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無事帰国したが・・・

 昨日2017623日、上海からともあれ帰国した。ただ、昨日のうちには自宅に帰れなかった!

 が、順を追って書こう。

 午前中、魯迅公園に行き、魯迅記念館を見学した。

魯迅公園は地下鉄の虹口足球場駅付近にあるかなり大きな公園。遊園地があり、その先では、多くの市民が散歩したり、体操したり。奥の方では催しが行われていたようで、音楽を書けながら多くの中年男女がフォークダンスをおどっていた。どこに行っても人の渦のような上海で、少し落ち着く場所ではあった。が、あちこちでフォークダンスの音楽が聞こえたり、遊具の音がしたりで、静かな場所とは言いがたい。

魯迅記念館には魯迅の原稿、写真、著書などが展示されていたが、日本語の解説もなく、日本での活動についてもあまり大きな紹介がなかったので、私としてはあまり楽しめなかった。

その後、地下鉄で陸家嘴駅に行き、300メートル、400メートルを超す巨大ビルを間近にした。宇宙船のような形をした東方明珠の展望台に行こうかと思ったが、チケット売り場らしいものがある者のどこでなんといって買えばよいのかわからなかったのであきらめた。というか、近くで見て、あまり登りたいという意欲がわかなかった。

あまりゆっくりしていられないので、その後、昼食をとり、ホテルに戻って荷物を引き取って、地下鉄で浦東国際空港に向かった。ケチったわけではないが、地下鉄で空港まで行くのもおもしろいと思った。かなり時間がかかったし、直通だとばかり思っていたら、途中で列車を乗り継がなければならなかった。乗客全員が降りたので焦った!

その後は、空港でずっと待ち続けて、飛行機に乗って東京に戻った。

私が予約していたのは、中国国際航空の1720分出発の便だったが、18時半ころになってやっと搭乗が始まった。その間、アナウンスは一切なかった。搭乗後も、お詫びの言葉も一切なし。1時間30分以上遅れて出発し、1時間35分ほど遅れて成田到着。そこでも、お詫びがないどころか、遅れたということさえも一切アナウンスがなかった。当たり前のように1時間35分遅れで到着。

CAさんは税関申告書を配ってくれなかった(私は窓側のシートだったのでわざわざ持ってきてもらうことはできなかった)ので、空港に到着してから書いていたら、そのような時間の無駄もあって、出口の到着したのは2240分を過ぎていた。スカイライナーもすでに運転を終了していた。自宅に帰れなくなった。京成線特急で都内に行き、やむを得ず仕事場で一夜を明かした。

私以外にも、電車がなくなって家に帰れなくなった人は大勢いただろうと思う。ネットで調べると、中国国際航空は遅延が日常的だとのこと。知っていれば、もっと早い便にするんだった!! 今後、よほどのことがない限り、この航空会社は使いたくないと思った。

上海について、中国について、少々考えたことがある。が、実はまだ忙しい。少し暇になってから書く。

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上海に来ている

上海1日目(2017年)

 

 621日から上海に来ている。多摩大学を定年退職した後、ほぼ毎月、海外旅行をすることにしている。しばらく大学に拘束される時間を過ごしたので、久しぶりに「自由人」として生きたいと思った。昔、あちこちを旅していたころに比べると、ずいぶんとしがらみがあり、義務を持ち、好き勝手をしていられない事情があるが、それでも少し息抜きしたい。今年に入って、カイロ、バンコク、ブータンを訪れたが、今回は上海にした。高齢の母の調子がよくないので、短い旅に甘んじている。4回目の中国だが、上海は初めて。

 上海浦東空港に到着後、すぐにリニアモーターカーに乗って市内へ。実は今回の旅の大きな目的がこれ。私はいわゆる「てっちゃん」ではないが、旅に出ると列車に乗りたくなる。列車に乗るために旅に出たくなる。

ただ、リニアモーターカー(中国では、「磁浮」と呼ばれている)は、私の乗った時間帯は最高時速300キロで、乗り心地も新幹線とほとんど変わりがなく、しかも乗車時間は7、8分で、ちょっと感動は薄かった。そのためか、それほど人気はないようで、かなりガラガラだったし、駅も閑散としていた。

龍陽路駅からはタクシーに乗ってホテルへ。リニアモーターカーやタクシーから見える光景は日本と変わらない。同じような自動車専用道路、同じよう。なシステムになっており、道路からは東京と同じような建物が見える。ただ、日本よりも奇抜なデザインのものが多いように感じるのは、単に見慣れていないだけのことなのかもしれない。

 今回はちょっと贅沢をしてかなり高級ホテル(でも、かなり安い!)にした。東京の高級ホテルには泊まったことがないので比べようがないが、先日、バンコクで泊まったホテルに異様に似ている。建物もスタッフも。ただ、不安なので日本語の通じる、日本人客の多いホテルにしたので、そのあたりは雰囲気が異なる。ホテルの周辺もそっくり。日本では言えば港区のようなところ。おしゃれな高い建物がいくつもあり、おしゃれな人たちが歩いており、円買い館や高級なレストランがある。今はまさしくグローバル化して、アジアの大都市の一律化を感じる。

