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ワイダ 「残像」 ワイダらしい圧倒的なリアリティ

アンジェイ・ワイダの遺作「残像」をみた。みたのは天津旅行前だったが、旅行に紛れて感想を書かなかった。このままでは忘れてしまいそうなので、今のうちに書いておく。

 ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキという実在の画家(演じるのはボグスワフ・リンダ)が主人公。革命を支持した有名画家の一人であり、美術大学の教授として生活し、多くの学生の支持を集めているが、政治が硬直して芸術に「社会主義リアリズム」が強制されるようになるにしたがって、政府の方針に反抗している。それを問題視した大臣や学長によって職を終われ、芸術協会の会員資格も取り消されて表現の手段も生活の手段も奪われていく。街の広告を描く仕事をせざるを得なくなるが、それさえままならない。慕ってくる女子学生(ゾフィア・ヴィフワチ)、別れた妻との間の娘で孤児ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)の間で逡巡しながらも、最後まで信念を曲げずに不遇の中で死ぬ。

 多少の脚色はあるにしても、実話に基づくという。実際にはもっと悲惨だったかもしれない。「灰とダイヤモンド」も「ダントン」も「カティンの森」も、ワイダは主人公の光の当たる面だけでなく、裏の面も描いている。だからリアリティがある(「ワレサ 連帯の男」については少し英雄視しすぎだと思った)。観客は、まさに生きて、逡巡し苦悩し人生という、そして芸術という深みの中をさまよう主人公とともに生きることになる。社会のあり方に怒り、迷いながらも埃を失うまいとする主人公をリンダは実に見事に演じる。そして、それ以上に画面の一つ一つの美しさ、そのリアリティを実現するワイダの力に圧倒される。

 冒頭のハンナ(ソフィア・ヴィフラチュ)と出会う野原の場面、娘とのやり取りの続く雪の場面、別れた妻の墓に青の色彩をつけた花を献じる場面など、人生の深みをひしひしと感じさせる場面がいくつもある。90歳の年に公開された最後の作品でさえもこれだけの力感にあふれ、激しいリアリティを持っているのは驚くべきことだ。それほどの執念で社会主義時代の矛盾を描きたかったのだろう。

 ワイダは私のもっとも好きな監督の一人だ。日本未公開の映画も含めて、私はかなりの数のワイダ作品を見ている(まだ見ていないものが何本かある。DVDなどでぜひ見たいものだ。発売してほしい)。パゾリーニ、アントニオーニに続いて、最後まで残ったワイダも亡くなった。私が大学時代に心の底から感動した映画監督はみんなが亡くなったことになる。「一つの時代の終わり」というのは、偉大な人物が亡くなった時の決まり文句だが、ワイダの死に対して私はそれをとても強く感じた。

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