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藤沢市民オペラ「セミラーミデ」に驚嘆! 感動した

20161030日、藤沢市民文化会館で藤沢市民オペラ 歌劇「セミラーミデ」(演奏会形式・原語上演字幕付き)を聴いた。実質的に日本初演だとのこと。あまりのすごさに驚嘆した。もちろんそれなりにはよいだろうとは思っていたが、藤沢市民オペラということなので、過度な期待はしていなかった。しかし、これほどまでにすごいとは!

まず、歌手陣が見事。日本のロッシーニ歌いがこれほどまでにレベルが高いことを、大変失礼ながら、今日まで認識していなかった。とりわけ、私はセミラーミデの安藤赴美子、アルサーチェの中島郁子、イドレーノの山本康寛の三人の歌唱には心が躍った。見事な技巧、見事な声。音程も正確で声に輝きがある。世界一流のロッシーニ歌いにまったく負けていないと思う。技巧を駆使した難しい歌を鮮やかに歌って、人々を感動に導く。それぞれに「華」もある。アッスールの妻屋秀和も悪役を歌って実に見事。底光りする悪役だった。アゼーマの伊藤晴、オーロエの伊藤貴之、ミトラーネの岡坂弘毅も見事。

そして、特筆するべきは、藤沢市民から成る藤沢市合唱連盟と藤沢市民交響楽団。ともにアマチュアだと思うが、プロ顔負けの見事な技術だと思う。もちろん、頼りないところもないではないが、アマチュアがこれほどの演奏をするとは思っていなかった。とりわけ、オケの木管楽器が実に歯切れがよく、美しい音。合唱も厚みがあって実に頼もしい。

そして、これらをまとめ上げた指揮の園田隆一郎の手腕にも驚嘆した。演奏会形式であるだけに、指揮の様子が見えて、ありがたい。オケが指揮者の意図をしっかりと守っていることがよくわかる。プロではないオケに最大限の力を発揮できるようにしているのをところどころで感じた。だが、初めのうち安全運転風だったが、だんだんと勢いが出できた。上手に加減しながらも、アマ・オケからまごうことなくロッシーニの音楽を作りだしていく。特に変わったことをしているわけではないのだが、園田さんのタクトから出てい来る音楽は生き生きとして、ワクワク感があり、感動がある。

 ナビゲーターの朝岡聡もとても大事な役割を果たしていた。朝岡さん自身が心からロッシーニを愛していることがよくわかる。だからこそ心の籠ったナビゲーションになり、聞いていて楽しい。ドラマがいっそう身近でわかりやすくなり、音楽についての期待も高まる。

(ついでに言うと、昨日のこのブログでの私の文章を蒸し返すようだが、朝岡さんのこの見事なナビゲーションでさえも、もし匿名の影アナとして語られていたら、吹き出したくなるほど滑稽だっただろう。朝岡さんが登場して、ある個性を示して話をするからこそ、観客は引きこまれる。影アナではそうはいかない)。

 それにしても、ロッシーニの音楽は素晴らしい。「セミラーミデ」は大傑作だと改めて思った。こんな名曲が長い間、二流のオペラとみなされていたことが信じられない。すべての歌、すべての音楽に霊感が宿り、ドラマがあり、生命力がある。このことを改めて教えてくれた藤沢市民オペラに感謝。

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テイツィアーナ・ドゥカーティのコンサート 見事な美声に惹かれたが・・・

20161027日、紀尾井ホールで、テイツィアーナ・ドゥカーティによるオペラコンサートを聴いた。ピアノ伴奏は山口研生。

ドゥカーティはトリノ出身のソプラノ歌手。しばらく国際的な活躍をしていたが、このところ日本に滞在しているという噂を聞いている。ドゥカーティを以前から薦めてくれる人がいて関心を持っていた。今回、紀尾井ホールでリサイタルを開くというのででかけてみた。

曲目は、前半にベッリーニの「海賊」や「ノルマ」からのアリア、後半は、ヴェルディの「アイーダ」や「エルナーニ」「仮面舞踏会」「イル・トロヴァトーレ」などのアリア。

素晴らしい美声。音量もあり、声の伸びもあり、音程もとてもよい。容姿もとてもチャーミング。素晴らしい歌手だと思った。

ただ、実を言うと、心から感動したかというと、それほどではなかった。素晴らしい美声でホール中にビンビンと響くのだが、どの歌のどの部分も同じ雰囲気で、ちょっと一本調子な感じがした。あと少し歌にメリハリが加わって、ピアノとの一体性がほしいと思った。もっと盛り上がっていくだろうと思っていたのだが、あまりワクワクしないまま終わった印象だった。ただし、素晴らしい声なので、これから歌えば歌うほど、どんどんと素晴らしくなっていくのは間違いないと思う。

