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ウランバートル(モンゴル)旅行のまとめ

たかだか34日のモンゴル旅行なので、たいしたことはわからなかったが、今回の旅についての印象をまとめておく

・ウランバートルはかなり近代的な大都市だ。きれいな建物があり、20階建て程度のビルもたくさんある。ロシアの雰囲気。ソ連時代ふうの無味乾燥な監獄のような建物も目に入る。おしゃれな建物もロシア風。ただし、売られているものは多くが中国製のようだ。チンギス・ハーン広場に市が立っていたが、文房具、服、機械類のほとんどは中国製のようだった。モンゴル製らしいものは、農業製品以外にはなさそうだった。

 

・ホテルのすぐ隣にスーパーがあったのでのぞいてみた。ヨーロッパでよく見かけるタイプのスーパーだった。果物や野菜は自分で袋に詰めてレジに持っていくようになっている。倉庫のように品物がざっと並んでいる。中国製が多い。ラーメンやうどん、調味料など日本製もある。スコッチなどもある。品ぞろいはとても良かった。夕方、ほんの短い時間だったが、ホテルの周囲を歩いてみた。コンビニを見つけた。小さめの日本のコンビニと同じような雰囲気で、セブンイレブンと似たマークだった。品ぞろえも日本に似ていた。英国製ウィスキーなどは日本と大差ないが、一般の商品については、日本よりもかなり安かった(半額か三分の一くらい?)。

 

・正直言って、3日間食べた料理は、あまり私の口には合わなかった。ただ、私の食べたものが、モンゴル料理かどうか怪しい。西洋風にかなりアレンジされたものだったように思う。とはいえ、きっと、日本人にも抵抗のないように気をつかってくれているのだろうから、実際には、本格的なモンゴル料理はもっと日本人には食べづらいものなのかもしれない。一言で言えば、どれも大味で胃にもたれる。

 

・草原の風景は素晴らしい。ほんの少し郊外に行くと草原が広がり、そこで放牧がなされている。モンゴルの人は見慣れた風景だろうが、まさに絶景。もう少し郊外に出ると、見渡す限りの草原になる。これを見ただけで幸せを感じる。そして、星空。私は本来、天体にほとんど関心のない人間だが、ゲルからトイレに行こうとして、空を見上げてびっくり。もっと暗いところに行ったら、もっと美しかった。ガイドさんと顔を合わせたので、そのことを言うと、ガイドさんは、このくらいの星空できれいだということが不思議らしく、「本当に晴れていたらこんなもんじゃありませんよ」といっていた。よほどすごいのだろう。

 

・ともかく渋滞がすごい。ウランバートル市内は、どこもかしこも大渋滞。電車、地下鉄はない。新学年直前だからいつもよりもひどいというが、それにしても、凄まじい。幹線道路はまったく動かないといってよいほど。朝夕のラッシュ時でなくても、中心道路のどこもが大渋滞だった。左折する場合など、一回の信号で1台か2台しか進めないことも多い。大通りごとに左折車線に長い列ができている。ところが、その列の後方にいた車が、列から抜けるので、左折をあきらめて直進でもするのかと思っていたら、左折車線の前のほうに行って割り込もうとする。そんな車が何台もある。そのためによけいに渋滞する。

 

・交通マナーは、割り込みを除けば、それほど乱暴ではない。まあ、乱暴に運転しようにも渋滞なので、しようがないとも言えるだろ。ただ、割り込みと車線の奪い合いは凄い。少しでも先に行こうとする。気持ちはわからないでもない。少しでも先に行けば、先に大状態から抜け出せる。

 

・チンギス・ハーンの騎馬像付近もホテル付近も、階段の破損や道路の陥没などが気になった。また、道路の破損もあちこちにあった。昔、東ヨーロッパに行ったとき、建物そのものは立派に見えるものの、中に入るとあちこち故障していたり、機能していなかったりするのを経験したことがあるが、それに似たものを感じた。外見はそれなりに整っているが、手抜き工事なのかメンテナンス不足なのか、その両方なのか、きちんと機能していない。これでは、地下鉄などの公共交通システムが完成させ、メンテナンスを続けるのは難しそうだ。

 

・とても有能なガイドさん(日本人とまったく変わらない日本語だった。ただ、現在の日本の言葉などについてはよくわからない様子だった)だったが、約束の時間に少し遅れてきたり、モノを紛失したりということがあった。また、ホテルにバスタブ付きの部屋を申し込んだはずなのに、シャワーしかなかったり、フロントにモーニングコールを頼んだのに何の連絡もなかったりというホテルの不手際もあった。多くの面でザツさを感じた。これだけで決めつけることはできないが、街の雰囲気などから考えて、緻密にきちんと行うことが苦手な人が多いという印象を受けざるを得ない。

