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映画「ペルセポリス」「チキンとプラム」「彼女が消えた浜辺」「別離」「ある過去の行方」

 急ぎの仕事がないため、久しぶりにゆっくりしている。イラン出身の監督の映画を数本みたので、感想を書く。

 

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「ペルセポリス」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 
2007

 イラン出身の女性マルジャン・サトラピの漫画をもとに、サトラピとヴァンサン・バロノーが共同監督して完成させたアニメ。とてもおもしろかった。イランの上流階級の家庭に生まれたマルジャンが息苦しさに耐えられず、オーストリアに留学、そこで挫折していったんイランに戻るが、再び出国してフランスに移り住むまでを描く。

パーレビ国王時代の圧政、その崩壊、民主化されると思われたところに起こり、いっそう抑圧的な社会になっていったイラン革命が、マルジャンの目を通してユーモラスに、そして鋭く描かれる。子どもの目を通すことによって、マジック・リアリズムとして戯画化しながら深刻な社会状況を描くことができる。しかも、ういういしくて茶目っ気があって、素直なマルジャンがとても魅力的。なんと、フランス語版の声はカトリーヌ・ドヌーヴやダニエル・ダリュー、そしてキアラ・マストロヤンニが担当している! 

 

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「チキンとプラム」 マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・バロノー共同監督 2012年

 「ペルセポリス」に続いて、同じ二人によって作られた実写の映画。中東のどこかの国に住む天才ヴァイオリニスト(マチュー・アルマリク)が横暴な妻(マリア・デ・メディロス)にヴァイオリンを壊され、死ぬことを決心して実際に死ぬまでの8日間の出来事を漫画的に描く。死を決意する少し前にたまたま街で出会った女性イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)が、実はかつて熱烈な恋をした女性だったこと、街で出会ったときに孫を連れていたのでヴァイオリニストを覚えていないと答えたが、実はずっと思い続けていたことが明らかになる。

 他愛のない恋愛ドラマだが、メルヘン風、漫画風でとてもおもしろい。「アメリ」を思い出す作風。ヴァイオリニストの母親役をイザベラ・ロッセリーニ(なんてったって、ロベルト・ロッセリーニの娘!)、成長後の娘の役をキアラ・マストロヤンニ(なんてったって、ドヌーヴとマストロヤンニの娘!)が演じている。華麗なる二世女優の共演!

 

「彼女が消えた浜辺」  アスガー・ファルハディ監督 2009年

 先ごろ、「セールスマン」でアカデミー賞外国語賞を獲得したファルハディ監督の2009年の映画。23年前だったか、DVDでこの映画をみたが、もう一度みたくなった。改めて素晴らしいと思った。

 イランの大家族が車でカスピ海沿岸の避暑地に向かう。リーダー格の女性セピデ(ゴルシフテェ・ファラハニ)が最近知り合った女性エリを大家族の中の男性に紹介するために仕組んだバカンスだった。ところが、エリは海辺で行方不明になる。そこにいた誰もエリについて何も知らなかったこと、全員の善意が空回りしていたことがわかってくる。それぞれの立場で考える人全員にそれなりの言い分がある。どれも正しい。しかし、家族は言い争いをはじめ、エリの状況がわかるにつれて混乱してくる。

 ずっと昔のアントニオーニ監督の「情事」を思い出した。主人公と思われた女性が孤島で行方不明になり、それを探す様子が映画の中心に描かれるが、最後まで女性の行方はわからない。見ているものは心の中に空虚を残すことになる。それと同じような雰囲気がある。女性がいなくなって、人間存在のあやふやさが浮き彫りになっていく。人間てなんだ? 人間関係てなんだ? という根底的な疑問が湧きあがってくる。同時に、イスラム社会独特の問題点も見えてくる。

 最初にみた時、登場人物の顔の区別ができずに困ったが、今回見直して、やっと識別しながらみることができた。異世界の映画の登場人物を識別するのは難しい!