 ホテルで一休みして、レストランへ。コンシェルジュの教えてくれたホテル近くのレストランに行った。小籠包と蟹(上海蟹だろうと思う)と野菜炒めと麺を頼んだつもりだった。味はよかったが、蟹は手が汚れ、しゃぶりついた割には食べられるところが少なかった。野菜炒めはあまりに大量だった。麺と思ったものは麺ではなかった。切り干し大根のような味がした。何だったんだろう? 大量に残した。皿はいずれも2人分か3人分だったということだろう。それでも、日本に比べればかなり安い。

 

2日目

 午前中は市内半日観光のオプショナル・ツアーに参加した。とはいえ、参加者は私だけ。豫園、外灘、南京東路、南京西路を見物。小籠包やシューマイなどをお腹いっぱいに食べた。とてもおいしかった。その後、ホテルに戻って一休みし、今度は一人で地下鉄に乗って南京東路まで行き、外灘などを2時間ほど歩きまわった。夕方、ホテルに戻って、また一休みして夕食に行った。昼間たくさん食べたので軽く済ませようとして、「麺」と書いている店に行ったら、おそらく日本のラーメン屋をまねた店だった。ほとんどとんこつと味噌を合わせたラーメン。まあおいしかったけれど、上海で食べなくてもよかったと思った。

 気づいたことをいくつか挙げる。

・まさしく浦東地区は未来都市。このところ雨が続いているということで、私が外灘を訪れた時も雨だった。雨の中、外灘から見える未来都市を形作る巨大な摩天楼群の上部は雲に隠れていた。

・昨年、広州に行って、中国が大躍進の真っ最中であることを実感した。巨大な権力が資本を集中するとこれほどのことができるのかと驚いた。だが、同時にあちこちに古い中国、貧しい中国が残っているのを感じた。だが、上海はすでに大躍進を終えている。古い中国、汚い中国は、少なくとも中心部では見当たらない。

・「ミサイル問題で韓国の人が観光に来なくなって、上海の人も困っているでしょう」とガイドさんに言ったら、ガイドさん(かなり完璧な日本語を話す若い男性)は、大真面目に「中国は豊かですから、韓国の人が来なくなったくらい、何でもないですよ」と答えた。

・上海の豊かさなどについて考えていることがないではないが、もう少し見てみないことには何も言えない。明日、もう少し見物してから、またこれについて書こう。

・電気バイクが多い。音もなく、通り過ぎる。

・交通マナーは広州よりもずっといい。比較的、安全運転。ただ、車は横断歩道に人が歩いていても平気で走ってくる。

・あまりに人が多い! 日本の駅で、ライブなどのイベントが終わった直後、駅に大勢の客がどっと押し掛けるが、こちらの主要駅ではずっとそんな感じの人の行列。人に酔ってしまう! 電車では、降りる人を待たずに、我先にと乗りこんでくる。中国の人は、日本で思われているほどマナーが悪くはないが、これには閉口する。

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 実は、上海にいながら、夜は仕事をしている。東京から仕事のメールが届く。ブログを書いている余裕はない。このくらいにしておく。

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ファンクラブ「プレピスカ」によるネマニャ・イベント 楽しいトークとすさまじい演奏

 昨日、2017619日、ヤマハ銀座スタジオでネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブイベントが行われた。100人以上のファンクラブ会員とゲストが集まり、ネマニャと「悪魔のトリル」の全員の奏者がトークと演奏をした。魅力的なイケメンの天才ヴァイオリニストであるだけに、ファンの9割以上が女性。

 2007年のこと、ラ・フォル・ジュルネのアンバサダーをしていた私はフランスのナントで初めてネマニャを聴いてぞっこんほれ込み、アンバサダーの仕事として、その数か月後に行われる日本のラ・フォル・ジュルネに向けて、最大の呼び物はこのヴァイオリニストだとあちこちで触れ回った。実際に、日本でも驚異のヴァイオリニストとしての実力を示してくれた。その数年後、ファンクラブを立ち上げようと呼びかけたのも私だった。そして、数年前まで私がクラブの会長だった。それだけに思い入れもある。

 昨日は一般の客としてイベントに参加した。人懐こい、率直な青年。あれこれのファンの質問に笑いをとりながら答え、悪魔のトリルのメンバーへの気遣いも忘れない。上手な司会、てきぱき回すスタッフ(ファンクラブの方々)もあって、実に楽しい時間を過ごすことができた。ここに書いてはいけないかもしれないので詳しくは書かないが、ネマニャの新譜の発表もあった。

 その後、演奏。バッハのシャコンヌの弦楽伴奏つきから始まった。その後、モーツァルト「アダージョとロンド」、ベリオ「バレエの情景」、映画「シンドラーのリスト」、モンティ「チャルダーシュ」。すべて、ネマニャの友人でもある作曲家セドラルの編曲による弦楽ヴァージョン。

 シャコンヌについては、私自身の好みからすると無伴奏のほうがずっと迫力があるのだが、そのあとはぐんぐんと惹かれていった。研ぎ澄まされた音による魂を揺り動かすスケールの大きな躍動。音楽のエッセンスを捉え、しかも観客をひきつける構成、すべてが圧倒的に素晴らしい。感動を声や動きに表す女性も多い。「バレエの情景」と「チャルダーシュ」がとりわけ素晴らしかった。

