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チェンマイ旅行その3

 20171211日、チェンマイ3日目。朝の9時ころホテルを出て、旧市街地を一周した。ターペー門を起点にして西に向かって堀沿いに歩いた。

旧市街はかつて1辺が2.5キロほどのほぼ正方形の城壁に囲まれていたらしい。現在では、ターペー門のほか、ところどころに古いレンガが積まれた城壁が残されているにすぎない。四方を歩くと、合計10キロほどになる。途中、寺院を見かけたら、中に入って見物した。小さな、特に有名でない寺院もあった。ワット・ロークモーリーも訪れた。ガイドブックに出ている有名な寺だ。そのようにして歩いたので、周囲を回るのに3時間以上かかった。

 堀があり、その両側に3車線の道路が走っている。ただし、そのうちの1車線は駐車車両がぎっしりと停まっているところが多い。堀の内側には芝生が植えられ、遊歩道のようになっている。あまりきれいな水ではない。よどんだ水。車がかなりのスピードで音をたてて走っている。旧市街のどの側面もとてもよく似ている。堀と道路だけ見たのでは、市街地のどのあたりにいるのか迷いそう。現地の人は迷わないのだろうか。だが、歩いてみると、位置によって町の持つ表情はかなり異なる。

 ターペー門付近は観光客が大勢歩いている。朝方は西洋系の人々が中心だ。一人、あるいはカップル、友人同士で朝食を食べに行ったり、散歩していたり。店も観光客向けのレストランなどが多い。タイ料理、中華料理、そしてピザの店、カフェが多い。道路はひっきりなしに車が走る。信号がほとんどないので、車の列に切れ目がない。横断歩道もほとんどない。車の運転は決して乱暴ではないのだが、歩行者が道を渡るのはかなり危険。車のちょっとした切れ目を見つけて渡らなければならない。遊歩道にベンチはあるが、ばい煙や車の音のせいで、そこに座っている人はいない。

 西側の側面に差し掛かる部分に残された城壁跡に上ってみた。13世紀に作られたものだという。レンガが積み重ねられているが、今にも崩れ落ちそう。私のほかに、西洋人の男性が登ろうとしていた。私はすぐ後について上った。

 ところが、ちょうどその時、通りかかったトゥクトゥクの運転手に怒鳴られた。「カム・ダウン」と叫んでいるようだ。「降りろ!」ということだろう。そうか、遺跡であって、ここには登ってはいけないんだ。そう思って、あわてて降りた。

 旧市街の西側の側面になると、観光客ではなさそうな人も大勢見かける。休日のせいか、現地の人もセメント張りの床にテーブルと椅子を置いただけの小さな食堂で食事をしているようだ。観光客もみかけるが、長期滞在型の安めの部屋がたくさんあるので、そんなところに滞在している人なのだろう。このあたりにいる観光客のほとんどが西洋人だ。観光をしているというよりも、生活している風な雰囲気だ。この側面にもお寺が多い。

 南側の側面になると、かなり交通量が減る。現地の人向けの店が多い。葬儀屋などの葬儀関係のお店、ペットショップが何軒か並んでいた。目の不自由な人が行うマッサージの店や喫茶店があった。現地の人が普通の生活している。ただし、ここにも西洋人の姿を多く見かける。定住しているのかもしれない。東側の側面には大きめの市民公園があり、子どもを連れた母親や高齢者、カップルが遊んだり、散歩したりしていた。南側の側面以上に交通量が少ない。私も公園のベンチに座って、しばらく休憩した。そこでも西洋人が何人か見かけた。その少し北の方には大きな市場があった。野菜や果物や魚や肉が売られ、大勢の客でにぎわっていた。私が子どものころの、まだスーパーができる前の市場を思い出した。

 特に何かを見るわけではない。ぶらぶら歩くだけ。考えてみると、30年ほど前、あちこちと貧乏旅行をしていたころ、私の旅の流儀というのはこんなものだった。つまり、あてもなく歩き、街をぼんやりと眺め、自分の孤独をかみしめ、人生を振り返り、おもしろそうなところがあったら中に入っていく・・・というものだった。昔の旅を思い出した。

