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ブータン旅行 その1

 2017年5月17日から19日まで、ブータンを旅行した(ただし、旅行日程としては、、5月16日から20日ということになっている)。2泊5日の弾丸ツアーだ。5日以上家を空けると、高齢の母が心ぼそがるので、短い時間で行けるところに行くことにしている。そうして今回はブータンにした。10年ほど前、一度、ブータン旅行を計画したことがある。が、ヨーロッパの音楽祭を優先して、先延ばしにしてきた。母の調子が悪くなってから長い間日本を留守にする必要のある音楽祭は自粛しているので、これを機会にブータンに行くことにした。いつものように一人旅。ネットで探して、5日で行けるツアーにした。「幸福度ナンバーワン」の秘境がグローバル化によってどう変化しているのかをみたいと思った。

 以下を読んでいただけるとわかるが、夜はすることがなかったので、少しブログを書いた。が、ホテルのネット環境が悪く、メールの確認もろくにできないことが多かった。文章を書いてもブログに載せられなかった。

 本日(20日)、帰国して、これまで書いたものをここに載せる。

 

1日目(2017年5月17日)

 今、ブータンに来ている。

 バンコクまでタイ航空の羽田発0時20分の飛行機。ガラガラかと思っていたら、タイの人たちでほぼ満員。日本人は少数派だった。バンコクでブータン・エアラインズに乗り換えて、コルコタ経由でパロ空港に到着。こちらはかなり空いていた。途中、機内からエヴェレストが見えた。白い山頂が雲に上に出ていた。そうでないかと見ていると、機長からのアナウンスがあったので間違いない。

 パロ空港は世界一危険な空港といわれているらしい。まあ、そういわれる空港が世界にいくつかあるのだろうが。窓から見ていると、状況がよくわかった。パロ空港は険しい山の谷間の盆地にある。まっすぐに着陸すると山に衝突するので、いくつかの山を避けながらカーブして降下しなければならない。実際には数百メートルあるのかもしれないが、素人の目測では尾根まで20メートルか30メートルくらいにしか見えない。風でも吹いたら、木にでも触れて墜落するのではないかとひやひやした。が、ともあれ無事到着。なぜ、よりによってこんなところに空港を作ったのかと思ったのだが、後で理由がわかった。ブータンは山の国なので、必然的に都市はすべて谷間にある。どの都市に空港を作ろうと同じことなのだ。パロはその中ではましな方だったのかもしれない。

 国際空港なのだが、もちろん滑走路は1本。きれいでセンスがよいが、小さな建物があるだけ。飛行機の客も少なかったので、すぐに外に出られた。外もがらんとしている。山に囲まれたど田舎に突然空港があるという雰囲気。パロは人口3万人くらいの町らしい。それでも、九州ほどの広さに人口60万人のこの国では有数の大都市だ。

 気温は今の時期、最高気温が17~18度前後。夜は10度以下になるようだ。沖縄とほぼ同じ緯度なのだが、標高が2000メートルを超えているらしく、日本で言えば、東北地方程度の気温といってよいのかもしれない。

 到着後、ガイドさんが待っていた。30代のしっかりとした顔だちの男性。ブータンは政府主導で観光に力を入れている。個人の自由旅行は基本的に難しいようだ。きっとツアー仲間がいるだろうと思っていたら、客は私だけ。ありがたいことではある。

 ガイドさんも運転手さんも、ゴと呼ばれる民族服を着ている。日本の「どてら」(私の育った地域では「丹前」と呼ばれていた)のようなものだが、よく見ると、それはそれでとても決まっている。ただ、日本人からすると、ゴの下に黒い靴下と革靴という格好は不釣り合いに思えるが、それが決まりのようで、みんながそのような格好をしている。