 この人が弾くと、クラシック音楽がなまなましく生き生きとしたロックのようなノリノリの曲になる。しかも、音があまりに透明で音楽の本質をぐっととらえているので、まったく卑俗にならない。それどころか卑俗と思われている曲までもが高貴に響く。魂の高貴さが曲に現れているように思える。

 演奏の後は観客から抽選で6名が当たって舞台上でネマニャに直接プレゼントをもらえた。が、私はこのあたりになると、ファンの女性パワーについていけなくなる。

 

 少し、近況を書いておく。

 実は猛烈に忙しい。今月の16日は鹿児島で仕事だった。15日に鹿児島入りし、少しだけ観光をした。フェリーで桜島に行き、「サクラジマ アイランドビュー 1日乗車券」によって1時間ほどのバスによる周遊を行って、湯のひら展望台まで行った。合計2時間程度の桜島見物だった。ホテルで一休みして、その後、夕方からは錦江湾高校の先生方に招かれておいしい鹿児島料理をごちそうになり、翌16日、錦江湾高校で高校3年生対象の特別授業、その後、先生方対象の講演をおこなった。気持ち良く話すことができ、何から何までお世話をいただいた。私は鹿児島市を訪れるのは初めてだった(奄美大島と喜界島は仕事で訪れたことがある)が、とても鹿児島が好きになった。

 その後、ネマニャのコンサートがあり、多摩大学での仕事があり、東進ハイスクールでの収録があった。明日からは短い日数の海外旅行を予定しているために、ますます忙しいが、これについては甘んじるしかない。

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 ヤング+読響+ネマニャのブルッフに感動

 2017年6月17日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団第198回マチネ―シリーズを聴いた。指揮はシモーネ・ヤング、ヴァイオリンはネマニャ・ラドゥロヴィチ。

 最初の曲は「さまよえるオランダ人」序曲。冒頭から実にしなやかな音。そして、フォルテになるとずしんと体中に響くような音。緩急をつけ、時にはゆっくりすぎるほどゆっくり。弦を歌わせ、絶妙に響きをコントロールして微妙な音色を作りだしながら音楽を展開していく。これほどテンポを動かしているのに、まったく作為性がなく、自然に音楽が広がっていく。素晴らしいと思った。

 私がヤングの実演に接したのは「ナクソス島のアリアドネ」二期会公演だけなので、CDはかなりの枚数持っているが、指揮姿を目の前で見るのはこれが初めてだ。きわめてわかりやすい振り方だと思う。なるほど、このようにするとこんな音が出るのかと納得のできる振り方。腕の振りもしなやかでかつ強靭だ。

 とはいえ、今日の目的はヤングではなく、ヴァイオリンのネマニャ。私は発足当時のファンクラブの会長だった。

いよいよネマニャ登場。黒ずくめで、長い髪を片方に長く垂らしている。もしかして、化粧をしている? が、この人は何をしてもいい。そんなヴァイオリニストだと思う。

ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番が始まった。オーケストラは相変わらず素晴らしい音。そして、そこにネマニャの研ぎ澄まされた美しい音が加わる。音程がビシッと決まったクリアな音。オーケストラの作りだす背景の中にスーッと一本の鋭い線を描き出される。だが、怜悧な音というのではなく、心の律動を音にしたかのよう。スケールが大きく自然で美しい。いつものように指揮者のヤングやコンサートマストレスの日下さんと会いコンタクトを取って目による対話をしながら音楽を進めていく。

私がネマニャのこの曲の演奏を聴くのは二度目だ。前回は2014年4月、大阪のフェスティバルホールで大フィルの伴奏だった。前回もネマニャの音は素晴らしかったが、今回はいっそう音が研ぎ澄まされ、ロマンティックな魂の躍動を描き出す。スケールが大きい。しかも、今回の指揮はシモーネ・ヤング。基盤がしっかりしているので、ネマニャが大きな世界の中で躍動しても、枠組みは揺らがない。

私は2007年にフランスのナントでネマニャのヴァイオリンに触れて虜になったが、その時に比べてネマニャの音楽は間違いなく成熟している。以前にようにヴァイオリンという楽器を使って魂の舞踏を踊るのではない。もっと落ち着き、研ぎ澄まされた音で大きな絵を観客の前で描いていく。第二楽章の繊細な音楽も第三楽章のダイナミックで華麗な音楽も躍動しながら揺るがない。本当に素晴らしい。

大拍手の中でアンコールが始まった。パガニーニのカプリースをつなぎ合わせた無伴奏曲。おそらく2014年に大阪で聴いたものと同じヴァージョンだろう。

これはブルッフ以上に凄まじかった。緩急を自在につけ、名人技を披露し、激しいところは激しく速いところ速く。しかし、音がぴしりと決まっているので、下品にならない。まさしくカプリース(気まぐれ)。途中、弦がネマニャの髪に引っかかって少しだけ音が途切れた。オーケストラとのプログラム曲の最中にこんなことが起こったら大ごとだが、アンコールでカプリースをネマニャが演奏しているのだから、これもネマニャの魅力の一つだ。笑いが起こった。なんという音楽の快楽、なんという躍動。ダイナミックに音が上下し、魂がゆり動かされる。カプリースというのは実は心の躍動の音楽なのだと納得する演奏だ。

