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オリヴェイラ監督の映画3本「夜顔」「コロンブス 永遠の航海」「ブロンド少女は過激に美しく」

 先日来、少し時間的余裕がある。大学での残りの仕事もあるし、原稿も書いているが、昨日から映画DVDを何本か見た。100歳を過ぎても意欲的な新作を発表していたポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラの名前は知っていたが、映画はこれまで見たことがなかった。3本立て続けにみたので感想を書く。

 

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「夜顔」  
2006

 オリヴェイラが9798歳のころの作品。ルイス・ブニュエル監督の1967年の映画「昼顔」の続編として作られている。もちろん、封切から少したった頃に、私は「昼顔」(Belle de jour)をみた。ただ、実はブニュエルは好きな監督ではなく、「昼顔」についても特に強い感銘は受けなかった。「夜顔」(原題はBelle toujours 「いつも美しい」とでも訳すのか?)は「昼顔」の主人公二人が30年以上後に再会したという設定。男のほうは同じミシェル・ピコリ(大好きな役者だった。昔、かなりの数の出演作をみた)、女のほうは「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーヴ(もちろん、大好きな女優だった。今でも世界一魅力的な美人女優だと思っている)ではなく、ビュル・オジエ(ブニュエルの「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」に出演していたらしいが、覚えがない)が演じている。

 特に何かが起こるわけではない。そもそも、なぜ「昼顔」の続編にしたのかもよくわからない。美しい映像、意味ありげな、しかもおかしみのある雰囲気。ドヴォルザークの交響曲第8番のコンサートで始まり、その後もこの曲が何度も聞こえてくる。そのせいもあって、親しみやすく、懐かしみのある独特の雰囲気が漂う。

飽きずに最後まで見てしまうが、結局たいしたことは起こらず、何か起こりそう・・・という予感の雰囲気だけで終わってしまう。もしかしたら、そもそもそういう映画なのかもしれない。70分ほどの映画なのでおもしろく見たが、90分もあったら、途中で退屈しただろう。

 

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「コロンブス 永遠の航海」 
2007

 1940年代、第二次大戦後にポルトガルからアメリカに移住した青年マヌエルが高齢になるまで、コロンブスの出生地を探し求める物語。地理的ではなく歴史的なロードムービーといった雰囲気。コロンブスはポルトガル人だったという説をマヌエルは追い求める。ただ、それだけの話。映像は美しいし、とても芸術的ではあるが、私としてはあまりおもしろいと思わない。熱烈なファンがいるのは承知しているが、私はあまり惹かれない。「ポルトガルは偉大な国だった」と語っているだけの、やはり100歳近い老人の時代離れした映画に思える。

 たびたび赤と緑にコロンブス時代らしい服を着た人物が幻想として現れるが、誰なんだろう。これは男性? それとも女性? それすらわからない。着ている服はポルトガルの国旗の色ということなのだろう。これはコロンブスということなのか? それとも守護天使? 私は小説や映画の謎については、解くのを得意としている人間なのだが、この映画については謎が謎のまま終わった。・・・というか、まったくおもしろいと思わず、しばしば映画から意識が離れたことを告白しておく。

 

 

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「ブロンド少女は過激に美しく」 
2009

 100歳の監督の作った映画とは思えない。青年がブロンドの女性に恋をし、苦労の末に結婚しようとするが、その女性は結婚指輪を買おうとしている時に万引きをしたために青年は結婚を取りやめる。それだけの話を芸術作品としか思えないような美しい長回しの映像によって描いていく。それなりにはおもしろいが、私としてはやはり物足りない。1時間ほどの映画なので、これ以上のことを描くのは難しいとは思うが、それにしても肩透かしにあった気がする。

 オリヴェイラの映画を3本みたが、私の好きなタイプの映画監督ではなさそうだ。あと数本見てみようかと思っていたが、これから先、惹かれる映画に出会いそうな気がしない。

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最近見たオペラ映像「アルミーダ」「恋愛禁制」「後宮からの誘拐」

 年度末になり、大学の授業も終わり、様々の行事もほぼ終わって、やっと時間的余裕ができた。いくつかオペラ映像をみたので感想を記す。

 

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ロッシーニ 「アルミーダ」201511月 フラーンデレン歌劇場

 先ごろ、アルベルト・ゼッダが亡くなった。つい昨年の12月に東京で『テーティとペレーオの結婚』を指揮したばかり。残念ながら、この日の演奏は聴かなかったが、NHKの放映をみた。89歳にしては驚くほど元気に見える。