 

「別離」 アスガー・ファルハディ監督 2011

 同じファルハディ監督の作品。これも、正真正銘の名作。

テヘランの中流階級の夫婦の別離の物語。みんなが少しずつ嘘をつき、みんながそれぞれの言い分を持っている。誰かが悪いわけでもない。みんながよかれと思って行動するが、徐々に深みにはまっていく。相手のことを思いやりながらも、他人に責任を押し付け合う。人間としての性(さが)があり、イスラム社会の宿命があり、それぞれの社会的役割があって、どうにもならない。徐々に真実が明らかになり、人々の関係に深淵が広がっていることがわかってくる。それをサスペンス・タッチでスリリングに描いていく。子どもを含めたすべての登場人物があまりにリアル。特典映像で監督自身が語る通り、ドキュメンタリー風のリアルな演出、出来事を観客に想像させる作風。それが見事。まったく無駄がない。

それにしても、イラン社会の男女関係は私がこれまで思っていたものとはかなり異なる。ほとんど、日本と変わらないのではないかとさえ思える。「妻」は日本の我が家と同じように夫を振り回しているし、自分から離婚を申し出ている。かなり自由に見える。イラン社会の女性はどういう地位にあるのか。それに、テヘランの都市も、女性がスカーフをしていることを除けば、アジアの都市と大差ないように思える。一度、イランにも行ってみたくなった。

 

「ある過去の行方」 アスガー・ファルハディ監督 2013年

 私が劇場で最初に見たファルハディ監督の映画がこれだった。これに感動して、私はこの監督の大ファンになったのだった。改めてみてみたが、やはり圧倒的。「彼女が消えた浜辺」「別離」「セールスマン」も素晴らしいが、この「ある過去の行方」は別格。

 元の妻マリー・アンヌ(ベレニス・ベジョ)に求められて、イラン人の男アーマド(アリ・モッサファ)が正式に離婚をするためにイランから久しぶりにパリに戻ってくる。ところが、元妻は別の男サミール(タハール・ラヒム)と再婚しようとしていた。そして、マリー・アンヌの連れ子リュシーは母親の新しい夫を拒絶している。アーマドが現れたことによって、それまで隠されていたことが次々とあらわになり、人間関係の真実が見えてくる。

 心理サスペンスとして、実におもしろい。ハラハラドキドキの展開。まるでピランデッロの戯曲のように、真実があやふやになってくる。それぞれの人物の抱える問題がリアルで、それぞれに真実がある。一人一人に悪意はない。幸せでありたいと願い、周囲を幸せにしたいと願っている。だが、ちょっとしたエゴが混じるために、関係全体が歪んでくる。そのような人間の真実が真正面から描かれる。パリで暮らすイラン人の置かれている状況も垣間見える。

ベートーヴェンの交響曲が一つ一つの音のゆるぎない組み合わせから成っているように、ファルハディの映画も一つ一つの画面の緊密な構成によって成り立っている。私は一つ一つの画面の色、登場人物の動き、表情、セリフの見事さに酔う。子どもたちの表情の自然さにも驚嘆する。

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2冊の本「≪ニーベルングの指環≫教養講座」(山崎太郎)と「ひとりヴァイオリンをめぐるフーガ」(パパヴラミ)、そして拙著のこと

 久しぶりに原稿の締め切りに追われていない。お盆の間、本を読んだり、映画のDVDを見たりして過ごした。

 私は読んだ本についての感想は基本的にはこのブログに書かないことにしている。時間が取れなくて、実はたいして読んでいないという事情もあるし、私も本を書くのが商売なので、手の内を明かしたくないという事情もある。が、この数日に読んだ2冊の音楽関係の本については、この原則を破ってもいいだろうと思った。簡単に感想を書く。

 

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山崎太郎「≪ニーベルングの指環」教養講座」

 ワーグナー研究家の山崎氏による入門書だが、入門書のふりをしつつ、きわめて専門的なことまで踏み込んだ名著だと思う。

私は高校生のころからワーグナーの「指環」に親しんできたが、レコードを聴いたり映像を見たり、実演を見たりしてして、疑問に思うことがいくつもあった。「え、なぜ突然、こんなセリフが出てくる?」「え、この登場人物はなぜそんなことを知ってるんだ? 一体いつ知る時間があったんだ?」「つまり、このセリフはどういうこと?」「え? このセリフ、前の部分と矛盾するんじゃないの?」「おいおい、この登場人物、今一体何歳なんだ?」「前の場面から一体、何年たっているんだ? 計算が合わないではないか」「きっと、ワーグナーが台本を書くときに、つい勘違いしてこんなことを書いてしまったんだろう」などなど。

