロドラマになっているが、それはそれでとてもドラマティック。

 シェニエを歌うヨナス・カウフマンがやはりあまりに「カッコイイ」。ファウストよりもウェルテルよりもカニオよりもドン・ホセよりも、カウフマンは悲劇の詩人アンドレア・シェニエにぴったり。知的でりりしい歌唱。マッダレーナを歌うエヴァ=マリア・ウェストブルックも実に美しく可憐(もちろん、見た目にはちょっと太めだが)で、強い声で見事に歌い上げる。そして、ジェラール役のジェリコ・ルチッチが、見事な存在感。この三人が歌いあげるのだから、最高の上演になって当然だろう。

 アントニオ・パッパーノの指揮も、うねりがあり、ドラマがあり、音楽的な厚みがある。デイヴィッド・マクヴィカーの演出も豪華で動きがあり、自然のうちに感情移入できる。ジョルダーノのオペラの魅力がよくわかる。

 

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ジョルダーノ「フェドーラ」 1993年 ミラノ、スカラ座

 有名なオペラの有名な映像だが、イタリアオペラに疎い私は初めて「フェドーラ」をみた。もちろん、この上演をみるのも初めて。なかなかおもしろい。とてもドラマティック。第三幕はいやおうなしに感情移入させられる。

 歌手陣に関しては、あまりのすごさに圧倒されるしかない。まさしく伝説の歌手たち。フェドーラのミレッラ・フレーニとロリスのプラシド・ドミンゴは言葉を絶する凄さ。実演を聞くとどんなに凄まじいことか。オルガのアデリーナ・スカラベッリ、デ・シリエのアレッサンドロ・コルベッリも文句なし。ジャナンドレア・ガヴァッツェーニの指揮もとても盛り上がりがあって実にいい。

 

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ジョルダーノ 「王様」 2006年 フォッジャ テアトロ・ジョルダーノ

 私はこのオペラがとても気に入った。70分そこそこの短い童話風のオペラ。チャイコフスキーの「イオランタ」とプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」を合わせたような雰囲気とでもいうか。村の男性の婚約していた娘ロザリーナは、通りかかった王様に恋をして婚約を破棄するといいだす。許婚者や両親が王様に直訴すると、王様はカツラを脱いで禿げ頭を見せ、ロザリーナを恋の病からいやす。そのようなとぼけた話をちょっと調子ッパずれの音楽でおもしろく見せてくれる。伝令が語るとき、「ローエングリン」の第1幕のファンファーレの調子を外したパロディが聞こえるなど、遊びの部分も多い。

 ジョルダーノという作曲家は時にきわめて感傷的でロマンティックな音楽を書くが、耽溺しているわけではなさそうだ。冷めたところが同居している。そこがおもしろい。

 ロザリーナを歌うパトリツィア・チーニャは美しい声で、コロラトゥーラの確かな技巧を持っている。コロンベッロのファビオ・アンドレオッティ、王様のジュゼッペ・アルトマーレもとても安定している。

 カピタナータ交響楽団を指揮するのはジャンナ・フラッタ。妙齢のきれいな女性。ただ、オケの精度はあまり高くないし、指揮の技術もそれほど高くなさそう。しかし、全体的に十分に楽しめる。掘り出し物のオペラだと思った。

 

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ジョルダーノ 「マルチェッラ」 2007年 マルティナ・フランカ

 60分を少し超すくらいのジョルダーノの短いオペラ。芸術家きどりの自堕落な生活を送っていた青年が生真面目な娘と出会い、恋をする。が、実はその青年はよその国の王子だった。民衆に壊れて故国に帰るために身分違いの娘と別れる。

 実はあまりおもしろいと思わなかった。メルヘン風のストーリーなのだが、聞こえてくる音楽は十分に生真面目で感情移入をうながす。だが、そうなるとストーリーのあまりの不自然さが気になる。

 しかも、演出(アレッシオ・ピッツェッキ)のために意図的にそうしているのか、それともタイトルロールのソプラノ、セレーナ・ダオリオの演技でそう見えてしまうのかわからないが、マルチェッラはかなりエクセントリックで、狂気に冒されているように見える。精神を病んだ女性が若者と出会い、その人が王子と知っていっそう精神を引き裂かれる・・・。そんな物語に見える。だが、そうだとすると、音楽に緊迫感がない。結局、よくわからないオペラだと思った。

 マルチェッラ役のダオリオは容姿もいいし、きれいな声。王子ジョルジョ役のダニロ・フォルマッジャも伸びのある声。二人とも悪くないとはいえ、感動するほどではなかった。マンリオ・ベンツィの指揮するイタリア国際管弦楽団はかなり貧弱な音。どうも一流の歌劇場の名演というわけではなさそうだ。

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私は猫が大嫌い

 いつも音楽のことばかり書いているので、今回は別のことを書く。

(なお、この文章には残酷な部分が含まれますので、ご注意ください)

 私は大の猫嫌いだ。最近、テレビを見ていると、やたらと猫が出てくる。猫ブームだそうだ。NHK・BSで音楽番組を録画しようとしているときも、しばしば猫番組が映っていて不愉快きわまりない。こんなブームは早く終わってほしい。

 最近はだいぶよくなった。年齢を重ねたせいで感性が鈍くなったのだろう。このごろはテレビに猫が出ていても、落ち着いてチャンネルを変えることができる。10年ほど前までは、猫の映像を見たけで身体がこわばっていた。実物が目の前を通ろうものなら、恐怖で叫びだしたくなっていた。いや、「猫」という言葉を発音することも、文字を見ることも恐怖なしにはできなかった。それに比べれば、今は猫が目の前を通っていても、ちょっと息を止めるだけで、ともあれ我慢できる。我ながらたいした進歩だと思う。