 パロ見物は明日にして、首都ティンプー見物に向かった。ティンプーまで車で1時間ほど。車から外を見ていたが、どこまで行っても都会にならない。人の姿は見えるが、かなりまばら。ゴを着ている人はかなりいる。もちろん、ほかの国と同じようにシャツやジーンズや綿のズボン、スカート姿の人も多い。ガイドさんに聞いてみると、ゴや女性のキラは正式の服装で、ほかの国でのスーツに当たるという。いわれてみれば、スーツ姿の人は見かけない。小学生、中学生、高校生の制服もゴとキラのようだ。

 まさしくブータンは山の国。切り立つ崖の合間を舗装道路が縫っている。山の間を川が流れており、それに沿って断崖に道路がつくられているということだろう。尾根に沿って道は曲がりくねっている。車は日本の田舎道程度には走っている。のろい車があると追い抜こうとするが、道にカーブが多いせいもあるが、対向車線の車が来るので抜けないことが頻繁に起こる。韓国車が多い。私が乗っているのもヒュンダイ。あとは日本車。トラックはインド車らしい。信号が一切ないし、車の数も多くないので、順調に走る。

 崖は岩がむき出しになっている。いつ落石があってもおかしくない。車で走っている道路のほとんどが崖っぷち。実際、ところどころで岩が落ちているのが見える。崖崩れがあったらしくて、補修工事をしている様子も見られた。日本なら大問題になっているところだろうが、それほど車が多くないブータンではおおらかに考えられているようだ。ガイドさんも運転手さんも心配している様子はない。

 私は私の育った九州の日田地方の風景を思い出していた。山の高さや形は違うが、日田周辺の山道に似ている。舗装道路があり、山間を通っていく。ただ、ブータンの山はもっともっと険しく切り立っており、山と山の間が狭い。日本の山の風景をぐっと圧縮して横幅を縮めるとブータンになる。ほかの途上国の人のように運転は乱暴ではない。みんなきちんと法規を守っている。

 建物はどれも新し目に見える。途上国のようなあばら家は視野に入らない。どの家も窓に特徴がある。仏壇の模様のようなものがあり、見ようによっては日本のおしゃれなラブホテルの窓のように見える。ガイドさんによれば、どの家庭も熱心な仏教徒で仏様への尊敬を込めてこのような窓にしているという。

 野良犬が多い。至るところにいる。空港の周りにも、今私がいるホテルの周りにも中心部にも幹線道路にも。寝そべったり、道を歩いたりしている。今まで、野良犬の多い途上国をいくつか見てきたが、その比ではない。もしかしたら、飼い犬も勝手に外に出ているのかもしれない。牛や馬も道路に出ている。もちろんこれは野生ではなく飼われているらしいが、ガイドさんに聞いたところ、夜になるときちんと自分のいるべき場に戻るとのこと。本当かなあ?

 人家が増えてきて、ティンプーについた。

 ティンプーでは、第三代国王を記念するメモリアル・チョルテン、新しく建設中の丘の上にそびえる大仏のあるクエンセル・フォダンを訪れた。タシチョ・ゾンを訪れる予定だったが、中に入れるのが夕方以降だというので、遠くから見るだけにした。ゾンというのは、現在、県庁として使われている「城」だ。近くに、かなり質素ながら王宮がある。

 ティンプーは人口10万人ほどのこじんまりした町だ。盆地のなかに淡い色のついたきれいな建物が立っている。5、6階建てのマンションがあちこちにある。だが、それ以外は平屋かせいぜい3階建て。日本で言えば、まさしく地方都市。私の故郷の日田市と大差がない。これが首都だというのだから驚く。中心街に行った。ブータンにただ一つという信号のある交差点がある。ただし、以前は機械の信号だったが、使いこなせないというので、今は警官による手信号に変わっている。それが今ではティンプーの観光の売り物の一つになっているという。

 中心街も日本で言えば、小さめの地方都市程度。そして、驚くべきはその静かさ。日本やバンコクのような喧騒はない。音楽もかかっていない。ブータンの人々は静かに、でも楽しそうに歩いている。

