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中国・広州への研修旅行に同行

2016911日から16日まで中国の広州にいた。私のブログはニフティを使っているためなのか、中国では書き込みができなかった。メールはつながっていたが、Facebookもラインも使えない。もちろん、ニフティのページも出てこない。そんなわけで、私としては日々驚く状況を目にし、ともあれ文章にはしていながら、それをブログには公開できなかった。ここにまとめて記す。

 

911日。

4時半に起きて、羽田に向かい、915分のANA機で広州に来た。広東財経大学と私の勤務する多摩大学が提携を結んでいる関係で、今回は学生14名とともにやってきた。

はじめは、私が広東財経大学に招かれて講義をするという趣旨だったと理解している。ついでに旅行をしようと思って快諾したら、話が大きくなって副学長、国際交流委員会委員長や学生とともにやってきて大学と大学の公式の研修を行うことになった。56日、朝の7時ころから夜の8時過ぎまで毎日予定がぎっしり。体力が持つかどうか不安に思いながら出発。

ANAの飛行機はリクライニングできなくされていた。「これからリクライニングできます」というアナウンスがあるが、それはエコノミーのことではなさそうだ。腰痛持ちの私としてはかなりつらかった。眠れなかった。仕方がないので「ロクヨン」の映画を見た。とてもおもしろかった。前編、後編で4時間ほどかかった。5時間で広州到着。

雨模様のなか、広東財経大学の梁先生が迎えてきてくれて、用意してくれた小型バスで大学へ移動。道の広さ、建物の高さ、密集度に驚く。中心部は広州タワーなどの高いタワー、高層建築が見える。びっしりと連なってマンションが立っている。まるで未来都市のよう。パリの西部のラ・デファンス地区に未来都市ができた時、驚いたが、それが広大な土地で実施されている。話には聞いていたが、実際にこのような大規模な建物群を見ると、現在の中国の躍進を強く感じる。私が中国を訪れたのは3度目だが、2度目から20年近くがたつ。当時はまだ道は自転車の大群だった。今は自動車に変わっている。しかも、走っている車のかなりが、少なくとも私が使っているプリウスよりもずっと高額なものに見える。かつては小さなお店があり、そこに下着姿だったり、上半身裸だったりの男が店の前で働いていたが、そんな姿は表の道からは見えない。

1時間ほどで大学に到着。私たちが泊まるのは、大学内のホテル「麗楓ホテル」。大学内のホテルと聞いていたので、少々心配していたが、なかなか立派なホテル。チェーンを持つホテルらしい。ちょっとあちこちに古さがあるが、設備はしっかりしている。

ただ、大学の南門に入る前、昔の中国を思い浮かべる地域を通った。まさしく小さな古めかしい店が並び、半裸の男たちが力仕事をしている。自転車やバイクで荷物を運び、女たちが店番をしている。現代とそれの取り残されたものが同居している。

 

ホテルはしっかりした立派なものだった。広い部屋、ちょっと古めかしいが、広くて立派なダブルベッド(もちろん一人で使用)。湯沸し、冷蔵庫を含めて様々な設備も完備されている。文句なし。学生も同じホテルだが、彼らは二人一部屋。教員3名は一人一部屋。

一休みして大学構内見学。とてつもなく広い。私の勤務する多摩大学の10倍以上の敷地。私が通った早稲田大学の数倍はある。一つ一つの建物の大きさが尋常ではない。学生数2万5千人ほどだという。7階建ての巨大な図書館などなど、途方もないスケール。1年生は全員が軍事訓練を受けるということで、私たちが見学した時も広場で行われていた。迷彩服の男女が行進の練習をしていた。ただ、失礼ながら、あまり真剣にやっているようには見えなかった。いずこも同じで、若者は少々たるんではいるとみなされているようだ。まあ、私はきっと今の若者以上に、当時、たるんでいたと思うが・・・。

日本語学科(中国語で日本語学院と呼ぶようだ)の階にもいった。廊下に古今の日本人の写真と言葉が書かれていた。存命の人物は大江健三郎と宮崎駿だった。中国での評価がわかる。

夕方からはホテルのレストランで広東財経大学の先生方を交えての歓迎パーティ。双方の大学の幹部の挨拶の後、会食。

9時ころに解散して、ホテルで寝た。前日、早朝に起きたので疲れていた。

 

9月12日

午前中、関東財経大学の副学長ら幹部の方々と私たち多摩大学の教員の間で会議。私は幹部ではないので場違いなのだが、とりあえずこの大学の日本語学科の学生を指導するにふさわしい教員として参加。きわめて有意義な会議で両校の提携が加速度的に進んだ。