 なぜ猫嫌いになったか。思い当たることがないでもない。

 もともと猫は好きではなかった。我が家には、私が小学生のころから犬がいた。シェパードの大きな犬だった。だから、犬は今も大好きだ。だが、猫はどうも苦手だった。が、苦手というレベルでないほどに猫が怖くなったのは、思いかえすに小学校5、6年のころの出来事が原因だろうと自己分析している。

 私は当時、大分市に住んでいた。私の家の隣には小さな墓地があった。私が寝ていたのはもっとも墓地に近い部屋で、トイレ(といっても、60年近く前のことだから、もちろん水洗ではない)から墓場まで数メートルしかなかった。今から考えると不思議だが、臆病な小学生だったのに、私は特に怖いと思うことなく、ふつうに暮らしていた。

 ところが、あるとき、我が家に私よりも4歳年上の従姉が遊びに来た。夏休みだったような気がする。細かいことは覚えていないが、従姉と二人で近くに買い物に行くことになった。家を出て路地を歩いていると、墓地の入口に子猫がいた。おそらく、生まれて間がない、まだ自力では歩けないような猫だ。猫好きの従姉は「まあ、かわいい」といいながら、その子猫をあやし、墓地の入口の石段の上に置いた。猫が決して好きではない私は横で見ていたような気がする。

 それから1時間ほどして帰ってきた。従姉はさきほど石段の上に置いた猫を目で探している様子だった。だが、そこには猫はいなかった。

が、その石段の下に、猫の死骸らしいものがあった。頭が砕け、血にぬれた肉がむき出しになり、見覚えのある毛が地面にはりついていた。誰かが意図的に殺したのか、あるいは石段から落ちて何らかの事故にあったのか。車の通れるような道ではなかったが、オートバイはたまに通ることがあった。

 小学生の私はその死骸を見て、「ギャッ」と叫んだ。しばらく動けなくなった。そのまま家に駆けこんだことを覚えている。

 その後しばらく、猫を見るごとにその場面を思い出していた。さすがに数年たつと忘れたが、それ以来、猫を見るごとに心の中で「ギャッ」と叫ぶようになった。そして、私の頭の中で猫と墓と死が結びつくようになった。

 もうそろそろこの恐怖から解放されたいものだ。だが、生涯にわたって、私が猫を抱くようなことはないだろうと思っている。

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オペラ映像「ロアン家のマリア」「ミカド」「ノルマ」「カプレーティとモンテッキ」

 いよいよ明日から授業開始。明日は922日、秋分の日なのだが、今どきの大学は祝日も授業が行われる! 小学生のころからずっと、夏休みの終わりにはいつも「ああ、結局したいことはできないまま夏が終わってしまった!」と思ってきたが、65歳になってもまだ同じ思いを繰り返している!

 いくつかオペラ映像をみた。いずれも、私が子どものころからなじんできたドイツ系のオペラではない。イタリアオペラは悪くないな・・と思うこのごろ。とはいえ、やはり本音としてはドイツもののほうがいい。感想を書く。

 

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ドニゼッティ「ロアン家のマリア」2011年 ベルガモ ドニゼッティ劇場

 グレゴリー・クンデ指揮のベルガモ・ガエターノ・ドニゼッティ音楽祭管弦楽団があまりに貧弱な音。名歌手クンデも指揮者としてはまだまだ十分にオーケストラをコントロールできていないようだ。

そのために私は音楽を楽しめなかった。歌手陣も声を十分にコントロールできていないように思える。マリア役のマジェラ・クラー、リッカルド役のサルヴァトーレ・コルデッラともに、なかなかの美声なのだが、音程が不安定で、時々聴くのが苦しくなってくる。エンリーコ役のマルコ・ディ・フェリーチェはこの二人よりは少し聞きやすいが、それでも声を張り上げすぎているように思える。演出については、傾いた巨大な額縁を背景に青色で統一された舞台がおもしろいが、三つの幕の差がないため、少々飽きる。最後に青の色調が赤に変わるが、

 そんなわけで、演奏が気になって、ドニゼッティのオペラがどうこうといえるほどきちんと聴けなかった。ストーリーについては、ちょっと無理があるものの、それぞれの人物がジレンマに引き裂かれる状況がなかなかドラマティック。良い演奏で聴くときっと感動するだろう。

 

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ギルバート+サリヴァン オペレッタ「ミカド」 1987年 シドニー・オペラ・ハウス

 言うまでもなく、日本を舞台にしたオペレッタ。しかし、実を言うと、このオペレッタの映像を見るのは初めて。音楽も、部分的にはかつてFM・NHKで聴いた記憶があるが、全曲は初めて。で、やはりあまり面白くなかった。それどころか、やはり日本人としては不愉快になってくる。

 まず登場人物の名前が、ヤムヤムだのナンキ・プーだのココだのと、まったく日本人とは思えない。この演出による登場人物の服装も中国風だったり東南アジア風だったり。日本風のものも、歌舞伎もどき。しかも、日本人が揶揄されていると思われる部分がいくつかある。1987年という時代のせいなのだろうか。今だったら、このような演出は許されないのではないか。

 音楽についても、歌詞が英語であるせいか、古めかしいミュージカルに聞こえる。アンドリュー・グリーンの指揮によるエリザベス・シドニー管弦楽団も特にどうということのない演奏。ちょっと時間の無駄をしたなと思って、実は途中で見るのをやめた。

 