 ブータン人と一言で言っても、いろいろの民族がいるようだ。まったくもって日本人とそっくりの人もかなりいる。日本人ではないかと疑いたくなるが、ブータンの言葉(ゾンゲ語というらしい)で仲間たちと話している。もっとインド系に近い顔立ちの人、中国南部っぽい人もいる。インド人もかなり住んでいるようだ。

 今まで、いろいろな国に行ったが、ガイドブックには「街中を歩くときは、泥棒に気をつけるように」と必ず書かれていた。ガイド付きツアーの時には、ガイドさんに、持ち物に気を付けるように必ず念を押された。だが、ブータンはそんなことはない。途上国に行くと、どこも生きるのに必死でがつがつした人が目につく。客引きに困ったり、下品なポスターやチラシに面くらったり。ブータンではそんなことはまったくない。

 確かに平和で穏やかな人たち。車の中にハエが入っても、ぴしゃりと殺せば済むところを必死になって窓から外に出そうとする。お店に行っても、なんとかごまかして儲けようという雰囲気はまったくない。メモリアル・チョルテンでジュースや水を手渡している人がいた。受け取ったらどんな目に合うかと思って無視したが、後でガイドさんに聞くと、真面目にお参りに来た人たちへの感謝として篤志家が無料で配布しているのだとのこと。

 飛行機の中であまり眠れなかったので、早めに観光を切り上げてもらって、パロに戻って、夕方にパロ市内のホテルに到着。幹線道路から車で5分ほど登ったところ。バンガローというのかコテージというのか、いくつもの独立した建物から成っている。木のぬくもりのある広い部屋。窓からの景色もいい。ブータンの町全体に言えることだが、まるでスイスのような風景。美しい山、清潔でおしゃれな建物がポツリポツリと見える。この国は国策としてそういう方向を選択しているのかもしれない。

 夕食はホテルでとった。味は悪くない。ブータン料理もなかなか行ける。カレーもおいしかったし、魚の揚げたものもおいしかった。ただ、WiFiがしばしば切断されるのには困った。メールも十分に確認できない。添付文書のあるものは軒並み開けないようだ。

 疲れていたので、早く寝た。

 

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エベレストらしい山が雲の向こうに見える

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パロ空港

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パロからティンプーの途中にあった露店

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首都ティンプー全景

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ティンプーの中心街

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ティンプー中心街

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タシチョ・ゾン(ティンプーのゾン)

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ティンプーの町なか

 

2日目

 2日目はパロ観光。パロは人口は3万まりだというが、ブータンを代表する歴史ある都市だ。

 最初に行ったのは、キチュ・ラカンという寺院。ブータンで最初に開かれた寺と、新たに作られた寺が並んでいる。その後、タ・ゾン国立博物館。祭りに使う仮面やブータンに暮らす生物のはく製などがあった。しかし、それにしてもパロに限らず、ティンプーもそうだったが、この国ではどこに行くにも断崖の迫る道を走る。右は今にも土砂崩れか落石がありそうな岩の壁、左には少しハンドル操作を間違うと数十メートル下に落下する・・・という道の連続。しかもそれが、日光のいろは坂のような急カーブ。ここにはごく一部の中心部をのぞいて、そんな道しかないといえそう。ともかく国全体がまさしく山からできている。車から降りても、どこでも坂道。

 崖路を車で降りてパロ・ゾンを見物。ゾンというのは、日本語に訳すと城塞ということになるらしい。17世紀に僧侶たちが敵の侵入と戦うために作った城で、地方行政の意味も持ち、現代では県庁としても機能している。中に入った。ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」の撮影に使われたという中庭をみた。赤く塗られた木の柱や装飾された窓の建物に囲まれた石畳の雰囲気のある場所だ。中に入ると、若い僧侶たちが楽器の練習をしていた。オーボエのような笛。その後、徒歩で屋根のある橋パロ・チェを渡った。静かで落ち着いていて、実にいい。

