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ミャンマー旅行 その1

 2018127日から31日まで、ミャンマー旅行に出かけていた。ミャンマーを個人で動くのは難しそうなので、クラブツーリズムのツアーを選んだ。個人的な制約から、今回も35日の弾丸ツアー。とても良い旅だったが、私には少々ハードすぎた。あまりにハードなため、ブログを書く時間を持てなかった。遅くホテルに到着し、一休みしてすぐに寝て、翌朝早朝に出発するというパターンだった。ただ、入門者にとっては最高の旅だと言えるかもしれない。

 

1日目 2018127

 27日の午前中に成田を出て、ANAの直行便で、夕方、ヤンゴン国際空港着。空港は真新しい。日本車が送迎に並んでいる。車の85パーセントが日本車だという。ただし、もちろん中古車。

 その後、日本の温泉地のホテルの名前が車体にそのまま残っているかつての温泉客送迎バスの中古車でネピドーに向かった。ミャンマーでは、車に日本語などの表示が残っているほうが、性能がよいとのことで喜ばれるという。ネピドーは2006年からミャンマーの首都となっている。

 8時間飛行機に乗った後なので、すぐにホテルに入りたいところなのだが、ネピドーまでバスで5時間かかる。バスから見た感じ、マニラなどと大きな違いを感じない。小さな店があり、屋台があり、車やバイクが行きかっている(ただ、バイクはヤンゴンの中心街には乗り入れ禁止だという)。違うのは、男女ともにロンジーという腰巻をしている人が圧倒的に多い。そして、多くの女性が顔にタナカと呼ばれる木の粉を塗っている。男性にも塗っている人がかなりいる。頬っぺたや額、時には鼻の頭まで白いペンキ状の跡がある。ガイドさんももちろんタナカを塗っている。日焼け止めであり、化粧の一種だというが、正直言って、日本人としてはこの美意識は信じられない。

 温泉客の送迎バスなので、数十分の移動を前提にしたものなのだろう。椅子の感覚が狭くて窮屈。20年くらいたっている車だろう。乗り心地も悪い。しかも、途中でタイヤがパンクして1時間半のロス。ネピドーのホテルに着いたのはなんと夜中の12時過ぎだった。

 夕食はバスの中で弁当が配られた。唐揚げ2つ、アジの塩焼き一切れなどの入った、日本式の弁当。日本人が経営する弁当屋さんのものらしい。うーん、ヤンゴンまで来て、ぼろバスの中で日本式の弁当を食べるなんて! ツアーは八人。高齢者が多い。そのうちの四人は高齢のご夫婦。

 1日目は移動しただけで終わった。高速道路を通ったが、かなり暗かった。道はかなり凸凹がある。途中、サービスエリアに二回寄った。ネオンがあちこちにあり、大きな音で音楽がかかり、現地の人が焼き鳥などを楽しそうに飲み食いしていた。大型バスが何台もやってきていた。ガイドさんの説明によると、列車はバスの1.5倍くらいの時間がかかるので、バスを使う人が多いという。

 ガイドさんは30代?の女性。日本語もかなり上手。熱心で、きわめて有能。この人がいなかったら、トラブルに多かった今回のツアーはひどいものになっただろう。ツアーコンダクターの重要性を改めて認識した。

 寒い。ミャンマーは暑いのだと思っていたら、それほどではない。昼間は30度を超すようだが、ネピドーは15度くらい。厳寒の日本から出かけてきたので、冬用の服はたくさん持っているので問題はないが、意外だった。

 軍事政府の影、ロヒンギャ問題など、少なくとも私にはほとんど感じられない。

 

2日目 128

 朝の515分モーニングコール、6時朝食、7時出発。朝が苦手で、スケジュールに追われるのが大嫌いな私には大いにつらい。

まずネピドー見物。ただ、首都といってもまるでゴーストタウン。政治的な中心として建設されたようだが、少なくとも今のところ、機能しているようには見えない。真新しいビルや立派な建物、整備された道路はあるが、人影が見えない。車もめったに通らない。ここには300を超すかなり高級なホテルがあり、もっとカジュアルな宿泊所もたくさんあるとのことだが、客がいるようには見えない。政治的な何かのイベントが行われるときには人が集まるのかもしれないが、ふだんは人気がないようだ。

 国会議事堂を外から見学。その前に、片側10車線の道路もみた。車もほとんど通らない(1分に1台も通らないのではないかと思う)ので、まるで滑走路。実際、有事の時には滑走路として活用できるように考えられているらしい。

 その後、ウッパタタンティ・パゴダをみた。ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダのレプリカだという。金ぴかの仏塔。周囲に八曜にまつわる仏像がある。生まれた曜日(西洋暦による曜日)をミャンマーの人は大事にするということで、自分が生まれた曜日の守り仏を信仰しているらしい。ガイドさんが渡してくれた早見表によると私は月曜日に生まれたようなので、月曜日の人を守ってくれて、健康と幸運をもたらしてくれる仏様にとりあえずお参りした。が、キリスト教起源の曜日が、なぜ仏教と結びつくのか納得いかない。

