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映画「一票のラブレター」「卵」「ミルク」「蜂蜜」「シーヴァス」「そして、私たちは愛に帰る」「消えた声が、その名を呼ぶ」

 このところ、ずっとイラン映画をみてきた。ネットで探すうちにトルコやレバノンなどの近隣の映画にも関心が広がった。今年の年末は、急ぎの仕事がないので、本を読んだり、音楽を聴いたり、DVDで映画をみたり。中近東の映画数本の感想を記す。

 

41a1qmzsvyl_2 「一票のラブレター」 ババク・パヤミ監督 2001

 イラン映画。選挙が行われるということで、選挙管理委員会の女性がキシュ島にやってきて、投票箱をもって島民の家を回り、投票させようとする。その女性と護衛の任にあたる兵士のロード・ムービー。意欲にあふれていた女性が島の現実を知り、島民たちの選挙への無関心を知っていく。が、最後には、女性に反発していた兵士は候補者でもないその女性の名前を投票用紙に書く。

「コミカル」「ユーモア」といううたい文句がDVDに並んでいたが、実は私は少しもユーモアを感じなかった。そもそも選管が投票箱をもって民家に押しかけていくこと自体、一つの価値観の押し付けになって、民主主義に反するのではないか。それに、島の人はこの女性のもとでしか投票できないわけだから、この女性が出歩いていたらわざわざ投票に来た人は行き違いになってしまう。このような選挙が本当に行われていたとすると、それこそ不正選挙の温床になりはしないか。そんなことを考えていたら、まったくリアリティを感じることもできなかった。民主主義に対する掘り下げもこの映画には感じない。ただ、キシュ島の自然の美しさばかりが印象に残った。

 イランの映画をかなり見て、多くをとてもおもしろいと思ったのだったが、残念ながら、この映画は私がみたイラン映画の中のワーストワンだった。

 

51a3milmqql_ac_us160__2 「卵」「ミルク」「蜂蜜」(ユスフ三部作) セミフ・カプランオール監督 

 トルコの映画監督セミフ・カプランオールの三部作。全部で300分を超す。イスタンブールで暮らす詩人(しかし、今でもほとんど詩作はできず、古本屋の主人として生きている)ユスフが、母の死をきっかけに故郷に戻って、自分の過去をめぐる。「卵」は、晩年の母の世話をしてくれた若い女性と、母の遺言に従って羊の生贄を捧げに行く様子を中心に描く。「ミルク」は、過去に戻って(とはいえ、映画の舞台そのものは現代のままのようだ)若きユスフを描く。癲癇(てんかん)という病を持ちながら、母の仕事を手伝って牛乳販売を行い、そのかたわら詩を書き、自立していく様子が語られる。「蜂蜜」は、ユスフの幼少期を描く。小学校12年生だろう。山の中で蜂蜜農家に育っているが、てんかんを患う父が事故で亡くなるまでを描く。一般の連作映画と異なって、徐々に過去に戻っていくという構成になっている。

 どの作品も説明がほとんどなされず、自然に囲まれた風景をじっくりと描いていく。劇音楽は流されない。画面そのものが詩情にあふれている。すべての映像がまさしく一幅の絵画を成している。もちろん、私はこのようなタイプの映画は嫌いではない。最後まで特に退屈することなく見た。とりわけ、「蜂蜜」はなかなかの名作だと思う。

だが、実をいうと、私はこの三部作にあまり惹かれなかった。このような映画を作りたいという気持ちは私にもよくわかるが、どうということなく終わってしまった印象。「蜂蜜」だけは父の事故死という大きなドラマがあるが、それ以外には大きな出来事はなく、淡々と日常が描かれるが、それだとドラマとして物足りなく思ってしまう。

 

51owiisxzzl_ac_us160__2 「シーヴァス」 カアン・ミュジデジ監督 2014年トルコ

 学校の学芸会で主役になれずに落ち込んでいる少年アスランは、闘犬で敗北して死にかけた犬をシーヴァスと名付けて自分の犬として育てる。ついにはシーヴァスは強さを取り戻し、闘犬大会でチャンピオンになるが、その痛々しい姿にアスランはもう戦わせたくないと思う。しかし、周囲の大人たちはそれを許そうとしない。

そうした物語を、ドキュメンタリータッチの揺れ動くカメラワークを用いて生き生きと描く。意固地で我が強いが、やさしい心を持つアスラン役の少年ドアン・イズジの演技が素晴らしい。闘犬の場面のリアリティもすさまじい。そして、なによりもトルコの山間部の荒っぽくてかわいい子どもたちの様子を生き生きと描く。少年と犬の交流というありがちな物語なのだが、映像のおかげで実に新鮮に思える。いい映画だと思う。

 

51xl0fx0oql_ac_us160__2 「そして、私たちは愛に帰る」 ファティ・アキン監督 2007

 トルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督の映画を初めてみたが、これは素晴らしい。感動した。正真正銘の名作だと思う。

 妻を亡くして、長い間一人で暮らした男が高齢になって贔屓の売春婦と同棲しようとする。が、大学教授である息子がその女性と関係を持ってしまう。それに怒って殴った途端、女性は死んでしまい、男は刑務所入り。息子は死んだ売春婦の行方不明の娘を探して、教育費を援助しようとする。一方、その行方不明の娘のほうは、トルコで政治活動に加わり、ドイツに逃げて母親を探そうとする。探しあっており、それぞれ顔を合わせたり、すれ違ったりしているのに、最後まで互いに気付かない。

この映画の最大のテーマは「死」だろう。二人の主要人物があっけなく死んでしまう。その「死」をめぐって残された人々が苦しみ、嘆き、その意味を探求しようとする。そうしながら、すべてがすれ違いに終わってしまう。まるで、「死」に操られているように。そうした関係をドイツとトルコの状況の中に描く。なるほど、人生というのはこのようなものかもしれないとつくづく思う。

 

51xdlrdyuul_ac_us160_ 「消えた声が、その名を呼ぶ」 ファティ・アキン監督 2014

「そして、私たちは愛に帰る」と同じアキン監督。オスマン・トルコ帝国によるアルメニア人虐殺を扱っている。トルコ在住のアルメニア人はキリスト教徒であるためにしばしば虐殺にあってきた。とりわけ、第一次世界大戦ではアルメニア本国が連合国側、オスマン帝国が同盟国側で戦ったために、苛烈な虐殺が行われた。そのような状況を舞台にしている。

虐殺の中、喉を切られて声を失ったものの九死を得たナザレット(タハール・ラヒム)が、生き残った娘を探して世界を探し、8年かけてついにアメリカで娘の一人と再会する。「そして、私たちは愛に帰る」に比べると、作りは単純だが、ナザレット(もちろんイエス・キリストが過ごした土地ナザレによる命名だろう。ラヒムはイエスを彷彿とさせる)の苦悶、愛情、神への疑いを実にリアルに描いているので、説得力がある。楽に死ぬことを求める瀕死の義妹を抱き続け、最後に首を絞める場面は壮絶。ファティ・アキンは1973年生まれだという。この映画を作った時、まだ30代。恐るべき才能!

