私は猫が大嫌い
いつも音楽のことばかり書いているので、今回は別のことを書く。
(なお、この文章には残酷な部分が含まれますので、ご注意ください)
私は大の猫嫌いだ。最近、テレビを見ていると、やたらと猫が出てくる。猫ブームだそうだ。NHK・BSで音楽番組を録画しようとしているときも、しばしば猫番組が映っていて不愉快きわまりない。こんなブームは早く終わってほしい。
最近はだいぶよくなった。年齢を重ねたせいで感性が鈍くなったのだろう。このごろはテレビに猫が出ていても、落ち着いてチャンネルを変えることができる。10年ほど前までは、猫の映像を見たけで身体がこわばっていた。実物が目の前を通ろうものなら、恐怖で叫びだしたくなっていた。いや、「猫」という言葉を発音することも、文字を見ることも恐怖なしにはできなかった。それに比べれば、今は猫が目の前を通っていても、ちょっと息を止めるだけで、ともあれ我慢できる。我ながらたいした進歩だと思う。
なぜ猫嫌いになったか。思い当たることがないでもない。
もともと猫は好きではなかった。我が家には、私が小学生のころから犬がいた。シェパードの大きな犬だった。だから、犬は今も大好きだ。だが、猫はどうも苦手だった。が、苦手というレベルでないほどに猫が怖くなったのは、思いかえすに小学校5、6年のころの出来事が原因だろうと自己分析している。
私は当時、大分市に住んでいた。私の家の隣には小さな墓地があった。私が寝ていたのはもっとも墓地に近い部屋で、トイレ(といっても、60年近く前のことだから、もちろん水洗ではない)から墓場まで数メートルしかなかった。今から考えると不思議だが、臆病な小学生だったのに、私は特に怖いと思うことなく、ふつうに暮らしていた。
ところが、あるとき、我が家に私よりも4歳年上の従姉が遊びに来た。夏休みだったような気がする。細かいことは覚えていないが、従姉と二人で近くに買い物に行くことになった。家を出て路地を歩いていると、墓地の入口に子猫がいた。おそらく、生まれて間がない、まだ自力では歩けないような猫だ。猫好きの従姉は「まあ、かわいい」といいながら、その子猫をあやし、墓地の入口の石段の上に置いた。猫が決して好きではない私は横で見ていたような気がする。
それから1時間ほどして帰ってきた。従姉はさきほど石段の上に置いた猫を目で探している様子だった。だが、そこには猫はいなかった。
が、その石段の下に、猫の死骸らしいものがあった。頭が砕け、血にぬれた肉がむき出しになり、見覚えのある毛が地面にはりついていた。誰かが意図的に殺したのか、あるいは石段から落ちて何らかの事故にあったのか。車の通れるような道ではなかったが、オートバイはたまに通ることがあった。
小学生の私はその死骸を見て、「ギャッ」と叫んだ。しばらく動けなくなった。そのまま家に駆けこんだことを覚えている。
その後しばらく、猫を見るごとにその場面を思い出していた。さすがに数年たつと忘れたが、それ以来、猫を見るごとに心の中で「ギャッ」と叫ぶようになった。そして、私の頭の中で猫と墓と死が結びつくようになった。
もうそろそろこの恐怖から解放されたいものだ。だが、生涯にわたって、私が猫を抱くようなことはないだろうと思っている。
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