 そのゼッダが一昨年指揮したロッシーニの初期のオペラ。METのルネ・フレミングがタイトルロールを歌った映像を見たことがある。METのものに匹敵するほど素晴らしい。

 アルミーダを歌うカルメン・ロメウがまさしく体当たりの歌と演技。第一幕では少し不安定に聞こえたが、それ以降は尻上がりによくなって美しく妖艶で恐ろしいアルミーダを歌う。最終幕は息をのむほどの迫力。リナルドを歌うエネア・スカラも伸びのある声と見事な容姿。

ジェルナンドとウバルドの二役を歌うロバート・マクファーソンの声が少しかすれ気味だが、全体的にはきれいな声。ゴッフレードとカルロを歌うダリオ・シュムンク、イドラオテとアスタロッテと歌うレオナルド・ベルナードもみごと。

そして、なによりゼッタの指揮にメリハリがあり、ドラマティックでとてもいい。演出はマリアーメ・クレメント。戦場の英雄を競技場の英雄に置き換えての演出であって、古代の魔女の話ではなくなっている。競技場の英雄が色香に迷って練習を怠っていたが、また頑張り始めた・・・といった雰囲気の物語になっていて、ちょっと拍子抜け。

 

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ワーグナー 「恋愛禁制」 2016年 マドリード王立歌劇場

 ワーグナーの最初のオペラ「恋愛禁制」をはじめてみたのは、20年近く前、東京オペラプロデュースによる上演だったと思う。なかなかおもしろいと思った記憶がある。場面はシチリア。恋愛を禁止した権力者をみんなで痛めつける話。

 何も知らずに聞いたら、ワーグナーの影響を受けてドニゼッティがドイツ語で作った、あまり成功しなかったオペラ?・・・とでも思いそう。ちょっとワーグナーっぽい。ライトモティーフらしい手法も使われる。ワーグナーのオペラのどこかで聴いた記憶のあるメロディや和音も時々あらわれる。ドニゼッティの名作といえないオペラと同じくらいに楽しめる。

 イザベラのマヌエラ・ウール、フリードリヒのクリストファー・マルトマン、ルチオのペーター・ロダール、クラウディオのイルカー・アルジャユィレクなど、歌手はそろっている。歌だけ聴くと少々不満かもしれないが、みんな容姿がいいし、演技もうまいので、映像で見ると満足できる。

 演出はカスパー・ホルテン。喜劇性を表に出し、色鮮やかでにぎやかな舞台になっている。カーニバルの場面では、わいわいがやがやととても楽しい。わかりやすくて、楽しくて、人物をうまく描いている。ホルテンの演出は、コペンハーゲンの「リング」をはじめいくつか見た記憶があるが、いずれも素晴らしかった。とてもいい演出家だと思う。

指揮はアイヴァー・ボルトン。ザルツブルク音楽祭でも何度かこの人の演奏を聴いた。地味な雰囲気だが、しっかりしたドラマティックな音楽を作る指揮者だ。とても楽しく聴けた。

 

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モーツァルト 「後宮からの誘拐」1980年 バイエルン国立歌劇場

 昨年、グルベローヴァ来日の際、まだ見たことのないグルベローヴァのDVDを探している際にこのオペラを見つけて購入していたが、そのままになっていた。指揮はベーム。ベルモンテのフランシスコ・アライサ、オスミンのマルッティ・タルヴェラ、ブロンデのレリ・グリストなど、70年代、80年代のオペラに親しんだ人間には実に懐かしい顔ぶれ。

ただ、今聴くと、アライサとグリストはちょっと不安定。ペドリッロ役のノルベルト・オルトも弱い。しかし、タルヴェラは堂々たる声でさすが。やはり圧倒的なのは、グルベローヴァ。若々しく張りのある声で、コロラトゥーラに輝きがある。一人だけ図抜けている。

演出はアウグスト・エファーディング。現代からすると、あまりに何事もない。ベームの指揮については、冒頭部分は軽やかでしなやかで素晴らしいが、後の法で少しもたついている部分を感じた。とはいえ、オーケストラの演奏は全体的にとても満足。

 

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METライブビューイング「ルサルカ」 まるでワーグナーのようにドラマティック

東銀座の東劇でMETライブビューイング「ルサルカ」をみた。あっと驚く演奏と演出だった。私の考えている「ルサルカ」とかなり異なっていたので初めは戸惑ったが、最終的には納得し、大いに感動した。