なお、リスト作曲の「ノルマの回想」や「エルナーニ」「リゴレット」をモティーフにした演奏会用パラフレーズが山口研生のソロによって演奏された。見事なテクニックに圧倒された。私としてはもう少しリストらしい突き抜けた表現があったら、もっと楽しめたと思うが、これが山口さんの表現なのだろう。あまり外面的な派手さを追い求めるのではなく、真摯でしっかりした音楽を作ろうとしているのだと思った。

アンコールは、ピアノソロによる「くるみ割り人形」とソプラノが加わっての「ある晴れた日に」。もっとも乗った演奏だった。

演奏以上に、コンサートの運営について気になることがあった。

入場時に透明の袋に入ったプログラムやチラシが配布されたが、どうやらその袋のせいで演奏中も観客席のあちこちからカサカサいう音が聞こえた。膝の上に置いたり、少し手に触れたりすると、大きな音を発するようだった。このような袋を配布しないように配慮がほしい。とりわけ、コンサート慣れしていない客が多いようだったので、このような場合には一層そのような配慮が必要だろう。

ところで、影アナによる曲目解説が一曲ごとに入り、演奏されるオペラのストーリーやアリアの内容やセリフがかなり感情を込めて語られた。そして、その後で演奏者が登場し、演奏がはじめられた。私はこのような形式で進むコンサートは初めてだったが、このようにする必要が何かあったのだろうか。

ナレーションを受け持つ人が舞台に登場して感情を込めて語るのならいいが、私は、影アナがこのように感情を込めることにかなり違和感を覚えた。影アナはもっと中性的、中立的な役割を果たすべきだと思う。影アナが感情を込めてアリアのセリフを語ると、私としてはちょっと白けてしまって、失笑したくなった。それに、知らないオペラのストーリーを影アナで語られても理解しづらいし、知っているオペラであれば、必要ない。配布されたプログラムに曲目解説があるのだから、影アナによる解説は必要なかったのではないか。それに、1曲ごとに影アナが入り、解説が終わってから演奏者が登場して、拍手が起こり、それから演奏が行われると、音楽による興奮が途切れてしまって、持続しない。

せっかくのドゥカーティの美声のわりにはコンサートに盛り上がりが欠けたような気がしたが、その原因として、透明な袋のカサカサ音と、場違いな影アナがあったのではないかと思った。

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ウィーン国立歌劇場公演「ナクソス島のアリアドネ」に感動した

 

20161025日、ウィーン国立歌劇場公演「ナクソス島のアリアドネ」をみた。全体的に素晴らしい。

まず、プロローグで作曲家のステファニー・ハウツィールの溌剌とした役作りに心を惹かれた。見事に生き生きとした声と演技。そして、まさしく初々しい青年作曲家に見える容姿。カサロヴァが予定されていたのに配役が変更になったので失望していたのだったが、カサロヴァにまったく引けを取らない作曲家だった。そのほか、音楽教師のマルクス・アイヒェも舞踊教師のノルベルト・エルンストも見事。さすがウィーン。すべてが世界最高。

「オペラ」が始まってからも三人のニンフも声がそろって美しい。ハルレキン、スカラムッチョも実にいい。アリアドネのグン=ブリット・バークミンも張りのある澄んだ声で、声量もある。とてもいい歌手だと思った。ただ、私は50年ほど前からこのオペラが大好きで、繰り返しシュヴァルツコップの歌うレコードを聴いて、その素晴らしさに感動してきたので、どうしてもそれと比べてしまって、満足できずにいる。とはいえ、「清らかな国」のアリアには心から感動した。

 ツェルビネッタを歌うのはダニエラ・ファリー。もちろん素晴らしい歌だったが、実演で二度聴いたグルベローヴァには声のコントロールや声量、声の美しさなどすべてにおいてかなり劣ってしまう。仕方がないことだが。

 とりわけ素晴らしかったのは、バッカスを歌ったステファン・グールド。圧倒的な声量でホール全体に美しい声が響き渡った。若々しく堂々たる神の声だと思った。先ほども書いた通り、私はこのオペラを50年前から愛し続け、可能な限りの実演と映像、録音をみききしてきたが、その中で最高のバッカスだった。

 マレク・ヤノフスキの指揮によるウィーン国立歌劇場管弦楽団は、きりりと引き締まった透明な音によって音楽を紡ぎだしていく。実に素晴らしい。ただ、ヤノフスキの指揮はあまりに生真面目! このオペラは「トリスタンとイゾルデ」のパロディであり、コメディア・デッラルテの入りこんだ道化芝居でもある。おふざけあり、遊びあり、生真面目に見えつつ人を食ったような不真面目さがあるはずなのだが、そのようなとぼけた味はヤノフスキのタクトからは聞こえてこなかった。とはいえ、このような味わいをヤノフスキは出したいと思っていないのだろう。それはそれで見事なオーケストラだった。