 

・人の顔を識別するのが苦手な私は、モンゴルの人の顔を見分けるのに苦労した。モンゴル人はみんな似ている! これほどみんなが似ている国民は少ないのではないか。男性は、8割くらいの人が、白鵬か朝青龍か旭鷲山にそっくり。とりわけ、朝青竜に似ている人が多いと思った。さっきの人と今の人が同一人物なのかどうか、たびたびわからなくなった。私についていたガイドさんは白鵬に似ていたが、(たぶん目印として)ニューヨークヤンキースの野球帽をかぶっていたので識別できたものの、帽子を脱いだとたん、どの人がガイドさんなのかわからなくなっていた(ガイドさん、ごめんなさい!)。モンゴル人はみんな兄弟のようだと思った。

 

・ゲルというのはモンゴルの誇るべき伝統文化なのだと思っていたら、現実にはそうでもなさそうだった。ガイドさんの話をつなぎ合わせて考えると、モンゴルの市民はゲル地域の人とマンション地域の人の二つの階層に分かれているようだ。ゲル地域の人は貧しくて、暖房に石炭を使うために、その周辺は空気が悪い。マンション地域では水蒸気を使ったセントラルヒーティングになっており、空気を汚さない。そのため、経済的余裕のある人は空気の汚れていないマンション地域に移り住んでいるようだ。

 

・韓国人観光客が異様に多かった。テレルジのゲルの私の周辺は韓国人の若い男女や中年男女でいっぱいだった。そのほかは中国人が多かった。西洋人(フランス人が意外と多かった)、日本人もしばしば見かけた。韓国人が多いのは、北朝鮮のミサイルへのサード配備の問題で韓国人は中国に行けなくなったため、その周辺地域への旅行客が増えているのだろう。

 

・都市全体が世俗的だと思った。寺院もあまりに現世利益的。厳かさや精神的な深さが感じられない。ブータンとはかなり異なる。社会主義の時代のために、過去のモンゴルの文化は失われてしまったのだろうか。それとも、私の選んだツアーがそのような傾向だったのだろうか。

 

・帰りの飛行機のエコノミー席には180人近くの客が乗っていたと思うが、トイレが二つしかなかった。5時間ほどの飛行時間で、しかも、朝の出発(つまり、家やホテルを朝の6時くらいに出て、朝食を機内でとっている)のだから、一人一回程度はトイレに行くし、かなりの人が短時間で済まない。トイレの前にはずっと長い列ができていた。この飛行機を海外の長距離に用いるのは無理があると思った。

 

・ガイドさんがつきっきりのツアーだった。ホテルでの朝食以外は、朝、昼、晩とガイドさんととった。とても優秀なガイドさんだったが、ひとりで散歩したり、自由に食事したりする時間がなくて少々きつかった。ガイドさんから離れた時には、私の体力ではかなり疲れきっていて、もう外に出る気力を失っていた。私のようなわがままな人間は好き勝手に街の中をふらふら見たいと思う。言葉も文字もまったくわからず、一人で観光地を回る自信がないので、ガイドさんにはいてもらいたいが、もう少し余裕がほしかった。もしかしたら、大渋滞のために予定通りの時間が取れずに、このような過密スケジュールになったのかもしれないが。

 

・ウランバートルがどんなところを知っただけで、とても有意義だった。ゴビ砂漠ツアーがあるとガイドさんに聞いた。そのうち行ってみたい。ただ、私のような体力も根性もない人間には少々つらいのかもしれない。

 

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コメント

今回も興味深い旅行記をありがとうございます。モンゴルの方々の顔立ちが日本人そっくりなこと、ゲルで過ごす夜の寒さ、ウランバートルの大渋滞、その他驚くことばかりです。自分がその場にいるような臨場感を感じました。

投稿: Eno | 2017年8月26日 (土) 18時40分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
モンゴルには3泊4日(というか、正味2日間といえるほど)だけでしたので、十分に見られなかったという思いを強く抱いています。もうすこしぶらぶらしたかったのですが。
ザルツブルク報告、楽しく読ませていただきました。ケントリッジの演出はMETのライブビューイングなどでいくつかみていますが、そうですか、そんなに素晴らしかったですか。興味を引かれます。

投稿: 樋口裕一 | 2017年8月27日 (日) 08時36分

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