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エッシェンバッハ+N響の第九 私には感動をもたらさなかった

20171227日、サントリーホールで、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番のコンサートを聴いた。その前に、勝山雅世のオルガンによってバッハの曲が4曲演奏された。ただ、勝山はバッハ演奏に定評のある人らしいが、オルガン曲をほとんど聴かない私としては、正直に言って良さがよくわからなかった。

第九についても、実は私はあまり納得できなかった。エッシェンバッハは、しっかりとオーケストラをコントロールし、しばしば「矯め」をつくって激しく、鋭く音楽を作ろうとしていた。私はそのような音楽は決して嫌いではない。だが、少なくとも第1楽章と第4楽章については、エッシェンバッハの工夫がことごとく私の感動に結び付かなかった。単に私のツボにはまらないだけかもしれないが、なんだかちぐはぐな感じがする。第2楽章については、私はとても良い演奏だと思って、かなりうきうきしたのだったが、第3楽章になると、大野+都響に比べて、音の精密さに不足を感じた。第4楽章の歌が入る前の部分については、あまりに無造作。もう少し丁寧に音楽を構築しないと、第3楽章までと第4楽章の接合がうまくいかないと思うのだが、エッシェンバッハは何の工夫もないように、私には思えた。

第4楽章のバリトン独唱が入った後については、とても良い演奏だったと思う。歌手(市原愛・加納悦子・福井敬・甲斐栄次郎)もそろっていたし、東京オペラシンガーズの合唱もよかった(ただ、少し合唱の声がオケに比べて大きすぎるように思った)。しかし、私には昨日の大野+都響の圧倒的な高揚感には及ばないように思えた。

エッシェンバッハは好きな指揮者の一人だ。だが、第九に関しては、期待ほどではなかった。もちろん、良い演奏だと思うし、N響は十分に実力を発揮していると思うが、もっと爆発的な感動を期待していた。ちょっと残念。

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大野+都響の第九 感動した!

20171226日、サントリーホールで大野和士指揮、東京都交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。素晴らしかった。感動した。

まず、大野の指揮が圧倒的だった。音楽の構成を明確にしたうえで、自然に音楽を作っていく。音に勢いがあり、メリハリがあるが、それがまったく不自然ではない。大時代的な巨匠風演奏ではないのだが、十分にスケールが大きい。第1楽章から深みに沈潜し、しかも大きく盛り上がっていく。第2楽章の躍動も素晴らしい。そして、第3楽章。ゆったりと歌わせる。各パートが最高に美しくからみあって得も言われる世界を作り上げる。もしかしたら、この数年で最高の第3楽章ではないか。感動のあまり涙が出そうになった。

4楽章の合唱が始まる前の部分も一つの物語として成り立たせているかのよう。陰影があり、高揚に向かう前兆として説得力がある。そして、そのままバリトンの独唱に突入。

歌手陣も充実していた。バリトンの大沼徹は実に立派な声。テノールの西村悟もこの難しい歌を見事に歌いこなした。そして、ソプラノの林正子も圧倒的。もちろん、メゾ・ソプラノの脇園彩も素晴らしい。二期会合唱団も少人数でありながら、高揚した祝祭の世界を作りだしていた。フィナーレの部分のすごいことといったら! 感動に体が震えた。

今年3回目の第九。もちろん、今日がもっとも素晴らしかった。

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ゲッツェル+読響の第九 4つの楽章のまとまりを考えた名演

20171223日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団による第九演奏を聴いた。指揮はサッシャ・ゲッツェル。エマニュエル・クリヴィヌが振るというので楽しみにしていたのだが、指揮者変更。しかし、もちろんゲッツェルの第九もぜひ聴いてみたいと思って、足を運んだ。

とてもいい演奏だった。ゲッツェルの指揮は自然で理にかなっていると思った。中庸のテンポで、おとなしめの音量。大袈裟な表現はない。無理やり煽るところもない。しかし、しっかりと音楽を作っていく。読響もさすがというべきか、美しい音を出す。

初めのうちはもう少しスケール大きく演奏してもよいのではないかと思った。だが、徐々に納得。この第九は第3楽章までと第4楽章の音楽性があまりに異なるために、どうしても不自然になる。おそらくゲッツェルは、それを見越して、全体で不自然にならない音楽を作ろうとしているのだろう。そのために、前半はやや抑え気味。じわりじわりと第4楽章に向けて少しずつ盛り上がっていく。

第3楽章はあっと驚くような美しい音で始まった。読響の実力が発揮される。しっかりと音楽を作って説得力がある。まさしく天国的。そして、第4楽章。バリトンが入るまでの導入がとりわけ見事だった。私はこの部分にどうしても不自然さを感じることが多いのだが、今日の演奏ではそれを感じなかった。見事に第123楽章と連結されて第4楽章に入ったのを感じた。

独唱が加わってからもとても素晴らしかった。祝祭感が高まっていく。とりわけ、ソプラノのインガー・ダム=イェンセンのテノールのドミニク・ヴォルティヒがよかった。さすが外国勢。もちろん清水華澄と妻屋秀和も健闘。

そして、何よりも際立っていたのが、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団。声が出ているし、音程がいいし、アンサンブルが素晴らしい。合唱の出来でこれほどまでに音楽が違って聞こえるのかと改めて感嘆した。最後は圧倒的だった。4つの楽章がしっかりとまとまりのあるものに聞こえた。なかなかの名演だと思う。

1217日には、アンドレーエ指揮、新日フィルの第九に退屈したが、今日は、第九の素晴らしさを堪能。満足できた。

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イラン映画「風の吹くまま」「サイクリスト」「ギャベ」「キッシュ島の物語」「少年と砂漠のカフェ」

イラン映画のDVDを数本みた。感想を記す。

215vc6nappl_3 「風が吹くまま」アッバス・キアロスタミ監督 1999年

 イランの片田舎(クルド人地区のようだ)に、高齢女性が死んで珍しい葬儀が行われるのを期待して取材に来たテレビディレクターが主人公。女性の死を待つが、元気を回復してしまう。砂漠地帯での死と生。人の死を待ち、赤ん坊が生まれ、土の中から人骨が掘り返され、人が九死に一生を得る。高台で井戸を掘る青年やテレビ取材のスタッフが重要な役を成すはずだが、声が聞こえ、遠くからの映像が示されるだけで、その姿かたちは鮮明ではない。ディレクター1人に絞って、その行動を追って、人の生と死を描く。映像も素晴らしいし、とてもおもしろい。ただ、実をいうと、私はキアロスタミ監督の映画にはあまり共感しない。今回も同じような感想を持った。

 

A1m9czeescl_sy500_ 「サイクリスト」 モフセン・マフマルバフ監督 1989年

 アフガンから出稼ぎにきた男がイランで重病になった妻の治療費を捻出するため、1週間、休みなく自転車をこぎ続けるという賭けに参加する。雨が降ったり、妨害が行われたり、アクシデントがあったり、ちょっとしたズルをしたりしながらも、ともあれ妻を想って必死に成功させる。それだけの話なのだが、単純な枠組みの中に、イランの状況、アフガン人の置かれた状況、人間の生きる苦しみ、喜びを織り交ぜた見事な語り口のために、ぐいぐいと引き付けられてみてしまう。ストーリーを前もって読んで予想したハリウッド映画風の感動物語ではなく、もっと社会派。とてもおもしろかった。

 

316evl9abl 「ギャベ」モフセン・マフマルバフ監督 1996年

 ギャベ(絨毯)を擬人化してギャベという名前の若い女性を登場させ、自然の風物を織りなしていく絨毯の美しさを、じゅうたんに描かれるイランの自然とそこに生きる人々の原風景を描いた作品とでもいうのだろうか。「世界は色から成っている」という劇中に何度か語られるとおりの美しい色彩。絨毯は自然の花を用いて染められ、美しい水で色を定着される。そして、自然の中で生きる人々の暮らしを絵柄として描く。そこには男女の恋があり、誕生があり、悲しい死がある。それが一つのおとぎ話であるかのように美しく語られる。素晴らしい映画。まさしく一編の叙景詩。モフセン・マフマルバフの傑作の一つだと思う。

 