 演出はスヴェン=エリック・ベヒトルフ。「オペラ」の部分でも「プロローグ」の人物が登場し、最後にはツェルビネッタと作曲家が愛し合う。このごろよく見かけるタイプの演出。とても美しくて魅力的な舞台ではあるが、あまり斬新ではない。とはいえ、世界から神聖なるものが失われつつある時代において、音楽はどうあるべきかというホフマンスタールとシュトラウスの問いかけを真正面から描いているように思えた。私としてはとても気に入った。

 これまで触れてきた歴史的名演に比べると劣るところは多少はあったが、それでも現在考えられる限り最高の「アリアドネ」だったことは間違いない。とても感動した。とても幸せだった。

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東フィル定期 マスカーニ「イリス」演奏会形式 最後の合唱に魂が震えた

 20161016日、オーチャードホールで東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会、マスカーニ「イリス」(演奏会形式)をきいた。素晴らしかった。昨日のマリインスキー・オペラの「エフゲニー・オネーギン」と劣らぬほど感動した。

 指揮はアンドレア・バッティストーニ。噂に聞いていたし、「セビーリャの理髪師」のDVDで凄さを知っていたが、確かにドラマティックで繊細で音が生き生きしていて素晴らしい。東フィルも見事。よく鳴っていたし、精妙な音もしっかりと出していた。ホール全体を揺るがすような音も決して濁らず、美しく響いていた。

 歌手陣もとても良かった。イリスを歌うラケーレ・スターニシは、とても美しい声で、しかもかなり強靭。容姿にも声にも色気があってなかなかよろしい。大阪を歌うフランチェスコ・アニーレもしっかりした美声。大阪は若旦那という設定なので、そのわりにはかなり年配だが、ともあれ演奏会形式なので、そこはよしとしよう。イタリアにはこのような素晴らしい歌手がたくさんいるのだろうか。層の厚さに驚いてしまう。チェーコの妻屋秀和、京都の町英和、ディーアの鷲尾麻衣、くず拾い・行商人の伊達英二などの日本人歌手も見事な歌だった。新国立劇場合唱団も素晴らしい。

 世界でもこのレベルの演奏はなかなかないのではないか。最後の「太陽賛歌」の合唱では感動に震えた。

「イリス」をマスカーニが発表したのは1898年。「蝶々夫人」の5年前だという。ジャポニスムがヨーロッパに広まった時期だ。登場人物の名前が「大阪」だったり「京都」だったり、娘が吉原に行ったと知った時の父親の反応など、日本についての知識不足を感じさせる部分がたくさんあるし、「蝶々夫人」と違って、日本的な音階も登場しない。音楽だけ聞くと、ときどき「オーサカ」だの「キョート」「ヨシワラ」だのといった音が聞こえるだけで、だれも日本の話とは思わないだろう。

だが、セリフを読むと、当時、ヨーロッパで日本が「エロスの国」「太陽の国」と思われていたことがよくわかる。最後の合唱で歌われる「万物を愛す」という思想は、ヨーロッパの人には目新しいものだったに違いない。そして、それが生命賛歌、太陽賛歌に結び付き、それがエロスともつながっていたのだろう。以前、あれこれとわかりにくいところがあったので、難のある台本だと思ったのだったが、なかなか魅力ある台本だと思った。しかも、それをマスカーニはとてもうまく音楽にしている。

二日続けて、大変満足した。それにしても、今年の秋はオペラ公演が目白押し。幸先がよくて楽しみだ。

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マリインスキー 「エフゲニー・オネーギン」、第3幕に感動

 20161015日、東京文化会館でマリインスキー・オペラ公演チャイコフスキー「エフゲニー・ネーギン」をみた。指揮はワレリー・ゲルギエフ。演出はアレクセイ・ステパニュク。素晴らしかった。

 歌手の中では、オネーギンのアレクセイ・マルコフが図抜けていると思った。太い美声で、嫌味でありながら魅力のある青年を演じている。第3幕最後の、自分の人生を悔いての嘆きはとても説得力があった。タチヤーナのマリア・バヤンキナはヴィブラートの少ないよく通る清らかな声。ただ、手紙の場面はちょっと一本調子だった。もう少し表現力が伴えばすごい歌手になりそう。グレーミン公爵はエドワルド・ツァンガ。太くてきれいな声で、貫禄たっぷり。レンスキーのエフゲニー・アフメドフは、きれいな声で清潔な歌い方だが、声量がないのが残念。オルガのエカテリーナ・セルゲイエワは可憐な歌いっぷり。とてもいい。

 プログラムに林田直樹さんが書いておられるとおり、マリインスキー・オペラは次々と世界的な歌手を送りだしている。今回の配役もまさにそのような人々だ。それにしてもレベルが高い。

