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映画「沈黙」「1911」「イラクの煙」「バビロンの陽光」

 9月の最終週から非常勤講師としての大学の授業が始まるが、それまでは夏休み。コンサートに行く以外は、自宅で原稿を書いている。そして、疲れたら休憩して、DVDで映画やオペラを見る。何本か映画DVDをみたので感想を書く。

 

「沈黙」 篠田正浩監督 1971

 先日、スコセッシ監督の「沈黙」をDVDでみた。久しぶりに、封切当時にみて大いに感動した篠田正浩監督の「沈黙」をみたくなって、DVDを入手した。

篠田監督は私の大好きな映画監督だった。「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」「瀬戸内少年野球団」「少年時代」は日本映画史に残る名作だと思う。

 あらためてみて「沈黙」も素晴らしいと思った。私はスコセッシ監督作よりもこちらのほうが好きだ。神の沈黙と人間の性(さが)の相克をこちらのほうが強く抉り出していると思う。そして、マコ石松の演じる下品で一癖もふた癖もありそうなキチジローの描き方がみごと。奉行役の知的な岡田英二もいい。岩下志麻の存在も大きい。あまりに美しく、あまりに無残。最後の場面は衝撃的だ。それに、スコセッシ監督の映像と異なって、背景がしっかりと日本の江戸時代になっている。

 フェレイラを演じるのが丹波哲郎。今回みて、封切時に違和感を覚えたのを思いだした。封切時ほどではなかったが、今回みても、やはり少々無理があると思った。丹波哲郎は好きな役者だし、「第七の暁」という映画(私は中学生のころにこの映画を見て、いっぺんに丹波ファンになったのだった!)や「007は二度死ぬ」で見事な英語を耳にした。しかも、確かに日本人離れした容貌ではある(「第七の暁」では、確かベトナム人青年を演じていた)。当時の日本の低予算映画では、これほどの演技のできる外国人俳優に出演させることは資金的に難しかったのだろう。

 

「1911」 チャン・リー監督 ジャッキー・チェン総監督

 辛亥革命を描く「アクション・スペクタクル巨編」。昨年、広州に行った際、孫文を記念する博物館に行ったが、辛亥革命について知識がないことに思い当たってネットをみているうちにこの映画DVDを見つけた。広州から帰ってすぐに購入したのだったが、ようやく見た。孫文の片腕となって戦闘を率いた黄興(ジャッキー・チェン)の活動を描く。

 とはいえ、歴史と人物をくっきりと描けているとは言い難い気がする。特に孫文にも黄興にも感情移入することなく、ただ歴史の表面を知っただけで終わってしまった。

 

「イラクの煙」 アウレリアーノ・アマディ監督 2010

 2003年、イラク戦争の現場でイタリア軍が攻撃され、多数の死傷者が出る事件があったという。ノンフィクション映画撮影のために訪れていたイタリアの監督や助手も巻き込まれた。奇跡的に生き延びた映画助手アウレリアーノ・アマディが後日、実際の自分の体験を映画化したのがこの作品だ。愛煙家であるアマディがイランで20本しかタバコを吸わないうちに被害に遭ったことから、原題は「20本のタバコ」となっている。

 実体験に基づいているだけあって、被害に遭った後の場面は驚異的なリアリティだ。突然爆撃された人間はきっとこのような意識を持ち、このように感じるだろうと納得する。とぎれとぎれの映像に迫力がある。ただ、私はどうもこの主人公に感情移入できないし、イラクの状況、世界の状況をえぐっているとは思えない。いくつもの映画祭で高い評価を得たとのことだったが、私はあまり面白いとは思わなかった。

 

「バビロンの陽光」 モハメド・アアルダラジー監督 2010

 イラク人監督による映画。サダム・フセイン政権崩壊の3週間後、クルド人の老女が孫とともに行方不明になった息子(つまり、孫の父親)を探しまわるロードムービー。トラック運転手、タバコ売りの少年、クルドの村の破壊に加わった元兵士たちと出会いながら息子を探すが、刑務所にも墓場にも結局見つからない。最後、トラックの中で老婆は死に、孫が一人残される。