81tnnb30cl_sy500_ 「キッシュ島の物語」 1999年 イラン

 ナセール・タグヴァイ監督による「ギリシャ船」、アボルファズル・ジャリリ監督の「指環」、マフセン・マフマルバフ監督の「ドア」の三篇から成るオムニバス映画。キッシュ島の観光映画として依頼されてできた映画ということだが、驚くべき世界を描く特異な映画になっている。「ギリシャ船」は、キッシュ島に流れ着く段ボール箱を集めて家を飾る男と、それを嫌う妻の物語。つきものに着いたかのようになる妻の厄払いをする儀式が衝撃的に興味深いが、損場面が長すぎて少々退屈した。「指環」は妹の結婚相手への指環を送ろうとキッシュ島で必死に働く若者の姿を描く。「ドア」は、すべてを売り払い、最後に残った家のドアまでも売り払おうとして書いてに運ぶ老人と、その娘、唯一の財産らしい山羊を描く。映画全体が何を象徴しているのか実はよくわからないが、映像があまりに美しい。青い空、砂漠、海、踊る人々。いや、この「ドア」に限らず、3篇すべての映像があまりに美しい。描かれる世界は観光向けではないが、風景、人々の生きる姿はキッシュ島の魅力を存分に伝えている。いずれも映像詩として傑作だと思う。

 

51hfa9xqgdl 「少年と砂漠のカフェ」 アボルファズル・ジャリリ監督 2001年

 イラン国内のアフガニスタンとの国境付近。砂漠地帯にカフェがある。カフェといっても、石造りの小屋といった方が近い。宿泊施設もあるらしい。車で移動する人々がそこで飲み物を取り、食事をとり、時に宿泊する。アフガニスタンの戦争孤児で不法に入国している少年キャインはそのカフェで下働きをして何とか生き延びている。

学校では「美しい自然の国イラン」と教えているが、キャインの住む世界は過酷で、死と隣り合わせで、すべてが汚れており、薄汚く、不潔。もちろん、キャインは学校にも行けない。キャインの仕事の多くが動かなくなったエンジン、壊れた車の修理の手伝い。そのような状況を克明に描く。不法入国者を取り締まる刑事などが登場し、それなりのドラマはあるが、むしろ重点はキャインの過酷な生活の状況を描くことに置かれている。その意味では見事な作品だと思うが、ドラマとしては少々退屈だった。

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映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」 人間の生命の俗と聖

 映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」をみた。アフリカ系のフランス人であるアラ・ゴミスがコンゴのキンシャサを舞台に作った映画だ。

私は一時期アフリカ文学に傾倒し、しかも大好きだったソニー・ラブ・タンシという作家がコンゴ出身だったので、25年ほど前、2か月間ほどのアフリカ旅行を計画したことがある。その主たる目的地がコンゴ、とりわけキンシャサだった。が、コンゴの政情が悪化、そのうえ、コンゴだけでなく、そのほかの地域でも危険になったので中止した。アフリカ文学好きだった私としてはこの映画をみないわけにはいかない。

 幼児のころ、一度死んで棺に入れられたのに生き返ったために幸福(フェリシテ)と改名されたコンゴの女性の生き方を描く。簡単にまとめてしまうと、強く生きると称して酒場で歌を歌いながら突っ張って生きていたが、不良になった息子がバイク事故を起こして片足切断するうち、人の助けの大事さを知り、世話を焼いてくれる男性タブーと愛を交わし合うようになる・・・とまとめられるだろう。

が、まずキンシャサの状況に驚いた。25年前に行かなくてよかったとつくづく思った。現在でもこうだったら、25年前はもっと凄まじかっただろう。現代社会の体をなしていない。いたるところにごみが散乱し、治安も悪く、薄汚れた建物があり、病院もきちんと機能しているようには見えない。治療費がないと重症でも放置される状況らしい。そのようなコンゴ社会を実にリアルに描いている。

 決してわかりやすいリアリズムの映画ではない。よくあるタイプのアフリカの貧困を訴える映画でもない。まるで地獄のような社会で、他者に救いを求めることなく一人で生きていけると考えていた人間が、子どもの入院のために、なりふり構わず戦いを挑み、それに敗れ、それまでの生き方を変えざるを得なくなり、絶望し、自殺を考え、ついには、他者の救いを求め、神の救いを求める。そして、柔和になって、苦しむ人同士で肩を寄せ合って生きていくことを選ぶ。そのように生きていくのが人間社会のあり方なのだというメッセージが込められている。私はそう思った。

 二つの音楽が映画の中で大きな意味を持つ。一つは、フェリシテが歌うバーで演奏されるエネルギッシュで猥雑な雰囲気のアフリカ音楽(カサイ・オールスターズという有名なグループによるらしい)。もう一つはストーリーとは何も関係なしに場面が挿入されるオーケストラと合唱によるミサっぽい曲(アルヴォ・ペルト作曲らしい!)。キンシャサのアマチュア・オーケストラが演奏する(正直言って、かなり下手なオケ)。下層の人々が酔っ払って聴く音楽と、内省的で宗教的なオーケストラの音楽。それが重なり合うかのように響く。最も俗なるものの中に、人間の生命という聖なるものがある・・・そのように私は感じた。

 とても良い映画だった。文明人のある種の憧れをアフリカを舞台にして描いたようなアフリカ映画ではなく、真実のアフリカを描いた映画だった。もっとこんな映画をみたい。

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アンドレーエ+新日フィルの第九 失望した

 20171217日、オーチャードホールでマルク・アンドレーエ指揮による新日本フィルハーモニー交響楽団の第九特別演奏会を聴いた。一言で言って、大変失望した。私がこれまで実演で聴いた第九の中で最も退屈したと言えるかもしれない。私が第九で退屈するなんてふつうは考えられないことなのだけど!

 前もって言っておくと、ソプラノの森谷真理とアルトの山下牧子は素晴らしかった。大槻孝志(テノール)と久保和範(バリトン)も安定した歌唱。栗山文昭の合唱指揮による栗友会合唱団もしっかりした歌唱だった。新日フィルも、素晴らしいとは言えないが、特に大きな失敗はなかった。

 私が大いに不満に思ったのは指揮だ。合わせているだけとしか思えない。勢いがまったくない。機械的に拍子をとっているだけで、しかも時々バランスの乱れを感じた。ベートーヴェンの苦悩も歓びも、音楽そのものの愉しさも伝わらない。そもそも音楽に表情もニュアンスもない。少なくとも私はまったく楽しめなかった。

 初めて第九を聴く人、初めてクラシックのコンサートを聴く人も大勢いるように見受けられた。第九を我慢して聞かなければならない退屈な曲と思う人がいないことを切に願った。

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デュトワ+N響のみなとみらい公演 しなやかでクリアな演奏に心惹かれた

 20171216日、みなとみらいホールでNHK交響楽団横浜定期演奏会を聴いた。シャルル・デュトワ指揮、前半はハイドンの交響曲第85番「女王」と、ソプラノのアンナ・プロハスカが加わって細川俊夫の「ソプラノとオーケストラのための『嘆き』」、後半はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。

 ハイドンはしなやかでクリアな音で自然に音楽を作って見事。ただ、近年の古楽器による勢いのある演奏に慣れてしまった耳からすると、あまりにおとなしく、あまりに予定調和の世界であって、少々退屈してしまった。

 細川俊夫の名前はもちろんずっと前から知っていたが、実際に曲を聴いたのは初めてだった。現代曲をほとんど聴かないのでドシロウトの感想で恥ずかしいが、ともかくすごい曲だと思った。まったく退屈することなく、「難解だ」とも思うことなく、音の作り出す世界に圧倒されるばかりだった。プロハスカも素晴らしかった。声も美しく、張りがあり、この難解な曲を、私にわかる限りでは完璧に歌いこなしている。シェーンベルクの「期待」よりももっと心を揺り動かされた。遅ればせながら、細川俊夫ってすごい作曲家だったんだと思った! N響も素晴らしい演奏。実にクリアで、音の輪郭が明確。