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ベッリーニ「ノルマ」 2007年 マチェラータ音楽祭

 ノルマを歌うディミトラ・テオドッシュウとアダルジーザを歌うダニエラ・バルチェッローナがやはり素晴らしい。声のコントロールもさることながら、その存在感たるやすさまじい。イタリアオペラは、主役格の歌手がずば抜けていたら、それだけで満足する。ポリオーネを歌うカルロ・ヴェントレも健闘しているが、二人の女性には歯が立たない。

演出はマッシモ・ガスパロン。異教徒たちは卍印の入った仏教の袈裟のような赤い着物を着ている。西洋人からみると秘教的に見えるだろう。特に際立った解釈はないが、楽しめる。パオロ・アッリヴァベーニの指揮によるマルケ地方財団管弦楽団もしっかりとした音を出している。全体的に素晴らしい上演だと思う。

 

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ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」 2015年 チューリッヒ歌劇場

 これは凄い。稀に見る名演だと思う。すべての歌手がそれぞれの役で現代最高だといって間違いないだろう。ロメオとジュリエットの物語だが、二人の主役が圧倒的に素晴らしい。ロメオのジョイス・ディドナートは男役にぴったりの強い声で、表現も豊か。ジュリエッタのオルガ・クルチンスカは透明な美しい声。二重唱はうっとりする。テバルドのバンジャマン・ベルネームも二人に劣らない美声。文句なしの三人。ロレンツォのロベルト・ロレンツィもカペッリオのアレクセイ・ボトナルチュークも見事。

 それにもまして、ファビオ・ルイージの指揮が引き締まっていながらも、実に雄弁でドラマティック。ベッリーニのオーケストレーションにはかなり難があると思うが、ルイージの指揮で聴くと、それがあまり気にならない。どういう仕掛けがあるのかよくわからないが。

 演出はクリストフ・ロイ。死を暗示する(?)黙役が二人の主人公に寄り添って、二人の激しい愛を冷ややかに見つめる。「異化効果」を感じて音楽に没入できなくなるので、少々邪魔に思った。しかし、確かにこのオペラには死の影が付きまとうので、それはそれで一つの演出のあり方ではあるだろう。

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広州で気づいたこと

まだ頭の中で、中国・広州の6日間が渦巻いている。滞在して気づいたことを書く。

・よく言われるが、中国のもてなしの文化に圧倒された。多くの方が最大限の歓迎の意を表してくれる。ご馳走してくれ、酒を注いでくれ、お土産を持たしてくれ、細かいところまで世話を焼いてくれる。まさしく徹底的なおもてなし文化だと思った。客人として招かれているほうとしては大変気分がよい。が、逆の立場の場合、これに応じた返礼ができるかどうか、大いに心配だ。

・広州市は北京、上海につぐ中国第3の大都市だ。人口は1200万人。実際には地方から流入した人を加えて2000万人くらいではないかといわれているらしい。観光名所がないせいか、外国人らしい姿を見かけない。6日間、しかもかなりの時間、外を移動して、西洋人はほんの2、3人しか見かけなかった。大学構内でも西洋人を見たのは1人だけだった。空港でもほぼ全員が東洋系。まだ十分にグローバル化されていないということだろうか。

・交通マナーについてもいろいろと考えるところがあった。広州市ではオートバイが基本的に禁止されているとのこと。幹線道路は車であふれている。車は車線変更を頻繁に繰り返し、次々とすり抜けていく。車間距離も短い。中国での高速道路での車間距離は10メートル程度がふつうのようだ。私は一般道でもそれ以上空けている。日本では今でも「高速では100メートルあける」と自動車学校で教えているのだと思う。中国の高速道路には少々恐怖を覚える。

 交通マナーはその国の民度を表わすと思う。日本や欧米のマナーを守った運転とはだいぶ異なるので、やはりその点では民度が低いといえそうだ。とはいえ、オートバイがないためか、ベトナムやフィリピンよりはずっと整然としている。広州では自分で運転したいとは思わないが、命の危険を覚えてタクシーに乗ったり、横断歩道を渡ったりするほどではない。アジア全体としてはよいほうだろうとは思う。

・前に書いたが、オートバイが禁止されている。不思議なことだ。オートバイが増えればこの日常的な大渋滞を解消できるのではないかと思うのだが。煤煙対策なのだろうか。それよりも電気二輪車をふやすべきではないのか。電気自動車については日本よりも普及しているのかもしれない。私たちが使用していた観光バスは電気自動車だった。

・高層マンションが林立している。まさしく林立している。30階建て、もしかしたら40階建てくらいに見えるマンションが3棟、4棟並んでいるのは当たり前。10棟近くがひしめき合って建っているところもある。しかも、マンションとマンションの間は数メートルしかないように見える(実際にはもっと広いのだろうか??)。地震が来たら将棋倒しになりそうなのだが、地震は基本的にないという。しかし、日照権が問題にならないのか。日の当たらないマンションがたくさんありそう。

・広州の平均月収は日本の半分から3分の1程度だという。大卒の初任給が6万円程度らしい。それなのに、マンションは次々売れる。マンションは日本円にして数千万円するという。財経大学の先生や留学生たちみんなが「一体、だれが買えるんでしょう。不思議だけど、どんどん売れている」と語っていた。車もそれなりの高額なものが多い。中国者などは日本よりも安いらしいが、それでも大差ないとのこと。一部に儲けている人がいて、その人たちが牽引して広州が豊かになっている。良くも悪くも、そういうことらしい。