 フセイン政権崩壊後のイラクの状況はこの通りだったのだろう。町は崩壊し、フセイン政権によって殺害された人々の遺体が掘り起こされている。人々は刑務所や墓場に息子や夫を探しまどう。孫と男の子を中心に据えて、このようなイランの状況を描いている。当時のイランの人たちの苦しさが伝わってくる。

 子どもが中心の一人であることから、お涙頂戴の映画なのかと思っていたが、そうではなく、かなり客観的に子供たちの置かれた状況を描いている。ただ、これまで見てきた戦後映画と大差ないような気もしないではない。

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P.ヤルヴィ+N響の「レニングラード」 凄まじい演奏に興奮

 2017916日、NHKホールでNHK交響楽団定期公演、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、NHK交響楽団の演奏でショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を聴いた。凄まじい演奏だった。まだ興奮している。

 きびきびして、しかもすべての音が生きている。音の一つ一つに推進力があり、しかもきわめて緻密。とりわけ弦楽器の威力に圧倒された。N響も見事。ほぼ完璧にバランスがとれていた。

 とりわけ、私は第三楽章冒頭の弦楽器の痛ましい音に心を打たれた。そうか、ショスタコーヴィチはこのような音を出したかったのか!と納得できた。

私はショスタコーヴィチの室内楽は大好きなのだが、交響曲は特に好んで聴くわけではない。「レニングラード」も好きな交響曲ではない。納得できないところがたくさんあった。あの有名な「戦争のテーマ」が何ともちゃちで、どう考えていいのかわからなかった。が、ヤルヴィで聴くと、初めは大したことではないと思われていた愚劣で理不尽で不条理な戦争なるものがだんだんと力を増してついには人間に対して暴虐をふるっていく様子を描いているのだと納得できた。これがショスタコーヴィチのとらえた「戦争」なのだろう。まさしく戦争の理不尽。その恐ろしさも伝わる。

 ヤルヴィはまさしく戦争と人間のドラマを真正面から描いているようだ。まったく緊張感が途切れない。最初から見事だったが、第二楽章、第三楽章、第四楽章とますますドラマが盛り上がっていった。最後、絵にかいたような勝利のファンファーレになる。あまりに決まりきった展開にこれまで鼻白むことが多かったが、今日のように衒いもなく真正面から演奏されると、心の底から感動してしまう。最後は魂が震えた。

 先日の「ドン・ジョヴァンニ」にも満足した。今回はそれ以上の満足だった。

 

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ジャームッシュの映画「パーマネント・バケーション」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」「ミステリー・トレイン」「ナイト・オン・プラネット」

 原稿の締め切りの谷間にあたる。来週からまた気合を入れて原稿を書かなければならないが、今は少しゆっくりしたい。そんなわけで、数日前から、仕事の合間合間にDVDで映画を見ていた。邪道かもしれないが、20分か30分映画を見て、仕事にかかり、仕事に疲れたら、続きを見る・・・というふうにしている。

先日、「パターソン」を映画館で見て、ジム・ジャームッシュに強く惹かれたので、初期の5本を見てみた。簡単な感想を書く。

 

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「パーマネント・バケーション」 
1980

 大学院での卒業制作映画とのこと。ゴダールの影響を強く感じる。主人公二人がアパルトマンで話すところなど、「勝手にしやがれ」のベルモンドとジーン・セバーグを思い出す。「マルドロールの歌」が読まれたり、サックス吹きのエピソードが唐突に現れたり。ベトナム戦争の傷跡というテーマまでもがゴダール風。しかし、風景も感性もアメリカらしい。「永遠の休暇(バケーション=空っぽ)」を強く感じさせる。

 

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「ストレンジャー・ザン・パラダイス」 
1984

 モノクロ映画だが、今見ても実に斬新。ニューヨークに住むハンガリー出身の青年ウィリー。狭いアパートにハンガリーから来たばかりの従妹エヴァを10日間預かることになる。初めはぎくしゃくするが、じょじょに親しむようになる。10日が過ぎてエヴァは去った後、ウィリーはぽっかりと心に空虚を感じるようになる。1年後、いかさまポーカーで儲けた金をもって友人エディーとエヴァの住むクリーブランドを訪ねるが、寒さに耐えかねて三人でフロリダをめざす。が、二人の男はドッグレース金をすってしまい、エヴァはふとしたことで犯罪がらみのお金を手に入れて、ブダペストへの飛行機に乗ろうとするが、結局、三人がバラバラになってすれ違いになりそうなところで終わる。