10年間ネマニャを追いかけてきて、その順調な成熟を頼もしく思った。大人の音楽になっている。が、決してかつての躍動の美学を失っていない。ますます将来が楽しみだ。

後半はブラームスの交響曲第2番。大いに期待していたが、実は少し失望した。どういうわけだろう。ワーグナーやブルッフの場合と音楽の作りはそれほど変わらないと思うのだが、緩急をつけ、時にゆっくりと歌いだし、時に大きくうねりだすと、なぜか形が崩れてしまう。まるでブルックナーのようになってしまって、ブラームスの魅力が半減する。

第2楽章と第3楽章では私はかなり退屈した。繊細であるべき部分が不自然に響き、音楽が空回りしている印象を受けた。そういえば、私はハンブルク・フィルと録音したブラームスの交響曲全集もあまりおもしろいと思わなかった。もしかしたら、ヤングはブラームスが苦手なのかもしれない。少なくとも、私の好きなブラームスにはならないのかもしれない。とはいえ、第4楽章ではさすがにロマンティックに盛り上がった。

ブラームスには少々失望したとはいえ、前半は素晴らしい演奏だった。大満足。

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ファハルディ監督の「セールスマン」 監督の手腕に驚嘆

 アスガー・ファハルディ監督の映画「セールスマン」をみた。本年度アカデミー賞外国語映画賞受賞作だが、素晴らしい傑作だと思う。

 数年前、京都を訪れた際にたまたまみた「ある過去の行方」に心から感動した。とてつもない傑作だと思った。その後、「彼女が消えた海辺」「別離」のDVDをみて、この監督が驚くべき傑作を何本も作っていることを知って、大ファンになった。圧倒的な力量だと思う。一分のスキもない構成、一人一人の登場人物の立場と心情、やむにやまれぬ状況、そして背後にあるイラン社会、現代文明への批判、すべてに説得力がある。イラン映画は20本ほど見たと思うが、私のナンバーワン監督はこのファハルディだ。

 今回の映画にも最初から引き込まれた。サスペンスとしても最上。無計画で、人権無視の都市開発のために古いアパートが倒壊しそうになるところから映画は始まる。最初のごたごたの中で主人公の人格、近代化の矛盾を描くとともに、倒壊しそうで一刻を争うという場面に観客を巻きこんでいく手腕はすさまじい。

新しいアパートを借りなければならなくなった夫婦が演劇仲間の知る部屋を借りることにするが、前に借りていた女性がどうやら娼婦だったらしい。妻が一人でいるとき、前の住人を訪れた客が現れて暴行する。夫は犯人捜しを行う。そのようなストーリーの中に、のっぴきならない一人一人の事情、イラン社会の性暴力への考え方、女性の置かれている状況が盛り込まれる。夫婦の所属する劇団はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を上演するが、そのテーマと暴行事件の犯人である行商人の死が重なり合う。その手腕にも畏れ入る。

前の住人が最後まで登場せず、浴室で実際に何が起こったのかも最後まであかされない。あちこちに謎が残る。全体に語られない部分があり、人によって誤解しあっている部分がある。そして、何より抑圧的なイラン社会の状況が背景として示されるが、それについてもあからさまには語られない。語られないことが実はこの映画の中心にある。

実は、これほど監督の鮮やかな手腕に圧倒されながら、この映画の中で一つだけ納得のゆかないところがあった。「ネタバレ」になってしまうので、多くは言えないが、暴行犯があまりに意外だった。なぜ、あのような人にそんなことができるのだろう、もっと別の人物像の犯人のほうがよかったのにと思っていた。

が、ふと気づいた。もしかしたら、あの犯人は冒頭に崩れそうになっていたアパート、つまりは古きイラン社会そのものではないのか、抑圧的で暴力的で、しかし本人たちはいたって善良な従来のイラン。そう思えば納得できる。

私は映画としては、「別離」や「ある過去の行方」のほうに感動した。「ある過去の行方」は涙を流してみた記憶がある。「セールスマン」に関しては、むしろ監督の手腕に圧倒された。そして、語られなかったことがらについて考えさせられた。

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 METライブビューイング「ばらの騎士」 第三幕で涙した

銀座の東劇でMETライブビューイング「ばらの騎士」をみた。2016-2017年のシーズンの最後の演目。豪華キャストなので、悪かろうはずがないのだが、それにしても素晴らしい。

ルネ・フレミングの元帥夫人、エリーナ・ガランチャのオクタヴィアン、ギュンター・グロイスベックのオックス男爵は、現在最強の布陣だろう。

ルネ・フレミングが元帥夫人を歌うのはこれが最後だという。私は2001年のメトロポリタン歌劇場の来日公演で彼女の元帥夫人をみて(オクタヴィアンはスーザン・グラハム、ゾフィーはバーバラ・ボニー。指揮はアンドリュー・デーヴィスだった。私の最上の「ばらの騎士」経験の一つだ!)大感激した記憶がある。「ばらの騎士」のテーマを一言で言えば、「あらゆることに終わりがある」。1990年代だったか、シュヴァルツコップの大ファンだった私はCDでフレミングの「四つの最後の歌」を聴いて、シュヴァルツコップのレパートリーをすべて最高レベルで歌える歌手が現れたと思ったのだったが、そのフレミングの元帥夫人も終わりを告げた。感慨深い。最後の三重唱は泣けてきた。