・多摩大生14人とともに広州を訪れたわけだが、一人が盗難にあった。リュックの中に財布を入れて背負っていたら、後ろのカバーを開かれて財布を取られたとのこと。幸いクレジットカードは盗まれなかったようだが、文無しになって困った様子(家に帰るまでの3000円は私が貸した)だった。もっと用心するように口を酸っぱくして注意しておくべきだった! もう一人は財布を店に置き忘れてすぐに戻ったところ、盗まれていなかったという。財布とは思えない形とデザインだったせいかもしれないが、中国ではすぐに盗まれるというのは事実ではなさそう。もちろん、私は被害なし。

治安は特に悪いわけではない。日本の外に出ればこんなものと思ったほうがよい。イタリアやフランスはもっとスリが多い。日本人に対する悪感情も感じなかった。街中で日本人だとわかっても、むしろ親切にされることはあっても、邪険にされることはなかった。

・今回はずっと中国語のできる人(多摩大の同僚、財経大の先生方、財経大の日本語学科の学生)がついていてくれたので特に問題がなかったが、個人で広州を旅できるかとなると少々不安がある。が、案内される場所でなく、自分で歩き、自分で物を買い、自分で料理を注文したい気持ちがある。機会があったら挑戦してみたい。少しずつ慣らしていきたい。ただし、これから中国語を多少なりと使えるようになるのは難しそう・・・。

 

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中国・広州への研修旅行に同行

2016911日から16日まで中国の広州にいた。私のブログはニフティを使っているためなのか、中国では書き込みができなかった。メールはつながっていたが、Facebookもラインも使えない。もちろん、ニフティのページも出てこない。そんなわけで、私としては日々驚く状況を目にし、ともあれ文章にはしていながら、それをブログには公開できなかった。ここにまとめて記す。

 

911日。

4時半に起きて、羽田に向かい、915分のANA機で広州に来た。広東財経大学と私の勤務する多摩大学が提携を結んでいる関係で、今回は学生14名とともにやってきた。

はじめは、私が広東財経大学に招かれて講義をするという趣旨だったと理解している。ついでに旅行をしようと思って快諾したら、話が大きくなって副学長、国際交流委員会委員長や学生とともにやってきて大学と大学の公式の研修を行うことになった。56日、朝の7時ころから夜の8時過ぎまで毎日予定がぎっしり。体力が持つかどうか不安に思いながら出発。

ANAの飛行機はリクライニングできなくされていた。「これからリクライニングできます」というアナウンスがあるが、それはエコノミーのことではなさそうだ。腰痛持ちの私としてはかなりつらかった。眠れなかった。仕方がないので「ロクヨン」の映画を見た。とてもおもしろかった。前編、後編で4時間ほどかかった。5時間で広州到着。

雨模様のなか、広東財経大学の梁先生が迎えてきてくれて、用意してくれた小型バスで大学へ移動。道の広さ、建物の高さ、密集度に驚く。中心部は広州タワーなどの高いタワー、高層建築が見える。びっしりと連なってマンションが立っている。まるで未来都市のよう。パリの西部のラ・デファンス地区に未来都市ができた時、驚いたが、それが広大な土地で実施されている。話には聞いていたが、実際にこのような大規模な建物群を見ると、現在の中国の躍進を強く感じる。私が中国を訪れたのは3度目だが、2度目から20年近くがたつ。当時はまだ道は自転車の大群だった。今は自動車に変わっている。しかも、走っている車のかなりが、少なくとも私が使っているプリウスよりもずっと高額なものに見える。かつては小さなお店があり、そこに下着姿だったり、上半身裸だったりの男が店の前で働いていたが、そんな姿は表の道からは見えない。

1時間ほどで大学に到着。私たちが泊まるのは、大学内のホテル「麗楓ホテル」。大学内のホテルと聞いていたので、少々心配していたが、なかなか立派なホテル。チェーンを持つホテルらしい。ちょっとあちこちに古さがあるが、設備はしっかりしている。

ただ、大学の南門に入る前、昔の中国を思い浮かべる地域を通った。まさしく小さな古めかしい店が並び、半裸の男たちが力仕事をしている。自転車やバイクで荷物を運び、女たちが店番をしている。現代とそれの取り残されたものが同居している。

 

ホテルはしっかりした立派なものだった。広い部屋、ちょっと古めかしいが、広くて立派なダブルベッド(もちろん一人で使用)。湯沸し、冷蔵庫を含めて様々な設備も完備されている。文句なし。学生も同じホテルだが、彼らは二人一部屋。教員3名は一人一部屋。

一休みして大学構内見学。とてつもなく広い。私の勤務する多摩大学の10倍以上の敷地。私が通った早稲田大学の数倍はある。一つ一つの建物の大きさが尋常ではない。学生数2万5千人ほどだという。7階建ての巨大な図書館などなど、途方もないスケール。1年生は全員が軍事訓練を受けるということで、私たちが見学した時も広場で行われていた。迷彩服の男女が行進の練習をしていた。ただ、失礼ながら、あまり真剣にやっているようには見えなかった。いずこも同じで、若者は少々たるんではいるとみなされているようだ。まあ、私はきっと今の若者以上に、当時、たるんでいたと思うが・・・。

日本語学科(中国語で日本語学院と呼ぶようだ)の階にもいった。廊下に古今の日本人の写真と言葉が書かれていた。存命の人物は大江健三郎と宮崎駿だった。中国での評価がわかる。

夕方からはホテルのレストランで広東財経大学の先生方を交えての歓迎パーティ。双方の大学の幹部の挨拶の後、会食。

9時ころに解散して、ホテルで寝た。前日、早朝に起きたので疲れていた。

 