 ストレンジャー、すなわち「よそ者」、フランス語で言えばエトランジェ(異邦人とも訳せる)。心の空虚、心のすれ違い。場面が終わるごとに画面全体が暗くなって暗転。音楽で言えば、ブルックナー終止のような雰囲気。ぶつ切れの唐突さを感じる。そこがまたいい。

 

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「ダウン・バイ・ロー」 
1986

 もとDJザック(トム・ウェイツ)とチンピラのジャック(ジョン・ルーリー)、イタリア男ボブ(ロベルト・ベニーニ)の三人が、ひょんなことから罪を犯し、同じ刑務所に入り、脱獄に成功する話。軽妙でユーモアにあふれているが、人生の寂しさ、生きる悲しさ、孤独を映像や役者たちの仕草、カメラワークにひしひしと感じる。モノクロの映像はとても美しい。フェリーニの初期の映画を思い出す。が、もっと静謐で静かなユーモアがある。内向的で洗練された独特の世界。大傑作だと思う。

 ベニーニがいい味を出している。ザックとジャックというよく似た二人の対称性を際立たせ、道化の役割を果たして、物語を推進している。

 

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「ミステリー・トレイン」 
1989

 テネシー州メンフィスでの出来事。エリヴィス・プレスリーのゆかりの街であるメンフィスを列車で訪れた日本人カップル(永瀬正敏と工藤夕貴)と、夫を亡くしたばかりのイタリア人女性、メンフィスに住む男達のグループの三つのエピソードから成るオムニバス映画。それぞれがエルヴィス・プレスリーとかかわりを持ち、それぞれすれ違いながら同じ晩に同じホテルに泊まる。

三つのエピソードの重なり具体が実におもしろい。そこに人生の絡みを感じ、やるせない人生を感じ、人間の孤独を感じる。しかし、それが少しも重くならず、深刻にもならない。当たり前のことのように孤独があり空虚がある。考えてみれば、それこそが人生なのだろう。これもまた傑作だと思った。

 

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「ナイト・オン・ザ・プラネット(原題 ナイト・オン・アース)」 
1991年 

 ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキのそれぞれ同じ時間にそれぞれの地域のタクシー運転手の体験を描いている。5つのエピソードによるオムニバス映画。

いずれも皮肉な視点から人生の機微を描いている。映画スターへのスカウトを断るロサンゼルスの女性運転手のエピソードとサーカスの道化をしていたドイツ人のニューヨークの新米運転手のエピソード、そして、ヘルシンキの不幸な運転手のエピソードが私はとてもおもしろかった。

 ヘルシンキのエピソードが特徴的だが、子どもの死という不幸な話でも、ジャームッシュは登場人物に密着しすぎない。クールに人間を描く。だからこそ、いっそう登場人物の心の中の空虚がリアルに感じられる。淡々とドライに抒情を描くとでもいうか。

 有名俳優が次々と出演する。とはいえ、封切り当時はそれほど有名ではなかったのかもしれない。ハリウッド映画と異なって、等身大の人物を俳優たちは演じている。そのような演出に圧倒される。

 

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映画「エル Elle」と「ダンケルク」

 2本の新作映画をみたので、感想を書く。

 

「エル Elle」 ポール・バーホーベン監督

 最後まで面白く見たが、実をいうとしっくりいかなかった。もうひとひねりあるのかと思っていた。私の主観的な印象から言えば、中途半端で終わった気がした。結局何が言いたかったんだろうと思った。

 ゲーム会社を経営しているかなり年配のきれいな女性ミシェル(イザベル・ユペール)が覆面をした男にレイプされる。女性はかつて大量殺人をした男性の娘なので警察不信であるため、警察に届けずに自分で犯人探しをする。そうする間に、会社内部や近隣住民の人間関係が浮き彫りになってくる。「ネタバレ」を避けて語るとこういうことになるだろう。