山崎は愚直なまでに台本をそのままに受け取って、そこに整合性を見出し、そこに込められた意味を解き明かしていく。その手際が見事。生真面目な研究書でも、教科書的な入門書でもなく、知的冒険に満ちた独自の解説書。しかも、あれこれの文章作成上の仕掛けがある。読み始めると、おもしろくてやめられなくなる。目を見開かれた指摘がいくつもあった。バルザックやドストエフスキーとの関係の指摘にも深く納得した。

これから先、ワーグナーに触れるたびにこの本を読み返すことになりそうだ。

 

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テディ・パパヴラミ(山内由紀子訳) 「ひとりヴァイオリンをめぐるフーガ」 

 パパヴラミは私の大好きなヴァイオリニストの一人だ。2011年のナントのラ・フォル・ジュルネで初めて接し、様々な感情の入り混じった独特の音色と情熱的でありながらもきわめて知的な弾きっぷりに圧倒された。2011年と今年(2017年)のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでも来日している。そのパパヴラミが自伝を出していると聞いて読んでみた。この本のタイトルを音楽愛好者向けにいいかえれば、「独奏ヴァイオリンのためのフーガ」ということになる。

 単にヴァイオリニストの自伝というレベルを超えておもしろい。1971年に生まれ、鎖国時代のアルバニアで少年時代を過ごし、神童として知られるようになり、12歳の時、奨学金を得てフランスに留学する。しかし、実はパパヴラミの家系は独裁者ホッジャに批判的だった。パパヴラミ自身もすでにアルバニア社会に息苦しさを覚え、アルバニアに帰国したら芸術家としての将来がないことに気付いていた。両親とともにフランスに出てこられたときに亡命を決行する。が、そのため、祖父母は強制収容されてしまう。その後、ホッジャは死亡、東欧の社会主義体制が崩壊し、パパヴラミも故国を訪れられるようになる。

 パパヴラミはアルバニアの作家イスマイル・カダレの作品を何冊もフランス語に訳しているという。文学に大きな関心と才能を持っているようだ。子ども時代の心理や体験が実に初々しく語られる。また、隔離された国家で英才教育を受け、フランスに留学して戸惑う様子、徐々に社会主義の中でも特殊な当時のアルバニアの息苦しさに気付いていく様子も実にリアル。文学作品としてもとても優れていると思う。

 何とパパヴラミがジャンヌ・モローの推薦によって映画「危険な関係」に出演して、カトリーヌ・ドヌーヴと共演したという記述がこの本の中にあった。言われてみれば、確かに、パパヴラミは引き締まった体型のなかなかの好男子。さっそくDVDを注文した。

 

 そして、私の新刊の参考書を二冊紹介させていただく。

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 ひとつは、「小論文これだけ! 今さら聞けないウルトラ超基礎」。小論文をまったく書いたことがない、それどころか、子どものころから作文を書くのも大の苦手だったという高校生向けに、一つの文を正しく書く方法など、基礎の基礎から手取り足取り解説している。

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 もうひとつは、「
AO・推薦入試をひとつひとつわかりやすく」(共著)。AO・推薦の志望理由書の書き方、面接の受け方、小論文の書き方を解説(私は小論文を担当)。

 ともに、小論文をこれから始める人にぜひ読んでいただいたい参考書だ。

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ゴバディ監督の映画 「サイの季節」「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」「亀も空を飛ぶ」「ペルシャ猫を誰も知らない」に圧倒された

 ものすごい映画監督を初めて知った。バフマン・ゴバディというイラン出身のクルド人監督。イラン映画を何本か見ていくうちに、「サイの季節」をみて、とてつもない映画だと思った。ゴバディ監督の映画をたて続けに見た。どれも素晴らしい。世界の名匠の一人だと思った。感想を書く。

 

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「サイの季節」 2012年

 冒頭からあまりの映像の美しさに圧倒された。ポエジーにあふれている。すべての画面の映像美に酔いしれる。私がこれまで見たすべての映画の中のベストテンに入るかもしれない。