9月12日

午前中、関東財経大学の副学長ら幹部の方々と私たち多摩大学の教員の間で会議。私は幹部ではないので場違いなのだが、とりあえずこの大学の日本語学科の学生を指導するにふさわしい教員として参加。きわめて有意義な会議で両校の提携が加速度的に進んだ。

その後、日本語学科3年生の授業を見学した。日本語での日本経済についての講義。日本滞在体験のある中国人の先生の講義だが、日本人と変わりのない日本語、計算されつくし、しかも面白く楽しい授業に驚いた。学生たちは全員が4年生で60人ほどだったが、ほぼ全員がかなり早口の、日本人の日本語とまったく変わりのない、しかも経済用語、歴史用語が頻出し、ときに関西弁も出てくる先生の話を理解している模様。笑うべきところで笑いが起こり、先生の質問に即座に答える。

ずっと金本位制、固定相場制、日本の円の力の話などの話をしているときに、「田中角栄という人が、なぜ1ドルが360円になったのかと聞かれて、円の内角の和は360度だからだと答えた」というエピソードが紹介されたが、かなりの人がその話を理解できているようなのにびっくり。私がもっともフランス語ができていた時でも、そのレベルの話をされると頭の切り替えができずにまったく理解できなかっただろうと思う。

その後、多摩大の教員3名と広東財経大学の日本語学部の梁先生の4名で食事。前日の夜と同じ場所だったが、この日のほうがおいしかった。ごてごてしていなくて、あっさりめの野菜など。学食の2階にある学生でも入れるレストランでこれだけの味を出せるのは、さすが「食は広州にあり」だと思った。

夜、テレビをつけた。もちろんすべて中国語なので、まったく理解できない。韓国などのテレビとは違ってアメリカ映画、アメリカドラマ、日本ドラマもない。中国語で話しているのに中国語の字幕がついているのは、おそらく話されているのが広東語だということだろう。

途中からドラマをみた。抗日ドラマだった。よくはわからないが、ともあれ日本が中国を支配している昭和の前半の物語らしい。対日工作をしている男性と日本人有力者の娘が恋をする。娘の名前は池田櫻子ということになっていた。抗日グループが池田家を襲う。主人公はそのメンバーに加わりながら櫻子を救おうとする。そこに知らせを受けた日本軍がやってきて、テログループのいる屋敷を取り囲む。櫻子は自ら人質になり、中国人の抵抗運動を積極的に助けようとする。・・・中国の日本に対するスタンスがよくわかるドラマだと思った。まあ、要するに一昔前のような徹底的な抗日ドラマではなく、「日本人の中にも人によってはよい人もいる」というタイプの抗日ドラマだ。

 

9月13日

 多摩大グループはバスで出かけて、広門トヨタ自動車を訪問し、見学したようだ。大変有意義な企業見学ができたとのこと。ただし、私は、夜の講座に備えて欠席した。疲労すると腰痛が悪化する。講座ができなくなると元も子もない。午前中はホテル内で原稿を書いたり、ごろごろしたり。

 昼食は、1年間、多摩大学で教えた広東財経大学の留学生に招かれて市内で食事。點都徳という飲茶専門店。有名な店らしい。広い店内は客でごった返していた。最高においしかった。慕ってくれる教え子、しかも中国人留学生に招かれておいしい料理をごちそうしてもらうなんて教師冥利に尽きる。とても幸せな気持ちだった。御馳走してくれると彼らは話していたはいえ、私のほうで支払いをしようと思っていたが、教え子がどうしてもと払ってくれた。感謝。

午後2時半から6時まで、日中大学による発表会に参加。多摩大学から4グループ、広東財経大学から6グループが日本語でプレゼン。財経大の学生のテーマは「花火 (日本と中国の違い)「日本語中国の流行語」「飲茶とは」「広州に伝わる粤劇(えつげき)紹介」「着物と漢服」「中国アニメの歴史」。いずれもとてもレベルの高い内容。しかも、日本語もしっかりしている。もちろんわかりにくい発音や助詞の間違いなどはあるし、大人から見れば踏み込み不足もあるが、きちんと中国と日本の影響関係も理解し、それを日本語で語っている。見事だと思った。

7時半から私の講座。予定より少し遅れたためか、前もって聞いていた人数よりも少なかったが、日本語を理解できる学生たちが集まってくれた、50人くらいだったか。言葉の力、発信の大事さについて語った。とてもしっかりと反応してくれて、満足。

その後、財経大学の先生に誘われて市内のレストランで会食。おいしい料理、おいしいお酒、そして楽しい話。とても楽しい時間を過ごすことができた。ホテルに戻ったのは夜中の12時ころ。少々疲れた。

 

9月14日

 午前中にバスで深圳に向かった。中秋節の3連休の前日に当たるため、道は大渋滞。深圳はもっと近代的な都市化と思っていたが、それほどではない。経済特区としてしばしば報道されていたのが20年ほど前なので、今では少し古い雰囲気の都市になって、十分に生活感が根付いている。

 かなり遅れて、目的地フォックスコン(富士康科技集団)に到着。シャープを買収したことで知られる鴻海(ホンハイ)の英語名。iphone,ipadの大半を作っているという。広州に本社を置き、従業員20万人とのこと。工場の中に商店街があり、消防署や病院もあって一つの都市を成している。副社長に説明いただき、学生も一緒に会社の幹部の方々と豪華な食事をご一緒した。その後、工場見学。