ただ、昔と違って、今は運動不足のためにすぐにくたびれて歩けなくなる。それに、昔は危険な場所があると、とりあえず足を踏み入れていたのだが、今は逆に危険な臭いのするところには近づかなくなった。その違いはあるが、久しぶりに昔ながらの旅をした。

その土地について特に何かを得ているわけでもないのだが、私はこのように街をほっつき歩くことをとても心地よく感じる。それが好きで旅をしていたのだった。

 旧市街を一周すると、昼になっていた。が、ホテルでお腹いっぱいに朝食を食べたので、まだお腹がすかない。またマッサージを受けようと思って、2日連続で通った寺の中のマッサージ店に行ってみたらすべての席が客で埋まっていた。以前にレストランを探している時に、その寺の向かい側のイートインのようになっている敷地(そこには、日本のラーメン店もあった!)にもオープンスペースのマッサージ店があるのを見つけていたので、そこに行ってみた。20代の若い女性にマッサージしてもらった。とても上手だった。180バーツだったが、私がいつも日本で受けている贔屓のマッサージ師さんに匹敵する腕だと思う。疲れが取れた。

 その後、旧市街地内のわき道に入り、揚げ魚と赤米のチャーハンを食べた。まずまずの味。食後、旧市街地をまたぶらぶらと歩いて、ホテルに戻り、シャワーを浴びて、一休みしてチェックアウト。タクシーを呼んでもらって空港に向かって帰途に就いた。

 

 帰りはチェンマイから中国国際航空で北京を経由し、そこから全日空で羽田に帰る便だった。そこで感じたことがあるので、ここに書き記す。

チェンマイでは北京までの搭乗券しか出してもらっていなかった。チェンマイの係の女性に「ベイジン→ハネダの搭乗券はベイジンで出る」といわれていた。で、北京に予定よりも早く到着。ほっとしながら、「インターナショナル・トランジット」という表示に従って進んだ。「搭乗券を持っていない人はここで手続きを」と中国語と英語で書かれたカウンターの前まで来た。ところが、そこに係官がいない! 早朝の4時過ぎだからかもしれないが、これでは困る! 仕方なしに、搭乗券を持っている人についていったが、スタッフにつっけんどんに「搭乗券をもらって来い」といわれた。「向こうには誰もない」ととびっきり拙い英語とボディランゲージで事情を説明したが、まったく相手にしてくれない。仕方なしに元のカウンターに戻ろうとすると、別の空港スタッフがいた。また下手な英語で説明をしたが、さっきのところに行くようにといわれただけ。私だけでなく、何人もの客が同じ状況のようで、右往左往している。いや、状況はよくわからなかったが、チェンマイからの飛行機で隣の席にいたアメリカ人男性はアメリカまでの搭乗券は持っているということだったが、やはり「別のところに行け」といわれたようで、あちこちをウロウロしていた。

 しばらくしてやっとカウンターに係官が現れて長蛇の列。しかも、私の搭乗券を印刷しようとしたら紙が詰まって、かなりの時間待たされた。それがすんだら、荷物検査。おそろしく感じの悪い若い女性スタッフが顎をしゃくって客に荷物について指示をし、そのあと、猛烈に厳しくて、何度も機械を通される荷物検査。長い長い列。そこまでで1時間半ほどかかっていた。

 待ち時間が十分にあったからよかったものの、もし、時間がなかったら焦りまくっただろうと思った。同時に、インフラはそろってもソフトの面で不備の残る中国の問題点も感じた。

 ともあれ、こうして20171212日の午後、無事に自宅に帰った。

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コメント

お疲れ様です。ご無事に帰国されて何よりです。北京空港での出来事は、読んでいる私も、ハラハラ、イライラいたしました。ほんとうに乗り継ぎ時間がたっぷりあったからよかったですね。そうでなかったら、どうなったかと‥。ともかく、無事に切り抜けられてよかったです。

投稿: Eno | 2017年12月13日 (水) 20時07分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
よほどのことがない限り、北京空港を経由したくないと強く思いました。私の知る中国人留学生たちはみんなとても熱心で真面目で感じのいい若者なのですが、空港職員などになるとお役人的になるのかもしれません。
時々、ブログを拝見しています。また、近いうちの読ませていただきます。

投稿: 樋口裕一 | 2017年12月14日 (木) 23時05分

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