その後、日本語学科3年生の授業を見学した。日本語での日本経済についての講義。日本滞在体験のある中国人の先生の講義だが、日本人と変わりのない日本語、計算されつくし、しかも面白く楽しい授業に驚いた。学生たちは全員が4年生で60人ほどだったが、ほぼ全員がかなり早口の、日本人の日本語とまったく変わりのない、しかも経済用語、歴史用語が頻出し、ときに関西弁も出てくる先生の話を理解している模様。笑うべきところで笑いが起こり、先生の質問に即座に答える。

ずっと金本位制、固定相場制、日本の円の力の話などの話をしているときに、「田中角栄という人が、なぜ1ドルが360円になったのかと聞かれて、円の内角の和は360度だからだと答えた」というエピソードが紹介されたが、かなりの人がその話を理解できているようなのにびっくり。私がもっともフランス語ができていた時でも、そのレベルの話をされると頭の切り替えができずにまったく理解できなかっただろうと思う。

その後、多摩大の教員3名と広東財経大学の日本語学部の梁先生の4名で食事。前日の夜と同じ場所だったが、この日のほうがおいしかった。ごてごてしていなくて、あっさりめの野菜など。学食の2階にある学生でも入れるレストランでこれだけの味を出せるのは、さすが「食は広州にあり」だと思った。

夜、テレビをつけた。もちろんすべて中国語なので、まったく理解できない。韓国などのテレビとは違ってアメリカ映画、アメリカドラマ、日本ドラマもない。中国語で話しているのに中国語の字幕がついているのは、おそらく話されているのが広東語だということだろう。

途中からドラマをみた。抗日ドラマだった。よくはわからないが、ともあれ日本が中国を支配している昭和の前半の物語らしい。対日工作をしている男性と日本人有力者の娘が恋をする。娘の名前は池田櫻子ということになっていた。抗日グループが池田家を襲う。主人公はそのメンバーに加わりながら櫻子を救おうとする。そこに知らせを受けた日本軍がやってきて、テログループのいる屋敷を取り囲む。櫻子は自ら人質になり、中国人の抵抗運動を積極的に助けようとする。・・・中国の日本に対するスタンスがよくわかるドラマだと思った。まあ、要するに一昔前のような徹底的な抗日ドラマではなく、「日本人の中にも人によってはよい人もいる」というタイプの抗日ドラマだ。

 

9月13日

 多摩大グループはバスで出かけて、広門トヨタ自動車を訪問し、見学したようだ。大変有意義な企業見学ができたとのこと。ただし、私は、夜の講座に備えて欠席した。疲労すると腰痛が悪化する。講座ができなくなると元も子もない。午前中はホテル内で原稿を書いたり、ごろごろしたり。

 昼食は、1年間、多摩大学で教えた広東財経大学の留学生に招かれて市内で食事。點都徳という飲茶専門店。有名な店らしい。広い店内は客でごった返していた。最高においしかった。慕ってくれる教え子、しかも中国人留学生に招かれておいしい料理をごちそうしてもらうなんて教師冥利に尽きる。とても幸せな気持ちだった。御馳走してくれると彼らは話していたはいえ、私のほうで支払いをしようと思っていたが、教え子がどうしてもと払ってくれた。感謝。

午後2時半から6時まで、日中大学による発表会に参加。多摩大学から4グループ、広東財経大学から6グループが日本語でプレゼン。財経大の学生のテーマは「花火 (日本と中国の違い)「日本語中国の流行語」「飲茶とは」「広州に伝わる粤劇(えつげき)紹介」「着物と漢服」「中国アニメの歴史」。いずれもとてもレベルの高い内容。しかも、日本語もしっかりしている。もちろんわかりにくい発音や助詞の間違いなどはあるし、大人から見れば踏み込み不足もあるが、きちんと中国と日本の影響関係も理解し、それを日本語で語っている。見事だと思った。

7時半から私の講座。予定より少し遅れたためか、前もって聞いていた人数よりも少なかったが、日本語を理解できる学生たちが集まってくれた、50人くらいだったか。言葉の力、発信の大事さについて語った。とてもしっかりと反応してくれて、満足。

その後、財経大学の先生に誘われて市内のレストランで会食。おいしい料理、おいしいお酒、そして楽しい話。とても楽しい時間を過ごすことができた。ホテルに戻ったのは夜中の12時ころ。少々疲れた。

 

9月14日

 午前中にバスで深圳に向かった。中秋節の3連休の前日に当たるため、道は大渋滞。深圳はもっと近代的な都市化と思っていたが、それほどではない。経済特区としてしばしば報道されていたのが20年ほど前なので、今では少し古い雰囲気の都市になって、十分に生活感が根付いている。