 登場人物の全員がフィクションとしての愛を生きている。金だけでつながっていたり、誤解でつながっていたり、思い込みでつながっていたり。そこに宗教が大きな意味を持つ。ミシェルの父親が大量殺人を犯したのも宗教的な思い込みが原因だったらしい(ただ、映画を一度見ただけでは、そのあたりのことはよくわからなかった)し、レイプ犯が暴力的な形でしか愛をかわせなくなっているのも宗教に原因がありそうなことがほのめかされる(レイプ犯は割礼されているらしいが、レイプ犯の妻は間違いなくその宗教ではない)。

ミシェルがレイプされたのをきっかけに嘘をつくのをやめて本音で生きようとしたことによってあれこれの真実があぶりだされる。そのような状況を監督は描きたかったのだろうか。

 離婚をし、次々と愛人を変え、元夫婦が二人の間の子どもとかかわるときに顔を合わせてそれなりに付き合っていく。自分の子どもと思っているのが別の男との間の子供であることも珍しくない。友人のパートナーとも性的な関係を結ぶ・・・。映画の中で描かれるそのような状況は、必ずしも非現実的なことではなく、フランスでは日常的なことなのかもしれない。この映画は、そうした社会での愛のあり方をえぐり、愛が脆弱なフィクションから成っていることをあからさまにしている。

 

「ダンケルク」 クリストファー・ノーラン監督

 第二次大戦初期、ドイツ軍の攻撃によってフランスとイギリスの軍隊はダンケルクの海岸に追い詰められてイギリスへ逃走するしかなくなる。ところが、軍に使える船では40万人の兵士のうち3~4万人ほどしか運べない。その時、イギリスの漁民が危険を顧みずに立ち上がり、自分たちの漁船を使って兵士を運んで、多くの兵士を救出する。有名な実話だ。

ダンケルクを題材にした映画を以前見たことがある。今回もそんなものかと思ってみにいったらこれは素晴らしい映画だった。

 映画が始まってすぐ、「陸1週間  海1日  空1時間」というクレジットが出る。初めは何のことかわからないがフランスでドイツ軍に攻撃されて逃げ惑う陸軍の兵士たちを扱う「陸」のエピソードと、漁船を出してイギリス・フランスの兵士を助けようとする海の男たちを扱う「海」のエピソード、そして、空軍の3人のパイロットを扱う「空」のエピソードが交互に描かれていることがわかってくる。この映画は一つの時間軸で描かれているのではなく、「陸・海・空」がそれぞれ別の時間軸で描かれている。「陸」編はドイツ軍に追われて敗走し、イギリス本土に逃げようとした船を待ちながらも爆撃を受ける絶望的な1週間の陸軍の動きを追いかける。「海」編は、英仏軍の窮地を知って船を出す漁民の一日を追う。「空」編はダンケルクに軍を助けに行く空軍の1時間を追う。

クライマックスの部分で三つのエピソードが重なり合う。そこで高揚を味わうように作られている。以前に起こっていたことが、別の視点から描かれることも何度かある。こんな時間軸の映画をこれまで見たことがなかった! 感服!

 登場人物の描き方にも恐れ入った。「陸」編では、逃げることに必死の若い兵士、「海」編は英雄的に立ち上がる民間人、「空」編は英雄的な軍人が中心的に描かれる。しかし、いずれもが突出した人間ではなく、その場にいた全員が同じように行動しただろうことを納得させられる。それぞれの編で一人の人物に焦点を当て、一人一人の心の中まで描かれるが、その場にいた多くの人がおそらく同じようない気持ちを抱いていただろう。

 すべての場面で必死感が伝わり、観客もまたいつ爆撃されるかわからないという危機感を共有し、しかも端役に至るまでの人物の行動(とりわけ、海編)に説得力がある。

 ドイツ軍の姿が一切描かれないのも見事。彼方から爆撃され、戦闘機がやってきて攻撃される。わけもわからず、理不尽に攻撃される兵士の置かれた状況がよくわかる。また、音、そして音楽の使い方のうまさにも驚いた。少々いきすぎな気がしないでもないが、恐怖や脅威を感じさせる音楽や音が充満する。CGは一切使っていないという。

