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映画「一票のラブレター」「卵」「ミルク」「蜂蜜」「シーヴァス」「そして、私たちは愛に帰る」「消えた声が、その名を呼ぶ」

 このところ、ずっとイラン映画をみてきた。ネットで探すうちにトルコやレバノンなどの近隣の映画にも関心が広がった。今年の年末は、急ぎの仕事がないので、本を読んだり、音楽を聴いたり、DVDで映画をみたり。中近東の映画数本の感想を記す。

 

41a1qmzsvyl_2 「一票のラブレター」 ババク・パヤミ監督 2001

 イラン映画。選挙が行われるということで、選挙管理委員会の女性がキシュ島にやってきて、投票箱をもって島民の家を回り、投票させようとする。その女性と護衛の任にあたる兵士のロード・ムービー。意欲にあふれていた女性が島の現実を知り、島民たちの選挙への無関心を知っていく。が、最後には、女性に反発していた兵士は候補者でもないその女性の名前を投票用紙に書く。

「コミカル」「ユーモア」といううたい文句がDVDに並んでいたが、実は私は少しもユーモアを感じなかった。そもそも選管が投票箱をもって民家に押しかけていくこと自体、一つの価値観の押し付けになって、民主主義に反するのではないか。それに、島の人はこの女性のもとでしか投票できないわけだから、この女性が出歩いていたらわざわざ投票に来た人は行き違いになってしまう。このような選挙が本当に行われていたとすると、それこそ不正選挙の温床になりはしないか。そんなことを考えていたら、まったくリアリティを感じることもできなかった。民主主義に対する掘り下げもこの映画には感じない。ただ、キシュ島の自然の美しさばかりが印象に残った。

 イランの映画をかなり見て、多くをとてもおもしろいと思ったのだったが、残念ながら、この映画は私がみたイラン映画の中のワーストワンだった。

 

51a3milmqql_ac_us160__2 「卵」「ミルク」「蜂蜜」(ユスフ三部作) セミフ・カプランオール監督 

 トルコの映画監督セミフ・カプランオールの三部作。全部で300分を超す。イスタンブールで暮らす詩人(しかし、今でもほとんど詩作はできず、古本屋の主人として生きている)ユスフが、母の死をきっかけに故郷に戻って、自分の過去をめぐる。「卵」は、晩年の母の世話をしてくれた若い女性と、母の遺言に従って羊の生贄を捧げに行く様子を中心に描く。「ミルク」は、過去に戻って(とはいえ、映画の舞台そのものは現代のままのようだ)若きユスフを描く。癲癇(てんかん)という病を持ちながら、母の仕事を手伝って牛乳販売を行い、そのかたわら詩を書き、自立していく様子が語られる。「蜂蜜」は、ユスフの幼少期を描く。小学校12年生だろう。山の中で蜂蜜農家に育っているが、てんかんを患う父が事故で亡くなるまでを描く。一般の連作映画と異なって、徐々に過去に戻っていくという構成になっている。

 どの作品も説明がほとんどなされず、自然に囲まれた風景をじっくりと描いていく。劇音楽は流されない。画面そのものが詩情にあふれている。すべての映像がまさしく一幅の絵画を成している。もちろん、私はこのようなタイプの映画は嫌いではない。最後まで特に退屈することなく見た。とりわけ、「蜂蜜」はなかなかの名作だと思う。

だが、実をいうと、私はこの三部作にあまり惹かれなかった。このような映画を作りたいという気持ちは私にもよくわかるが、どうということなく終わってしまった印象。「蜂蜜」だけは父の事故死という大きなドラマがあるが、それ以外には大きな出来事はなく、淡々と日常が描かれるが、それだとドラマとして物足りなく思ってしまう。

 

51owiisxzzl_ac_us160__2 「シーヴァス」 カアン・ミュジデジ監督 2014年トルコ

 学校の学芸会で主役になれずに落ち込んでいる少年アスランは、闘犬で敗北して死にかけた犬をシーヴァスと名付けて自分の犬として育てる。ついにはシーヴァスは強さを取り戻し、闘犬大会でチャンピオンになるが、その痛々しい姿にアスランはもう戦わせたくないと思う。しかし、周囲の大人たちはそれを許そうとしない。

そうした物語を、ドキュメンタリータッチの揺れ動くカメラワークを用いて生き生きと描く。意固地で我が強いが、やさしい心を持つアスラン役の少年ドアン・イズジの演技が素晴らしい。闘犬の場面のリアリティもすさまじい。そして、なによりもトルコの山間部の荒っぽくてかわいい子どもたちの様子を生き生きと描く。少年と犬の交流というありがちな物語なのだが、映像のおかげで実に新鮮に思える。いい映画だと思う。

 

51xl0fx0oql_ac_us160__2 「そして、私たちは愛に帰る」 ファティ・アキン監督 2007

 トルコ系ドイツ人であるファティ・アキン監督の映画を初めてみたが、これは素晴らしい。感動した。正真正銘の名作だと思う。

 妻を亡くして、長い間一人で暮らした男が高齢になって贔屓の売春婦と同棲しようとする。が、大学教授である息子がその女性と関係を持ってしまう。それに怒って殴った途端、女性は死んでしまい、男は刑務所入り。息子は死んだ売春婦の行方不明の娘を探して、教育費を援助しようとする。一方、その行方不明の娘のほうは、トルコで政治活動に加わり、ドイツに逃げて母親を探そうとする。探しあっており、それぞれ顔を合わせたり、すれ違ったりしているのに、最後まで互いに気付かない。

この映画の最大のテーマは「死」だろう。二人の主要人物があっけなく死んでしまう。その「死」をめぐって残された人々が苦しみ、嘆き、その意味を探求しようとする。そうしながら、すべてがすれ違いに終わってしまう。まるで、「死」に操られているように。そうした関係をドイツとトルコの状況の中に描く。なるほど、人生というのはこのようなものかもしれないとつくづく思う。

 

51xdlrdyuul_ac_us160_ 「消えた声が、その名を呼ぶ」 ファティ・アキン監督 2014

「そして、私たちは愛に帰る」と同じアキン監督。オスマン・トルコ帝国によるアルメニア人虐殺を扱っている。トルコ在住のアルメニア人はキリスト教徒であるためにしばしば虐殺にあってきた。とりわけ、第一次世界大戦ではアルメニア本国が連合国側、オスマン帝国が同盟国側で戦ったために、苛烈な虐殺が行われた。そのような状況を舞台にしている。

虐殺の中、喉を切られて声を失ったものの九死を得たナザレット(タハール・ラヒム)が、生き残った娘を探して世界を探し、8年かけてついにアメリカで娘の一人と再会する。「そして、私たちは愛に帰る」に比べると、作りは単純だが、ナザレット(もちろんイエス・キリストが過ごした土地ナザレによる命名だろう。ラヒムはイエスを彷彿とさせる)の苦悶、愛情、神への疑いを実にリアルに描いているので、説得力がある。楽に死ぬことを求める瀕死の義妹を抱き続け、最後に首を絞める場面は壮絶。ファティ・アキンは1973年生まれだという。この映画を作った時、まだ30代。恐るべき才能!

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