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2本の「濹東綺譚」映画と3本のアキン映画のDVD

 急ぎの仕事がないので映画DVDを数本みた。簡単に感想を記す。

51p2vzkrqjl_sy445__2 「濹東綺譚」 豊田四郎監督 1960

 必要があって、永井荷風を数冊読み返していた。その過程で、関心をもってこの映画を見てみた。原作とまったく異なる。原作では、私娼であるお雪(山本富士子)のもとに通うのは永井荷風自身を思わせる初老の作家だが、この映画では妻子を持って、妻(新珠三千代)に責められる中学教師(芥川比呂志)ということになっている。原作では主人公の作家が小説のストーリーを構想しているが、まさにその構想された小説の人物が映画では主人公になっている。しかも、お雪は健気な娼婦で、親戚に騙され、最後には悲惨な中で死んでしまう。そのうえ、ずっと悲しげな音楽がかかっている。

これではまったく荷風の世界ではない! それどころか、荷風が最も嫌った価値観であり、世界観だろう。いや、それ以上に、これはもっとも私の嫌いなタイプの映画だ。私は、この種のウェットで情緒的な映画が大嫌い(ついでに言うと、「熱演」と呼ばれる、泣いたり叫んだりの演技の続出する映画も大嫌いだ)。荷風の文学を、当時、映画や新派などで取り上げられていた安手の不幸な商売女の物語にしてしまっている。

 私が子どもの頃(つまり、まさしくこの映画が作られた1960年前後)、「濹東綺譚」は日本文学を代表する名作として、ふだん文学に関心を持たない人にも語られていた。この映画の作風が日本国民に永井荷風のイメージを広げたとしたら、大いに問題があると思う。

 

91vieynvnl_sy445__2 「濹東綺譚」 新藤兼人監督 1992

 同じ原作に基づくが、こちらの方がずっと原作に近い。新藤監督は好きな監督で、私はかなりの映画を見ているが、本作が公開されたころ、私はもっとも忙しい時期だったので、みる時間が取れなかった。今回、初めてみる。

これは主人公を永井荷風その人とみなし、荷風の日記「断腸亭日乗」やほかの小説作品に記されるエピソードを盛り込んで、荷風の孤独死までを描いている。また、新藤兼人によるオリジナルだと思われる、お雪の女主人(音羽信子)とその出征する息子のエピソード、主人公二人の結婚話が加えられている。

荷風を演じるのは津川雅彦。女好きで放蕩でひょうひょうとして権力を嫌い、腹を決めて自分のスタイルを貫く荷風を見事に演じている。墨田ユキ(この映画が本格デビューのため、この役名から芸名をつけたのだった)も気がよくて素直な私娼お雪を見事に演じている。原作の精神を映像化していると思う。下層の人たちのおおらかな性、それに出会って人間の心の奥にある渇望や悲しみを実感する知識人。そのような原作をうまく描いている。原作の世界観を的確に再現していて、私はとても良い映画だと思った。荷風の世界観を現代に問うことは、戦争に対抗する意識を明確にとらえるために必要なことだと考える。

それにしても、不倫を攻撃し、売春を悪とみなす現代社会からすると、何と寛容で鷹揚な社会であることか。荷風のころまでは、男が女を買いに行くのが当然のことだという前提に立っている社会だったのだと痛感する。現代社会で荷風の世界観を理解するのは徐々に難しくなっているのかもしれないと、この映画を見て考えた。

 

71j9kpkofml_sy445__2 「愛よりも強く」 2004年 ドイツ ファティ・アキン監督

少し前にこのブログで感想を書いた「そして、私たちは愛に帰る」などを監督したトルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督の映画。酒とドラッグとタバコに溺れて自暴自棄に生きる中年男ジャイトと、束縛された家族関係から逃れようとして自殺未遂をした若い女性シベル。ジャイトは家族から逃れたいというシベルの願いを聞き入れて偽りの結婚(性的関係をあえて避ける結婚)をするが、互いの異性関係に嫉妬するようになり、ジャイトはシベルと寝た男を殺して、刑務所に入る。その事件によって二人は強い愛を意識し始めるが、ジャイトが刑務所にいる間に、シベルはトルコで自堕落な生活に陥り、その後、そこから立ち直って、別の男と家庭をもって子どもを設け、平和に暮らす。そこに、刑務所から出たジャイトがやってきて、二人は初めて性的関係を持つ。ジャイトは故郷でともに暮らそうと持ち掛けるが、シベルは約束の時間に現れない。

 前半のジャイトの荒れた生活を描く前半は退屈だった。私も30歳くらいまでかなりのロクデナシだったが、ジャイトとは別の種類のロクデナシだったので、あまり共感できなかった。が、殺人事件が起こるあたりから、二人の苦しみを自分のことのように感じられるようになった。ジャイトが一人で故郷に帰る場面はかなり感動してみた。

 川辺のモスクを背景にトルコ音楽を奏でる場面が唐突に何度か映し出される。心の故郷への思い、人生の悲しみを強く感じる。

 

514xvprlprl_sy90__2 「太陽に恋して」 2005年 ドイツ ファティ・アキン監督

 同じファティ・アキン監督の映画。アキンはチョイ役で出演している。真面目な教師がちょっとしたことからトルコ系の女性と出会い、それを太陽のお守りの効力だと感じて、恋に落ちる。その女性に会いにイスタンブールに行こうとして別の女性と行動をともにし、様々な冒険を経て、結局はともに行動した女性との恋を成就するロードムービー。これまでみたアキンの映画はどれも深刻さを抱えていたが、これはあっけらかんとして楽しい。いわば「青い鳥」の物語といってよいだろう。憧れの太陽を求めて旅をするが、結局は太陽はすぐ近くにあった!という物語。そうした枠組みの中に、ドイツの若者の心情、人間のやさしさ、トルコ移民の置かれた状況を描いていく。映像も美しい。

 

814gjhg0w9l_sy445_ 「トラブゾン狂騒曲」 2013年 ドイツ ファティ・アキン監督

 これはアキン監督のとったドキュメンタリー映画。ほかの劇映画とかなり雰囲気が異なる。

トルコのトラブゾン村にごみ集積場が建設され、杜撰な計画のために、村中に臭いが充満し、鳥や犬が集まって農業お邪魔をし、雨のために汚染された水が海に流れ出す。村長を中心に村人たちは抗議をするが、知事や建設会社はそれを受け入れずに苦しい言い訳を繰り返す。

かつて日本の各地で起こった問題だ。沖縄問題、原発問題とも似ている。それゆえ、きわめて普遍的な問題といってよいだろう。日本と比べて、工事があまりに杜撰であり、責任者の言い分があまりに幼稚であり、つまりは民主主義が定着していないトルコ社会での出来事であるために、むしろ問題の本質が浮き彫りになる。現代社会で社会を築くためには、どこかにごみを捨てなければならない。その場所は大きな犠牲を強いることになり、それは実は社会全体の問題(環境汚染、人口集中、過疎化、人心荒廃)などとつながっていく。

日本でこの種のドキュメンタリーを撮るとなると、必ず汚染の数値を示すと思うが、それが一切出てこないのが私には不思議に思える。映像を見る限り、明らかな数値の変化が示されるはずだが、それを出してこないのは何かの意図があるだろう。あえて感覚に訴えたいということなのだろうか。

おもしろかったけれど、ほかのアキンの映画のほうが好きだ。

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