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ジャームッシュ監督「パターソン」 日常の中の詩としての映画

 ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」を見た。ニュージャージー州パターソン市に住むパターソンという名前の男(アダム・ドライバー)。バスの運転手として平凡な生活を送りながら、毎日、ノートに詩を書きつけている。美しい中東系の浮世離れした妻(「彼女が消えた浜辺」のゴルシフテ・ファラハニ!)と愛嬌のある犬、そして行きつけのバーでの平凡な日常が描かれる。しかし、その日常の奥底、日々の平凡な生活の中に詩があることが、静かな映像によって観客に伝わる。善良で優しい主人公。日常の向こうに非日常の声を聴きながらも、日常を生きている。バス運転手というきわめて日常的な仕事をしながら、人々の声に耳を傾け、自然を見ている。

 とりあげられる詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩と人生がとても魅力的だ。そして、何度も出てくる双生児のイメージもおもしろい。パターソンに暮らし、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズという名前を重ねたパターソン出身の詩人、パターソンに住むパターソンという名の主人公、時代を超えた二人の双生児としてのイメージが膨らんだのだろうか。よくわからないが、ともあれ微笑ましくて、ちょっと神秘的な双生児というイメージに私は心惹かれた。

 最後、書き溜めた詩を愛犬に食いちぎられて、主人公は途方に暮れて滝の前のベンチに座っている。そこに日本人の詩人(永瀬正敏)が現れ、突然話しかけて、死について話を交わす。主人公はそれに元気づけられ、また日常を取り戻す。

 素晴らしい映画だと思った。まさしく日常の中の詩そのものといえるような映画。役者たちも素晴らしい味を出している。永瀬さんも素晴らしい。ジャームッシュの名前はずっと昔から知っていたが、ヨーロッパ贔屓だった私は、いかにもアメリカ的な題名の映画の多いこの監督を敬遠していた。昔、一作を見た覚えがあるが、それほど惹かれることなく、タイトルも忘れてしまった。

これから何作か見てみよう。

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