 セリフが少ない。少ないセリフから何が起こっているのかを推測するしかない。しかも、どこまでが現実でどこからが幻想なのか曖昧なところもある。

ともかく、イラン革命期、反体制的な詩を書いたという理由で投獄されていた詩人サヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)が30年ぶりに解放されたところから始まる。イスタンブールに暮らす妻ミナ(何とモニカ・ベルッチが演じている!)を探し当てるが、自分は死んだことにされており、妻には二人の子供がいるので名乗り出ることができない。革命前に若きミナに横恋慕していた運転手アクバル(ユルマズ・エルドガン)が革命の混乱で権力者になり、ミナを手に入れるために、サヘルを陥れたことが徐々にわかってくる。しかも、アクバルは夫と同時期に投獄されていたミナに目隠しをし、夫サヘルだと思わせて性交渉をする。その時に受胎したのがミナの双子の子供だった。サヘルは娼婦になったミナの娘と交流を持ち、それと知らずに交わってしまう。あとになってそれに気付く。アクバルを見つけ出し、車に乗せてともに死を選ぶ。

三人の主人公の目の演技が凄まじい。とりわけ、サヘルを演じるヴォスギーの存在感が半端ではない。少ないセリフと表情ですべてをわからせる、しかも、それが少しも不自然ではない。ヒルや亀やサイが登場する。その不気味な形状や動きが生々しい生命を強く感じさせる。生きる者の業、悲しみ、社会の混乱に翻弄される人々の生きざまが詩的に描かれる。モニカ・ベルッチの美しさにも改めて感嘆した。

 

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「酔っぱらった馬の時間」 2000年

 イランとイラクの国境の荒れ果てた山岳地帯に住んで、イラクへの密輸で暮らしを立てるクルド人の家族。母はお産で死に、父は地雷で死ぬ。子どもたち5人が残される。しかも、子どもの一人には障害がある。しっかりした男の子が密輸の荷物運びで働き、一家を支える。

 極寒の中での馬(字幕ではラバとなっていた)を使っての密輸なので、ラバが凍えないように酒を飲ませる。そこからこのタイトルができている。警備兵に追われて、酔っぱらったラバたちが雪の中をよたよたと動く場面は滑稽であり、悲惨であり、しかも生命を感じさせる。

 初めに字幕が出る。これがクルドの現実らしい。過酷な現実が描かれる。少年と、その妹が中心に話が展開するが、お涙頂戴の感傷的なかわいそうな映画ではなく、過酷な現実の中に生きる子どもたちの真実の映画。障害のある子どもは過酷な現実を十分に理解せず、しかも過酷さに直面すると苦しみを表に出す。おそらく演技ではないのだと思うは、実に凄まじい場面だ。

 ポエティックで圧倒的な映像美だった「サイの季節」とはまったく作風が異なって、あくまでリアルに徹しているが、これもまた名作だと思った。

 

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「わが故郷の歌」 2002年

 クルド人の誰もが知る有名な老歌手ミルザが自分を裏切って出ていった元妻ハナレから助けを求められ、二人の中年の息子とともに難民キャンプにいるというハナレに会いに行く様子を描くある種のロードムービー。

しかし、アメリカのロードムービーなどと違って、三人が進むのは、イラン・イラク戦争中にイラクからの攻撃を受ける戦場となっている国境付近の山間部であり、雪の岩山でもある。まさに過酷。しかも、これが作りごとではなく、クルド人の現実らしい。

三人の珍道中にはユーモアがあり笑いがあるが、強盗に襲われて身ぐるみはがされたり、爆撃にあったり、虐殺された死体を掘り起こす現場に居合わせたり。しかも、ハナレの願いというのは、戦争で夫を亡くし、化学兵器のために容姿を失い、声が出なくなったために育てられなくなった娘をミルザに託すことだった。生と死が隣り合うところで必死に生きる人々の悲しみと喜びと怒りの入り混じった生そのものが伝わってくる。

「サイの季節」や「酔っぱらった馬の時間」ほどの感銘は受けなかったが、映像は美しく、クルドの人々の生きざまを目の当たりにでき、しかも歌もふんだんに聴ける。これをクルド人の映画監督が作ったことに驚く。描かれるのは殺伐とした世界だが、その映像美と手法は斬新でしかもきわめて芸術的。ゴバディ監督はとてつもない天才だと思う。