「スコットランド」は私の大好きな曲だ。デュトワのこの曲を聴くのが今回のコンサートの目的だった。

期待通りの明晰で透明な音による演奏で、構成が明確で、論理的に音楽が展開していく。とりわけ、第2楽章は素晴らしかった。デュトワの本領発揮といえるのではないか。音の積み重ねが実に美しく、勢いがあり、生命力がある。ただ、私としては第3楽章が少し緊張感が不足しているように思った。ハイドンのような精緻でしなやかな音であってほしかったのだが、少し狙いがぼやけた気がする。が、第4楽章で再び勢いを盛り返して、大きく盛り上がって全体を締めくくった。

全体的にとても素晴らしい演奏だったし、すべての楽章を心の底から楽しんだが、大感動したかというと、それほどでもなかった。客が少なかった(三分の二くらいの入りだったのではないか。空席が目立った)せいかもしれないが、演奏家たちがノリノリで演奏しているようには見えなかった。

 現代曲を基本的に聞かない私であるにもかかわらず、今日のコンサートでもっとも感動したのは細川の「嘆き」だったかもしれない。

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石田泰尚ヴァイオリン・リサイタル 狂気の手前で踏みとどまった音楽

 20171215日、ムジカーザで石田泰尚ヴァイオリン・リサイタルvol.4

を聴いた。ピアノ伴奏は中島剛。

 曲目は前半にヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタとスークの4つの小品。後半にシーマンの3つのロマンスとヴァイオリン・ソナタ第2番。

 石田さんは初めは調子が上がらないタイプのようだ。これまで何度か聴かせてもらって毎回そうだった。最初の曲はあまり出来が良くない。今回も、ヤナーチェクのソナタの第1楽章がかなりぎこちなかった。第2楽章からだんだんと調子が上がってきた。石田さんの美音がヤナーチェクの心をかき乱す鋭い音になって響いた。ただ、ヤナーチェクの曲は最後まで本調子にならなかったのではないか。スークからまさしく本領発揮。ヤナーチェクとは違った、もっと抒情的で、もっと透明なリリシズムが歌われる。

 シューマンはもっと良かった。とりわけ、ソナタは絶品。これまでこのブログにも何度か書いてきたが、実はシューマンの曲の中にいくつか苦手な曲がある。とりわけ、ヴァイオリン・ソナタの第2番は情緒の不安定さを感じて、聴いていて気持ちが悪くなることが多い。

ところが、今日の石田さんの演奏は、荒々しく、研ぎ澄まされた音が激しく上下し、心をかき乱す音が動き回るが、ぎりぎりとところで不安定を世界には入り込まない。濃厚なロマンティシズムをもった鋭くて劇的な素晴らしい音楽の世界にぎりぎりで踏みとどまっている。なぜそんな音楽になるのかについて、技術的なことは素人の私にはまったくわからないのだが、石田さんの人徳というか、その特異な音、得意なキャラクターのおかげというしかあるまい。石田さんが演奏すると、独自のスタイルに貫かれ、かなり突出した音楽になるが、決して不安定にはならない。正気の世界の縁にいる。

最初のアンコール曲は「トロイメライ」。抒情的な名曲とされているが、実は私はこの曲も苦手だ。不思議な夢幻の執拗な繰り返しに、私はどうしても狂気めいたものを感じて苛立ってしまう。ところが、これについても石田さんが演奏すると、微妙なところで踏みとどまった美しいロマンティックな世界になる。今日は私は少しも苛立たなかった。

2曲目のアンコール(恥ずかしながら、知らない曲だった)も素晴らしかった。最後は「きよしこの夜」。本当に素晴らしい美音。

 ところで、隣の隣の席の女性が後半の演奏中、まるで指揮をするように、あるいはまるでヴァイオリンを演奏するように左手を動かすのには閉口した。気になって音楽に集中できなかった。隣の席だったら、間違いなく注意するのだが、その向こうの席では声をかけにくい。しかも、後半になって激しく動かし始めたので、休憩時間に注意するというわけにはいかない。「音を立てないように」という注意はあちこちでなされるが、「プログラムを扇子代わりに使ってバタバタさせたり、指揮の真似をしたりするのもほかのお客様に迷惑です」というような注意も必要ではないかと思った。

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チェンマイ旅行 簡単なまとめ

 2泊しただけ(ただし、最初の日は午前中に到着、最終日は夜中の出発だったので、3日間まるまる使えた)だが、私はチェンマイがとても気に入った。

35年ほど前に訪れて以来、タイは大好きな国だ。近年のバンコクは近代化しすぎて、少々寂しかった。チェンマイに来てみると。昔のバンコクの雰囲気が残っている。しかも、チェンマイはもっと穏やかでもっと落ち着いている。「ここなら、運転できる」と日本人が感じる、アジアでかなり少ない都市なのではないか。静かで壮麗な寺があり、落ち着いた住宅街がある。歴史が残り、タイの歴史の中に世界の人が集まっている都市。

ただなんといっても観光地、保養地だ。大勢の外国人がいる。短期の旅行者だったり、少し長期の滞在者だったり。リタイア後、チェンマイで暮らす西洋人が多いようだ。日本人にもそのような人がいると聞いた。たしかに、私もここで暮らしたくなる。おいしい食事、穏やかな人、安くて上手なマッサージ。言葉が通じ、何らかのコミュニティがあれば、私もここで暮らしたい気持ちになってくる。

このところ、アジアのあちこちを回ったが、ブータンとスリランカとここチェンマイがとても気に入った。住んでみたい候補地になった。いずれも仏教国。やはり、私は仏教国が性に合うようだ。

ただ、観光地であるため、ここでは現地の人のなまの生活はあまり見えない。その点、ほっつき歩いてその都市の生活をぼんやりと眺める旅行が好きな人間としては、十分にその土地を見られなかったという不満は残る。

繰り返しになることも多いが、チェンマイについて気づいたことをいくつか挙げる。

 

・私は車の運転をその都市の民度の基準にしているが、チェンマイはかなり整然としており、みんな交通ルールを守っている。信号も横断歩道も少ないので、車の切れ目がなく、歩行者が道路を渡るのは大変だが、それでも無理にわたろうとすると、車は停止してくれる。

・旧市街を囲む道路はほとんど一日中、多くの車が走っている。堀の両側にそれぞれ一方通行で、車が音を立てながらぐるぐる回っている。だが、その内部の旧市街では車はごく少ない。制限があるようには見えないが、多摩に車が入ってくるくらい。堀の周りをまるでサーキットのように回る車はいったい何のようでどこに行っているんだろうと不思議になってくる。

・私が出会った人のほとんどが何らかの形で観光にかかわっている人たちだ。少なくとも、旧市街地は観光で成り立っている。路地にも観光客、外国人滞在客向けの店が並んでいる。

・言われることだが、まさしくタイの京都という雰囲気。ともかく寺が多い。ふつうの都市だったら観光の目玉になりそうな寺院なのに、人影がないことも多い。

・「チェンマイ美人」という言葉をよく聞く。が、実感はなかった。ガイドさんに聞いてみたら、「その言葉は知ってるけど、僕の友だち、ブスばっかり」と話していた(現代社会にふさわしくない表現はあるが、ガイドさんのニュアンスを伝えるため、あえてオリジナルのままに書き記す)。

・新しい王様の写真があちこちに飾られている。幹線に横断幕があり、寺院の仏像の横に写真がある、いずれも新しい王様をたたえている。ただ、その軍人気質の厳しさを多くの人が警戒しているようだ。ガイドさんによると、新しい国王はタイでの生活経験が少なく、基本的にヨーロッパで育った人だという。それも心配の種らしい。

・寺院に僧侶の写真があった。その寺の昔の住職か何かと思ったら、先日亡くなった国王が剃髪した時の写真だった。

・チェンマイでは久しぶりに物価の安さを感じた。まるまる3日間をチェンマイで過ごしたが、昼と夜の食事をし、毎日マッサージを受け、飲み物を飲み、時にタクシーやトゥクトゥクに乗って、日本円で合計7000円くらいしか使っていないと思う。

