ウランバートル(モンゴル旅行)3日目
一昨日(2017年8月22日)、ウランバートルから帰国した。昨日は、体調もよくなかったため、ゆっくり休養。本日(8月24日)、活動開始。ウランバートル3日目(8月21日)かkらの行動について記しておく。
ウランバートル3日目(2017年8月21日)
テレルジを朝のうちに出発し、ガイドさんに連れられて車でエルデネ村に行き、チンギス・ハーン像テーマパークをみた。高さ12メートルのステンレス製のチンギス・ハーンの騎馬像。展望台があり、お土産物がある。周囲に様々な施設を建設予定だという。ただ、正直なところ、私には少しも魅力的には見えない。像そのものも何の変哲もない、芸術性など全く感じられないものだし、娯楽施設も何もない。先ごろ大統領になったバトトルガ氏の会社が行った事業だというが、観光客もそれほど訪れているように見えない。しかも、できてから10年しかたたないというのに、階段があちこち壊れ、道路にもへこみや水たまりが多い。
その後、ウランバートルに戻って、まずザイサン・トルゴイという丘に行った。ソ連とモンゴルの友好を記念するためものらしい。頂上に行くとウランバートルを一望できるとのことで、ここがウランバートル市内観光の出発点として選ばれたのだろうが、残念ながら、頂上まで階段を歩く体力の不足を感じて、中ほどでめげた。ただ、あまり芸術性も歴史性も感じられそうもないと思った。
その後、一般家庭での昼食がツアーに含まれていた。スープとチャーハンをお年を召した女性が出してくれた。これはおいしかった。1LDKのこぎれいなマンションで、とても趣味のよい清潔な部屋だった。ただ、これが本当の一般家庭かどうか少々疑わしい。生活感があまりにないし、この年配の女性はツアー・スタッフの関係者らしい。もしかしたら、このような場所にビジネスとして使っているのかもしれないと思った。ま、もちろん、それでも一般家庭の雰囲気を味わえるのはありがたい。
その後、ガンダン寺にいった。19世紀にたてられたチベット仏教の寺院。社会主義政権の初期には弾圧されたらしいが、その後、復権されて、現在に至っているという。市民の信仰の場になっているようで、多くの市民が参拝に来ていた。堂内ではたくさんの僧侶が一堂に会して読経をし、若い見習い層のような人たちが読経の練習をしているようだった。
ただこれも、ブータンで実際に見たり、チベットの映像を見たりしたのと比べると、あまり信仰心が強いようには見えない。塀が壊れていたり、草がぼうぼうに生えていたり、コンクリートで簡易的にあちこちを修復したような跡があったりで、威厳がない。念仏を唱えている僧侶たちも、あまり熱心に見えなかった。居眠りしている年配の僧侶やおしゃべりしている少年僧もいる。
その後、デパートを見た後、大渋滞を縫って、民族舞踊コンサート(たぶん、トゥメン・エフ民族アンサンブル)鑑賞。これは、とてもおもしろかった。ホーミーを初めて聴いた。確かに一人の男性が重音を出し、それが不思議な和音を作っている。そのほか、馬頭琴もいくつかの金管楽器も大変おもしろかった。歌も見事。モンゴル人のオペラ歌手が注目されてきているが、なるほど、オペラが盛んなのが納得できる。オペラの歌唱とはかなり異なるが、力強くよく響く声。中心地域にオペラ劇場があって、オペラ好きが多いというのも頷ける。
その後、またまた大渋滞の中、チンギス・ハーン広場に行った。ウランバートルの中心をなす広場。スフバートル広場と呼ばれる時代も長かったようだ。私の泊まるホテルがこの広場のすぐ近くなので、初日にホテルの部屋から見えていた風景だが、この時初めて足を踏み入れた。広い広場の周りを政府関係の建物、オペラ座などがある。モンゴルの威信をかけているかのようなきれいで威容のある広場と建物だ。
ざっと周囲を散歩して、そのまま大渋滞の中、レストランに行き、食事をしてホテルに戻った。
翌日、朝6時にホテルを出て、空港に向かって帰国。
ホテルの部屋から見たチンギス・ハーン広場
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