ガランチャは容姿も含めて、もしかしたら歴代最高のオクタヴィアンなのではないかと思った。強い声なのだが、それだけでなく、実にしなやか。グロイスベックの横暴でマッチョな絶倫男というべきオックスも実にいい。2012年のザルツブルクで彼のオックスに初めて接して、その人物像に驚嘆した。今回もその延長線上にある。町のあちこちにこんな人がいそう。実に説得力がある。声もいいし、演技もおもしろい。

もう一人、ゾフィーを歌ったエリン・モーリーも3人にまったく引けを取らない。それどころか、三重唱でももっとも目立っていたかもしれない。美しい高音。容姿もゾフィーにぴったり。

実は最後の三重唱でほんの少しバランスが崩れたように思った。が、すぐに立て直して精妙になった。そのあたりのライブ感も見ごたえがあった。愛の二重唱にも酔った。

ファニナルのマーカス・ブルックもよかったし、何と歌手を歌ったのはマシュー・ポレンザーニ。すごい存在感と素晴らしい美声。

演出はロバート・カーセン。時代は作曲された19世紀末から20世紀初頭に設定されている。オックスは軍服を着ており、軍人がしばしば現れる。第三幕は娼婦の館という設定で、そこにも大勢の軍人が客としている。どうやら元帥夫人はオクタヴィアンの後釜として巡邏隊の隊長を選んだらしいことがほのめかされる。そして、最後に舞台に現れる少年モハメッドは酔っ払っており、幕切れで背後に軍隊が現れる。古き良き時代が終わって血なまぐさい時代に突入することを暗示するのだろう。

指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。実はあまり好きな指揮者ではない。第一幕では、ちょっと納得できないところがあった。が、最後まで聞くと完璧に打ち負かされた。

 

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新国立「ジークフリート」 世界最高レベルの歌手たちに興奮

 2017610日、新国立劇場で「ジークフリート」をみた。

 歌手に関しては世界最高レベルだと思う。ジークフリートのステファン・グールド、ブリュンヒルデのリカルダ・メルベート、さすらい人のグリア・グリムスレイ、ミーメのアンドレアス・コンラッドに関しては、現代においてこれ以上は考えられないほど。本当に素晴らしい。声が伸び、音程も正確、役柄にピタリと沿っている。グールドは格調高く、メルベートは強靭で可憐、さすらい人は高貴、ミーメは嫌味たっぷり。いうことなし。

 アルベリヒのトーマス・ガゼリ、エルダのクリスタ・マイヤーも素晴らしかった。少ない出番がもったいない。二人とももっと聴きたいと思った。ファフナーのクリスティアン・ヒュープナーについては、ちょっと不安定なところがあった。森の小鳥は鵜木絵里、九嶋香奈枝、安井陽子、吉原圭子の四人が歌った。日本を代表する歌手たちだが、グールド、メルベート、グリムスレイといった世界最高レベルの歌手に比べると、やはり声の伸びに不足があるのを感じざるをえなかった。とはいえ、もちろん大健闘。

 指揮の飯守泰次郎は、第一幕では抑え気味だったが、徐々にドラマを盛り上げていった。小手先の盛り上げをしないで、じっくりとドラマを作っていく。ただ、かつてのマエストロ飯守の演奏するワーグナーはもっとうねっていたと思う。あまり「うねり」のない演奏だった。円熟の境地になったということか、それともオケのせいなのか。とはいえ、第三幕間で聴くと、最高に盛り上がって実に素晴らしい。

 ただ、東京交響楽団については、金管のミスが目立った。オーケストラ全体でも精妙さに欠けると思った。初日ならともかく、今日は最終日のはず。もう少しなんとかならないものか。

ゲッツ・フリードリヒの演出については、わからないところはたくさんあるが、今となってはあまり刺激的ではない。ミーメの持っていた赤い傘に何の意味があったのだろう。ミーメの防御的な姿勢を象徴しているのだろうか。あるいは、血しぶき? 小鳥が四人登場するのもそれほど意味があるとは思えなかった。

瑕疵はあるにせよ、ともあれワーグナーをみると興奮する。「ジークフリート」は「指環」の中では最も興奮度の低い楽劇だが、それでも第三幕になると感動に打ち震える。いやあ、ワーグナーっていいなあ・・と今日も思った。

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岡田博美 異次元の音楽世界

 201768日、武蔵野市民文化会館小ホールで岡田博美ピアノリサイタルを聴いた。曲目は前半にピエルネのパッサカリアop.52とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、後半にマラフスキの「ミニチュア」、ドビュッシーの「子供の領分」、リストの「ドン・ジョヴァンニの回想」。ピエルネとマラフスキはまったく知らない作曲家だが、とてもおもしろい曲だった。

すべてに岡田博美の美学が貫かれている。驚いたのはベートーヴェンとドビュッシー。聞きなれたベートーヴェンやドビュッシーではない。人によっては強い抵抗を感じるかもしれない。