まずマーク・エルダーの指揮によるオーケストラの音に驚いた。私のこれまで聴いてきたメルヘンっぽい音楽ではなく、濃厚なロマンティシズムを感じさせる。インタビューでエルダー自身が語っていたが、まさにワーグナーの影響の強さを感じさせる音楽。ドラマティックで鋭利でもある。しかも、メアリー・ジマーマンによって進んでいくストーリーは、愛に一途ではあるが、愛する人を死へと引きずり込む魔性の女の物語でもある。私の「ルサルカ」のイメージが大きく転換させられた。

ルサルカを歌うのはクリスティーヌ・オポライス。数年前にメトロポリタン歌劇場のライブビューオングで見たルネ・フレミングの歌うのとはまったく異なって、激しさ、暗さを表に出したドラマティックな歌唱。まるでサロメかクンドリのような雰囲気。声、そして声の表現力に加えて演技も見事、容姿もあまりに美しい。王子のブランドン・ジョバノビッチも見事な声。オポライスに匹敵する。

イェジババのジェイミー・バートンもヴォドニクのエリック・オーウェンズもエネルギッシュで凄みを感じさせる歌唱。そしてなにより外国の王女カタリーナ・ダライマンがとてつもない声を聴かせてくれる。現代考えられる最高の布陣だろう。妖精たちを含めて、登場する歌手全員が見事に歌い、見事に演じる。そして、ダンサーなどの黙役も最高のパフォーマンス。森の中も城の中も舞台装置も存在感があり、色彩的にも芸術そのもの。

第三幕は感動に震えた。ルサルカは王子を死へといざなう。まるでトリスタンとイゾルデ。指揮のエルダーも演出のジマーマンも間違いなくそれを意識していただろう。死の中で結実する愛を歌い上げる。しかも、それは幸せな未来を歌うのではなく、暗い情念、現実の生からあふれ出る激しい生を含んでいる。ルサルカと王子の歌唱は素晴らしかった。

なるほど、このオペラをそう捉えることもできる。このような解釈を、贅沢な舞台装置を使って楽しいパフォーマンスにしてしまう演出家、演奏家の力量、そしてメトロポリタン歌劇場の実力に感服した。

「ルサルカ」はかなり好きなオペラだ。30年以上前、ルチア・ポップの歌うアリア集のCDで「月に寄せる歌」を知って、その後、全曲盤CDも何組か購入、プラハ国立歌劇場(だったかな?)の日本公演もみたし、新国立劇場での公演もみた。が、モーツァルトの「魔笛」やヤナーチェクの「利口な女狐の物語」をみるときと同じような「わからなさ」を常に感じてきた。私の頭の中でストーリーがうまく整理できない。それぞれの人物が何を狙っているのか掴めない。場面のいくつかに整合性がないように思える。ルサルカの歌う「月に寄せる歌」と父ヴォドニクが第二幕歌うアリアのメロディがあまりに似ているのも不思議な気がする。不思議なところだらけのオペラだった。

 今回、ライブビューイングをみて、ヒントをもらった気がする。ただまだよくわからない。もう一度、対訳をよく読んで、私なりに整理してみたい。

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最後の卒業式、そしてジョルダーナ監督の映画4本「輝ける青春」「ペッピーノの百歩」「13歳の夏に僕は生まれた」「狂った血の女」

 2017320日、多摩大学経営情報学部の卒業式(正確には、「卒業のつどい」と呼ばれている)が行われた。私が指導したゼミ生5名(そして、かつてのゼミ生1名)がめでたく卒業した。今回の卒業生は新居由佳梨ピアノリサイタル、海治陽一フルートリサイタル、戸田弥生・野原みどりデュオコンサート、石田泰尚・山本裕康・諸田由里子コンサートなどいくつものコンサートを企画運営し、成功に導いてくれた。3月で退職する私には最後の卒業式であるだけにいっそう感慨深い。ゼミ卒業生に花束をもらった。ありがたいことだ。

式の後のパーティで、私たちのゼミは今年度顕著な成果を上げたということで学部長賞をいただいた。これもありがたい。

1週間ほど前から少し時間的余裕ができて、DVDで映画を見ていた。ジョルダーナ監督の映画4本の感想を記す。

 

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「輝ける青春」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2003

 オペラ演出家の三浦安浩さんに薦められてみた。6時間を超すイタリア映画。ストーリーとしては、マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」を思い出す。下敷きにしているのかもしれない。

