カイロ・ギザの2日目
まず、昨日書いたことをいくつか訂正する。大きな勘違いがいくつかあった。
重大なカン違い、その1。私がいるのは何とカイロではなかった! カイロ市の中のギザ地区にいるのだとばかり思って、昨日のブログのタイトルを「今、カイロにいる」としたが、ギザは別の市だという。私はカイロにいるのではなくギザにいる!
重大なカン違い、その2。昨日、街の中に突然ピラミッドが現れたように書いたが、気をつけていればギザのあちこちからピラミッドは見える。昨日は気づかなかったが、なんと、ホテルの私の部屋のベランダに出ると、真正面にピラミッドが見える。街の道からも、高い建物がないところに行くと見える。
ちょっとしたカン違いについても修正する。昨日、「車線などお構いなし」と書いたが、カイロやギザの道には、車線は基本的にない。そもそも白線が引かれていない。
日本だと3車線程度の広さの道が4車線になったり、時に5車線、6車線になったりする。そして、警笛を鳴らしながら、先を争って進む。車線がそもそもないのだから、割りこんでいるわけでもない。
しかも、こちらの道にはほとんど信号がない! よくぞ信号なしに車が動いていると感心する。交差点ごとに大混乱になっているが、ともあれ不思議なことに車はそこそこ先に進んでいる。いや、交差点もあまりない。むしろ合流地点といった作りになっている。まっすぐ方向に行きたい時も、とりあえず右か左にいって、中央分離帯の切れ目のようなところでUターンしてもとにところに戻って、今度また左か右に曲がるというシステムのようだ。
信号がないので、歩行者は車が走っている間を縫ってわたることになる。大渋滞で車はスピードを出していないので、まあそれなりには無理なく渡れる。それにしても、みんなものすごい運転技術。私だったら、乗り始めて30分くらいで運転をあきらめるか、事故を起こすかだろう。
車はほとんどすべてが埃だらけで汚れている。ポンコツ同然の車も多い。韓国車が多い。ヒュンダイとKIAが目立つ。
今は、2917年2月14日の早朝。昨日同様、早く目を覚ましたので、昨日の行動を書きつける。
昨日、つまり2017年2月13日。朝の9時から、ガイドさんに連れられて、ギザのピラミッド群を見に行った。
まずは代表的なクフ王のピラミッド。近くで見るピラミッドは凄い。その存在感たるや、まさしく圧倒的。下からみると、言葉をなくす。ピラミッドについてこれまでテレビなどで聞いて多少は知っている(もちろん、きちんと理解しているわけではない)が、そのようなものを超えて、ともあれ人間の歴史の重み、人間の文明の存在感を覚える。石そのもの、大きさそのものに打ちひしがれる。
小さな穴があって、そこから中に入れるようになっている。ともあれ一人で入ってみた。
中に入っても何もあるわけではない。木の階段が作られており、それに沿って登っていって、狭い石室に入れるようになっている。中国人などの観光客に続いて歩いた。たいした距離ではないが、急こう配で、足元が悪かったり、中腰になって歩かなければ頭のつかえるところなどがあるため、息が切れ、足に負担がかかる。帰りは降りる形になるので、いっそうつらかった。
実は一晩寝た今、私の足のあちこちが筋肉痛を起こしている。ピラミッドから出てきた時には、足が自分のものではないかのようで、立っていられないほどだった。しばらく休めば回復するかと思っていたが、ピラミッドから出てからも、歩くのがきつかった。車に乗るのにも、足が上がらないほど。2、3度、車に乗ろうとして後期高齢者のようによろけた。夜までそんな調子だった。ただ、その割には、今朝起きてみたら、かなり回復している。
その後、車で展望所にいった。クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、女王のピラミッドの三つがきれいに見える場所だ。砂漠の中に三つのピラミッドが並び、その向こうにギザの都市が広がっている。ギザの都市のすぐ横にこれほどの砂漠が広がっていることにも驚く。その後、スフィンクスのもとに訪れた。ピラミッドに比べればかなり小さいが、かなりの存在感ではある。
それにしても、クフ王のピラミッドといい展望所といいスフィンクスといい、観光客の半分くらいが中国人といえるのではないか。大きな声でしゃべってるせいかもしれないが、すさまじい存在感。日本人らしい観光客にはめったに会わない。少し前までは、アジア人観光客のほとんどは日本人だったのだろうが、今や様変わり。昔、海外に行くと、土産物の売り子や入国の係官などに「コンニチワ」と声をかけられたが、今は「ニーハオ」と声をかけられる。あ、もしかしたら、私は日本人というよりも中国人に見えるのかもしれないか・・・。
その後、一休みして、エジプト考古学博物館見学。私は本来博物館好きではないのだが、ここは圧倒されるものばかり。5000年前のエジプト人の日用品、ピラミッドから発掘されたもの、ツタンカーメンの遺品、王たちのミイラ。それらがたった今作られたかのような姿で展示されている。しかも、王たちの装備品の装飾の美しさには目を見張る。たった一つだけ所蔵していても世界の自慢になるようなものが数百、数千と展示されている。目を見張るものばかりだった。
ホテルで一休みして、足の疲れは癒えないまま、これもガイドさんに伴われてナイル川ディナークルーズに出かけた。バイキング形式の食事をとりながら、ベリーダンスが見られるというので楽しみにしていた。客は30人程度か。テーブルについて小さな隙間に作られた空間で音楽や踊りが披露されることになっていた。
ベリーダンスは悪くなかった。若くて豊満な女性が踊り、とても魅力的ではあった。ただ、ガイドさんによるとウクライナの女性であって、エジプト女性ではないとのこと。
ひどかったのは音楽だ。ダンスの前に一時間ほど、前座というのか、男女の歌手が出て日本でも聞き覚えのあるアメリカのポピュラーソングや、エジプトで流行している歌などを歌ったのだが、アンプですさまじい音響にしてのカラオケだった。もちろん声もずっと口をマイクに近づけて最大限の音量。次に別の人たちが演奏に加わってベリーダンスが始まったので、期待したが、これまた大音響の歌付き。
ヴォリュームを半分か三分の一にすれば私でも我慢できると思うが、耳をつんざく音がずっと続くので我慢できない。大人げないかもしれないが、私の我慢の限界を超えたうるささなので、私は2時間ほどのクルーズのうち、1時間45分くらいは席を離れてデッキに行ったり、通路にいたりした。「沈黙と音の間」を聴きとるのが音楽だと思っている私には、このタイプの演奏は我慢ならない。ナイル川の川岸はネオンがあり、建物が並んでいた。夜は殺風景な建物が闇に包まれるので、美しく見える。満月に近い月がずっと見えていた。
ベリーダンスの踊り子さんは客の周りを回って客と写真を撮っていたが、もちろん私は席からすぐに離れたので、写真を撮ってもらうことはなかった。
ナイトクルーズは最悪だった(食事もおいしくなかったし、食後に別料金で注文したコーヒーは間違いなくインスタントだった!)が、ともあれ、私にとって昨日はギザのピラミッドを見て、考古学博物館をみた素晴らしい一日ではあった。
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