 兵士たちは、敗走したために世論にひどく非難されていると覚悟していたのに、むしろ生きて帰ったことを国民は大歓迎する。人命を大事にし、そうであるがゆえに故国を守ろうと多くの人が立ち上がる国の偉大さ(当時のドイツや日本との違い)を印象付ける。

 私はミニシアターで上映される「芸術映画」のたぐいを見ることが多いのだが、娯楽超大作の質の高さも改めて実感したのだった。

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NHK音楽祭 パーヴォ・ヤルヴィ+N響の「ドン・ジョヴァンニ」に興奮した

20179月9日、NHKホールでモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)を聴いた。NHK交響楽団、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。NHK音楽祭の一環。演奏会形式とはいえ、ちょっとした寸劇が入り、ドラマとして十分に堪能できた。

すべてにおいて現代最高水準。歌手陣は粒ぞろい。私はとりわけドンナ・アンナを歌うジョージア・ジャーマンとドンナ・エルヴィーラを歌うローレン・フェイガン、そしてドン・オッターヴィオのベルナール・リヒターを素晴らしいと思った。いずれも若くて容姿も美しい。ジャーマンはとても透明な声。フェイガンは成長でありながらもスケールが大きい。リヒターは、ドラマの流れとあまり関係のないアリアを歌うので影が薄くなりがちだが、これほど見事な声で歌われると説得力がある。ドン・オッターヴィオには悪の化身であるドン・ジョヴァンニの対比としての重要な意味があるのではないかと思った。

 レポレッロのカイル・ケテルセンもとてもよかった。見事な太い声、そして軽妙な演技。もちろん、ドン・ジョヴァンニのヴィート・プリアンテもよかったが、どんなドン・ジョヴァンニ像なのかがはっきりしなかった。悪を表に出すのか、それとも別のドン・ジョヴァンニ像なのかを明確にするほうが魅力が出ると思った。

 そのほか、騎士長のアレクサンドル・ツィムバリュク、マゼットの久保和範、ツェルリーナの三宅理恵も見事な歌。日本人二人は特筆するべきだと思った。これらの超一流の西洋の歌手たちにまったく引けを取らず、美しい声で歌っていた。三宅さんには10年ほど前、多摩大学の私のゼミの主催したコンサートで歌っていただいたことがある。そのころから素晴らしい歌手だったが、いまや日本を代表する大歌手だと思った。

そして、やはりオーケストラと指揮の素晴らしさについて語らぬわけにはいかない。

N響の実力を発揮してくれた。弦も管楽器も実に美しい。そして、ヤルヴィの指揮も躍動感にあふれ、ドラマティック。序曲からして、人間の暗部を抉り出すかのよう。ドンナ・アンナがドン・ジョヴァンニの「さらば」の声で犯人だと気づく場面ところや最後の地獄落ちの場面など、怖気を覚えるほどのシリアスでリアルな音だった。

ただ、音楽に強さがありすぎるために、レポレッロの軽みやおかしみが出ていないように思えた。父ネーメだったら、もっといたずらっ気を発揮してくれるのではないかと思った。おそらくパーヴぉは意識的にそのような遊びの部分を排除しているのだと思うが、私としてはそのような部分もほしい。

しかし、これほどの素晴らしい演奏を東京で聴けてとても満足。ザルツブルク音楽祭並みの名演奏だと思った。本日もまた大いに感動した。

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映画「危険な関係」「沈黙 サイレンス」「暗殺のオペラ」「ボーダレス」

 DVDVHSで映画を何本かみた。感想を書く。

 

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「危険な関係」 
2003年 フランス ジョゼ・ダヤン監督

 ラクロ原作によるテレビ映画。監督はジョゼ・ダヤン。時代は1970年代(?)に移されている。このブログにも書いた通り、ヴァイオリニストのパパヴラミの自伝を読んで、この映画の存在を知った。

「危険な関係」は45年ほど前に一度、翻訳で読み、その後、フランス文学を勉強していたころに、フランス語でほんの一部を読んだことがある。とてもおもしろいと思ったが、詳細はまったく記憶にない。映画を見て、改めておもしろいと思った。悪の権化のような男女が理性によって人々の感情をコントロールしようとして自滅してしまう物語とでもいうべきか。映画を見ながら、その昔、二人の悪の魅力にしびれたことを思い出した。

