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天津旅行まとめ

 一昨日、2泊3日の短い天津旅行を終えて帰国した。天津で特に何をしたわけでもないのに、かなり疲労を感じて、昨日は一日ぐったりしていた。天津の3日間をまとめてみる。

 

天津3日目(2017721日)

 とても涼しい。最高気温が26度という予報だった。前日は38度だったので、10度以上の差。実際、朝食のために外に出てみたら、むしろ肌寒いほど。冷たい風が吹いている。雨の予報だが、いつ雨が降り出してもおかしくない状況。あれこれ店を探すのは面倒なので、昨日と同じ「李先生」で朝食をとることにした。このチェーン店、あちこちで見かけた。ネットで調べたら牛肉麺が売り物らしい。それを食べることにした。これはなかなかうまかった。

 セブンイレブンで買い物をしてホテルに戻り、日本のテレビ番組をみたり、出発の準備をしたりして過ごした。

 出発は一時間遅れたが、JAL機で中部空港到着。その後、夜の飛行機で羽田へ。帰宅は2330分ころだった。

 

天津旅行のまとめ

・私は民度の目安の一つとして交通マナー、タクシー料金の公正さを考えている。上海よりは少しよくない気がした。最終日にホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手さんはかなり乱暴な運転だった。ぎりぎりまで接近し、追い越し、割り込み、あおって運転する。後部座席にはシートベルトがないので、少々こわかった。

ただ、料金はメーター通りに52元だった。考えてみると、空港とホテルを結ぶ道は迷いようのないわかりやすい道。東京で言えば、おそらく羽田から表参道の交差点に行くようなものだ。それなのに、初日、空港からホテルに向かうタクシーは何度も細い道を通り、ぐるぐる回り、料金も70元ほどした。きっとごまかそうとしたんだろう! 私はmaps.meでフォローしながらタクシーに乗っていたので、時々、ナビの指示とは異なる道に入りこむのには気づいていた。あまりにひどいようなら抗議しようと思っていた。許容範囲内なので黙っていたが、帰りのタクシーに乗った後になって、行きのタクシーが明らかに意図的に遠回りしたことに確信を持った。

天津はまだまだ交通マナー、タクシーマナーについては先進国レベルではない。

 

・暑い地域での民度の目安として私が考えているのは、上半身裸の男だ。途上国に行くと必ず見かける。本当の途上国では、子どもが素っ裸でいたりする。上海では見かけなかった気がするが、天津では上半身裸の男は何人か見かけた。上半身裸とまではいかないまでも、シャツをたくし上げて胸近くまで上げて歩いている男は何人も見かけた。まだ、そのような文化が残っている。

 ただ、私はこのような姿を見るとホッとする。近代化されずに残っている人間身を感じる。昭和のころ、私も私の父も友人たちもそのような格好で外を歩いていたのだから。

 

・あちこちでプロ意識の不足を感じた。市内観光のガイドさんもその典型。それ以外に、タクシーの運転手にも感じた。空港とホテルの間以外にも何度かタクシーを使ったが、道を知らずにスマホのナビをセットする運転手が何人かいた。日本人観光客に行こうとするところなど、指折りの観光地に決まっているのに、その場所を知らなかった。ホテルのフロント、お店の店員も、まるで今日始めたばかりのアルバイトのような雰囲気の人が混じっている。あちこちで、「これで大丈夫なのだろか?」と思った。今回たまたまそんな場面に出会っただけなのか? 伝統的な職業がなくなって、多くの人が新しい時代に適応して新しい仕事を始めたということなのだろうか。そして、今、それに誇りを持てずにいるということだろうか。日本でもしばしば「研修中」という人を見かけるが、そんな人ももう少しまともな気がする。

 

・ホテルのすぐ近くに日本語で「成人の店」と書かれた小さな店があった。興味をもってのぞいてみたら、いわゆる「大人のおもちゃ屋」だった。自動販売機に怪しげな道具がぎっしりと並ぶ無人の店だった。日本人向けなのだろうか。こんな店があちこちにあるのだろうか。中国政府はこのようなものを許しているのだろうか。もちろん私には用のない品物ばかりなので、何も購入しなかった。だいぶ前に、私は夜の街の探索を卒業したが、そのあたりの状況がどうなっているのか気になった。

 

・文化的に見るべきものがないという印象も抱いた。市内観光をお願いしたガイドさん特有のキャラクターによるのかもしれないが、連れていかれた場所のいずれも美術的、芸術的にかなりレベルの劣るものに思えた。日本人なら、どんなに芸術についての素養のない人でも一目で、それが芸術と呼ぶものに値しないとわかるような絵画や陶器を中国の人は人だかりを作ってみている。中国人は、長い間、お金儲けにばかり気を取られて、芸術に目を向けることを怠ってきたのだろうか。それとも、行くべきところに行けば優れた芸術に出会えるのだろうか。それともたまたま天津があまり文化的な土地ではないのだろうか。

 

・上海ほど国家資本主義によって無理やりに大躍進を遂げた大都市という雰囲気はなかった。古いものと新しいものがそれなりに折り合いをつけながら発展しているのを感じた。路地に昔ながらの、ちょっと不潔そうな店があり、そこに庶民がやってきて総菜を買ったり、おしゃべりしたりしているのは、とても健全なことに見えた。上海はそれが見られなかった(もちろん、たまたま私がそのようなところに行かなかっただけかもしれないが)。

 

・制限した内部での無秩序をあちこちに感じる。国家自体がそのようなシステムなのだろう。空港から出るにも、地下鉄に乗るにも、時には大きな店に入るにも荷物検査を受ける。どこにも大勢の制服を着た管理側の人間がいて管理している。だが、そのわりに内部は無秩序で、混乱している。国が枠組みを作り、それに違反する人は厳しく罰し、強権で一部の市民を排除するが、一般社会では人々が思い思いに金儲けに邁進し、時には汚いことをしても他人を出し抜こうとし、それほど規律だって生活しているわけではない。これが中国の原動力なのだろう。もう少し成熟すると、もっともっと文化的に世界をリードするものが生まれてくるのだろう。しかし、そうなると、制限そのものを否定するようにもなるだろう。

 

とりたてて大観光地があるわけではなかったが、私個人としては天津旅行を十分に楽しんだ。あといくつか中国の都市に行ってみたいと思った。

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コメント

今回の旅行記も楽しく読ませていただきました。まるで私自身が天津の街を歩いているようでした。私も旅に出たとき、観光地にはあまり興味がなく、むしろ土地の人々の生活ぶりが感じられる方を好む傾向がありますので、その点で共鳴したのだと思います。ありがとうございました。

投稿: Eno | 2017年7月24日 (月) 13時53分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。時々、ブログを拝見しております。共通のもの興味を持っていることを認識させられることがしばしばあります。
やはり、旅行の醍醐味はその土地の人々の間で歩くこと、その人々の日常生活を見ることだと思っています。もちろん観光地にもいきたいのですが、日常生活を味わうだけでも満足です。今年はアジア地域のあちこちを見物するつもりです。

投稿: 樋口裕一 | 2017年7月26日 (水) 12時17分

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