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シュテファン・ザンデルリンクの指揮 最も嫌いなタイプの演奏だった

 201774日、武蔵野市民文化会館でシュテファン・ザンデルリンク指揮、ハンブルク交響楽団の演奏を聴いた。私の最も嫌いなタイプの演奏だった。このごろ、年齢のせいか私もかなり「丸く」なってあまり人をけなさなくなったが、聴いているうち、口をきわめて罵りたくなった。それほど嫌いな演奏だった。

 オーケストラについては、特に悪いとは思わなかった。私がひどいと思ったのはシュテファン・ザンデルリンクの指揮だ。先ごろ、同じ武蔵野市民文化会館でミヒャエル・ザンデルリンク指揮、ドレスデン・フィルの素晴らしい演奏を聴いたばかりだったので、その兄であるシュテファンの演奏も期待していた。だが、失望した。それどころか怒りさえ覚えた。

 曲目は前半にブラームスの交響曲第4番、後半に第1番。

 第4番の冒頭からあまりにゆっくりした演奏。歌わせているのだろう。だが、あまりにのん気で天下泰平な歌わせ方。楽し気にあっけらかんと楽天的にすべての楽器を歌わせる。楽器演奏者は気持ちよく演奏しているのだろう。だが、ずっとそんな調子なので、一本調子になる。しかも、ゆっくりしているので、私には弛緩しているように聞こえる。曲の構成を熟慮しているとは思えない。オケをコントロールしているようにも聞こえないし、視覚的にもそうは見えない。そもそもブラームスのこの交響曲特有の諦観にあふれたロマンティックな感情など少しもない。まるでクリスマスコンサートか何かのお祝いコンサートのように、メリハリもなく、ただ楽しそうに演奏する。

 しかも、意識的なのか、それともこの指揮者の癖なのか、独特のリズムを刻む。踊るようなリズムというか。それが余計に楽天的に響く。ずっとそんな調子。まったく緊張感がなく、メリハリがない。私に言わせれば、これではブラームスにならない。

 前半を聴き終わった時点でもう帰ろうかと思った。が、まあせっかくだからと後半も聴いてみた。

 第1番は第4番よりは良かった。同じような演奏だが、若々しい交響曲なので、このようなリズム、このような楽天性もそれほど気にならない。

 第1番を聴きながら思った。おそらくこの指揮者はミンコフスキーのような指揮をしたいのだろう。確かにミンコフスキーも踊るような独特のリズムを刻む。ある意味で一本調子だ。ただ、ミンコフスキーはシュテファン・ザンデルリンクとちがってきびきびと、そしてぐいぐいと音楽を進めていく。しかも、もちろん構成をしっかりと作り出す。シュテファンは音楽を推進せず、ただ全体を掌握しないで、それぞれの楽器が歌うに任せている。

 耐え難いと思った。観客は大喝采していたが、私はアンコールを待たずに帰った。もちろん、私の勝手な言い分だが、こんな演奏に喝采するべきではないと思った。

 私は武蔵野市民ではないが、この市民会館を愛している。武蔵野文化事業団の企画によってたくさんの素晴らしい演奏家を知った。たくさんの素晴らしい演奏を聴いてきた。感謝に堪えない。が、このごろのオーケストラの演奏には多少疑問を感じるものが混じっているのを感じる。以前のようにレベルの高いものばかりではなくなった気がする。先ごろ、文化会館の階層のこけら落としに演奏されたベートーヴェンの全交響曲演奏も、今回と同じようなタイプの、あまりにあっけらかんとして一本調子の演奏だった。

 二日連続の武蔵野市民文化会館(昨日は小ホールでのチェドリンスのリサイタル)。昨日は素晴らしかったが、今日はがっかり。もちろん、これもまたコンサートの楽しみではある。

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