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映画「彷徨える河」をみた

 久しぶりに映画館で映画をみた。夏にみた「帰ってきたヒトラー」以来だろう。渋谷のイメージ・フォーラムにて。

 チロ・ゲーラ監督によるコロンビア映画。アカデミー外国語賞にノミネートされた作品であり、アマゾン河を舞台にしてシャーマンとの交流を描いていると聞くと、みにいかずにはいられない。ごく一部の「夢」の部分をのぞいて、ほとんど全編がモノクロの映画。失われた時代であることを示すためのモノクロなのだろう。

 美しい場面はたくさんある。アマゾン川、川辺のジャングル、舟をこぐ人間など、原初的な人と自然との交わりを感じさせて実に詩的。昔みたサタジット・レイ監督のインド映画「大地の歌」「大河の歌」を思い出した。

 19世紀末と1940年代にアマゾンを訪れた二人の西洋人の学者と行動を共にしたシャーマンであるカラマカテを中心に話は進む。二人の学者がカラマカテを案内人として出会う出来事を描くロード・ムービーといってよかろう。西洋文化が入りこんで歪んでしまったアマゾンの状況に二人は出会う。だが、二人とも西洋の知や西洋的価値観という余計な荷物を持っているために感性によってアマゾンの世界と対面することができず、なかなか真実にたどり着くことができない。最後、植物学者は聖なる薬草ヤクルナの最後の一本を見つけ、真実の夢を見るが、その木も失われる。

 ほとんど予備知識なしにこの映画を見たので、わかりにくいところがたくさんあった。40年以上隔てた二人の学者のアマゾン探検が交互に描かれるが、そもそもその二人の学者にどのような関係があるのか、両者にどのような時間的な隔たりがあるのか、案内をする青年と老人にどのような関係があるのか(結局は同一人物であり、その二人は若いころのカラマカテと年齢をへたカラマカテなのだが、そのことを私が確信できたのは、映画のほとんど終わり近くになってからだった)すぐにはわからなかった。アマゾンというほとんど歴史による変化の見えない風景の中では、その時間差を感じることは難しかったし、個人名や民族名、植物名などの聞きなれない名詞が頻出して混乱した。見終わってパンフレットを読んで、二人の学者が実在の人物をモデルにしており、彼らの残した記録がこの映画に用いられていることを知って、やっと納得できたのだった。

 とても美しい映画だったが、私がこの映画から読み取ったのは、西洋文明の罪、西洋的知性の限界、自分の民族の感性を取り戻すことの重要性、それぞれの民族が自らの始原の物語を持つことの重要性・・・という聞きなれたメッセージでしかなかった。その点で少し物足りなさが残った。様々な場面に寓意が込められており、ヘビ(アマゾンの象徴だろう)、ジャガー、薬草、ゴムの木などに象徴的な意味があることはうかがい知れるが、私に理解できる限りでは、それも図式化されすぎている気がした。いや、もっと言えば、その象徴の使い方などが、むしろきわめて西洋的な気がした。もっと非西洋的な映画作法を用いてほしかった。

 また、キリスト気取りの青年(19世紀末のカプチン派による宣教の悪しき影響として描かれている)、燃えるヤクルナの木、カラマカテの呪術の効果などリアリティに欠ける場面が気になった。寓話なら寓話ということで、むしろもっとリアリティを意図的になくすこともできると思うが、その点で中途半端な気がした。

 といいつつ、やはりコロンビアの状況や南米の文化についての私の知識が不足しているために十分に理解できなかった面があるのかもしれない。ともあれ、アマゾンの奥地に住む原住民の価値観の一端に触れることができた。そして、それぞれの民族が始原の物語それについてはきわめてリアルであり、この映画作成に携わった人々の真摯な思いを理解することはできた。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

度々失礼いたします。
 紀行録と違う、アマゾンとはという興味で見ました。
樋口様のような映画芸術の完成度という点でみれば稚拙でも、治安が悪く文化人がどれほどいるのかというコロンビアに映画を作る人がいる。移民の末裔と先住民族の末裔の存在の合作として、とらえました。
 年老いた使命を忘れたシャーマンを演じた方がアマゾンは地球の肺とパンフに表現していました。計り知れない「ふるさと」?の資質への誇りでしょうか。若かりしシャーマン役は、先祖の往時の記憶や知識の記録と言っていて、意義深く思います。
同じモンゴロイドから派生した人種。ひそやかに存在し続けてほしいものと願います。
 映画には関係ないですが、アマゾンの孤立民族が、金採掘者を弓で殺したと今日ヤフーニュースで見ました。ところや武器が違えば、シリア内紛のように思います。

投稿: K.K | 2016年11月20日 (日) 14時22分

K.K 様
コメント、ありがとうございます。
確かにおっしゃる通りですね。今回の一橋生の殺人事件が起こるようなコロンビア(知的でガッツがあって、将来、絶対に世界に貢献してくれるに違いない青年がこんなことで命をなくすなんて、実に残念です!)であのような映画ができたこと自体奇跡に近いのかもしれません。ただ私としては、もっと地霊の宿るような映画を期待していたのでした。

投稿: 樋口裕一 | 2016年11月22日 (火) 09時51分

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