・日本人観光客にほとんどで会わなかった。ナイトマーケットで3回ほど日本語を耳にした程度。それ以外では一切、日本語は聞こえてこなかった。日本人らしく思えても、近づくと中国語を話していた。チェンマイを訪れる若い日本人はほとんどいないとガイドさんも語っていた。

・実はチェンマイの歴史について、良く知らない。大まかには理解したが、王様の名前も王朝もよくわからない。今度訪れるときには、しっかりと勉強したい。また訪れたいと思った。

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チェンマイ旅行その3

 20171211日、チェンマイ3日目。朝の9時ころホテルを出て、旧市街地を一周した。ターペー門を起点にして西に向かって堀沿いに歩いた。

旧市街はかつて1辺が2.5キロほどのほぼ正方形の城壁に囲まれていたらしい。現在では、ターペー門のほか、ところどころに古いレンガが積まれた城壁が残されているにすぎない。四方を歩くと、合計10キロほどになる。途中、寺院を見かけたら、中に入って見物した。小さな、特に有名でない寺院もあった。ワット・ロークモーリーも訪れた。ガイドブックに出ている有名な寺だ。そのようにして歩いたので、周囲を回るのに3時間以上かかった。

 堀があり、その両側に3車線の道路が走っている。ただし、そのうちの1車線は駐車車両がぎっしりと停まっているところが多い。堀の内側には芝生が植えられ、遊歩道のようになっている。あまりきれいな水ではない。よどんだ水。車がかなりのスピードで音をたてて走っている。旧市街のどの側面もとてもよく似ている。堀と道路だけ見たのでは、市街地のどのあたりにいるのか迷いそう。現地の人は迷わないのだろうか。だが、歩いてみると、位置によって町の持つ表情はかなり異なる。

 ターペー門付近は観光客が大勢歩いている。朝方は西洋系の人々が中心だ。一人、あるいはカップル、友人同士で朝食を食べに行ったり、散歩していたり。店も観光客向けのレストランなどが多い。タイ料理、中華料理、そしてピザの店、カフェが多い。道路はひっきりなしに車が走る。信号がほとんどないので、車の列に切れ目がない。横断歩道もほとんどない。車の運転は決して乱暴ではないのだが、歩行者が道を渡るのはかなり危険。車のちょっとした切れ目を見つけて渡らなければならない。遊歩道にベンチはあるが、ばい煙や車の音のせいで、そこに座っている人はいない。

 西側の側面に差し掛かる部分に残された城壁跡に上ってみた。13世紀に作られたものだという。レンガが積み重ねられているが、今にも崩れ落ちそう。私のほかに、西洋人の男性が登ろうとしていた。私はすぐ後について上った。

 ところが、ちょうどその時、通りかかったトゥクトゥクの運転手に怒鳴られた。「カム・ダウン」と叫んでいるようだ。「降りろ!」ということだろう。そうか、遺跡であって、ここには登ってはいけないんだ。そう思って、あわてて降りた。

 旧市街の西側の側面になると、観光客ではなさそうな人も大勢見かける。休日のせいか、現地の人もセメント張りの床にテーブルと椅子を置いただけの小さな食堂で食事をしているようだ。観光客もみかけるが、長期滞在型の安めの部屋がたくさんあるので、そんなところに滞在している人なのだろう。このあたりにいる観光客のほとんどが西洋人だ。観光をしているというよりも、生活している風な雰囲気だ。この側面にもお寺が多い。

 南側の側面になると、かなり交通量が減る。現地の人向けの店が多い。葬儀屋などの葬儀関係のお店、ペットショップが何軒か並んでいた。目の不自由な人が行うマッサージの店や喫茶店があった。現地の人が普通の生活している。ただし、ここにも西洋人の姿を多く見かける。定住しているのかもしれない。東側の側面には大きめの市民公園があり、子どもを連れた母親や高齢者、カップルが遊んだり、散歩したりしていた。南側の側面以上に交通量が少ない。私も公園のベンチに座って、しばらく休憩した。そこでも西洋人が何人か見かけた。その少し北の方には大きな市場があった。野菜や果物や魚や肉が売られ、大勢の客でにぎわっていた。私が子どものころの、まだスーパーができる前の市場を思い出した。

 特に何かを見るわけではない。ぶらぶら歩くだけ。考えてみると、30年ほど前、あちこちと貧乏旅行をしていたころ、私の旅の流儀というのはこんなものだった。つまり、あてもなく歩き、街をぼんやりと眺め、自分の孤独をかみしめ、人生を振り返り、おもしろそうなところがあったら中に入っていく・・・というものだった。昔の旅を思い出した。

ただ、昔と違って、今は運動不足のためにすぐにくたびれて歩けなくなる。それに、昔は危険な場所があると、とりあえず足を踏み入れていたのだが、今は逆に危険な臭いのするところには近づかなくなった。その違いはあるが、久しぶりに昔ながらの旅をした。

その土地について特に何かを得ているわけでもないのだが、私はこのように街をほっつき歩くことをとても心地よく感じる。それが好きで旅をしていたのだった。

 旧市街を一周すると、昼になっていた。が、ホテルでお腹いっぱいに朝食を食べたので、まだお腹がすかない。またマッサージを受けようと思って、2日連続で通った寺の中のマッサージ店に行ってみたらすべての席が客で埋まっていた。以前にレストランを探している時に、その寺の向かい側のイートインのようになっている敷地(そこには、日本のラーメン店もあった!)にもオープンスペースのマッサージ店があるのを見つけていたので、そこに行ってみた。20代の若い女性にマッサージしてもらった。とても上手だった。180バーツだったが、私がいつも日本で受けている贔屓のマッサージ師さんに匹敵する腕だと思う。疲れが取れた。

 その後、旧市街地内のわき道に入り、揚げ魚と赤米のチャーハンを食べた。まずまずの味。食後、旧市街地をまたぶらぶらと歩いて、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、一休みしてチェックアウト。タクシーを呼んでもらって空港に向かって帰途に就いた。

 

 帰りはチェンマイから中国国際航空で北京を経由し、そこから全日空で羽田に帰る便だった。そこで感じたことがあるので、ここに書き記す。

チェンマイでは北京までの搭乗券しか出してもらっていなかった。チェンマイの係の女性に「ベイジン→ハネダの搭乗券はベイジンで出る」といわれていた。で、北京に予定よりも早く到着。ほっとしながら、「インターナショナル・トランジット」という表示に従って進んだ。「搭乗券を持っていない人はここで手続きを」と中国語と英語で書かれたカウンターの前まで来た。ところが、そこに係官がいない! 早朝の4時過ぎだからかもしれないが、これでは困る! 仕方なしに、搭乗券を持っている人についていったが、スタッフにつっけんどんに「搭乗券をもらって来い」といわれた。「向こうには誰もない」ととびっきり拙い英語とボディランゲージで事情を説明したが、まったく相手にしてくれない。仕方なしに元のカウンターに戻ろうとすると、別の空港スタッフがいた。また下手な英語で説明をしたが、さっきのところに行くようにといわれただけ。私だけでなく、何人もの客が同じ状況のようで、右往左往している。いや、状況はよくわからなかったが、チェンマイからの飛行機で隣の席にいたアメリカ人男性はアメリカまでの搭乗券は持っているということだったが、やはり「別のところに行け」といわれたようで、あちこちをウロウロしていた。

 しばらくしてやっとカウンターに係官が現れて長蛇の列。しかも、私の搭乗券を印刷しようとしたら紙が詰まって、かなりの時間待たされた。それがすんだら、荷物検査。おそろしく感じの悪い若い女性スタッフが顎をしゃくって客に荷物について指示をし、そのあと、猛烈に厳しくて、何度も機械を通される荷物検査。長い長い列。そこまでで1時間半ほどかかっていた。