 その中で、やはり特筆するべきはワレリー・ゲルギエフの指揮だろう。手紙の場など、心の奥からムズムズするというか、ワサワサするというか、そのような心の奥のうずきのようなものを見事に音にしている。感情の切り替えも見事。オーケストラは、きわめて精妙にしてエネルギッシュ。さすが。

 演出は特に新しい解釈を示すものではない。リンゴが盛んに用いられるが、タチャーナの自然なキャラクターを象徴しているのだろうか。第2幕で大きな水車が登場するが、「運命の流れ」を象徴するのだろう。トリケが老いた色情狂のように描かれる。きっと決闘騒ぎの前に喜劇的要素を加えたかったのだと思うが、少しやりすぎではないかと思った。

 手紙の場面のタチャーナの説得力が不足であったり、レンスキーの弱かったりといった細かい欠点はないでもないが、やはり最後の場面には感動した。

 チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」は、オネーギンが身勝手な男として描かれている。だが、上にも書いたが、マルコフはすべてに嫌気がさして世界を斜に見てきた男(プーシキンではそのように描かれている。私はプーシキンの描くオネーギンが大好きだった!)の嫌味なところとうぶなところを実にうまく歌っていると思った。最後の場面にそれが見事に現れている。

 大変満足した。

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伯母の他界、懐かしい人からの電話。

 大分県日田市で暮らしていた伯母が一昨日の夜に亡くなった。96歳だったと思う。昨年他界した父の長姉だ。全員が90歳前後まで元気だった5人きょうだいだが、ついに叔父一人が残されるだけになった。高齢でもあり、かなり前から寝たきりのことが多かったので十分に覚悟はしていたが、やはり寂しい。車を運転中など、ひとりになると涙が出てくる。

 週末の葬儀であれば出席できると思っていたら、一昨日の夜に亡くなって、本日、日田市で葬儀を行うとのこと。突然のことで、大学での仕事などの調整ができず、欠席せざるを得ない。東京から合掌することにする。

 戦後すぐ、伯母は夫が亡くなったため娘二人を連れてしばらく実家に戻っていた。そこには、私の祖父母、伯母の家族三人、もう一人の叔母、そして私の両親と私が暮らしていた。田舎の9人家族だった。そのころ、伯母は私にとっていわばもう一人の母親だった。

 伯母は定年まで小学校の教員を務めた。物わかりのよい、やさしい伯母だった。きっと良い先生だったのだと思う。昔、一緒に歩くと、かつての教え子という人に良く声をかけられた。伯母は日田市の父の家のすぐ近くで暮らしていたので、私はもちろん、妻も子どもたちもずいぶんと面倒を見てもらった。変人の多い父のきょうだいたちの中で、ひとりだけ親身になって母を気遣い、母の相談に乗ってくれてもいた。父と母も、伯母の二人の娘を自分の娘のように思っていた。

 今になって伯母の人生を考えてみると、若くして未亡人になり、仕事をしながら子どもを育てるにはいろいろなことがあっただろう。苦しいこと、迷うことの連続だっただろう。いつも優しくて理性的な伯母だったが、心の中に秘めていた思いもたくさんあっただろう。だが、最後は娘二人に囲まれての穏やかで幸せな日々だったと思う。

 数年前、ザルツブルグ音楽祭にでかけていたとき、伯母が亡くなる夢をみた。あまりにリアルな夢だったので、私は伯母の死を確信した。きっとあの世に旅立つ前にザルツブルグで音楽三昧の私のところにお別れに来てくれたのだと思った。ところが、日本からは連絡がない。家族に電話しても伯母の話は出ない。死んだと告げられるのが怖くて、こちらから伯母の話を向けることもできなかった。きっとみんなが気をつかって私に伯母のことを告げないのだろうと思っていた。

 だが、帰国してみると伯母に変わりはなかった。「夢のお告げ」など信じられるものではないことを思い知った。少なくとも私に霊感など少しもないこともわかった。本当にほっとした。伯母に会ったとき、その話をすると、死ぬ夢を知り合いがみるとむしろ長寿になるのだと喜んでくれた。私の出す本を楽しみにして読んでくれ、たびたびほめてくれた。

 最後に会ったのは、昨年、両親が東京に越した後、私が一人で家の整理に日田に戻った時だった。車椅子を使わなくても少しなら歩ける様子で、話し方もしっかりしているように見えたが、認知症が進んで様々なことを忘れているということで、私のことを十分に認識していたかどうか少し怪しかった。

