ブータン旅行 その2
ブータン旅行の3日目は朝のうちしかパロには滞在していない。朝の8時にホテルを出て、10時35分発のブータン・エアラインズの飛行機でコルコタ(かつてのカルカッタ)経由でバンコクに到着。そこで、7時間ほど待って、22時45分発(ただし、遅れて23時30分ころに離陸)のタイ航空の便で帰国。羽田到着は午前7時少し過ぎたころだった。自宅に帰ったのは9時半過ぎだった。待ち時間を合わせて移動に22時間30分ほどかかったことになる。移動は確かに大変だ。
ブータン旅行記というほどではないが、昨日に続いて、簡単に感想をまとめておく。ごく短い滞在であり、しかもパロとティンプーしか訪れていないので、ブータンを見たうちには入らないが、ともあれ、短い滞在の中で気づいたことを書く。
・私はブータンという国がとても気にいった。大好きな国になった。私はブータンをずっと自分の育った大分県日田市と重ね合わせていた。私は田舎者だ! 親も田舎者だった。10歳で大分市という「都会」に出て、その後、18歳で東京に出た。うーん、俺は本当はブータンみたいなところで、静かに暮らすべき人間だったんだ、無理に都会人になろうとして、ずっと無理して生きてきたんだ! そう思った。
・幸福度ナンバーワンのブータン人。たぶん、本当に彼らは幸せなのだと思う。ガイドさんとも話した。もちろん私はお人よしではないので、すべてを真に受けない。ガイドさんは公務員なので、国王への尊敬も語り、国のよさを語る。もちろん、正直に、国の欠点も話してくれる。彼らの様子、話から、幸せでしかありえないと思った。私の祖父母も両親も、田舎で幸せに過ごしていた。細かい不満はたくさんあっただろうが、都会に出てお金儲けしようとも思わず、身の程知らずに成功しようとも思わず、先祖からの土地でそれなりに毎日生きて、それでよいと思っていた。それと同じことなのだろう。国中の人がそのような感覚なのだろう。大変失礼な言い方をすれば、国中の人が私の故郷の田舎者のような人たちなのだろう。そう考えれば、彼らは本当に幸せなのだというしかない。
・スラムがない。貧しい人々を見かけない。格差が少ないのではないか。目に見える人はみんなが楽しそう。外で遊んだり、学校に行き来している子どもたちも実に楽しそう。
・まるでスイスのよう。美しい山の風景、窓のきれいな建物。それがきちんと整理されている。勝手に建てるわけにはいかず、制限があるらしい。そのため、整然として落ち着いている。独自の生き方をする別天地。そのような意味でスイスを手本にしているのかと思ってガイドさんに聞いてみたが、そんなことはないという。ブータンでスイスが話題になることはないそうだ。山国で独自の道をめざすとこのようになるのが必然なのかもしれない。
・ともかく、ブータンの人々はがつがつしていない。どこにも客引きの音楽がかかっていない。ホテルもレストランも空港も一般の店も音楽がない。呼び込みもない。商業主義の行き過ぎがない。
・墓がないことに気付いた。九州の山道を車で走るとあちこちに墓が見える。どこにも墓がある。だが、ブータンでは一切墓を見ない。尋ねてみたら、祖先を祀ることはないという。葬式と49日の法要はするが、その後、祖先を祀ることはなく、どの家にもある仏壇も祖先供養のものではないという。本来の大乗仏教の教えに基づいた仏壇らしい。
・本当にブータンの人は輪廻を信じ、転生を信じているらしい。仏教の教えが身についている。だから、欲望を抑制することに慣れている。欲望がかなわないこともやむを得ないことと考える。そして、それに基づき、家族を大事にし、自分の生活を大事にするという。仕事のために家族を犠牲にすることはないらしい。
・とはいえ、必ずしも、ブータンの人たちがみんなしっかりしたまじめな人というわけでもなさそうだ。いろいろなところでザツさが見える。ブータン航空のCAさんは、投げるように昼食を渡してくれた。愛想もよくない。とても感じのよいホテルなのだが、客室ではもちろん、ロビーでもWi-Fiはしばしば切断されるし、私が室内にいる時にスタッフが黙って入ってくるし、シャワー室には前日にあった足ふきがいつの間にかなくなっている。行き届かないところが多い。必ずしも、他人に心配りをする人とは言えないようだ。まあ、要するに、これも「田舎者」ということなのだろう。
・料理はなかなかおいしいものもあった。そば粉で作った餃子は特に美味しかった。中に、たぶんナスとズッキーニと豚肉が入っていた。アスパラを炒めたものも絶品だった。ただ、実はこれらもブータン料理として定着しているものではないらしい。これといったブータンの名物はないとのことだった。確かに、タイ料理、ベトナム料理、インド料理ほどの存在感はないし、驚くべきおいしさは感じない。まあ、要するに田舎料理には違いない。
・近代化の状況がおもしろい。ティンプーやパロの中心地には4、5階建てのマンションはいくつもある。だが、お店はせいぜい3階建てくらいではないか。人口が少ないので、大規模店を作っても利益が出ないのかもしれない。小さなスーパーはあったが、それがせいぜいだった。
・中心街以外は、山のあちこちに家がいくつか見える程度。農業を営んでいるらしい。西岡チョルテンに行く途中、棚田が見えた。ちょうど田植えをしているところもあったが、このようにして山に田畑を作って作物を作っているようだ。
・水力発電と観光が最大の産業ということだが、観光はまだまだ課題が多そうだ。先ほど書いたようにホテルには不備がかなりある。現在、観光については観光局が管理し、客から一日300ドル弱のお金を取ってガイドをつけて国内を案内している。そのような観光のあり方もよいと思うが、もっと自由に見たいと思う。そのような観光が許可されることはないのかもしれないが。
・本当に国王は尊敬されているようだ。ガイドさんは公務員だったので当然だろうが、しばしば国王に対する尊敬の言葉を語った。月に何度か国王を見かける機会があるらしい。国のあり方を作った第三代の王様、先代の王様への尊敬も語っていた。本などで読む限り、確かにこれらの国王は国民優先に考え、自ら民主化を打ち出すなど、優れた王であるとは言えそうだ。
・旅行に行くと、その土地が好きになる。昨年から訪れている中国、韓国、エジプト、タイが好きになった。だが、ブータンは別格だと思った。ちょっと空港の離着陸や崖の道が怖いし、いたるところにウロウロしている野良犬には閉口するが、ここにはまた来たいと強く思った。「心のふるさと」だという気さえした。ゴ服が私に似合うということは、きっとこの地域の人の祖先も私の祖先も同じようなところで同じように暮らしていたのだろうと思った。
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コメント
「ブータンは世界一幸せな国」と言われると、私も眉に唾をしてしまいますが、でも、ほんとうにそうなんですね。今の世界にもまだこのような国が残っていたんだなと思いました。野良犬がはびこっていてもいいし、インターネットがつながらなくてもいい。私が育った時の日本もそうだった、と思いました。
投稿: Eno | 2017年5月22日 (月) 20時43分
Eno 様
コメント、ありがとうございます。
ブータンにはまた近いうちに行きたい気持ちになっています。心惹かれる国です。もちろん、数回訪れるうちにあれこれの現実が見えてくるかもしれませんが、それでも彼らが幸せに生きていることは間違いなさそうだと思います。
先日来、何度かブログを拝見しておりました。ドイツでのオペラ鑑賞、うらやましく思っております。
投稿: 樋口裕一 | 2017年5月23日 (火) 10時34分