 

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「亀も空を飛ぶ」 2005年

 岩波ホールで公開されたらしいが、私は今回、DVDで初めてみた。いやはや凄まじい映画。

少女が断崖から身投げする冒頭の場面から衝撃的。イランのクルド人の住む荒れ果てた山間部の子どもたちが描かれる。まるで大人のように生きる孤児たち。そこに三人のきょうだいにみえる子どもたちがいる。両手のない少年とその妹アグリン、そして幼児。幼児は実はアグリンがイラク兵にレイプされて産んだ子供だった。アグリンは自分の子どもを憎み、かわいがろうとしない。そのアグリンに少年たちのリーダー格のサテライトが恋をして、何かと助けようとする。だが、アメリカがイラクへの攻撃を開始し、サダム・フセイン政権が倒れてアメリカ兵がやってきた日、少女は息子を池に投げ込み、自らも自殺する。

 両手のない子は未来を予言する能力を持っているという設定になっている。監督自身が魔術的リアリズムを使いたかったことをメイキング映像で明かしている。そのような非リアルな状況設定を行うことで、魔術的なリアリズムが拡大鏡のように働いて、いっそう過酷な現実がリアルになる。

 実際のクルド人の村人や孤児たちを使って撮影されたらしい。両手のない子も実際にそのままの姿だ。それだけに本当にリアル。単なる反戦映画でも、かわいそうでけなげな子どもたちの物語でもない。人間のリアルそのもの、クルド人のリアルそのものをたたきつけてくる。なお、「亀も空を飛ぶ」というタイトルは、不可能なことはないという意味らしい。平和を祈り、子どもたちの将来の幸せを祈ることばだろう。

 

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「ペルシャ猫をだれも知らない」 2009年

 大都会テヘランでインディー・ロックを演奏する若者たちを描いた作品。これまで見たゴバディの映画とまったく雰囲気が異なる。

青年アシュカンとその恋人ネガルはイラン国内では演奏の許可が出ないのでロンドンに出ようとしている。あれこれ手をまわして、偽造パスポートの作成を依頼し、ロンドンに出る間際となるが、偽造パスポート作成者は逮捕され、アシュカンが立ちよったパーティが警察の手入れを受けて、アシュカンは窓から逃げ出そうとして転落し、命を失う。

実際のミュージシャンが演じているという。音楽を演奏できず、映画も自由に作ることができず、犬や猫が室外に出ることも禁止されたイラン社会の閉塞感とそこから脱出しようとする衝動がよくわかる。重いテーマを扱っているが、昔のアメリカ映画「イージーライダー」にも似て、古い社会に穴をあけて新しい社会を築こうという意志が明確に描かれるので、これを見る者は決して暗い気分にはならない。タイトルは、ペットの室外への持ちだしさえもが禁じられているイラン社会において、室内にいるペルシャ猫が外からは知られていないことを意味しているという。これもなかなかの名作だと思った。

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オペラ映像「ローエングリン」「ダナエの愛」「パルジファル」

 パソコンに向かって原稿を書き、疲れたら映画やオペラのDVDBDをみる。このところ、そのような生活をしている。これが私には一番合っている。最近購入したオペラ映像についての感想を書く。

 

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「ローエングリン」2016年 ドレスデン、ザクセン州立歌劇

 

 ティーレマン指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。最高の演奏。近年のティーレマンの充実ぶりはすさまじい。

 エルザを歌うのはネトレプコ。私としては待ちに待ったネトレプコのエルザだ。ただ、だんだんと調子が上がってくるものの、前半は気負いすぎてちょっと不安定な感じ。とはいえ、第三幕は絶唱。ゼンタやエリーザベトやエファ、そしてできればイゾルデやジークリンデを歌ってくれないだろうか。ローエングリンを歌うピョートル・ベチャワはネトレプコ以上に役にはまっている。私はこの人の歌は実演では「ラ・ボエーム」のロドルフォを二度(一度はフリットリのミミを相手にしたメトロポリタン歌劇場の来日公演、もう一度はネトレプコがミミを歌ったザルツブルク音楽祭)聞いているし、映像では何度も聴いている。素晴らしい歌手だと思っていたが、ローエングリンまでもこれほど見事に歌うとは! 張りのある強い声。ヘルデン・テノールといえるほどの強靭さ。カウフマンやフォークトに決して劣らないと思う。