 待ち時間が十分にあったからよかったものの、もし、時間がなかったら焦りまくっただろうと思った。同時に、インフラはそろってもソフトの面で不備の残る中国の問題点も感じた。

 ともあれ、こうして20171212日の午後、無事に自宅に帰った。

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チェンマイ旅行その2

2017年12月10日、チェンマイ旅行2日目。

日本で半日市内観光を予約しておいた。8時にガイドさんがやってきて出発。今回の旅は一人でぶらぶらするつもりだが、ガイドさんがいてくれる方がありがたいことも多い。ひとりだと目的地にたどり着けなかったり、歴史的な建物もさっぱりわからなかったりする。

とても感じのいいガイドさんだった。正確な年代などはどうも知らないようで、「古いものです」とか「15世紀ころにできました」などとテキトーだが、多くのチェンマイに暮らす人、しかも知的な階層の人が、大まかにどのようにとらえているかがとてもよくわかった。

まずはワット・チェン・ユーンに行った。チェンマイで最初にできた寺だという。ミャンマースタイルらしい。30過ぎのガイドさんが子供のころまでは整備されておらずほとんど廃墟だったという。次にすぐ近くのワット・パーパオ。そして、昨日みた旧市街地内のワット・プラ・シンとワット・ディー・ルアン。ともに一人で見た時にはわからなかった歴史的由来、そして、「実は古いものではなく、最近改修されたもの」「これが最も古いもので、多くの人が信仰している」といったことを聞くことができた。ワット・プラ・シンでは日曜日だけの市が開かれていた。ラッキーだった。

その後、有名ではなく観光には含まれないが、現地の人に親しまれているというワット・ジェット・ヨドに連れて行ってもらった。近くに幹線が通っているために車の音はうるさいが、それを除けば静かで落ち着いた寺。通常のタイのお寺とは異なってスリランカの影響下にあるという。とてもいい雰囲気。美しい仏塔、古めかしいレンガ、木陰が心地いい。ゆっくりと時間が流れている。一人で少しだけ自由に散歩させてもらった。

その後、チェンマイ国立博物館に行ったら、今日は国民の休日ということで閉鎖されていた。そこで、明日、一人で行こうと思っていた郊外の山の上にある寺ワット・プラ・タート・ドーイ・ステープに行ってもらえないかと交渉。電話で責任者ともお話しして少々の追加料金によって行ってもらえることになった。ありがたい。車で40分ほどかけ、坂道を登った。イメージとしては東京郊外にある箱根の上にある寺院といった感じ。標高1080メートルだという。国民の休日で三連休ということもあって、車が混んでいた。寺まで行くと、人がごった返していた。

ロープウェイがあったが、待っていると30分くらいかかるということで、階段を上った。スリランカから届いた仏舎利が収められているという金色のストゥーパの周りに人が大勢いた。下りだけロープウェイを使った。お参りをしている人がたくさんいた。正式のお参りの仕方をガイドさんに教えてもらった。少々足がくたびれる参り方だったが、何度か実践した。

しばらく寺院を見た後、市街地に戻った。食事時だったので、ガイドさんに現地の人に人気のタイ料理の店を教えてもらって、そこで車を降りた。昨日と同じような魚の料理を食べたが、今日のほうがおいしかった。今日もあれこれ欲張って注文したために、半分ほどしか食べきれなかった。一人旅がこれがつらい。

満腹になって動けなくなって、ホテルに戻り休憩。

 

夕方、再び、町の見物に出かけた。

まず、カート・ルアンまで歩いた。ビン川付近にある大きな市場だ。まさしく東南アジアの市場といって想像する通りの市場。小さな店がいくつも並んでいる。最初に目についたのは花屋さんだった。休日で、仏教的な意味があるのだろう。菊の花やそのほか、お供えにする感じの花がずらりと並んでいた。花屋さんだけで10軒以上並んでいたのではないか。そのほか、果物や野菜屋、雑貨屋、洋服屋、かばん屋、お菓子屋などが並ぶ。買い物をする人々も大勢集まっていた。ぐるりと歩き回った。

その後、ビン川を渡ってみた。仏教寺院のすぐ横にモスクもあった。雰囲気がかなり異なる。すぐにまた市場に戻って、トゥクトゥクでターペー門まで行った。前もって値段交渉をし、「50バーツ」と約束していたのに、100バーツ札を出すと、20バーツしか釣りをくれない。「50バーツのはずだ」と強く言ったが、相手はなんだかわからないタイ語で主張している。30バーツ(150円くらいかな?)程度で争うのもばからしいので、すぐに折れた。本当はこちらが折れるから、のさばるのだろうが、まあ仕方がない。

 ターペー門には人だかりができていた。今日は日曜日なので、ラーチャダムヌーン通りはナイトマーケット(要するに夜市)が開かれる。しかも、今日はタイの祝日で三連休だという。まだ暗くなっていなかったが、すでに多くの人が集まっていた。

 通りに、様々な屋台が出ている。洋服、民芸品、食器、食べ物などなど。寺院も解放され、その多くでは食べ物の屋台が出ている。ソーセージ、果物、飲み物、焼きそば風のもの、焼き鳥風のものなどなど。楽器を演奏している人もいる。あちこちで音楽がかかっている。

 昨日マッサージを受けた寺(ワット・サンパオ)に行ってみたら、今日もマッサージ店が開いていたので、またタイマッサージを受けた。山の上の寺院に上ったので、足に違和感があった。かなり年配の女性マッサージ師さんだったが、昨日よりもずっと効き目があった。

 1時間、同じようにマッサージを受けた後、夜市を歩いた。1キロ以上にわたって、ものすごい人だかり。ラッシュ時の新宿駅のホーム以上の状態。中国語、タイ語があちこちで聞こえる。さすがに日本語も何度か耳にした。30分ほど歩いたが、あまりに喧騒に疲れて、ホテルに戻った。戻る途中、レストランで夕食。

 ともあれ、楽しい。東南アジアの一人旅を満喫している。

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チェンマイ旅行 その1

 昨日(2017129日)から、タイのチェンマイに来ている。8日の夜に飯田みち代ソプラノ・リサイタルを聞き終えてすぐに羽田空港に向かい、タイ航空でバンコクを経由してチェンマイに着いた。今年9回目の海外旅行。退職後、アジアの海外旅行を楽しんでいる。

 今回のチェンマイ旅行には35年ほど前のリベンジの意味がある。当時、私は行き当たりばったりの旅でバンコクにおり、チェンマイに行こうとして中央駅まで行った。ところが、駅の窓口には、今と違って英語の表記がほとんどなかった。インフォメーションで尋ねようと思ったが、いくら待っても係員が来なかった。しばらく待つうち、チェンマイに行くのが怖くなって中止したのだった。それ以来、ずっと気になっていた。たまたまマイレージを消費しないと消えてしまうので、これを機会にチェンマイ旅行を思い立った。

 チェンマイに着く前に一つの事件があった。

 実は私はかなり異常なほど忘れ物の多い人間だ。あちこちにいろいろなものを忘れてくる。今回、またバンコクまで乗った飛行機に本とアイポッドを忘れてしまった。飛行機から降りてしばらくして気づき、近くにいた係官にそのことを伝えた。すると、あれこれ手をまわしてくれて、ぎりぎりではあったが、チェンマイ行きの搭乗口で手渡してくれた。自分のドジさに改めてあきれるとともに、バンコク空港の方々に感謝。感謝するだけでなく、連絡網がしっかりしていることにも感嘆。

 朝の9時半頃にチェンマイ空港に到着。アジアの雰囲気のこじんまりした空港。ただ、ほかの空港のように「タクシー?」などと客引きしてくるものはいない。こちらから「空港タクシー」に声をかけ、料金を決めて出発。運転は乱暴ではない。道もそれほど混んでいない。

