風の丘HALL公演 オペラ「ヘンゼルとグレーテル」 大人の世界に対する子どもの世界の反乱
2017年10月9日の昼、千葉市の風の丘HALL公演、フンパーディンク作曲「ヘンゼルとグレーテル」をみた。
この劇場は、85席ながらピアノ伴奏によって本格的なオペラを上演している。目の前で一流の歌手、一流の演出によるオペラを見られるのは、実に贅沢。今回もきわめて高レベルの上演だった。
とりわけ、グレーテル歌った吉原圭子が素晴らしかった。音程がよく、澄んだ声が伸びている。演技も見事。容姿も含めてグレーテルにぴったり。かわいらしい女の子に見える。日本語もとても聞きとりやすかった。
ヘンゼルの杉山由紀もしっかりとした歌唱と演技で見事だったし、魔女の小山陽二郎とペーターの飯田裕之は、ともに笑いを誘う演技とアドリブも含めて、とても楽しかった。ゲルトルートの斉藤紀子も張りのある声、眠りの精・露の精の藤井冴も神秘的な雰囲気を出してとてもよかった。ピアノの巨瀬励起も指揮者の役割を果たして、全体をコントロールしているのがよくわかった。風の丘HALLの主催する千葉ジュニアオペラ学校の子どもさんたちが出演。
グリム童話では、子減らしのために母親が二人を捨てようとして森に追いやる。ところが、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」は、ワーグナーの弟子にしては台本も音楽も毒がない。魔女を除けばみんなが善人。魔女にしたところで、なかなか愛嬌があって、間が抜けている。残酷な場面はない。
三浦安浩の演出も、表面的には無邪気でかわいらしい子どもたちの夢を描いている。表だって残酷なことを描かない。が、ゲルトルートはかなり過激な表情をし、まるで魔女のよう(もし、意図していなかったとしたら、斎藤さん、ごめんなさい!)だし、偶然かもしれないが魔女とペーターは顔も体型もよく似ている(もし、意図していなかったとしたら、もしかしたら、失礼にあたるでしょうか?)。つまり、魔女と母親・父親の相似性が現れている。そして、三浦さん自身がプログラムに書いている通り、魔女の家はヘンゼルとグレーテルの家にそっくり!(私はこれは単に経費節約のためだとばかり思っていたが、このような一石二鳥があったとは!)
最後、子どもたちが神様に感謝する。もちろん、フンパーディンクの頭にあるのはキリスト教の神様だろう。しかし、おそらく、三浦演出では、間違いなくもっと広い意味の、子どもが思い描くような「神様」だろう。お菓子を与えてくれ、元気を与えてくれ、エネルギーを与えてくれるような大きな存在。そして、大人の世界の論理をひっくり返してくれるような巨大なエネルギー。
私には、この「ヘンゼルとグレーテル」は、大人の世界に対する子どもの世界の反乱宣言のように思えた。
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コメント
樋口先生、ヘンゼルとグレーテルご来場ありがとうございました。実はちょっと怪我をして当日は参加できませんでした。直接ご感想伺えず残念でした。フンパーディンクの作品そのものは彼の妹に請われて家族サービスのように作り始められたという逸話が示すように毒を排した家族の幸せを讃えるものだと思いますが、グリムの原作はもちろん違います。そして飢え、ということが現代の私たちには大変重要なテーマとしてあるのではと思い、そこをキャストに何度も話しながら作りました。何よりフンパーディンクが影響をうけたワーグナーの音楽が内包するドラマトゥルギーが間接的にこのオペラを大変深みのある作品に作り上げることを可能にしていると思います。グレーテル=母=魔女というつながり、ヘンゼル=父、というつながり、そして飢えを満たす欲はすべてを超越する魔法。そんなことをたくさん考えて作りましたので、それを感じていただきとても嬉しいです。ありがとうございます。
投稿: 三浦安浩 | 2017年10月12日 (木) 11時14分
三浦安浩 様
コメント、ありがとうございます。
そうでしたか。見事だと思います。
今、スリランカのコロンボに来ています。あわただしい状況ですので、また連絡を差し上げます。
投稿: 樋口裕一 | 2017年10月13日 (金) 11時01分
スリランカですか、ビゼーの真珠採りですね!良い旅を!
投稿: 三浦安浩 | 2017年10月15日 (日) 21時46分
三浦安浩 様
本日の午後、帰国しました。
スリランカに到着して、ホテルまでガイドさんに送ってもらっている間に、さっそく「スリランカでは、ビゼーの『真珠とり』は有名なのか」と尋ねましたところ、ガイドさんはまったく知りませんでした。しかも、そもそもスリランカでは真珠とりはほとんどされないとのことでした。
かつての日本では「蝶々夫人」だけは誰でも知っていたのですが、だいぶ状況は異なるようです。もしかすると、タイの人も「微笑みの国」を知らないのかもしれません。
投稿: 樋口裕一 | 2017年10月16日 (月) 20時53分