 IT機器の下請け会社だったところが、技術を持ち資本力をもって世界の超一流企業になったという例だろう。従業員を大事にし、一家で面倒を見ようという日本式経営に見える。社長、副社長ともに16時間働くという。ただ、もちろん、上がそうだということは、一般の従業員も同じことが求められるわけなので、それはそれでつらそうではある。しかし、強烈なエネルギーでIT産業をリードしていることは間違いない。

 バスで広州に戻り、広東財経大学の学生主催のパーティに出席。最初に共産党書記から挨拶があって、パーティが開始。会場に入った時、いかにも有能そうで知的な50歳前後の男性がいるのに気付いていたが、それが書記だった。学生のパーティにも共産党書記が来られてスピーチをするのに驚いた。大学の先生とは異なる、まさしく政治家のような見事なスピーチだった。

 日本語科学生による中国古来の笛の演奏、粤劇の歌と舞は実に素晴らしい。舞いの手の動き、歌声の安定に驚いた。「裸の王様」の日本語劇、ゲームなどあったが、日中の学生、学生と教員の距離を縮めるのに有効な手段だと思った。日本語劇も実にセンスがいい。財経大学の生徒たちのレベルの高さ、モティベーションの高さに改めて驚嘆した。

 学生たちはパーティの終わった後も街に繰り出して飲んだり食べたりして友好を深めたらしい。教員もまた飲み会に誘われた。私は、体力温存を考えてお断りして、ホテルで疲れをとることを優先させていただいた。

 

9月15日

 連日33度を超えている。この日も暑かった。

 観光バスによって市内観光に一日を費やした。孫中山大元帥府(要するに、孫文記念館)、租界地だった沙面地区、陳家祠などをまわった。広東財経大学の日本語かの学生さんが同行して、それぞれの場所でガイドを務めてくれた。

 中国は中秋節の連休にあたるため、道路は大渋滞、繁華街は大賑わい。上下九歩行街は信じられないほどの賑わい。歩行者天国は人の連なり。派手な色遣いの店が並び、場所によっては、それぞれの店の店員が表に出てマイクを使って大声で客の呼び込みをするため、大騒音。良くも悪くも中国社会の活気を見ることができた。

 老舗の飲茶のレストランで昼食。ここも実においしい。その後も観光。

 夕方、大学に戻り、学内のホテルレストランで食事。これも実においしい。広州の店で外れたことがない。

 食事の後、多摩大学の中国人の同僚と学生一人とともにタクシーでマッサージを受けに行った。前にも書いたが、私は旅行するごとに可能な限りマッサージを受ける。三人の客がベッドに並んで、三人の女性がほぼ同じ行為を行う。超ミニスカートの三人の魅力的な女性がマッサージ室に入って来た時には驚いたが、まともな、そしてかなり上手なマッサージだった。三人とも満足。タクシーでホテルに帰った。タクシーの運転手さんが携帯電話で話しを始め、しかも話しながら大きな声であくびを始めたのにはびっくり。

 

 総括。

 広東財経大学との提携に基づく日中交流の大学の活動だったが、財経大学の先生方、学生さんたちのおかげで非常に快適に過ごすことができた。大学の実情もわかり、私たちに求められていることもわかった。

 そして、中国の状況も知ることができた。とてつもない躍動! 20年ほど前に訪れた時からは考えらえない飛躍的な発展だ。ネット環境など日本よりも進んでいる面もたくさんある。ちょっとした店ではWiFiが通じ、ネットでタクシーを呼び、ネットでレストランの支払いをする。もちろん、一歩、路地に入ると貧しい状況、「遅れた」状況を目にすることができるが、良くも悪くもそのような場所は政府の手によって排除されていくのだろう。そして、日本人が思っているよりも多くはないにせよ、下品なふるまいの人、ルールを守らない人を目にするが、その人たちも減っていくだろう。ものすごいスピードで中国は変化している。トップダウンであるだけにスピードは半端ではない。フォックスコンがまさしく中国全体を象徴している。

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東京二期会「トリスタンとイゾルデ」、歌手陣と演出に驚嘆!!

2016910日、東京文化会館で東京二期会公演「トリスタンとイゾルデ」をみた。素晴らしかった。日本人を主たるメンバーにして、これほどのレベルの上演ができたことに驚いた。たびたび感動に震えた。

トリスタンのみ外国人のブライアン・レジスター。ただ、体調が悪いとのことで、少々声が伸びなかった。そのほかの日本人歌手陣はレジスターをはるかに超える。とりわけ、イゾルデを歌う横山恵子がまさしく日本人離れしたイゾルデを聞かせてくれた。無理のない発声による強靭で美しい声。マルケ王の清水那由太もバスの太い声が見事。ブランゲーネの加納悦子は歌のみならず演技力にも驚嘆した。クルヴェナールの大沼徹、メロートの今尾滋も素晴らしい。すべての歌手が世界の一流劇場にまったく引けを取らない。東京二期会の底力に驚嘆した。

ヴィリー・デッカーの演出にも私は驚嘆した。

「トリスタンとイゾルデ」には不思議な矛盾がある。第2幕ではあれほどトリスタンとイゾルデが「昼」「光」を嫌い、「夜」「闇」を称えるのに、第3幕後半では、トリスタンは突然、昼の光を称える。私は第3幕は、ワーグナーの修正し忘れだと考えていた。ところが、デッカーはそこに意味を見出しているようだ。

 第2幕の最後、トリスタンはメロートのナイフを取り上げて自分の目をえぐる。イゾルデもナイフで同じように自分の目をえぐる。おそらく二人きりの闇を求めたのだろう。だが、トリスタンは第3幕でそれが間違いだったことに気付く。だから、盲目の印だった目隠しを取り払って昼を求める。最後、イゾルデがトリスタンのもとにやってくるが、彼女のほうはまだ目をえぐったままで目隠しをしている。だから、トリスタンの死に目に遭わないままになってしまう。が、イゾルデも「愛の死」を歌うとき、愛の迷妄から解き放たれて、目隠しを取る。