トゥクトゥクがあちこちにある。これもそれほど乱暴な運転ではない。

ホテルに着いたのは10時ころだった。おしゃれな植民地風のホテル。チャックインの時間までまだ間があったがすぐに部屋に入れてもらえた。一眠りして12時前から活動開始。雲は多いが、ともあれ晴れの天気。気温は30度になるかならないかくらい。暑いのは暑いが、耐えられないほどではない。

 このところのモンゴル、スリランカ、インドネシアではガイドさんをつけての旅行だったが、タイなら個人でもなんとかなると思うので、ともあれ昔ながらの一人旅。行き当たりばったりに歩き、疲れたら店に入って休み、また歩く。

 ホテルから出てすぐのところに寺があった。バンコクでもよく見かける堂とストゥーパがあり、数人の観光客と散歩中らしい現地の人がいる。有名な寺院ではないが、生活に根付いているし、とても雰囲気がいい。

 街の雰囲気は、先日訪れたデンパサールに似ている。日本人からすると、ちょっと汚い感じの現地の店とおしゃれな観光客向けのカフェやお土産物店が並んでいる。そこを白人観光客が歩いている。個人で歩いている人のほとんどが短パンにTシャツの白人。若い人も高齢の人もいる。中心街に行くにしたがって、そこに中国語を話す人が増えてくる。集団旅行の人もいるが、そのほぼ100パーセントが中国人だ。ただ、デンパサールと違うのは、異様にマッサージ店が多いこと、そして、道のあちこちに果物(ココナツやドリアンなど)や料理を出す屋台があること。

ホテルはターペー通りの近くにあった。そのままターペー門という旧市街地を囲っていた門をくぐった。現在も観光客でにぎわい、ハトが集まっている。

そのままダーチャダムヌーン通りを進んで、旧市街内を歩いた。いたるところに寺がある。通りの右にも左にも、ほとんど連続しているかのように寺院が見えてくる。有名な大きな寺院もあれば、小さな寺院もある。どれもがとても美しい。とがった屋根、赤い瓦、白かったり金色だったりのストゥーパ、きらびやかな金色の仏像。初めのうちは地図で寺院の名前を確認していたが、だんだんとどうでもよくなった。歴史などについて知るのは後にして、まずは風景を味わいたい。

ある寺院の内部でマッサージ屋さんが店を開いていた。マッサージの店はあちこちにあるが、店の内部に入るのには少々抵抗がある。なんだかちょっと怪しい感じがしないでもない。が、そこは寺のお堂で、外からも見えるところでマッサージをしている。中国人らしい男性と女性、西洋人、そして現地の女性が客としてマッサージを受けていたので、私も受けることにした。いわゆるタイ式マッサージで、ストレッチっぽいことをさせられた。私を担当したのは、中年の女性。男性マッサージ師さんも何人かいた。1時間150バーツ。450円くらいだろう。かなり安い。私のかなり頑固な肩こりにはあまり効き目なかったが、1時間、外の風にもあたりながら、ゆっくりとマッサージを受けられたのはとても快適だった。

その後、ワット・パンタオとワット・チェーディー・ルアンを見た。タイの寺院は本当に素晴らしい。30数年前に初めてバンコクでいくつもの寺院を見た時の感動を思い出す。

少々疲れたので、ラチェマンカ通りを通ってホテルに戻って、一休み。

1時間ほどしたら、元気が回復したので、こんどはターペー通りを反対の歩いてチェンマイ駅まで行ってみた。かなり交通量が多い。ばい煙はかなりひどそう。だんだんと観光客は少なくなる。食堂、金物屋、宝くじ屋、自動車修理工場などが並んでいる。大きな川を渡った。その向こうには十字架が見えた。キリスト教系の施設があるようだ。30分以上歩いてチェンマイ駅に到着。

小さな駅だった。人も少ない。列車が見えたが、乗る人も降りる人も確認できなかった。日本の、たとえば私の故郷である日田駅と大差ない。時間帯によるのかもしれないが、白人の客が数人、中国人らしい人が数人、あとは現地の駅員やお店の人ばかり。駅前にタクシーの列もない。

歩くのには疲れたので、近くで休憩していた運転手に声をかけてトゥクトゥクでワット・プラシンまで行った。ちょっと値切って130バーツにしてもらった。ワット・プラシンは旧市街の最も西にある大寺院。巨大な金色のストゥーパがある。大きな金色の仏像もある。中国人が大半を占める客に交じって、しばらく観光した。壮麗で本当に素晴らしい。聖なるものを感じる。日本の寺院のような厳粛な世界というよりも、もっと現世に近く、軽やかでしかも崇高な世界。そんな極楽の存在を信じたくなってくる。

とはいえ、有名な寺もいいが、観光客のいない小さな寺院でゆっくりと本を読んだり、風に吹かれたり、考え事をしたりする方が性に合いそうだと思った。3日目の帰国する日はそうして過ごすことにしたい。

飛行機内での食事が続いた(羽田・バンコクでも、バンコク・チェンマイでも朝食が出た)ため、昼食を抜いていた。17時ころだったが、おなかがすいたので、タイ料理屋を見つけて、魚料理とチャーハンっぽいものを頼んだ。一人では多すぎて半分以上残した。おいしかったが、もったいなかった。

その後、ホテルに戻り、夜、少しだけ街を歩いてみた。セブンイレブンで買い物。セブンイレブンはところどころにある。「砂糖抜きか」と尋ねて、確認して買ったのに、帰って飲んでみたら、緑茶は甘かった。夕食が早かったので、夜、おなかがすいた時のために海老せんべいのようなものも買って、少しだけ食べてみたが、これも甘かった。タイの人は甘いもの好き?

もう一つ感じたこと。ホテルでテレビをつけた。BSも含めてかなりの数がチャンネルに登録されている。中国語の放送が4つくらいある。韓国語らしいものも1局ある。ドイツ語もある。もちろん英語はいくつかある。が、日本語がない! ホテルのスタッフは誰もが必ず私に「ニーハオ」と声をかけてくる。

日本人観光客が多くないせいかもしれないが、日本の存在感の欠如をあちこちで感じる。少し前まで、日本の物価と東南アジアの物価の大きな開きを感じ、なんでもすごく安かったが、今は「日本と大差ない」と感じる。東南アジアを成長しているということでもあるだろうが、日本が特別の先進国でなくなったということだろう。日本人として意識を変える時に来ているのを強く感じる。

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飯田みち代 ソプラノ・リサイタルを堪能

2017128日、王子ホールで飯田みち代 ソプラノ・リサイタルを聴いた。とても良かった。飯田さんの表現力にも感服。しばしば感動した。ゲストの彌勒忠史(カウンターテナー)の力にも圧倒された。ピアノは前田佳世子。

飯田さんとは何度かお仕事をご一緒したことがある。私が飯田さんのコンサートを企画し司会をした。多摩大学のゼミのコンサートをお願いしたこともある。「ダメ元」でお願いしてみたら、快く引き受けてくださった。私は最初に飯田さんの歌を聴いた時からの大ファンだ。とりわけ、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」はまだ耳に残っている。芸術大賞をとった「メデア」のタイトルロールの素晴らしさも昨日のことのように覚えている。そして、今回、もう一つ上のレベルに達したことを実感した。

ほとんどはバロックの曲。カッチーニの「アマリッリ」「愛の神よ、何を待っているのですか」、ヴィヴァルディの歌劇「ポントの女王アルシリダ」より「私はジャスミン」など。飯田さんの声と表現力はロマン派にこそ発揮されると思っていたのだが、バロック曲を清澄でありながらもダイナミックに歌って、みごとに表現していた。清澄さの中に凄みを宿らせ、それを徐々に展開していく。こんなことを言うとあまりに僭越だが、飯田さんはバロックを深めることによって、ますます深い表現力を身に着けたと思った。彌勒さんとのデュオによる『ポッペアの戴冠』より「ただあなたを見つめ」はとりわけ素晴らしかった。

