新国立「セビリアの理髪師」 とても満足
新国立劇場で「セビリアの理髪師」をみた。とてもよかった。楽しめた。
フィガロを歌うダリボール・イエニスは太くて張りのある声で。声量もありテクニックも見事。バルトロのルチアーノ・ディ・パスクアーレも見事な早口で躍動感にあふれ、しかも芸達者。レナ・ベルキナもまた張りのある美声でかなり蓮っ葉なロジーナを見事に演じていた。アルマヴィーヴァ伯爵のマキシム・ミロノフはとてもきれいな声で見栄えもとても良いのだが、少し声量不足。とはいえ、楽しんで聴くのにまったくの支障はない。後半、だんだんと調子を上げた。
ドン・バジリオの妻屋秀和、ベルタの加納悦子、フィオレッロの枡貴志も外国人勢に負けない歌と演技だった。とりわけ、私は加納さんの一筋縄ではいかないベルタをとても魅力的だと思った。
フィガロ役のイエニスがどうやら自分でギターを弾いているようだった。さすがというべきか。
ただ、私は指揮のフランチェスコ・アンジェリコに不満を抱いた。多分とてもいい指揮者なのだと思う。しっかりと音を組み立てていくタイプ。それはそれで見事だと思う。しかし、ロッシーニ特有のワクワク感を私はあまり感じることができなかった。近年のロッシーニ演奏としてはかなりおとなしいと思う。私はもっと陽気で楽しくて、ワクワクして浮き立つような音楽を聴きたかった。
東京フィルハーモニー管弦楽団はしっかりと指揮についていたが、先日、ウィーン国立歌劇場の「フィガロの結婚」を聴いたばかりだったので、それに比べてしまうとやや貧弱な音と感じないでもなかった。
ヨーゼフ・E.ケップリンガ―の演出はフランコ時代のスペインを舞台に移しかえている。ロジーナの閉塞感を独裁時代のスペインの息苦しさに重ね合わせて、自由への息吹を描こうとしているのだろう。わいわいがやがやといろいろな人物が登場するのは、ロッシーニの猥雑さを作り出すのが狙いなのかもしれない。ベルトロの家の前に娼館があり、聖職者を含めてそこに出入りする。フランコ時代の、そして人間性を抑圧する社会の偽善ということなのか。ただ、ベルタが娼館の裏の実力者であるかの行動をとるのは、少し行き過ぎだと思った。
舞台がたびたび回転して、バルトロの家の外の内部が自由に入れ替わる。室内で登場人物が歌っているはずなのに、いつの間にか舞台が変わって外の道になっていたりする。部屋の中に閉じ込められているロジーナが実は強い人間であって、肉体は閉じ込められながらも自由に想像が外に向かっていることを象徴しているのかもしれない。だが、そうなると、ロジーナの閉塞感を観客は感じることができない。しかも、2階建てのいくつも部屋の中を行ったり来たり、それがいつの間にか外になったりして、視覚を定めることができなかった。
といいつつ、ともあれ全体的にはとても満足だった。いやあ、やっぱりロッシーニは楽しいなあ・・と思って満足して帰宅した。
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