 この3年ばかりの間に次々に私の親の世代の親族が亡くなった。いまさらながら、人の死、人の生について考えてしまう。

 夜、父の親戚で私の子どものころのなじみの女性から電話をいただいた。私は日田市に暮らしていた後、同じ大分県内の中津市に引っ越し、そこで4年と少しを過ごしたが、その時代にすぐ近所に住んで行き来していた。百合ちゃんと両親は呼んでいた。当時、明るくてきれいな若奥さんで、私は大好きだった。私が東京新聞に書いたエッセイ(「特別な存在でなくなること」というタイトルで、高齢になって居場所を移して亡くなった父のことを記した)が、九州でも読者の多い西日本新聞に掲載され、それを読んで懐かしく思って電話をくれたのだった。父の思い出話に涙を流した。伯母が亡くなったことを知らせた。あの頃、若くてきれいだった「百合ちゃん」も80歳とのこと。相変わらず明るくて元気で、声だけだとまさか80歳とは思えない。

・・・電話を切って、また生について死について老いについての考えが頭の中を巡った。

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ロッシーニのオペラ映像「幸運な間違い」「アルジェのイタリア女」「セビーリャの理髪師」

 先週は、小さな講演を二つ続け、その後、大学の授業、そして週末は二日続けてオペラをみたため、少々くたびれた。本日(20161010日)は少しゆっくりした。午後、老人ホームの母のところに行ったが、それ以外は、本を読んだり、昼寝したり、DVDをみたり。仕事らしいことは、久しぶりに一切しなかった。

 ニュースでアンジェイ・ワイダ監督が亡くなったことを知った。パゾリーニ、アントニオーニとともに私が最も愛した映画監督だった。「灰とダイヤモンド」を初めて見た時の興奮を今も思い出す。不朽の名作だと思う。「地下水道」「ダントン」「カティンの森」も大傑作だった。そのほか「白樺の林」「約束の地」「ヴィルコの娘たち」「菖蒲」もとても感動してみたのを覚えている。合掌。

 ロッシーニのオペラ映像を3本みたので、感想を書く。

 

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ロッシーニ 「幸運な間違い」2015年 ドイツ、バート・ヴィルドバート

 

 ロッシーニのごく初期のオペラ。タイトルだけは知っていたが、初めてみた。ロッシーニのオペラとしては少々魅力に欠ける。やはり、もう少し後の作品のほうがずっとおもしろい。

 とはいえ、やはりそこはロッシーニ。のちのロッシーニに比べれば面白さに欠けるとはいえ、それはそれでとてもよくできたオペラで、音楽もおもしろい。多分ロッシーニはまだ10代。10代の若者の作曲したものとしては驚異的といえるだろう。モーツァルトに匹敵帰する、いや少なくともオペラにおいてはそれを凌ぐ才能といえるのではないか。それがわかるのだけでもとても意味のあるオペラ映像だと思う。

イザベッラのシルヴィア・ダッラ・ベネッタ、タラボットのロレンツォ・レガッツォ、ベルトランド公爵のアルタヴァスト・サルグシャンの三人の主役は歌唱の面でも容姿の面でも申し分ない。とりわけベネッタの歌は清純でありながらもほのかな色気があって、しかも強靭。素晴らしい歌手だと思う。そのほか、オルモンドのバウルザン・アンデルザノフもバトーネのティツィアーノ・ブラッチも実にいい。ヨッヘン・シェーンレーバーの演出は舞台を現代に移しているが、特に違和感はない。アントニオ・フォリアーニの指揮も若きロッシーニの才能の冴えを存分にわからせてくれる。すばらしい映像だと思う。

 

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ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 1986年 メトロポリタン歌劇場

 1986年の映像。最近のロッシーニ演奏に比べるとテンポが遅く、歌唱法も違い、オーケストラもロマンティックすぎる気がしないでもない。時代遅れであることは間違いないだろう。とはいえジェイムズ・レヴァインの指揮はメリハリがあり、勢いがあってとてもいい。さすがというべきか。

 歌手の中では、マリリン・ホーンが圧倒的に素晴らしい。往年のアメリカ声楽界の大スターとして名前だけは知っていたが、たぶんこのメゾ・ソプラノ歌手の歌を聴くのは初めてだと思う。はずみのある太い声で技巧的な歌を難なく歌いこなし、ロッシーニの愉快で生気に満ちた世界に巻き込む。こんなにすごい歌手だったなんて!(あわててネットでこの歌手のCDを注文した)。パオロ・モンタルソロの歌うムスタファも見事な歌。リンドーロのダグラス・アルステッドがちょっと弱いが仕方がないだろう。

 演出はジャン=ピエール・ポネル。さすがにとてもおもしろい。今見ても、まったく違和感なく楽しめる。ただ、イスラム教を少々皮肉っているところがあるので、今、このまま上演すると問題が起こるかもしれない。いずれにしても、全体的にきわめて満足できる映像だ。

 

 

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ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」 2001年 チューリヒ歌劇場