 メルトゥイユ夫人をカトリーヌ・ドヌーヴ、ヴァルモンをルパート・エレヴェット、そのほかにナスターショ・キンスキー、ダニエル・ダリュー、リリー・ソビエスキーが出演するという超豪華キャスト。それにまじって、パパヴラミがダンスニーを演じている。上手な演技とは言えないが、メルトゥイユ夫人とヴァルモンに手玉に取られる実直なヴァイオリニストをきちんと演じている。バッハの無伴奏パルティータやパガニーニのカプリースやブラームスのコンチェルトを弾いている場面がいくつもある。パパヴラミはこれ以外には映画に出演していたらしいのが残念。

 そういえば、「クレーヴの奥方」も「マノン・レスコー」も「アタラ」「ルネ」も40年以上前に読んだっきりだ。老後の楽しみにと思っていたので、そろそろ読み返したくなった。

 

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「沈黙 サイレンス」 マーティン・スコセッシ監督 

 封切時に映画館で見ようと思っていたが、時間が合わなかった。1970年代に遠藤周作の原作を読んだ。その数年後、篠田正浩監督の映画「沈黙」もみた。そして、今度のスコセッシ監督の映画。

 初めのうち、少し違和感を抱いた。日本の農民たちが髷を結っていない! 何人かの日本人がたどたどしいとはいえ英語を話す! ここでの英語はポルトガル語とみなされるものであるにせよ、かなり違和感がある。明らかに西洋から見た「沈黙」にほかならない。日本が舞台のはずなのに日本とは思えない、そんな映画が多いが、それと同じ印象を受ける。

 初めのうち、キチジローを演じる窪塚洋介がハンサムすぎるのにも違和感を抱いた。が、みていくうち、おそらくキチジローとロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)がそれぞれ分身をなしているのだと気づいた。だったら、キチジローも二人の西洋人に負けないほどのイケメンである必要がある。

後半はなかなかの迫力だった。「苦しみを引き受けて、棄教することこそがキリスト者の生き方ではないのか」というテーマが重くのしかかる。ロドリゴがキチジローと頭を重ね合う場面は感動的だった。

とはいえ、篠田正浩監督の「沈黙」を見た時の感動はもっと大きかった記憶がある。ロドリゴの苦悩がもっとひしひしと伝わってきた。神の沈黙というテーマも一層リアルだった気がする。篠田監督のDVDをさがしてみよう。

 

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「暗殺のオペラ」 
1970年 ベルナルド・ベルトルッチ監督

 オペラ演出家の三浦安浩さんにすすめられてみた。1970年代の封切時に見たつもりでいたが、どうやら勘違いだったようで、今回初めてみた気がする。今見ても、衝撃的。原作はボルヘス(確実に読んだはずだが、内容を覚えていない)。

 反ファシストの英雄だった父親が暗殺された町を訪れた青年。父に縁のあった人々が現れ、過去と現在の交錯する異世界へと導かれる。そうして、町全体を舞台にした壮大なフィクションが真相として浮かび上がってくる。

 ストーリーもとてもおもしろいし、映像も美しい。美術作品のような映像が続き、主人公とともに観客も異世界に入りこむ。オペラ劇場で「リゴレット」上演中に父親が殺されたという設定なので、「リゴレット」などのヴェルディのオペラが流れる。そして、シェーンベルクの室内交響曲第2番が異世界を描く音楽として用いられている。私は高校時代、この曲が大好きでよく聴いていた。今でも、ほとんど唯一の私の好きなシェーンベルクの曲だ。ベルトルッチの音楽的センスにも脱帽。素晴らしい映画だと思った。

 

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「ボーダレス ぼくの船の国境線」 アミールフセイン・アシュガリ監督 
2015