中産階級の兄弟を中心にした物語。精神障害の女性と触れ合った経験を契機に二人は別の道を歩み始める。兄は真面目な優等生で医者になる。社会の理不尽に怒りつつも現実社会と折り合いをつけながら生きていく。弟は人生に疑問を持ち、社会の理不尽への怒りをうまくコントロールできずに苦しむ。映像があまりに美しい。そして、監督の演出力によるのだろうが、すべての役者の演技が素晴らしい。泣く表情、笑う表情、感情をコントロールできなくなる仕草がリアルで心に刺さる。とりわけ、弟(マッテオ)の自殺したあたりから、私は胸を打たれ、涙を流し、息をのみ、登場人物とともに人生を感じながら見入った。

いろいろなことが起こる。世代にまたがって時代は動く。人はそれに翻弄されながら時代を作っていく。そして、世代が変わり季節が変わる。人生は悲しいことだらけ。しかし、人生のすべてが美しい。それをしみじみと感じる。

 

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「ペッピーノの百歩」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2000

「輝ける青春」があまりに素晴らしかったので、同じジョルダーナ監督の映画を見てみた。これもとてもいい。シチリアのマフィアの一家に生まれたジュゼッペ(愛称がペッピーノ)が、マフィアの抗争で殺されたのを機会に反マフィアの共産党員になって活動し殺されるまでの物語。1970年代の実話だというが、イタリア国内でも有名な人物ではないらしい。「輝ける青春」の兄を演じたルイジ・ロ・カーショの主演。英雄視するのでなく、悩み、傷つき、青春の行き過ぎもあった青年を等身大に描く。演出も大げさではなく、抑制的。映像がとても美しい。マフィアを単に悪者として描くのでなく、それなりの言い分のある人間的存在として描いているところも素晴らしい。

 

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13歳の夏に僕は生まれた」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2005

 これも傑作。中産階級の何不自由なく育った13歳の少年サンドロは父やその友人とギリシャの海でヨット・クルーズをしているとき、海に投げ出され、九死に一生を得る。その時、助けてくれたのが不法移民の乗る密航船であり、その船で力を貸してくれたのがルーマニア人の若者ラドゥと少女アリーナだった。それを機会にサンドロは別の世界を知り、きれいごとではいかない社会を垣間見る。サンドロの両親は息子を助けてもらったお礼に二人を手助けしようとするが、裏切られる。サンドロはアリーナから電話をもらって愛に行くが、そこでみたのは娼婦として暮らしているらしいアリーナだった。・・・・

 恵まれた少年が理不尽な社会に痛めつけられる人間を知って目覚めていく・・・というのは「輝ける青春」とも「ペッピーノの百歩」とも共通する。純粋な少年の目から見た社会のゆがみが鮮烈に描かれる。映像が実に美しい。誰も必死に生きようとするし、誰もがそれなりに誠実なのだが、社会のゆがみの中ではどうにもならない。

 

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「狂った血の女」 マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督 2008

 1930年代に活躍した実在のスター俳優オズワルド・ヴァレンティ(ルカ・ジンガレッティ)とその愛人であり人気女優でもあるルイザ・フェリーダ(モニカ・ベルッチ)がファシスト政権に協力し、パルチザンに処刑されるまでを描く。第二次大戦前後のイタリアの混乱の中、権力に巻き込まれながら、愛とエロスとドラッグにまみれながらも、必死に生きるが、ファシスト政権下のねじれた状況の中ではどうにもならない。「輝ける青春」のマッテオ役のアレッシオ・ポーニ演じる映画監督ゴルフィエロ(ルキノ・ヴィスコンティをモデルにしているが、架空の人物らしい)がとても魅力的。

 B級映画風のタイトルだが、むしろ本格的な現代史映画だ。時代に翻弄される人間の生きざまとしてとても刺激的でおもしろい。ルイザを演じるモニカ・ベルッチは肉体派女優として有名だが、確かに魅力的。ただ、主役のヴァレンティを演じるルカ・ジンガレッティは演技は見事ながらスター俳優らしいオーラを感じない。演出上の意図があるのか、それとも実在のヴァレンティがこのような雰囲気の人物だったのか。これについては納得できなかった。