私たちの聞きなれたベートーヴェンのドイツ的なごつごつしたドラマがない。まるでリストのよう。しかも、いわゆる外面的で派手なリストではなく、緻密な音の洪水によって12音階的と言えるような厳しくも怜悧な音楽世界を構築したリスト。一度すべての音を脱構築して再び構築しなおしたような音楽だった。感情を排して、ただただ音だけによる世界を作り上げたとでもいうか。音楽が大きく盛り上がるが、情熱的とかロマンティックとかいうのではなく、ただひたすら音の世界が爆発する。

ドビュッシーにも同じようなものを感じた。俗っぽさがなく、一つ上のレベルの音楽世界を築いている。アンコールの最後に演奏された「月の光」も怜悧な知性と澄みきった響きによって独特の世界を作りだしている。

とりわけリストの「ドン・ジョヴァンニの回想」は圧巻。「ドン・ジョヴァンニ」のアリアをもとに自由にアレンジされ、これでもかこれでもかと音の世界が繰り広げられる。感情を歌っているのでも情熱を叩きつけているのでもない。音の色彩によって展開される万華鏡のような世界。それが凄まじい。

アンコールはダカンの「カッコウ」、ショパンの「革命」エチュードと、先ほど書いた「月の光」。ポピュラーな曲なのだが、まったく違った響きがする。

岡田さんはもはやベートーヴェンやショパンやドビュッシーを奏でるというよりも、自分の音の世界を作りだすという境地に達している。驚くべき音楽世界だと思った。

2013年の9月、私が指導していた多摩大学のゼミの活動として、大学のオープンキャンパスの特別コンサートに岡田さんにおいでいただいたことがある。リストによる「タンホイザー」序曲をはじめ凄まじい演奏を披露していただいた。岡田さんのような世界的なピアニストに来ていただけて大変光栄だと心から思ったが、本日、改めて、岡田さんはとてつもなく偉大なピアニストだということに気付いた。今日も凄いものに触れさせてもらった。

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読響シンフォニックライブ 川瀬指揮のショスタコーヴィチ第12番はとてもよかった

 201767日、ミューザ川崎シンフォニーホールで、読響シンフォニックライブを聴いた。川瀬賢太郎指揮、田村響ピアノで、前半はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、後半はショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」。このごろあちこちで名前を聴く二人の若手演奏家だが、私は一度も聴いたことがなかった。

 ラフマニノフは好きな作曲家ではなく、それほど聴きなじんでいるわけではないので、何とも言えないが、私は最後まで腑に落ちなかった。ラフマニノフの曲想に対して、田村のピアノにロマンティックな情感が欠けているように思えた。もちろん意識的にそうしているのだろうが、では、どのような音楽を作りたいのか、私には見えてこなかった。残念ながら、あまり感動しなかった。

 後半のショスタコーヴィチは、とてもおもしろかった。ショスタコーヴィチについても、私は演奏をあれこれ言えるほど聴きこんでいないが、ショスタコーヴィチ特有の神経痙攣の爆発とでもいえるような部分には興奮した。川瀬の指揮はきわめて力感にあふれ、しかもしっかりと整理されていて、とてもよかった。

 ただ、私はショスタコーヴィチの交響曲よりも室内楽曲のほうがずっと好きだ。交響曲はソ連当局やソ連国民を意識しているせいか、韜晦が混じっていて私は素直に感動できない。ヴォルコフの「ショスコタコーヴィチの証言」が現れて、その真偽が問題になる前から、私はそのような思いを抱いていたが、この「証言」の後は、交響曲を聴くごとに私の頭の中は疑問符だらけになる。今回もそうだった。最終楽章は本当に祝祭風なのか、最後のしつこいまでの繰り返しに何か意味があるのか。・・・ただ、オーケストラの力演に押されて、ともあれ納得させられた。

 アンコールはショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」(アメリカのミュージカルソングをショスタコーヴィチが編曲したもの)。とても軽妙でありながらも、ショスタコーヴィチらしさが随所にあってとてもおもしろかった。

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オペラ映像「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」「ペレアスとメリザンド」「真珠とり」「メリー・ウィドー(フランス語版)」

 オペラ映像を何本か見たので、感想を書く。

 

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「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」 2015年コヴェント・ガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 

 アントニオ・パッパーノの指揮、ダミアーノ・ミキエレット演出の「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」。主演はともにアレクサンドルス・アントネンコ。性格の異なる二つの役をアントネンコは実にうまく歌っている。声も素晴らしい。サントゥッツはエヴァ=マリア・ウェストブローク。これも見事。特筆するべきはネッダのカルメン・ジャンナッタシオ。小柄な女性だが、実に魅力的で声も強靭。まだかなり若いと思うが、これからが楽しみだ。トニオのディミートリー・プラタニアスもうまく演じている。

 演出によって二つのオペラを関連付けている。「道化師」のネッダとシルヴィオの出会いが「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲の部分で黙役で示される。「道化師」の間奏曲の部分では、トゥリドゥの死後、心が癒されないまま道化芝居を見物に来たサントゥッツァとルチアが登場する。なるほど!