 かなり遅れて、目的地フォックスコン(富士康科技集団)に到着。シャープを買収したことで知られる鴻海(ホンハイ)の英語名。iphone,ipadの大半を作っているという。広州に本社を置き、従業員20万人とのこと。工場の中に商店街があり、消防署や病院もあって一つの都市を成している。副社長に説明いただき、学生も一緒に会社の幹部の方々と豪華な食事をご一緒した。その後、工場見学。

 IT機器の下請け会社だったところが、技術を持ち資本力をもって世界の超一流企業になったという例だろう。従業員を大事にし、一家で面倒を見ようという日本式経営に見える。社長、副社長ともに16時間働くという。ただ、もちろん、上がそうだということは、一般の従業員も同じことが求められるわけなので、それはそれでつらそうではある。しかし、強烈なエネルギーでIT産業をリードしていることは間違いない。

 バスで広州に戻り、広東財経大学の学生主催のパーティに出席。最初に共産党書記から挨拶があって、パーティが開始。会場に入った時、いかにも有能そうで知的な50歳前後の男性がいるのに気付いていたが、それが書記だった。学生のパーティにも共産党書記が来られてスピーチをするのに驚いた。大学の先生とは異なる、まさしく政治家のような見事なスピーチだった。

 日本語科学生による中国古来の笛の演奏、粤劇の歌と舞は実に素晴らしい。舞いの手の動き、歌声の安定に驚いた。「裸の王様」の日本語劇、ゲームなどあったが、日中の学生、学生と教員の距離を縮めるのに有効な手段だと思った。日本語劇も実にセンスがいい。財経大学の生徒たちのレベルの高さ、モティベーションの高さに改めて驚嘆した。

 学生たちはパーティの終わった後も街に繰り出して飲んだり食べたりして友好を深めたらしい。教員もまた飲み会に誘われた。私は、体力温存を考えてお断りして、ホテルで疲れをとることを優先させていただいた。

 

9月15日

 連日33度を超えている。この日も暑かった。

 観光バスによって市内観光に一日を費やした。孫中山大元帥府(要するに、孫文記念館)、租界地だった沙面地区、陳家祠などをまわった。広東財経大学の日本語かの学生さんが同行して、それぞれの場所でガイドを務めてくれた。

 中国は中秋節の連休にあたるため、道路は大渋滞、繁華街は大賑わい。上下九歩行街は信じられないほどの賑わい。歩行者天国は人の連なり。派手な色遣いの店が並び、場所によっては、それぞれの店の店員が表に出てマイクを使って大声で客の呼び込みをするため、大騒音。良くも悪くも中国社会の活気を見ることができた。

 老舗の飲茶のレストランで昼食。ここも実においしい。その後も観光。

 夕方、大学に戻り、学内のホテルレストランで食事。これも実においしい。広州の店で外れたことがない。

 食事の後、多摩大学の中国人の同僚と学生一人とともにタクシーでマッサージを受けに行った。前にも書いたが、私は旅行するごとに可能な限りマッサージを受ける。三人の客がベッドに並んで、三人の女性がほぼ同じ行為を行う。超ミニスカートの三人の魅力的な女性がマッサージ室に入って来た時には驚いたが、まともな、そしてかなり上手なマッサージだった。三人とも満足。タクシーでホテルに帰った。タクシーの運転手さんが携帯電話で話しを始め、しかも話しながら大きな声であくびを始めたのにはびっくり。

 

 総括。

 広東財経大学との提携に基づく日中交流の大学の活動だったが、財経大学の先生方、学生さんたちのおかげで非常に快適に過ごすことができた。大学の実情もわかり、私たちに求められていることもわかった。

 そして、中国の状況も知ることができた。とてつもない躍動! 20年ほど前に訪れた時からは考えらえない飛躍的な発展だ。ネット環境など日本よりも進んでいる面もたくさんある。ちょっとした店ではWiFiが通じ、ネットでタクシーを呼び、ネットでレストランの支払いをする。もちろん、一歩、路地に入ると貧しい状況、「遅れた」状況を目にすることができるが、良くも悪くもそのような場所は政府の手によって排除されていくのだろう。そして、日本人が思っているよりも多くはないにせよ、下品なふるまいの人、ルールを守らない人を目にするが、その人たちも減っていくだろう。ものすごいスピードで中国は変化している。トップダウンであるだけにスピードは半端ではない。フォックスコンがまさしく中国全体を象徴している。

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