 テルラムントのトマス・コニエチュニーも素晴らしい。この役は影が薄くなりがちだが、コニエチュニーが歌うと人間味が増し、強い陰影を帯びる。そして、特筆するべきはオルトルートのエヴェリン・エヴェリン・ヘルリツィウス(もしかしてイヴリン・ハルリチアス  ハーリッチアスという発音なのか?)。何度か実演を聴いて素晴らしい歌手だとは十分に認識していたが、改めてすごさを実感した。魔女オルトルートの凄みがビンビンと伝わる。ハインリヒのゲオルク・ツェッペンフェルトも威厳のある堂々たる声と演技、素晴らしいと思う。

 そして、それにもまして圧倒的なのがオーケストラと指揮のティーレマン。言葉をなくす凄さ。濃密でダイナミックで表情豊かで力感にあふれている。とてつもない名演。ただ、演出については、とてもまとまりがよいとはいえ、特に新しい解釈は示されない。

 

 

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シュトラウス 「ダナエの愛」2016年 ザルツブルク祝祭大劇場

 

 NHKBSで放送されたもの。演奏は見事というしかない。私はこのオペラは最初から最後までずっと同じ調子で豊穣な音楽が鳴り続けている点で苦手意識を持つのだが、さすがフランツ・ヴェルザー=メストの指揮というべきで、そのような弱点を感じさせない。精緻で知的でしかも豊穣。いや、豊穣すぎないところがいい。

 歌手はそろっている。クラッシミラ・ストヤノヴァのダナエは、声も伸びているし、声の演技も見事。そして、何よりもトマシュ・コニエチュニーのユピテルが素晴らしい。威厳のある強い声で意地悪なユピテルを見事に演じている。ゲルハルト・ジーゲルのミダスも、冴えない純朴なオタクという感じで、容姿的には恵まれないが、それはそれでとてもいい。

 演出に関しては、めったに上演されないオペラをわかりやすく、おしゃれに、そして華麗に見せてくれている。「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」と比べるとやや劣るのは間違いないと思うが、シュトラウスのオペラとしてとてもおもしろい。一度だけ東京二期会の公演を見たことがあるが、もっと上演してほしいオペラだ。

 

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ワーグナー 「パルジファル」2012年 アムステルダム音楽劇場

 

 細身で鋭利な「パルジファル」。かつてクナッパーツブッシュ指揮のレコードでこの楽劇を繰り返し聴いた人間からすると、改めてワーグナー演奏の時代的な変化を感じる。イヴァン・フィッシャーの指揮によるコンセルトヘボウ管弦楽団はクナッパーツブッシュのようにどっしりとして重心の低い演奏をしない。繊細で幻想的。それはそれでとても素晴らしい。

 歌手たちは超一流。パルジファルを歌うクリストファー・ヴェントリス、クンドリのペトラ・ラングともに熱演。二人ともちょっと不安定なところを感じないでもないが、声は伸びているし、現在、これ以上の声を聞かせる人はそれほど多くないだろう。とりわけ、ラングの第二幕の不気味さはとても説得力がある。グルネマンツはファルク・シュトルックマン。久しぶりに見る顔だが、声の輝きは失っているものの老人らしい渋みがあってとてもいい。  ミハイル・ペトレンコの中性的で異様なクリングゾル(私の知る限り、ペトレンコはかなり荒々しくて男性的なので、これは演出によるものだろう)、むしろキリストを思わせるアレハンドロ・マルコ=ブールメスターのアンフォルタスは、ちょっと声楽的には弱さを感じたが、不満に思うほどではなかった。

 ピエール・オーディの演出は、赤や青のライト、いびつに映る鏡、異教的な衣装を使って幻想性を高めている。ティトゥレルやアンフォルタスらのキリスト教社会も、またそれに対立するクリングゾルの側の社会もともに狂信的で偏狭でいびつだ。それをパルジファルが救済する。そのようなメッセージに見える。