 パッパーノの指揮は大変雄弁。ドラマティックで美しい。こんなに雄弁なのにまったく不自然さはない。すごい指揮者だと思った。この映像について、私はこれまで知らなかったが、名演奏、名演出だと思った。

 

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ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」2012年 パリ、バスティーユ歌劇場

 ロバート・ウィルソンの演出がおもしろい。具体物はほとんどなく、登場人物の動きも具体性がない。まるで能の舞台をみているよう。象徴的な静かな動きから成る。歌手もそろっている。ペレアスのステファヌ・ドゥグーとメリザンドのエレナ・ツァラゴワ、ゴローのヴァンサン・ル・テクシエ、ジュヌヴィエーヴのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターはいずれも美しいフランス語、きれいな抑制した声が見事。

ただ、実は私はこの音楽には30分以上耐えられなかった。私の購入したDVDに欠陥があるのか、それともほかの事情があるのか、音量が上がると音が割れてジャリジャリというノイズが混じる。機械の故障かと思って別の再生機でかけてみたが、結果は同じだった。別のDVDではそのような症状は出ないので、少なくともこのDVDに問題があるようだ。

そんなわけで、フィリップ・ジョルダンの指揮については、何とも言えない。

 

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ビゼー 「真珠採り」2012年 ナポリ、サン・カルロ劇場

 ちょっとイタリア語なまりのフランス語が気になるが、なかなか楽しめた。日本でも大人気のディミトリ・コルチャクがナディールを歌って、とても美しい声を聴かせてくれる。レイラを歌うのはパトリツィア・チオーフィ。歌に文句はないが、あまりにエキセントリックな雰囲気。演技でこのようにしているのだろうか。初めのうちはこれでよいにしても、後半ではもっと女性的な動きを見せてほしいのだが、ずっとエキセントリックなままだ。せっかくの美貌なのに、これでは私にはなぜナディールとズルガがこれほどに恋い焦がれるのか理解に苦しんでしまう。ダリオ・ソラーリのズルガとロベルト・タリアヴィーニにヌーラバドもよい声だが、ちょっとイタリア語なまりが強すぎる気がした。

 指揮はガブリエーレ・フェッロ、演出はファビオ・スパルヴォリ。ともに活気があって、私としてはとてもおもしろかった。

 

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レハール オペレッタ「メリー・ウィドウ」(フランス語版)2007年 リヨン歌劇場

 このオペレッタはそもそもパリが舞台。そのためもあって、フランス語で歌われても十分に説得力はある。このオペレッタが好きな人はかなり違和感を覚えるかもしれないが、私のようにレハールに特になじんでいない人間には、まったく違和感なく、まるでフランスのオペレッタのように楽しめた。フランス語も実に自然。

 未亡人を歌うヴェロニク・ジャンスがやはり素晴らしい。風格があり、声に品格がある。  ダニロのイヴァン・ラドロウも端正な顔立ちと歌いぶり。ナディアを歌うマガリ・レジェがコケティッシュでかわいらしい。小規模なオペレッタとしては全員が容姿、声、演技ともに申し分ない。

 演出はマーシャ・マケイエフ。ローラン・プティの演出と同じように、おしゃれでユーモラスで動きがあるので、見ていて飽きない。さすが、フランスの劇場での演出はほかと違って軽やかで大人の遊びにあふれていて、存分に楽しめる。ジェラルド・コースタンの指揮もテキパキしていて、しかも情緒があり、とても楽しめる。満足の一枚だった。

 

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パナヒ監督とトルナトーレ監督の数本の映画DVD

 大学をやめたら時間を持て余すだろうと思っていたのだが、いつまでたっても暇にならない。5月初めまでは本の締め切りに追われていたし、その後は東進ハイスクールでの収録の準備や講演などで忙しかった。しかもその間にブータン旅行をしていた。先週あたりからやっと締め切りに追われなくなって、映画やオペラの映像を見る時間が取れた。

 イランのジャファル・パナヒ監督とイタリアのトルナトーレ監督の映画を数本みたので感想を記す。


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ジャファル・パナヒ監督「これは映画ではない」 2011年

 京都でたまたまこのパナヒ監督の「人生タクシー」をみて、関心を持った。これは「人生タクシー」よりも前の作品。イランで反体制的な映画を作ったかどで逮捕され、映画製作禁止を言い渡され、控訴審の判決を待っている間の監督自身の状況を描いている。映画撮影が禁じられているために、カメラはマンションから一歩も出ない。ほとんどがパナヒ監督の室内。登場人物も監督自身のほかには撮影する友人と、最後ごみを集めに来る学生くらい。ただ、映画を撮れずに室内でシナリオを読んだり、煩悶したりする監督を追いかけただけの映画。なるほど、「これは映画ではない」と当局に申し開きできるかもしれない。

しかし、そのような八方ふさがりながら、このような映画を撮ることによって現状を生々しく描いている。その力量たるやすさまじい。ただ、おもしろかったかといわれると、それほど楽しんだわけでも感動したわけでもない。

 

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ジャファル・パナヒ監督 「チャドルと生きる」 1995年

 「人生タクシー」「これは映画ではない」よりも前にパナヒ監督が作った、これはいわば世界への出世作。一言で言えば、イラン社会で女性として生きることの苦しみを描いているといってよいだろう。