 その後、またまた断崖の道を何度も何度も急カーブしながら、農業実験場(正式の名前は忘れた。AMCと呼ばれていた)に行った。1960年代にブータンに入り、その後28年にわたってブータンの生活に溶け込んで、亡くなるまで農業指導を行った西岡京治(にしおかけいじ)氏の創設した場所だ。その後、西岡氏を祀る西岡チョルテンに行った。チョルテンというのは仏塔のこと。ブータンでは西岡氏は有名な存在で、「ダショー」の称号を持つ唯一の日本人であり、没後、まさに神様扱いされている。西岡氏が指導する以前、ブータンの農業は穀物を作るだけで野菜を作る技術を持っていなかったという。街で見かけた大根も人参も、昨日から食べている料理に入っていたキャベツやナスやズッキーニやジャガイモも名前を知らない野菜も、西岡氏の指導にたまものということらしい。ブータンでは西岡さんはよく知られているらしい。特にパロでは知らない人はいないという。

 その後、西岡さんの成果でいっぱいの昼食を取ってホテルに戻り、一休みしてから、民族衣装「ゴ」を着せてもらった。先日、花見の時期に京都で見かけた着物を着た中国人を思い出した。これはこれでおもしろい経験だと思って、着せてもらうことにした。そして、その格好でパロ市内の民家訪問をした。

私の「ゴ」姿は一般の日本人にもまして似合っていたらしい。もしかすると、私はブータン人にとりわけ近い顔をしているのかもしれない。単にお世辞というよりも、あまりに似合うのでびっくりされたというのが近い。まったく違和感がないようで、ガイドさんやその仲間たちとすれ違っては、みんなが驚いていた。知らない人は私をブータン人だと思ったようだ。私が日本人だと知って驚き、何人かが「まったくブータン人と変わりがない」「まるで、ブータンの大臣のようだ」とほめて(?)くれた。「西岡さんにそっくりだ」と私を偉大なダショー西岡と比べてガイドさんを含めて何人かが話していた。

 訪れたのは、大きな農業を営む民家だった。祖父母と息子夫婦、孫の8人が暮らす農家だが、観光客のために内部を開放してくれているらしい。牛がいて、農地がある。とりわけ豊かな家ではなく、中程度の農家だというが、豪華な仏間があった。仏壇があり、6畳程度の一部屋全体がお経や仏教関係、王室関係の写真などでおおわれている。ブータンの仏教は祖祖先崇拝は含まず、純粋に仏の教えを尊ぶものだという。

 民家にはインド人やイタリア人の観光客、合わせて10名ほどが来ていたが、祖母に当たる女性(もしかしたら、私よりも年下なのかもしれない)がゴ服姿の私をとても気に入ってくれて、バター茶をご馳走してくれ、自家製の酒(そば焼酎らしい)も出してくれた。とてもおいしかった。

 その後、そのままの格好で昼間と同じレストランに行き、ブータン料理を食べたが、バター茶と焼酎の直後だったので、食が進まなかったのが残念。

 すでに暗くなっていたので、ホテルに戻った。

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「リトル・ブッダ」に使われたパロ・ゾンの中庭

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楽器を練習する若い僧侶たち

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私と泊まっていたパロのホテルから見える風景

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私の泊まっていたホテルのコテージ

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民家の仏壇

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民家の仏間

 

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コメント

ブータン中々良い旅行だったみたいで良かったですね。なんで折角のゴを着た姿を載せないの?イメージは分かる気はします・・
偶然このブログ見つけて読ませてもらいました。大学を一旦終わったことも知りました。うらやましい。こっちはまだまだ生活のため働いています。また、いつか。

投稿: 後藤泰幸 | 2017年5月22日 (月) 09時33分

後藤泰幸 様
お久しぶりです。
ゴを着た写真、ここに載せるのは勘弁してください。さすがに恥ずかしいので。
いえいえ、まだまだ生活のために働いていますよ。大学の選任を退職しただけで、予備校でもすでに働いていますし、大学でも非常勤として、入試担当顧問として働きます。
そのうちに。

投稿: 樋口裕一 | 2017年5月23日 (火) 00時08分

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