 文句なしに素晴らしい。オンラインのHMVで購入したが、安売り中でなんと500円だった! カバーがドイツ語タイトルになっているので、歌もドイツ語版ではないかと不安だったが、ちゃんとイタリア語で歌われている。もしかしたら、私の所有しているこのオペラの中のナンバーワンの映像かもしれない。

 歌手は全員が見事。そのなかでも、ロジーナのヴェッセリーナ・カサロヴァがさすがの存在感。高音が実に美しく、しかも歌に愛嬌がある。個性を表に出して自在に歌う。なるほどロジーナというのはこんな娘なのだろうと納得させるだけの力がある。そして、なんといってもバジーリオを歌うニコライ・ギャウロフが、いかにもスケールの大きな奇人ぶりを発揮して実におもしろい。全盛期の声は失われているとはいえ、十分に凄まじい。

 それに比べると小粒だが、アルマヴィーヴァ伯爵のレイナルド・マシアス、バルトロのカルロス・ショーソン、フィガロのマヌエル・ランサ、いずれもまさしく高貴な恋する伯爵や、俗っぽい医師、如才ない理髪師に見えるし、歌唱もみんな最高に素晴らしい。

 グリシャ・アサガロフの演出は、舞台を現代に移しているが、とてもしゃれている。バロトロの家のそれぞれの部屋が扇子のような背景になっているのもおもしろい。閉塞感を描いているのだろう。そうでありながら、ユーモラスであちこちで笑いを誘う。指揮のネッロ・サンティも申し分ない。厚みのある音で躍動感にあふれている。大満足の1枚!

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東京オペラ・プロデュース公演 「グリゼリディス」の日本初演をみた

2016109日、新国立劇場中劇場で、東京オペラ・プロデュース公演、マスネ作曲「グリゼリディス」をみた。日本初演とのこと。

昨日、新国立劇場でまさしく世界最高レベルの「ワルキューレ」をみたばかり。こういうと申し訳ないが、やはりレベルの違いを感じざるを得ない。「ワルキューレ」をみていなかったら、印象は違ったかもしれない。

このオペラはもちろん初めてみた。「サンドリヨン」と同じようにペローの童話に基づいている。侯爵に見初められて侯爵夫人になったグリゼリディスは、夫が十字軍に参加して家を離れている間、貞節を破らせようとする悪魔に打ち勝ち、貞節を守り抜く。

とてもおもしろいオペラだと思う。コミックなところもある。ワーグナー的なところもあちこちにある。ただ、やはりワーグナーほどにアクの強さがなく、コミックなところも少々遠慮がち。あまり上演されない理由も納得できる。

グリゼリディスの菊地美奈はしっかりとした声。音程も安定して声もよく伸びていた。ゴンドボーの鹿野章人は太くて安定した歌唱。フィアミーナの羽山弘子もとてもチャーミング。アランの上原正敏もなかなかの美声でうぶな青年をうまく演じていた。修道院長の和田ひできも安定した歌唱だったが、あまり宗教的な雰囲気を感じなかった。

 侯爵の羽山晃生は不調だったのか、あまり声が伸びていなかったのが残念。ベルトラードの辰巳真理恵は全体的に音程が不安定で、私はハラハラしどおしだった。

 悪魔役の北川辰彦はフランス語のひどさが気になった。「悪魔diable」をほとんどの場面で「ディアブレェー」と発音していた。この人の歌うすべての歌詞がどうも私にはフランス語らしく聞こえない。フランス語ではあるはずのない音がしばしば聞こえてくる。これではマスネではなくなる。今回の歌手の中でもっとも声が出ていたし、歌唱的にはもっとも優れていただけに残念に思えた。

飯坂純指揮の東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団は、危なっかしいところもあったが、マスネの音になっていた。太田麻衣子による演出は、様々な制約があったのだろうが、わかりやすく、おもしろく話をまとめていた。悪魔の造形もとてもおもしろかった。

最高レベルの上演というわけではなかったと思うが、マスネのこのオペラの魅力はよくわかった。東京オペラ・プロデュースは珍しいオペラを上演してくれるので、私はとてもうれしく思っている。練習時間がとれなかったりといった問題点があるのだと思うが、ぜひこれからも世に知られていないオペラを意欲的に上演してほしい。

 

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新国立劇場「ワルキューレ」をみている間に起こった椅子の騒音のこと

 昨日(2016108日)、新国立劇場「ワルキューレ」公演の感想を書いた。昨日の出来事で書き忘れていたことがあったので、ここに書く。

実は、「ワルキューレ」の第1幕を見ている間、私の座る椅子がときどきキュッキュッという音を立てていた。身動きしなければ音はしないのだが、背もたせに体重をかけた後に、少し体を離すと音がする。私自身も気になるが、私が原因で周囲に騒音をまき散らしているとなると、あまりに申し訳ない。だからといってまったく身動きしないでいるのもつらい。