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新国立「ルチア」 オルガ・ペレチャッコにただただ驚嘆

2017318日、新国立劇場で「ルチア」をみた。とてつもないルチアだった。声の饗宴に圧倒された。

 ルチアを歌うオルガ・ペレチャッコ=マリオッティ(ちょっと前まで、単にオルガ・ペレチャッコと呼ばれていたと思うが、今回、名前のうしろに「=マリオッティ」が加わっている!)がものすごい。前半は抑え気味だったと思う。少しも声を張り上げない。だが、それでも美声がビンビンと響きわたる。音程が完璧で、声のコントロールも素晴らしい。清らかで繊細で知的な歌いまわし。

 私はこの人の「四つの最後の歌」をフランスのナントでのラ・フォル・ジュルネで聴いた記憶がある。2011年のことだ。その時、初めてペレチャッコの名前を知り、その力量に驚いたのだった。あれから6年。押しも押されもしない大歌手になっていた! 狂乱の場などただただ圧倒され、驚嘆して聴くばかりだった。狂乱の場に入る少し前だったと思うが、2回ほど声のかすれが聞き取れたので少し心配したが、最後まで見事な声で歌い切った。すごい!

 エドガルドのイスマエル・ジョルディも素晴らしい声。エンリーコのアルトゥール・ルチンスキーもそれに全く劣らない。主役格の三人の外国人歌手は世界最高といえるのではないか。これ以上の「ルチア」は世界でもなかなか聞けないだろうと思った。

 日本人歌手たち(ライモンドの妻屋秀和、アルトゥーロの小原啓楼、アリーサの小林由佳、ノルマンノの菅野敦)も健闘していたが、三人の外国人歌手に比べると、やはりかなり分が悪い。それほどまでに三人、とりわけオルガ・ペレチャッコ=マリオッティは圧倒的だった。

 オケは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮はジャンパオロ・ビザンティ。手堅くまとめている様子。東フィルもとても素晴らしかった。第一幕では少し歌と合っていないところがあったが、その後、どんどんと調子を上げてきた。演出はジャン=ルイ・グリンダ。CGを使ったきれいな舞台だった。ルチアはアルトゥーロを殺した後、その生首を槍にさして登場。ここまで血なまぐさい演出は初めてみた気がする。

 狂乱の場でふだんはフルートで演奏されるルチアの伴奏をグラスハーモニカ(というか、正確にはヴェロフォンというらしい)で演奏された。音程が不安定で、いかにも狂気じみている。

 オルガ・ペレチャッコ=マリオッティの繊細な美声が今も耳に残っている。

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エリシュカ+札響のブラームス 感動に震えた

 2017314日、東京芸術劇場で札幌交響楽団東京公演を聴いた。指揮はラドミル・エリシュカ・曲目は、前半にメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」とシューベルトの交響曲第5番、後半にブラームスの交響曲第1番。

 エリシュカは大好きな指揮者の一人だ。以前から札響との名演奏の様子を伝え聞いていたが、2010年に東京フィルとの演奏による「新世界」を聴いて驚嘆。それ以来、東京公演はできるだけ聴くことにしている。今回も予想にたがわぬ素晴らしい演奏。何度も何度も感動した。

 きわめてオーソドックスな解釈だと思う。遅めのテンポでじっくりとしっかりと鳴らしていく。地に着いた音。本物だけが持つ響きとでもいうか。札響の音も実に美しい。弦楽器も美しいし、オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットがとてもいい。あわてず騒がずに音楽が展開され、渋くてロマンティックで暖かくて芯の強い響きが広がっていく。

「フィンガルの洞窟」が始まった時、あまりにじっくりとした足取りだったので、メンデルスゾーンらしくなかった。エリシュカのメンデルスゾーンを聞くのは初めてだったので、もしかしたらエリシュカはメンデルスゾーンには向いていないのかと思った。だが、聴き進むうちに納得する。地道でしっかりした足取りのメンデルスゾーンがあってもいい。これも確かにメンデルスゾーンだと思える。タメを作ってスケール大きく演奏するが、それがこけおどしに聞こえない。シューベルトの第5番も一歩一歩確かめるような演奏。確かに若々しさはないが心に染み入る。

 やはりブラームスが圧倒的に素晴らしかった。スケールが大きく、広がりがある。ホルンから何度か妙な音が聞こえたのが気になったが、全体的には札響の音の美しさに改めて驚いた。しなやかで深い音。エリシュカの出したい音を出している。とりわけ第4楽章は圧巻。感動に震えた。

