多摩大学退職、そして2泊3日のバンコク旅行
私は昨日(2017年3月末日)をもって正式に多摩大学を定年退職した。本日からは、多摩大学教授ではない。名誉教授という称号をいただき、客員教授としても多摩大学にかかわり、また多摩大学の入試業務のお手伝いもするが、ともあれ大学組織の専任の教授ではなくなる。多摩大学はとても居心地がよく、職場としては最高の大学だったのだが、それでも、それまで組織に属したことのなかった私としてはかなり窮屈だったという思いがある。それから解放されて自由に生きていけるのは実にうれしい。これからは、私が塾長を務める小論文作文の通信添削塾・白藍塾の仕事をし、東進ハイスクールで小論文指導をし、原稿を書いて過ごすことになる。
ところで、退職後は思い切り羽を伸ばして、昔のような自由で楽しい一人旅を楽しみたいと思っている。母の健康状態がよくないので旅行期間はあまり長くとれないが、毎月のように海外に行きたい。その一環として2月にはカイロに行ったが、3月28日から2泊3日でバンコクに行った。
バンコクは大好きな都市だった。最初に訪れたのは1984年。1週間ほどバンコクで過ごした記憶がある。まだ途上国の貧しさを強く残し、貧困と不潔と犯罪と人のやさしさと信仰心と聖なる建物や人々が入り混じる場所だった。その都市の魅力を味わいたいと思って、それからも何度か旅行した。最後にバンコクを訪れたのは1997年、ラオスを主目的にした旅行の中継地として前後1泊ずつしたように覚えている。それからしばらくするうちに、バンコクへの愛を忘れかけていた。今回は20年ぶり6回目のバンコクになる。昔歩いたところを歩き、昔みたものをもう一度確認したかった。
ただ、初日に計画の無謀さを痛感。気軽に考えていたが、なんとバンコクまで飛行時間は7時間を超す! 到着までに疲れた。17時半ころに到着したので、さっさとタクシーでホテルに行って、少し夕方の散歩を楽しもうと思ったら、道路が大渋滞していて、ホテルに着いたのは19時半ころだった。ただ、1時間半くらいタクシーに乗っても350バーツ(1000円ほど)しかかからないのはありがたい。結局、1日目は移動に費やしただけ。3日目も同じ。朝の9時半にホテルを出て、日本到着は20時半ころだった。バンコクを見るのに使えたのは2日目だけだったが、その日も列車は1時間近く遅れるし、車は渋滞するしで、満足な観光もできなかった。少なくとも、バンコク旅行には3泊4日、できれば4泊5日以上は必要だと実感。感想を簡単にまとめる。
・暑いには暑かったが、猛暑というほどではなかった。数日前まで最高気温が36度くらいあったようだが、暑いときでもせいぜい31、2度でなかったかと思う。熱くて耐えられないほどではなかった。ホテル内やレストランなどでは冷房が完備されていて、ホテルのレストランで朝食をとっている間は寒いほどだった。きっと、冷房を効かせるのが高級である証なのだろう。
・街のあちこちに昨年10月に崩御されたプミポン国王の遺影が飾られていた。大きな駅などには、記帳し、お祈りする場が設けられている。ふだんの生活を見ていないのでよくわからないが、黒い服を着ている人が多いのは間違いないと思う。電車に乗った時、乗客を見たら、明らかな外国人を除くほとんどの人が黒いシャツを着ていた。とはいえ、もちろんスーツなどの暑苦しい喪服を着ているわけではない。
・空港からホテルに向かう間、見違えるような発展ぶりを実感した。巨大なビルがあちこちに立ち、工事中の場所も多く、東京と変わらないような現代的な建物が見える。高速道路も整備され、通っている車も日本製が多い。30数年前のバンコクのような、あるいは2月に訪れたカイロのような、ポンコツばかり走っているという状況ではない。日本とほとんど変わりがない道路の光景。
・ホテルもスクムウィット通り近くのおしゃれな界隈にあった。ブランドの店が入った商業施設、高級ホテル、オフィスなどが立ち並ぶ。日本と変わらないどころか、日本よりもおしゃれかもしれない。通っている人もファッショナブルな人や外国人が多い。コンビニ(セブンイレブンばかりが目についた)もたくさんある。
・ただ、しばらくいるうちに、途上国的な要素はだんだんと見えてきた。ともかくどこも渋滞! 公共交通システムの整備によって渋滞が減ったと聞いていたが、相変わらずの渋滞。有名な場所に行こうとしているのにタクシーの運転手が道を知らない! 列車が1時間遅れる! 発車時刻を紙に書いて切符を買ったのに、指定したのとは異なるチケットが渡される! 地下鉄の切符購入、ホテルのフロント手続きなどに長い時間がかかる、係の人に質問しても無責任な答えが返ってくる、などなど。ハードは現代の最先端に近いものがたくさんあるが、ソフトはそれに追いつかないということだろう。