 デッカーは魔酒を迷妄による愛と捉え、トリスタンとイゾルデの愛をそのような狭苦しく頑なな愛からもっと広い空間での昼間の愛への昇華とみなす。なるほど! 確かにそのようにこの物語をとらえることができる。圧倒された。

 指揮はヘスス・ロペス=コボス、オーケストラは読売日本交響楽団。とてもよかった。個性的な演奏ではないが、ツボを押さえて鳴らすところは鳴らし、理性的に音楽をとらえている。あまり情緒に走らないところが演出と合っている。

 実はもっと書きたいが、明日、早朝に出かけなければならない。このくらいにする。

 

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オペラ映像「セビーリャの理髪師」「チェネレントラ」「オリー伯爵」「ヴィルジ家のジェンマ」「ピーア・デ・トロメイ」「パリのジャンニ」「ポリウート」

 夏休みは終盤になった。このところ原稿執筆に追われていたが、今日はクラーク国際高校横浜校で小論文の特別授業を行った後、久しぶりの少しゆっくりした。

イタリア・オペラの映像を何本かみたので感想を書く。

 

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ロッシーニ・フロム・グラインドボーン(3DVD)

「セビーリャの理髪師」「チェネレントラ」「オリー伯爵」

 

 20世紀のグラインドボーンの映像。「セビーリャの理髪師」「チェネレントラ」「オリー伯爵」、今の上演スタイルとはかなり異なるが、いずれも素晴らしい。グラインドボーンの演奏、演出のレベルの高さを改めて感じる。

「セビーリャの理髪師」(1981年上演)は、フェルッチョ・フルラネットのバジーリオが凄まじい。マリア・ユーイングのロジーナも不思議な魅力にあふれている。それ以外の歌手もそれぞれ見事。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するのは若きシルヴァン・カンブルラン。現在のヘアスタイルとまったく異なるので、映像で見ても誰だかわからなかった。指揮は、多少ゆっくりしているが、生き生きとしていて実にいい。

「チェネレントラ」(1983年上演)も見事な上演。タイトルロールのカスリーン・クールマンについては私はまったく知らなかったが、とてもいい歌手だと思う。

この3枚の中で私がもっとも惹かれたのは「オリー伯爵」(1997年上演)だった。そのなかでも、伯爵夫人アデルを歌うアニク・マシスに驚嘆した。「真珠とり」のDVDでみたことがあったが、これほどの歌手とは知らなかった。容姿も気品にあふれ声も美しく、絶妙の歌いまわし。フランス語の発音が素晴らしいと思ったら、どうやらこの人フランス人らしい。オリー伯爵を歌うマルク・ラオもみごと。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するのはアンドルー・デイヴィス。てきぱきとしていて楽しくて、すばらしい。

 

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ドニゼッティ「ヴェルジ家のジェンマ」2011年 ベルガモ ドニゼッティ音楽祭

 15世紀、百年戦争後のフランスの貴族の愛憎劇。子どもが生まれないためにヴェルジ伯爵(マリオ・カッシ)に離縁され、苦しむジェンマ(マリア・アグレスタ)。ジェンマを愛するアラブ人奴隷タマス(グレゴリー・クンデ)がついには伯爵を殺し自害する。

 いつものドニゼッティの雰囲気。旋律も豊かでわかりやすく、十分に楽しめる。ただ、やはり有名な「ランメルモールのルチア」や「愛の妙薬」「ドン・パスククァーレ」「連帯の娘」ほどわくわくするメロディがあるわけではない。

 若い歌手たちなのだろう。歌手のほとんどの声が伸びず、音程が不安定で声のコントロールが甘い。とりわけカッシがかなり不調。その中で圧倒的な歌唱で楽しませてくれるのが、タマス役のクンデ。一人だけ堂々たる輝かしい声で音程もしっかりして声が伸びている。

 ロベルト・リッツィ・ブリニョーリの指揮するベルガモ・ガエターノ・ドニゼッティ音楽祭管弦楽団はやや雑な印象を受けるが、とてもエネルギッシュに演奏している。ロラン・ゲルバーの演出はわかりやすくて美しい。

 

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ドニゼッティ「ピーア・デ・トロメイ」  2005年 ヴェネツィア フェニーチェ劇場

 今回初めてこのオペラを見た。それどころか、イタリア・オペラに疎い私は、その存在さえもこれまで知らなかった。だが、なかなかの名曲だと思う。13世紀のシェーナを舞台にする、不貞と誤解されて命を絶たれることになった女性ピーアの物語。

美しいアリアがふんだんにあり、ストーリーもわかりやすく、感情移入しやすい。ただ、私はオペラを見ながら「密会の相手は弟だったとさっさといえば、それで解決するではないか! いつでもいえただろうに!」という疑問を抑えきることはできなかったが。いずれにしても、もっと上演されてしかるべきオペラだと思う。ドニゼッティの有名オペラに劣らないおもしろさだ。

 この上演も素晴らしい。歌手陣のレベルが非常に高い。とりわけ、ピーア役のパトリツィア・チョーフィが声も容姿も最高度にもりあげる。とても清澄な声であり、しかも強靭。そのほか、ギーノのダリオ・シュムンク、ロドリーゴ(ズボン役)のラウラ・ポルヴェレッリ、ウバルトのフランチェスコ・メリ、ネッロのアンドルー・シュレーダもそろっている。パオロ・アッリヴァベーニの指揮もいいし、クリスティアン・ガンニェロンも色遣いが大胆でわかりやすい。