が、やはり、わたしは飯田さんのロマンティックな歌唱が好きだ。『ジャンニ・スキッキ』の「私のお父さん」もよかったし、ギュスターヴ・シャルパンティエの『ルイーズ』の「その日から」はまさしく圧巻。バロック曲で少し抑制してきた飯田さんの持ち味を全開! 私はワーグナーに反応するように、飯田さんの歌に反応する。時々ゾクッと魂が震える。私の心の奥にある「琴線」をかき乱される。後半の『セヴィリアの理髪師』の「今の歌声は」も素晴らしかった。

そして、彌勒さんの太いカウンターテナーによる「オンブラ・マイ・フ」にもしびれた。彌勒さんの声を聴くのは初めてではないが、こうしてソロやデュオを間近で聴くと、改めて音程の良さ、声の太さに圧倒される。

バッハのロ短調ミサのデュオも素晴らしかった。最後は、ヘンデルの『リナルド』から「私を泣かせてください」、そして、アンコールは「きよしこの夜」。堪能した。

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ゲルギエフ+マリインスキーの「展覧会の絵」と「運命の力」序曲に圧倒された

 2017125日、武蔵野市民文化会館でワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏を聴いた。曲目は、前半にプロコフィエフの交響曲第6番、後半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とムソルグスキー作曲・ラヴェル編曲の「展覧会の絵」。

 前半は少々不満だった。ダイナミックで切れの良いところがしばしばあるのだが、なんだかザツな感じ。ビシッと決まらない。私がこの曲に特に思い入れがないせいかもしれないが、少しも感銘を受けなかった。休憩が終わって、ドビュッシーが始まっても、初めのうちはさほど印象は変わらなかった。もちろんハッとするところはたくさんある。が、ドビュッシーらしい繊細で微妙な音の重なりが聞こえてこない。

 ところが、「展覧会の絵」が始まってから、俄然おもしろくなってきた。ゲルギエフの魔法が威力を発揮し始めた。オーケストラの威力も十分に発揮されてきた。何しろ金管がすごい。ロシアのオーケストラ特有のきらびやかでとてつもなく強靭な響き。とりわけトランペットがいい。細かいところもぴたりと決まるようになってきた。ゲルギエフの指の動きに応じて、オーケストラの音が生命を持ち、うごめき、躍動してきた。ただ、少し気になったのは、いかにも「組曲」になって曲と曲の有機的につながっていないような気がしたこと。が、「展覧会の絵」については、私はそれほど聴きこんだわけではないので、これでいいのかもしれない。

 アンコールは「運命の力」序曲。これはすさまじかった。ゲルギエフの魔法が全開。オーケストラも素晴らしい。音のドラマが躍動し、一つ一つの音がぴたりと決まり、フレーズとフレーズのつなぎも実に自然。目の前で宇宙的ドラマが展開される思いがした。うーん、ゲルギエフはやはりすごい!

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アトリウム弦楽四重奏団 とんがったチャイコフスキーにびっくり!

 2017121日、横浜市鶴見区にあるサルビアホールでアトリウム・ストリング・クァルテットのコンサートを聴いた。凄まじい演奏。驚くべき技巧、音程がよく、クリアで明晰。エベーヌ弦楽四重奏団やモディリアニ弦楽四重奏団と同じタイプといってよいかもしれない。ただ、ロシア出身の四人であるせいか、フランス系の人たちよりももっと不思議な偏りがある。それがとても魅力的だ。

 最初はブラームスの弦楽四重奏曲第1番。第1楽章と第4楽章の音の重なりの鮮烈さに魂が痺れた。勢いのある音でこれでもかと鋭くて透明な音を重ねていく。素晴らしい。第一ヴァイオリンのボリス・ブロフツィンがめっぽううまい。ただ第2楽章と第3楽章は、ややもたれ気味だった。緩徐楽章の緊張感の持続の欠如という点で課題が残るのではないかと思った。

 2曲目はヴィトマンという1973年生まれのドイツの作曲家の弦楽四重奏曲第3番「仮の四重奏」。四人そろって弓を大きく振り、「ハイ」と叫んでから演奏が始まり、曲の途中でも叫び声が入る。そして、リズミカルで激しくて、しかも様々な弦の現代音楽的な奏法を使った音楽が展開される。とはいえ、聴いていて飽きない。メンバーのテクニックにも驚いた。

 そして、後半はチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番。始まってすぐ、「あれ? チャイコフスキーが演奏されるはずだったのに、別の曲が始まったのかな?」と思った。チャイコフスキーの音がしない! 物憂げな抒情がない。独特の「チャイコフスキー節」がない。まるで現代音楽のような鋭角的な音楽。まるで顕微鏡で見たような分析的な音楽とでもいうか。しばらくして、やっと間違いなくチャイコフスキーの曲だと気づいた。チャイコフスキー好きはこのような演奏に不満を持つかもしれない。が、私のように、時々チャイコフスキーの浪花節的な思い入れに辟易する人間には、このようなアプローチは新鮮でいい。しかも、これはこれできわめて知的でクールな抒情がある。時々ぐいぐいと心に刺さる。

 アンコールはボロディンの弦楽四重奏曲第2番第3楽章、あの有名な「ノットゥルノ」。あのゆったりとした夜の叙情は聞こえてこないが、先鋭的な抒情がそれはそれでとても魅力的。とてもおもしろいと思った。

 もっとも感動したのは最初のブラームスの弦楽四重奏曲第1番だった。それ以外の演奏について手放しで素晴らしいという気はないが、とてもおもしろく、とても興味をひかれる演奏だった。

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新国立劇場「ばらの騎士」 感動には至らず

 20171130日、新国立劇場で「ばらの騎士」をみた。一昨年観たのと同じジョナサン・ミラーの演出だが、今回は今日が初日。なかなかよかった。

 指揮はウルフ・シルマー。勢いのある演奏。ところどころはっとするような切り込みがある。東京フィルもよくついており、大きなミスはなかったと思うが、シュトラウスにふさわしい精妙で絶妙の音楽にはあと一歩というところだった。

 歌手はそろっている。私はその中でも、オックス男爵のユルゲン・リンとゾフィーのゴルダ・シュルツがとりわけ素晴らしいと思った。二人とも声量があり、表現力がある。シュルツを聴いたのは今回が初めてだと思うが、太い声だが、高音がとても美しい。南アフリカ出身の若いソプラノ。今後がとても楽しみだ。

 元帥夫人のリカルダ・メルベートももちろんいいのだが、もう少し繊細な方が私の好みだ。オクタヴィアンのステファニー・アタナソフは、第一幕の途中から突然素晴らしくなった。容姿もいいし、声もきれい。ただちょっと演技力に問題がありそう。クレメンス・ウンターライナーは生真面目で硬直したファーニナルを見事に歌っていた。

 マリアンネの増田のり子、ヴァルツァッキの内山信吾、アンニーナの加納悦子、警部の長谷川顯などの日本人メンバーもとてもよかったが、やはり世界レベルの外国人スター歌手と比べると、少々ひ弱な印象を受けざるを得なかった。

 第三幕の三重唱は、もちろん悪くはなかったが、少しオーケストラの音が大きすぎて声がかき消された印象を受けた。オケをもりあげたかったのはわかるが、もう少し声の精妙さを味わいたかった。その後の愛の二重唱はとても良かったが、ここも感動に酔いしれるまでには至らなかった。あと少しのオーケストラの精度がほしいと思った。きっと、回を重ねるごとに精度が増していくのだろう。

「ばらの騎士」は、中学生のころから、つまり50年以上前から大好きなオペラだ。もう少し感動したかったが、これほどのレベルの上演が日本で日常的に行われるようになったことに改めて気づいた。50年前には考えられなかったことだ。

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