・2日目、国鉄フアラムボーン駅に行った(昔、クルンテープ駅と呼んでいた)。いわばバンコク中央駅だ。多くの建物や施設が新しい現代的なものに建て替えられているのに、ここは少しも変わっていなかった。33年前もここをウロウロした。20年前、ここからラオスのビエンチャン行きの列車に乗った。薄暗くて、昔ながらのベンチがあり、木で作られた切符売り場の窓口がある。駅周辺もトゥクトゥクが集まり、行商の人が小さな店を出してお菓子や飲み物、野菜などを売っている。昔ながらの猥雑さがある。ただ、どうやら駅の再開発が進んでいるようで、列車から鉄道整備をしているらしい工事があちこちに見えた。
・列車はいずれもかなり古い。清潔ではない。日本ではもう走っていないと思われるような旧式のポンコツといってよいような車両ばかりだ。12番線まであるターミナル形式の駅で、ホームには人が待っており、列車が入ると次々と人が乗り込む。言葉がわからないせいでもあるが、表示らしいものがないので、どこで列車を待てばよいのかよくわからない。駅では橙色の袈裟を着たお坊さんをみかけた。
・アユタヤに向かうのにエアコン付きの2等車(1等車はそもそもこの線にはなさそうだった)を予約しようとしたら、窓口の女性に「ない」と言われた。満席かと思っていたら、どうもその列車には2等車がついていないようだった。3等車でアユタヤに向かった。それほどの暑さではないし、風があるので不快ではない。帰りは2等車が取れた。エアコンは効いていたが、窓ガラスが汚くて外が見えなかった。なお、3等車は20バーツ。2等車は245バーツ。快速で1時間半ほど乗って20バーツ(約60円)という安さにも驚きだが、3等車と2等車の値段の差にも驚く。低所得者に乗りやすいようにしているということなのだろう。なお、アユタヤ行きの列車は1時間以上遅れて出発したので、その日の予定がかなり狂った。
・列車から見える線路沿いの光景は、高速道路やホテルから見える光景とはまったく異なり、33年前と重なった。壊れかけた家、コンクリートを打った上に汚いテーブルとガタピシしていそうな丸椅子を数脚置いただけの食堂。そこで半裸だったり、下着姿だったりの庶民が食事をしたり話をしたりしている。高床式のあばら家もあちこちに見える。列車が出発して30分ほどたつと、あたりは田園風景になった。
・ここでも経済格差は広がっているようだ。一部の富裕層と、現代的な生活をして日本と大差のない生活を享受している中間層、そして、昔ながらの熱帯の人々の生活をしている低所得層。ただ、今にも朽ちそうなごみのような家にも衛星テレビの丸いアンテナが見える。
・アユタヤでは、レンタル自転車で遺跡を回った。ただ、もらった地図がわかりにくく、しかも遺跡はすぐ近くだとばかり思っていたら、川が横切っているために遠回りをし、坂を通らなければならなかった。迷子になったうえ、運動不足の身には少々こたえた。ワット・マハータート、ワット・ラチャブーラナなどをみた。かなり暑かったが、途方もない酷暑というほどではなかった。ワット・ラチャブーラナの裏の野原では、綿のようなものが風に飛ばされて、雪のように降っていた。幻想的な風景だった。なんという植物か知らないが、枝豆くらいの形状の黒っぽい木の実が割れて、綿のようなものが飛び出しているのだった。
・1日目、2日目ともに夜はホテル近くの「イータイ」という施設で夕食をとった。現代的なおしゃれな商業施設の地下にある大きなレストランだが、屋台のようなブースがいくつもあり、そこで自由にオーダーして、入場の際にもらったカードに記録された料金を支払うシステム。清潔でおしゃれな屋台の集合体だ。味もとても良かった。値段は日本円で1000円もあれば、ビールを飲み、主食とつまみを取ってお腹がいっぱいになる。客の中には観光客らしい人も多かった。きっとここは、タイの中ではかなり高級でおしゃれな店なのだろう。衛生面を考えて屋台で食べるのは少しためらうという観光客にはもってこいの施設だと思った。
・結局、2泊3日では十分に観光できなかった。30年ほど前に歩いたバンコクを歩き、あの時の気分を思い出し、バンコクがどのように変わったのか、30数年前にみた、あの貧しい人たち、猥雑な人たちが今どうしているのかをみたいと思っていたが、そんな時間を作れなかった。たいして下調べしないままあちこちを行き当たりばったりに歩き、何かが起こったら、その都度、対応を考えるといいうのが私の旅の流儀なのだが、短い時間ではそのような旅ができない。バンコクの中間層の人たちの生活は見られた気がするが、それ以下の人たちと十分に接することができなかった。ただ、20年ほど前には確かに持っていたバンコクへの愛情を再び持つことができた。間違いなく、またタイにはいくだろう。チェンマイにもいきたい。33年前、バンコクからシンガポールまで、途中、ペナン島やクアラルンプールに泊まりながら、列車で行った。もう一度同じ旅をしたい。そんな思いがよみがえった。
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