 イラン映画の傑作だと思う。

 イランとイラクの国境付近で暮らすイラン人少年。どうやら孤児らしい。国境付近の廃船をねぐらにして魚を取り、装飾品を作って生活している。ところが、そこにイラク人少年兵が入りこんでくる。初めは場所争いをするが、少年兵と思えたのが実は少女であり、赤ん坊を育てていることがわかる(その赤ん坊が少女のきょうだいなのか子どもなのかは最後まで明かされない)。少年はいつのまにか少女と一緒に赤ん坊の面倒を見るようになる。ところが、そこに今度は米兵が現れる。少年たちは米兵を捕らえて部屋に閉じ込めるが、悪い人間ではないとわかって解放し、赤ん坊を含む4人で生活するようになる。だが、数日後、少年が船を離れて戻ってみると、船は荒らされ、3人の姿は消えていた。

 イランとイラクは戦争状態にあり、アメリカはイラクを攻撃している。つまり、イラン人、イラク人、アメリカ人が廃船の中で対峙するということは、被害者、加害者を成す三人が顔を合わせたことになる。しかも、三人はそれぞれ言葉が通じない。その三人がたまたま同じ場に居合わせて心を通じ合わせるようになる。しかし、無残な結末に終わる。

ある意味で実にわかりやすい図式を描いているが、人物それぞれが置かれた不遇な状況の中で必死に生きている様が伝わってくるのでリアリティがある。米兵が赤ん坊をあやす場面はとても感動的だった。

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サントリーホール Reオープニング・コンサート 「小ミサ・ソレムニス」のほうが好みだと思った

 サントリーホールのリニューアル記念のReオープニング・コンサートを聴いた。第1部はオルガンと金管アンサンブルの演奏で、バッハ、ヴィドール、デュリュフレ、ヨハン・シュトラウスの作品。要するに、オープニング・セレモニー。演奏はとても良かった。ただ、どういう事情でこれらの曲が選択されたのか、これらの曲の間にどのような連関があるのか、私にはよくわからなかった。

2部はロッシーニの「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」。よく知られた小編成の「小ミサ・ソレムニス」のロッシーニ自身による管弦楽編曲版。指揮はジュゼッペ・サッバティーニ、オルガンはダヴィデ・マリアーノ、そのほか、吉田珠代(ソプラノ)、ソニア・プリーナ(コントラルト)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、ルベン・アモレッティ(バス)、合唱は東京混声合唱団、サントリーホール オペラ・アカデミー、管弦楽は東京交響楽団。

 演奏は素晴らしかった。サッバティーニの指揮は、ドラマティックで抑揚があり歌がある。最後まで飽きさせなかった。合唱も素晴らしかった。張りのあるフォルテもいいが、静かな声も見事。歌手陣もそろっていた。吉田珠代(静岡県民オペラでイリスを歌った歌手)もほかの外国人勢にまったく引けを取らず、音程のよい美声を聞かせてくれた。

 とはいえ、実は大編成のこの曲を初めて聴いたので、かなり違和感があった。私の知っているこの曲はピアノとハルモニウムの伴奏で、大合唱も付かない。こじんまりとしてしっとりとして室内楽的でちょっぴり宗教的。引退したロッシーニが、晩年、ちょっとしたいたずら心で宗教的な曲を作りたくなり、気楽に演奏できる身近な、いかめしくない宗教曲を作った…。宗教心を表には出したくなく、敬虔さを売り物にしたくない。大袈裟ではない宗教心をさりげなく歌いたい。私はそのようなロッシーニの心の表れとしてこの曲をとらえていた。

 だが、今日の演奏は大規模で壮大でドラマティック。それはそれで、オペラティックで悪くないが、この曲のこじんまりとした、そしてほんのちょっぴり宗教的なところが好きだった私としては、これほどドラマティックに演奏されると、どう考えてよいかわからなくなる。ロッシーニ自身の編曲だというが、これだとこの曲のよさが消えてしまうような気がしてしまう。

 ロッシーニの人生、芸術観についてきちんと研究しているわけではないので、あまり大層なことは言えない。とてもおもしろかったと思いつつ、私の好きな演奏ではなかったと確認した。

 サントリーホールのリニューアルについては何とも言えない。私の席(LB席)からは、オルガンの指や足が見えるのはうれしかった(初めてオルガン演奏が丸々見える位置で聴いた。指だけでなく、足であちこちを踏んで音を出しているのを見てびっくり!)が、やはり歌手の声は聞こえづらかった。当たり前だが、リニューアルによってすべての席で満足できる音響になったわけではなさそうだ。

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