第一幕が終わった後に係の方にそのことを告げた。すると、早速、調べに来てくれて、私の言うことに間違いがないことを確認すると、これまたすぐに工具を持った作業の方たちがやってきた。そして、背もたせを外し、内部のねじを締めた。それだけで音は鳴らなくなった。私が係の人に告げてから解決までに10分ほどしかかかっていないと思う。

まず、さすがの迅速な対応にびっくり。日本の施設の対応力は見事。また、ねじが少し緩んだだけで音が出るという因果関係にも、素人の私としては驚いた。

もう一つ思ったのは、音を立てているのが私だから一幕だけで損害は済んだが、もう少し音に鈍感な人や、もう少し気の弱い人の席だったら、そのままになってしまったのではないかということだ。あのような場で、椅子が音を立てるといって係員に話をするのは、どちらかというと少数派であって、日本人の半数以上は黙ってそのままにするのではないか。係員に何も言わずにそのまま座り続けたら、たとえ本人は気にならなくても、周囲には必ず気になる人がいただろう。

このような場合、できるだけ注意しあうべきだと私は思う。昨日のような場合も、もし私が気にかけていない様子だったら、周囲の人が、「あのう。申し訳ありませんけれど、あなたが身動きするたびに椅子が音を立てているのが、気になって仕方がないんです。係の人に見してもらうように頼んでみてよろしいでしょうか」などとはっきり言うべきなのだ。

よく、「隣の人が指揮の真似をしていて気になった」とか「隣の人がしゃべっていて気になった」という人がいる。気になったのなら、きちんと注意するべきだと思う。ガラの悪そうな人だと確かに注意すると余計に危険になるので、お互いのために黙っているほうがよいとは思うが、少なくともクラシック音楽のコンサートにはそのような人は少ないだろう。本人も自分が騒音の原因になっていると気づいていない場合が多いので、やんわりと、しっかりと気を使いながら注意すれば、わかってもらえると思う。

このブログにも書いたが、私は何度も周囲の人に注意したし、私自身も上着のポケットに入れたプログラムがこすれて音がすることや身動きすることで注意されたことがある。もちろん私はその場で深くお詫びし、そうしないように改めた。私が注意した人も、もちろん自ら改めてくれた(ただ、一度、ベルリンでイギリス人女性に英語で注意した時は、おそらく私の英語力不足のために、相手を怒らせてしまった! 外国人に注意をするのは難しい!)。

 しかし、昨日はさすがにマナーのよい客ばかりだったように思う。音楽が完全に途切れるまで拍手はなかった。素晴らしい演奏とすばらしい観客だった。・・・ただ私自身は、「ツボにはまらずに」あまり感動できなかったが。

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新国立「ワルキューレ」 バイロイトレベルの見事な上演だったが、感動しなかった

2016108日、新国立劇場で「ワルキューレ」をみた。歌手陣は素晴らしかった。バイロイトに一歩も引けを取らない豪華さ。

ジークムントを歌うステファン・グールドは相変わらずの馬力と美声。私はバイロイトでも何度か聴いたが、その時と同じほどホール中に響き渡る声だった。ヴォータンのグリア・グリムスレイも最高レベル。声に気品があり、容姿もヴォータンにふさわしい。最後の告別の場面は実の堂々たる歌だった。ブリュンヒルデのイレーネ・テオリンもまさしくバイロイト級。一時期、ちょっと不調を感じたことがあったが、今日は美しい声も伸びて素晴らしかった。

そのほか、フンディングのアルベルト・ペーゼンドルファーも見事な声。そして、特筆するべきはジークリンデのジョゼフィーネ・ウェーバー。外見はかなり太めだが、清らかな声で実にチャーミング。フリッカのエレナ・ツィトコーワも威厳のあるしっかりした声。素晴らしかった。ワルキューレたちを歌う日本人歌手たちも実に立派。きっと個の中から近い将来、ブリュンヒルデやジークリンデを歌う歌手が出てくるのだろう。

だが、実を言うと、歌手が素晴らしいわりに私はそれほど感動できなかった。飯守泰次郎の指揮はまったく媚びを売ろうとしない正統派の演奏。そして、きわめてテンポが遅く、じっくりと聞かせる。これがマエストロの本格的ワーグナーなのだと思うが、私としては、もう少しテンポを上げて、もっと激しくうねらせてもよいのではないかと思った。第一幕の「春」の部分で、もう少しサービスしてほしい。

そして、ゲッツ・フリードリヒの演出も、確かに音楽にぴったり合ってはいるが、現在の演出のあり方からすると少々古めかしい感じがしてならない。ゲッツ・フリードリヒが切り開いて現在の演出が存在するのだと思うが、今となっては、これまで何度も見てきた演出に思えてしまう。

東京フィルハーモニー交響楽団による演奏は、ところどころ金管楽器のミスがあったが、全体的にはとてもじっくりと美しい音を聞かせてくれた。

全体的に素晴らしい上演だったと思う。しかし、これまで私は、「ワルキューレ」を見ると、必ず涙に暮れてしまうのだったが、今回は演奏の見事さに驚きながらも、涙に暮れることはなかった。

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速報! 1月16日(月) 樋口ゼミ主催による石田泰尚・山本裕康・諸田由里子のトリオ 曲目決定!