 

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ドニゼッティ 「パリのジャンニ」 マルティーナ・フランカ 2010

 引き続き、ドニゼッティのオペラ映像を見る。

 15世紀のパリの物語。王様が平民に変装して婚約者である王女を前もって見きわめようとして恋に落ちる、というありがちな話。もちろん、私がこのオペラに触れるの初めて。「ピーア・デ・トロメイ」と同じように、購入するまで存在も知らなかった。ドニゼッティの音楽も、ありがちといえばありがち。だが、軽いオペラとしてなかなか楽しい。ドニゼッティのいくつかのオペラはロッシーニっぽいが、これもその一つ。

 ナヴァラの王女を歌うエカテリーナ・リョーヒナはとても可憐。声の質を嫌う人もいそうだが、音程もいいし、声も伸びている。ジャンニを歌うエドガルド・ロチャ、執事長のロベルト・デ・カンディアをはじめ、歌手たちはみんな素晴らしい。ただ、2010年とは思えない低レベルの音質・画質であるせいなのかもしれないが、イタリア国際管弦楽団の音があまり美しくない。ジャコモ・サグリパンティの指揮も、元気があるわりには、それほど私は惹かれなかった。フェデリーコ・グラッツィーニの演出は舞台を現代に移している。

 

 

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ドニゼッティ「ポリウート」2010年 ベルガモ、ドニゼッティ音楽祭

 ドニゼッティのオペラ映像を見続けている。このオペラも初めて知ったが、なかなかの名作だと思う。キリスト教初期の夫婦愛と殉教の物語。コルネイユの「ポリュークト」と同じ題材(といいつつ、コルネイユのこの戯曲はたぶん読んだことがないと思う)。ストーリーもわかりやすく、ドラマティック。ヴェルディ風に聞こえるところが多々ある。

 やはりポリウートを歌うグレゴリー・クンデが圧倒的に素晴らしい。張りのある見事な美声、そして表現力。パオリーナを歌うパオレッタ・マッロークもセヴェーロのシモーネ・デル・サヴィオもとてもいい。マルコ・スパーダの演出も色鮮やかでわかりやすい。ただ、マルチェッロ・ロータの指揮するベルガモ・ガエターノ・ドニゼッティ音楽祭管弦楽団も合唱団もかなり貧弱。

 

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大坂滞在中 いずみホール・オペラHP

 一昨日(2016831日)から大阪に来ている。大阪府にある初芝立命館中学校・高等学校で私が塾長を務める白藍塾の小論文プログラムに基づいて小論文指導が行われている。31日に小論文を指導する中学校・高等学校の先生たちの研修会が開かれ、そこに私が講師として参加した。大変有益だった。私自身も勉強になった。

 本日(92日)もまた初芝立命館高等学校で講義を行うためにまだ大阪にいるが、昨日は基本的にフリーだった。それを利用して、少し前から連絡を取りあっていた関西二期会の事務局を訪れ、オペラのあれこれについて話をした。その後、ご厚意で、93日に本番を迎える「いずみホール・オペラ2016」の「ドン・ジョヴァンニ」のハウプト・プローベ(ゲネプロの前に段階に当たるリハーサル)を見せてもらった。

 素晴らしかった。まず指揮の河原忠之のてきぱきと進めながらも実に雄弁でドラマティックな音楽にびっくり。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団もしっかりと演奏している。序曲からして見事。ハウプト・プローベとは思えない完成度だった。

 歌手陣のレベルの高さにも改めて驚嘆した。ドン・ジョヴァンニの黒田博、ドンナ・エルヴィラの澤畑恵美が核になっている。ふたりとも声も伸びているし、音程ももちろんいいし、歌の演技も素晴らしい。まさしくドン・ジョヴァンニとドンナ・エルヴィラになり切っていると思った。そして、ドンナ・アンナを歌う石橋栄実の輝かしい美声にも感嘆した。私はこの歌手を初めて聴いたと思う。素晴らしい歌手だ。そのほか、騎士長役のジョン・ハオの張りのあるバスの声、レポレッロの西尾岳史の軽妙でありながらも安定した声、マゼットの東平聞の張りのある美声、ゼルリーナの老田裕子の可憐で張りのある声。いずれも見事。ドン・オッターヴィオの清水徹太郎は軽い体調不良とのことでこの日のみ欠席だった(ゲネプロ、本番ではもちろん清水さんが歌う)が、代役の方も素晴らしかった。ゲネプロ、本番になるにしたがってもっと完成度が上がるのだろう。

 演出は粟國淳。いずみホールという舞台のない場所でのオペラ上演という制約の中、見事にドラマを作っていた。最後の地獄落ちの場面はとりわけ圧巻。感動で鳥肌が立った。

 こんなレベルの高いオペラを収容人数800人前後のいずみホールで行うなど、なんと贅沢なんだろう。本番をぜひ見たいが、残念ながら東京の大学で仕事がある。

 ところで、昨日の昼間、黒門市場を訪れた。韓国ソウルの南大門を歩いたのを思い出した。聞こえてくるのも韓国語や中国語が多い。こんな雑踏を歩くとワクワクしてくる。ただし、何も買わずに、時間があったので近くのマッサージ店(もちろん肩こり腰痛向けの健全なマッサージ店)に入った。このごろ、道を歩きながらマッサージ店をチェックし、誘惑に負けて入ってしまう。料金のわりにはとても良いマッサージだった。

 

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