とてもおもろしろかった。ただ、私としては名演として感動するには至らなかった。

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ジャリリ監督の映画4本

 時間的な余裕ができて、自分のペースで仕事を進めている。9月中旬からは週に一日だけ多摩大学で非常勤の仕事をするが、それまでは週に一、二回の割合で大学の入試関係の仕事をするくらい。今年中にあと4冊の本を完成させる必要があるが、焦る必要はなさそう。

 イランの映画監督アボルファズル・ジャリリの映画DVD4本セットを購入して、見た。いずれも10歳前後の少年を主人公にした映画。簡単な感想を書く。

 

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「スプリング ~春へ」 1986年

 名作だと思った。イラン・イラク戦争の真っただ中。イラク軍に攻められた地域に住む少年が家族と別れて森の中で見知らぬ老人に引き取られて二人で暮らし始める。冬の森の中で暮らすうち、少年は徐々に自然の生活に慣れ、老人になじんでいくが、両親への思いを捨てきれない。冬の状況と、戦争の終わりとしての春が重なり合う。森が春になり、戦争が終わるのを待つ少年の気持ちが痛いほど伝わる。孤独な老人の少年への思いもよくわかる。そして、どこをとっても絵画になりそうな美しい映像。

 画面の右から左、左から右へと登場人物が移動する場面が多い。それをじっくりと撮影していく。自然の中での人間の営みという事実が印象付けられる。迷子になった少年を老人が見つけ出す場面、そして、最後の少年の育った地域がイラクにもどったラジオ放送を聴く場面は感動的だった。

 

「ぼくは歩いていく」 1998

 父親が薬の中毒でしかも兵役逃れようと子どもの出生届を出さなかったために戸籍を持たないまま育った9歳の少年を主人公にした映画。生活のためにいろいろな仕事をしているが、学校にも行けずにいるために読み書きもできず、身分証がないために仕事を続けられない。父は牢獄に入り、母も収容され、兄弟も助けてくれずに一人で仕事を求めてさまよう。時々、ドキュメンタリータッチになって監督が登場人物にインタビューする場面が入る。起承転結のある物語というよりも、けなげに生きる少年をずっと追いかけていく。

 イラン社会の現実、大人の犠牲になって苦しむ少年、大人と同じように過酷な労働をする子供たちが描かれる。とても良い映画だと思うが、主人公の少年が垢ぬけており、しかもセンスの良い色彩の服を着ているために、私はあまりリアリティを感じられなかった。感じのよい少年であり、演技も見事だが、あまりにお坊ちゃんぽい。

 

「ダンス・オブ・ダスト」 1998

 ほとんどセリフのない映画。しかも監督の要望により字幕を付けないという断り書きが初めに示される。昔の新藤兼人監督の「裸の島」に似た雰囲気。ただ、舞台は砂漠の中で、主人公は少年と少女。字幕がないだけでなく、説明のほとんどない映画なのでわかりにくいところがある。主人公の少年は孤児のようだ。大人に混じってレンガ作りの仕事をしている。季節労働者の娘である同年代の少女と心を通わせ、少女の手形の残ったレンガを大事にするが、雨期が来て少女は去っていく。孤児である少年は心の支えを失ってしまう。それを貧しく過酷な自然を背景に描く。

埃だらけの世界。ぼろをまとった子供たちが、大人に構われることなく、おもちゃもなしにただ走り回って遊んでいる。大人たちも砂だらけの世界でひたすら生活する。それだけで圧倒的な存在感がある。生命の原型を示しているかのよう。とても良い映画だと思った。

 

「トゥルー・ストーリー」 1996

 ジャリリ監督はある劇映画を作ろうとするうち、ある少年に出会って映画への出演を誘うが、その少年は足が不自由で出が必要だと知り、映画の方針を変更して、その少年のドキュメンタリーを作り始める。父親を亡くし、子どものころからたくさんの仕事をしてきた少年が、監督の力で手術を受けるまでが描かれる。どのくらい現実そのままなのかはよくわからない。そうした手法で、イランの現実、貧しい人々の生活、人間の生きざまを描いていく。

 ただ私としては、おもしろい試みだとは思いながらも、この少年を選んで出演を誘おうとすることについても、手術を撮影しようとすることについても、なぜ監督がこだわるのかよくわからなかった。最後に、手術が成功したことが字幕で知らされるが、やはりこれは大事なことなので映像で出してほしいと思った。私としては少々消化不良の一本だった。

 

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