 

 多摩大学樋口ゼミは、1月16日(月)に石田泰尚・山本裕康・諸田由里子のトリオ・コンサートを主催します。会場は仙川のフィックスホールです。

 言うまでもなく、石田さん、山本さんは神奈川フィルの首席として活躍中の大人気のヴァイオリニストとチェリストです。ピアニストの諸田さんとはしばしばトリオを組んでリサイタルを開き、これまでも多くの人に感動を与えてきました。

 今回は、多摩大学樋口ゼミの呼びかけに応じてくださり、この三人によるピアノ・トリノのコンサートが実現することになりました。曲目はベートーヴェンの「大公」などの本格的な曲のほか、クライスラーの小曲を含む誰もが知る名曲です。ぜひとも多くの方の参加をお願いします。

 なお、現在、チケット中です。ご予約を希望する方、ご質問のある方がおられましたら、以下の問い合わせ先にご連絡ください。私のブログへの問い合わせでも結構です。ブログにコメントをいただき、アドレスをお知らせいただければ(ウェブ上ではアドレスは非公開になります)ご返事いたします。

 

 

石田泰尚・山本裕康・諸田由里子のトリオ・リサイタル

・演奏 石田泰尚(ヴァイオリン) 山本裕康(チェロ) 諸田由里子(ピアノ)

・場所 仙川フィックスホール (京王線仙川駅徒歩5分)

・日時 1月16日(月) 開場 1830分 開演 19時15分

・料金 全席自由4000円 学生 2000

・問い合わせ・チケット申し込み kr-b-s777@ezweb.ne.jp 

                090-8103-1243 (樋口ゼミ)

 

・曲目(演奏者の都合により変更されることがあります)

モーツァルト:きらきら星変奏曲ハ長調 K. 265

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007

クライスラー:美しきロスマリン

クライスラー:愛の悲しみ

クライスラー:愛の喜び

アイルランド民謡(クライスラー編曲):ロンドンデリーの歌

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調op.97「大公」

 

 

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風の丘HALL「ウェルテル」に感動した

千葉市の風の丘HALLでマスネのオペラ「ウェルテル」をみた。素晴らしかった。感動した。何度か涙が出てきた。
風の丘HALLは、大澤ミカさんが主催する85席のオペラ専門ホールで、17年前から精力的にオペラ公演を続けている。私は昨年だったか、「道化師」を見てとても感動した。東京の東のはずれにある私の家から千葉市はかなり遠くてに行きづらいのが残念。
小山陽二郎のタイトルロールがとりわけ凄い。張りのある美声がビンビンと響く。若いウェルテルの悩みが伝わってくる。斉藤紀子のシャルロットもとても強い声で、しかもちょっと肉感的。藤井冴のソフィーも明るくて清純。野村光洋のアルベールも凄みがある。畠山茂の大法官も安定していて実にいい。子供たちの合唱もしっかりとした出来栄え。ピアノの村上尊志もドラマティックな音楽を作り、指揮の役割も果たしている。
演奏も素晴らしかったが、私がそれ以上に凄いと思ったのは三浦安浩の演出だった。
プログラムにも書かれていた通り、ワーグナーを意識した演出。そう思って聴くと、確かにワーグナーを彷彿とさせる部分がいくつもある。しかも、最後の部分の二重唱は「トリスタンとイゾルデ」のマスネ版ではないか!
舞台には木の葉の貼られたカーテンがいくつか貼られている。それらの木の葉は子供たちの手作りだという。それらは森を象徴するだろう。「トリスタンとイゾルデ」が海で始まり2人の魂の合一を歌い上げるように、「ウェルテル」は森の中での合一を歌う。しかも、背景に子供たちの「ノエル(すなわち英語で言うクリスマス)を祝う合唱が歌われる。背徳の合一、しかもきわめて神秘的で秘教的な合一。私は三浦さんの演出をみながら、そのようなことを考えていた。
舞台が終わったあと、主催者の大澤さんが登場して、この公演を最後に、しばらくHALLを閉じることが伝えられた。。経済的に困難な状況だという。こんな素晴らしいHALLを閉じたままにしてはいけない。1日も早い再開をお願いしたい。

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