 アンコールはドヴォルザークの「ユモレスク」。アンコールだからということだろう、表情を強調してメリハリをつけた演奏。だが、音がしっとりしているので、少しも大袈裟にならないところがさすが。

 エリシュカは巨匠だと思う。本当に良い音楽を聴かせてもらった。

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風の丘HALL「マノン・レスコー」 かなり感動してしまった・・・

 2017312日、千葉市にある風の丘HALLで、「マノン・レスコー」をみた。素晴らしい上演だった。

 風の丘HALL85席のオペラ劇場で、ピアノ伴奏ながら、日本最高レベルのオペラ公演を続けている。今回もこれまで同様の高いレベル。これだけのレベルを毎回続けることはまさしく驚異だと思う。

 何を隠そう、私はかなりのプッチーニ嫌いだ。だから、このオペラもこれまで一度もきちんと見たことも聴いたこともない(何度か録音を聴き始めたり、映像を見始めたりしたことはあるが、いつも途中でやめてきた)。今回も楽しめないのではないかと少々心配だった。が、見ているうちにぐいぐいと引き込まれていった。

 デ・グリューの上本訓久は素晴らしく張りのある声。第3幕は圧巻だった。マノン・レスコーは平野雅世。弱音を上手に使って迫力ある歌唱。レスコーの飯田裕之はドスの効いた深い声で、憎たらしい遊び人を上手に演じていた。ジェロンテの松山いくおは歌も見事だし、演技者としても超一流。エドモンドの笹岡慎一郎、旅籠の主人の小幡淳平も安定している。小さい劇場なのだから、こんなに声の威力にものを言わせようとしなくてもよかろうと思わないでもないが、ともかく力演が続く。第三幕の娼婦の名前が読み上げられながら歌われる四重唱はとりわけ素晴らしかった。

ピアニスト伴奏は村上尊志。聴いているうち、私が嫌いなのはプッチーニのオーケストレーションであることを確認した。つまり、ピアノ伴奏だと、それほど気にならない。ただ、私には演奏について語る資格はない。

演出は三浦安浩。このオペラについて私はほとんど何も知らないので、ただ感心してみていただけだった。舞台背景に女性の写真が並べられているので何かと思っていたら、第三幕で登場する娼婦たちという設定だった。その中に一枚だけ、現代の女性ではない彫像のような写真が紛れ込んでいた。もしかしてマグダラのマリア? マノンを現代のマグダラのマリアにみたてているということだろう。愛を貫き、何度か裏切りながらも最後には若い時代のデ・グリューへの愛に殉じた聖女ということなのか。マノンはしばしば手鏡を見る。そこに青春の輝きをみるかのように。

あろうことか、このプッチーニ嫌いの私が、第三幕以降は感動し、夢中になってみた。プッチーニ嫌いでなければ、きっともっと感動したのだろう。

とはいえ、やはりプッチーニには納得できないところがたくさんある。音楽によって情緒に訴えかけられる気がして私としてはどうも居心地がよくない。それに台本にも大きな欠陥がある気がする。かなり感動しながらも、きっと私がプッチーニ好きになることはなさそうだとは改めて思った。

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拙著『バカに見られないための日本語トレーニング』のこと

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 少し紹介が遅くなった。今月初めに書店に並んだはずだ。

 通常の会話やメールで、自分でも気づかないうちに失礼な日本語を使ったり、愚かな言い方をしたりしている人が多いのではないだろうか。本音を言って相手を怒らせたり、セクハラめいたことを言ったり。

『バカに見られないための日本語トレーニング』(草思社)は、ビミョウなことを言うとき、どのように言えばうまく収まるか、相手を立てるとき、どう書けば相手の心に伝わるか、抗議するとき、どう表現すれば相手をグサリとやり込められるか、目上の人に向かって「あなた」を言わざるを得ない時、どうすればそれを避けられるか。そのようなテクニックを満載したトレーニング集だ。

 カラオケで下手な歌を歌った上司にどう声をかける? 女性のバストをほめたくなったらどう言えばいい? スーパーで購入した商品が不良品だったために取り換えを要求するときどうすればすんなりいく? 「吾輩は猫である」を「である・だ・です」を使わないで同じ意味にするにはどうすればいい? 上司に向かって「あなたと一緒に行きたい」といいたい時どう表現する?  そんな表現を練習する。

 今、正しい日本語を使うための本は近年かなり出ている。だが、これは、そのような目的ではなく、もっと実用的でもっと役に立つトレーニング集だ。相手を怒らせず、相手にバカと思われず、それどころか、相手の心を動かして上手に生き抜いていくための表現の練習を主として行っている。

