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METライブビューシング「椿姫」 見事だったが、私好みではなかった

 東銀座の東劇でMETライブビューシング「椿姫」をみた。

 ヴィオレッタはソニア・ヨンチェヴァ。話には聞いていたが、私は初めて聴いた。かなり厚めの、どちらかというと「ドスのきいた声」。豊満で魅力的な容姿とともに一つのヴィオレッタ像を作っていると思う。演出によるのだろうが、第一幕では投げやりな表情、その後もずっと暗い顔をしているが、私としては少なくとも第二幕の途中までは可憐で華やかな表情であってほしい。そうでないと、観客としては第一幕のヴィオレッタの歌に乗れない。

 アルフレードのマイケル・ファビアーノもとてもいい。端正な声と若々しい容姿で役がらにぴったり。強い声も素晴らしい。

 私は前半、今回の上演をあまり楽しめなかった。ジョルジュ・ジェルモンを歌うトーマス・ハンプソンらの主役以外の人たちの歌唱がかなり不安定で、主役を盛り立てられなかった気がする。ハンプソンにはこれまで何度も見事な声を聴かせてもらったが、歳に勝てないと見えて、声は伸びず、低音の音程も不安定。とても悲しい思いがした。

 演出はヴィリー・デッカー。以前、ザルツブルク音楽祭でネトレプコとヴィリャゾンの出演で話題になったのと同じ演出だ(もちろん、私はDVDを持っている)。人生の残り時間を象徴する大きな時計、生命を象徴する赤、死を象徴する白、生と死の両立を象徴するピンクの椿、ワルツを示す円形(ワルツとかかわることは本編内部のデッカーのインタビューで初めて気づいた)、死神のように第一幕から黙役として登場するグランヴィル医師。ただ、この演出についても、白い舞台の上で礼服を着た合唱団が抽象的な動きをして、生と死のせめぎ合いを行うのは、舞台の華やかさを消してしまうので、第一幕の華やかさを出せない。もちろん、演出意図によってそうしているのだろうが、私としては、やはり第一幕は華やかでないと、生と死というテーマも薄れてしまうように思うし、薄幸のヒロインへの感情移入というイタリア・オペラには大事な要素がそがれる気がする。

 とはいえ、第三幕はさすがに感動的。おそらく演出は最後にすべてを結集するつもりでこのように組み立てたのだろう。第一幕では厚みのありすぎるヨンチェヴァの声に違和感のあった私も、ここでは涙を流して聴いた。

 指揮はニコラ・ルイゾッティ。時々、ぞっとするほど精緻でドラマティック。ただ、全体としてはまとまりの悪さを感じたのだが、私だけだったのか。時々、妙に力が入りすぎる気がした。

 全体として、さすがMETというべきレベルの高さで素晴らしい上演だった。だが、華やかさを抑制し、死を真正面から取り上げようとする異化効果的な演出であるせいもあって、私の好きなタイプの「椿姫」ではなかったように思う。

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