生まれた子供が女の子ということでみんなが落胆する場面に始まり、映画は刑務所を脱獄して来たらしい三人の女性を追いかけながらイラン社会を描いていく。戦後イタリアのネオ・リアリスモ映画を思わせるところがある。演じている人たちのほとんどが素人らしい。だが、イタリア映画以上にリアリズムに徹している。

脱獄した女性たちの人生をドラマとして描くのではなく、一人の撮影者=監督が脱獄した三人を追いかけるうちに、そこにかかわった別の女性へと関心を移し、今度はその女性を追いかけるというように進行していく。しかも、登場するのが、あまりきれいでない女性たちであり、刑務所仲間の女性たちが中心であるだけにいらついていたり、禁煙の場所でタバコをほしがったりするので、見ているものは感情移入できない。監督は情緒に訴えるのではなく、もっと突き放してイラン社会の真実を見つめようとしている。

女性たちがどのような罪を犯したのか、なぜ、どのように脱獄したのかは明かされない。が、女性たちのおかれている状況を見ていると、おそらくほかの社会では罪とみなされないようなことで罪を問われたのだろうと推測される。

決して好きな映画ではないが、かなり衝撃的な映画だ。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ「海の上のピアニスト」 
1998

「ニュー・シネマ・パラダイス」のトルナトーレ監督の映画。「ニュー・シネマ・パラダイス」はとてもおもしろかったが、私の好きな作風の監督ではないと勝手に思い込んでこれまで敬遠してきた。

豪華客船の中で育ち、世界の名手としてのピアノの腕を持ちながら、船の中で演奏するだけで、一度も陸に上がらなかった男の物語。以前、テレビで見た記憶がある。前にみた時も思ったが、私はどうもリアリティを感じない。まずこんなピアノの技巧を自己流で身に着けられるわけがないだろう、というきわめて現実的な疑問を抱いてしまう。それに、陸に上がらない名ピアニストという設定に人生の深みをあまり感じない。そして、トランぺッターを狂言回しにした物語展開も古臭い気がする。よくできた映画だと思うが、私はそれほどの名画とは思わない。

 

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ジュゼッペ・トルナトーレ 「マレーナ」 
2000

同じトルナトーレ監督の映画だが、これは名作だと思った。

 シチリアの小さな町でとびっきりの美人で色気たっぷりのマレーナ(モニカ・ベルッチ)。町中の男が欲望を抱き、主人公の少年も憧れる。少年から大人になろうとしている若者の目を通して、イタリアの第二次世界大戦への参戦から戦後までのシチリアの状況を背景に、時代に翻弄されるマレーナの姿を描く。ファシスト政権、その敗北、ドイツによる占領を経て連合軍を歓迎するという、イタリアの歴史的経緯のままに流される庶民、男心をそそる女性に嫉妬する女たち、それに抗して孤高を守ろうとしながらも、夫の戦死の報によって身を滅ぼしてしまう女性、女性に欲情しながら見守る少年。ユーモア交じりに語られるが実にリアル。戦死とされていた夫が帰還し、最後には誇り高く生きようとする夫婦の姿も感動的。トルナトーレ監督の語り口のうまさに圧倒された。

 それにしても、モニカ・ベルッチはすばらしく「いい女」! その昔、イタリアのどこかの町(たぶんローマのどこかだと思う)で2階のレストランから外を見下ろしていたら、マレーナのような「いい女」が歩いてきた。その近くにいたイタリア男たち10人ほどがその女性にすぐに気づき、次々と5人ほどが近寄って声をかけ、「ナンパ」していた。話には聞いていたが、イタリア男は本当にそのように行動するのに驚いた。映画の中の場面は必ずしも大げさな表現ではないのだと思う。

 

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トルナトーレ監督 「題名のない子守唄」 2006年

「マレーナ」に続いて、これもとてもおもしろかった。ただ、見ていてちょっと辛い。「マレーナ」はヒロインのマレーナの人生はかなり辛くても、ユーモラスなタッチと、マレーナを見つめる少年の存在に救いがあるが、「題名のない子守唄」はずっと深刻な状況が続く。しかも、息を詰めるようなサスペンスもある。これまで見たこの監督の映画とかなりタッチが異なる。とはいえ、それぞれの場面が実にリアルで、監督の語り口があまりにみごとなので、ぐいぐいと引き込まれ、ヒロインのイレーナにいやおうなしに感情移入させられる。ラストシーンではかなり感動した。

 性の奴隷として地獄のような日々を送ったウクライナ女性イレーナが生き別れた自分の娘を探してイタリアに来て、何とか娘のそばで暮らそうとする。イレーナを演じるクセニア・ラパポルトがとても美しく、とても魅力的。演出力でもトルナトーレ監督の手腕は素晴らしい。

 

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トルナトーレ監督 「鑑定士と顔のない依頼人」 
2013

 アッという結末が待ち受けているとのことなので、期待してみたが、かなり予想通りの結末だったので、ちょっと拍子抜け。しかも、いくらなんでも無理があるような気がする。

 とはいえ、さすがトルナトーレ監督。主演のジェフリー・ラッシュも、主人公の友人役のドナルド・サザーランドも実にいい味を出している。映像も魅力的で、最後まで引き付けられてみる。また、屋敷の向かい側にあるカフェで聞こえてくる数字の羅列が最後に意味を持ってくるところなど、語り口の巧みさには脱帽。

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