 本書はトレーニング集だが、読んで面白いことを心がけた。問題を解きながら、ニヤリとしてほしいと思っている。興味がある方がおられたら、ご一読をお願いしたい。

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松尾俊介 ギターによる超名曲リサイタル 繊細な素晴らしい音楽と軽妙なトーク

2017310日、中野区の西武新宿線沿線にある野方区民ホールで松尾俊介ギター・リサイタルを聴いた。野方WISフライデー・コンサートの一環。超名曲選とのことで、有名曲のオンパレード。素晴らしかったし、とても楽しかった。

 私はギターをほとんど聴かない。縁あって、多摩大学樋口ゼミのコンサート活動でギターの演奏をお願いすることになって松尾さんを知った。同時に、ギターの魅力も知った。その素晴らしい技巧と繊細で知的な音楽づくりに魅せられて、それ以来、樋口ゼミで合計4回、演奏をお願いした。松尾さんのギター・リサイタルにも何度か出かけた。

 最初の曲はダウランドの「涙のパヴァーヌ」。この出だしから、繊細な松尾さんのギターの世界に引き込まれた。松尾さんはトークの愉快な若い関西人なのだが、奏でる音楽は実に繊細で知的。奇跡の指とでもいいたくなる。人生そのものを感じさせるようなしなやかでやさしくて美しい音が出てくる。アルベニスの「アストゥリアス」、タレガの「アルハンブラの想い出」、バッハの「シャコンヌ」、メルツの「ハンガリー風幻想曲作品65-1」。超絶技巧も、ひけらかすのでなく内面の思いが外に開放されるのを感じる。強い音、激しい音も我を忘れるのでなく、知的に内面を通した音楽になっている。

 後半は武満徹編曲による「早春譜」から始まった。松尾さんは武満にぴったりだと改めて思った。俗っぽい曲も武満編曲になると独特の陰りとやさしさと細やかさをもつ。それを松尾さんのギターは完全に再現してくれる。

 ポンセの「スケルツィーノ・メヒカーノ」、ディアンスの「サウダージ 第3番、第2番」やジョビン作曲ディアンス編曲の「フェルシダージ」も素晴らしかったが、やはり私は最後の2曲ビジョルド作曲ディアンス編曲の「エル・チョクロ」とディアンスの「タンゴ・アン・スカイ」に大いに感動した。松尾さんの「タンゴ・アン・スカイ」を聴くのは確か3度目だが本当に素晴らしい。心の思いを音楽にしているのがよくわかる。

 アンコールの最後にこれぞ定番の「禁じられた遊び」。聴衆には高齢の方もかなりおられた(若い方も多かった。うれしいことだ!)、この世代のほとんどはこの曲でギターの魅力を知ったはずだ。ただ、残念ながら、アンコールの途中から、おそらく誰かの補聴器が耳から外れのだろう、私のすぐ後ろで電子音が響き始めて、私としてはかなり気になった。

 とはいえ、トークもおもしろく、笑いが起こり、音楽的にも素晴らしいコンサートだった。

 私は1970年の3月末から8月までの5か月間ほど、西武新宿線沿線の沼袋近くの寮に住んでいた。父の勤め先に関係のある寮だったが、共同生活になじめずにすぐにそこを出て一人暮らしを始めたのだった。野方は沼袋の隣駅。もちろん45年前とは何もかも違っている。が、昔と似た雰囲気は残っている。久しぶりに西武新宿線の雰囲気を味わった。懐かしい思いを抱きながら自宅に帰った。

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映画「FAKE (フェイク)」のこと、佐村河内守、新垣隆、森達也のこと

 

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 2月締め切りの原稿を終えて、少しだけ時間的な余裕ができた。

 私は佐村河内守氏のいわゆるゴーストライター騒動にかなり関心を持っていた。森達也監督が佐村河内氏を取材したドキュメンタリー映画を作ったというのでとても楽しみにしてDVDをみた。とてもおもしろかった。

 様々な捉え方があるだろうが、私はこの映画の中の佐村河内氏をまったく信じない。佐村河内氏は、自分は音楽を愛しており、あの有名になった交響曲第1HIROSHIMAなどは新垣さんとの共作であって、半分は自分が作っていると主張する。また、本当に耳が不自由であって、ほとんど聞こえないのだという。

だが、本当に聞こえないのなら、あのような自然な話し方ができるはずがない。耳がほとんど聞こえない人であれば、あのような行動をとるはずがない。映画の中に本当に聞こえない人が出てくるが、話し方が佐村河内氏とまったく異なる。

それなのに、自分の奥さんに対しても、耳が聞こえないふりを続ける。奥さんもおそらく本当のことを知っている(あるいは感づいている)はずなのに、夫を信じるふりをして、いちいち手話を交え、ほかの人の話しを佐村河内氏に向かって通訳のように繰り返す。そして、風評の被害者として苦しむ姿を訴える。ほとんど茶番。そして、森監督もまた佐村河内氏を信じているふりをする。そうしなければ、取材させてもらえないだろうから当然だ。

これは、耳の聞こえない音楽家のふりを続ける佐村河内氏と、それを信じるふりをする奥さんと森監督の三者のフェイク(見せかけ。ふり)の映画だ。森監督のしたたかさに脱帽。最後の最後、森監督が佐村河内氏に向かって、「僕に今、嘘をついたり隠したりしていることはないですか」とたずねる。そこに森監督の真意が現れる。だが、それもまたフェイクかもしれない。その二重性、三重性がおもしろい。

 映画の後半に出てくる外国人のインタビュアーの突っ込みが本質を突いている。彼らは、本当に過去の曲に深く関与したのならこの場で新垣さんに指示したというメロディを鍵盤で弾いてみてくれと佐村河内氏に依頼する。森監督からも、「本当に音楽にあふれているのなら作曲をするはずなのに、取材中そのような様子がないではないか」と指摘される。そこで思い立ったのだろう、佐村河内氏は最後になって、シンセサイザーを購入して自分の曲を作って披露する。おそらく、現在のシンセサイザーは驚くほど高性能なのだろう。佐村河内氏はそれを使いこなすだけの技術は持っているのだろう。それなりの音楽にはなっている。

が、かつて佐村河内作曲として実際には新垣さんが作曲していた曲、そして、昨年、新垣さんが発表した新曲、交響曲「連祷」やピアノ協奏曲「新生」とあまりにレベルが違う。まさしく素人の慰みレベル。なんだ、佐村河内が示していたとされる音楽の設計図では、このようなつまらない曲しかできないではないか!と私は思った。これでは、むしろ、かつてのゴースト曲に佐村河内氏の関与がいかに少ないかを示している。この曲で佐村河内氏は馬脚をあらわにしたと私は思う。

DVDの解説に様々な人のコメントが寄せられている。その中に、佐村河内氏の純粋さ、音楽性を信じたと思われるコメントがいくつもある。その人たちはきっとこの佐村河内作曲とされるシンセサイザーの曲をいかさまのひどい曲だと感じなかったのだろう。その人たちは、佐村河内氏と奥さんの行動を美しいと感じたのだろう。

この映画は、見ている人をまさしく「信じる人・信じない人」に分ける。「根は善人であるが何よりも辛辣な観察者である」と自認している私は、もちろん「信じない人」の側にいる。そのような意味でも大変おもしろかった。

 

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 ついでに、CDの感想も加える。

新垣隆作曲の交響曲「連祷」とピアノ協奏曲「新生」。新垣さん自身の指揮とピアノ、東京室内管弦楽団の演奏。素晴らしいと思った。HIROSHIMAも悪くないと思ったが、こちらの2曲のほうがずっといい。何よりも、とてつもない技術に驚く。バッハ以来の音楽技法の様々をうまく取り入れ、見事に使いこなす。まさしく天才。しかも、汚名を晴らしたいというのか、新たに生きたいというのか、真摯な思いが伝わる。

新垣さんにとって、佐村河内のゴーストをしたことは間違いなく成長につながったのだと思う。まさしく「佐村河内」のふりをし、ベートーヴェンよりももっと苦悩する人間のふりをして作曲した経験が、新垣さんに交響曲とは本来何か、協奏曲とは本来何かを教えたのだと思う。世界の中の小さな自分を意識していたら交響曲も協奏曲も書けない。宇宙を担っているふりをし、神のような存在になり替わった意識を持ってこそ、そのような曲が書ける。新垣さんはゴーストをすることでそれを身に着けた。そして、おそらくその後の騒動における体験、テレビでちやほやされての体験も間違いなくプラスになっている。

新垣さんが、現代の素人も感動できる交響曲・協奏曲を次々と作曲してくれるのを願っている。

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