 その後、4時間ほどかけて、大観光地バガンに行った。

 しかし、それにしても・・・。わざわざ長い時間をかけて、ネピドーにまで来る意味があったのだろうか。たいして見どころはなく、ただ疲れただけ。ヤンゴン到着後、すぐに飛行機でバガンに向かっていれば、もっと楽でもっと楽しかっただろう。おそらく、国策として、ミャンマー政府が今はガラガラのネピドーのホテルに客を呼び込んでいるのだろう。ネピドーの存在を世界に紹介したい意味もあるのだろう。仕方がないと思うことにした。

 

 バガンは素晴らしかった。バガンは仏教建築群のある町だ。11世紀にこの地を都として王朝が栄え、多くの寺院が建てられた。数千の大小の仏塔があり、オールド・バガンでは至る所に宗教遺跡が見える。灌木がはえただけの乾いた茶色の土地に、古い石造りの仏塔が次々と現れて、まさに壮観。京都の伏見稲荷には朱色の鳥居がずっと続くが、それを散らばらせたな感じで、古い石造りの仏塔が数キロ平方メートルの間に点在している。聖なる空間を感じる。

11世紀に建てられたアーナンダー寺院見学。東西南北に金箔を施された仏の立像があり、周囲に古い壁画がある。南北の二体の仏像は王族が近くから見ると厳しい顔に見え、庶民が遠くから見ると温和な顔に見えるという。シュエジゴン・パゴダもみた。

ただ、これらを見ているうち、既視感に襲われた。スリランカやチェンマイでみた仏塔ととても良く似ている。仏塔も似ているし、様々なデザイン、寺院のいわれなどもそっくりだったりする。そして、後に少し詳しく書くが、スリランカやチェンマイの寺院よりも厳かさに欠ける気がする。

各地に仏教遺跡があり、それぞれに釈迦の髪やら歯やら骨やらを祀り、その地に寺院を建てた由来を示す伝説がある。建物の様式、素材も少しずつ違うが、素人目には区別がつかない。仏教がインターナショナルに広まっていったということだが、おそらくそれぞれの土地の特質があるのだろう。もう少し、しっかりと勉強してしっかりと見なければ、私にはもったいない気がした。

夕方、高台に行って、バガンの日没を見た。近くの空き地に合計数十台の観光バスやミニバスや乗用車が停車しており、丘の上にはたくさん人(200人程度?)の人が集まっている。意外と英語は聞こえてこない。中国語も多くない。フランス語が多く聞こえる。日本人も多い。

日没は壮観だった。灌木がぽつぽつと立ち、草が生える乾燥地帯に数十、数百の仏塔が立ち並び、その向こうに太陽が沈んでいく。神聖にして壮大。太陽と仏塔と平原。日没後の夕焼けも美しかった。

その後、ライトアップされた遺跡を見てホテルに戻った。

素晴らしかった。とはいえ、これでは京都に行って、清水寺と西本願寺だけを見たに等しい。バガンは数日かけてゆっくり見るべき場だと思った。近いうち、また来たいと強く思った。

この日も朝からほとんどずっと長袖を着ている。昼間は半袖でもよいが、夜になると、上着が必要。

 

3日目

 バスでバガン・ニャウンウー空港から飛行機でヤンゴンに向かった。FMI AIRの飛行機。小さな空港で、時刻表示もなく、出発便の表示もない。時計もない。客は、現地語と英語のアナウンスをきいて行動しなければならない。が、ともあれ、無事にヤンゴン到着。

 そして、すぐにまたバス(パンクしたのとは別のバス)で聖地チャイティーヨに向かった。

 ところが、途中でトラブル。また、バスが故障。今度はブレーキがきかなくなったとのこと。有料道路の路肩にバスを停めて1時間半以上、待った。トラックなどにぶつけられたら大変なことになると思って、少々怖かった。ガイドさんが携帯電話であれこれ手配してくれたおかげで、昼食を食べたレストランが特別に日本製のハイエースを出してくれることになった。このハイエースも新車ではないらしいが、まだ新しい車なので、なかなか快適。

 5時間ほどで、麓の町キンプンに到着。そこでトラックバスに乗り換えた。聖地チャイティーヨに行くには、このトラックバスしか方法がない。トラックの荷台に席が設けられている。一列5人から6人の席がベンチ状になっており、それが7列ほどぎっしりと前後に作られている。客は前の手すりをもって席に座る。スーツケースなどは持ち込まないように前もって注意を受けている。席が埋まったら出発。次々とトラックバスが待っており、次々と人が埋まっていって、出発する。客のほとんどはミャンマーの人だ。

 トラックバスが出発。海抜1000メートルを超す山頂までトラックバスが細い曲がりくねった道を全速力で走る。まるでジェットコースターのよう。身体が左右に動くので、手すりを持っていなければならない。シートベルトがついているが、ほとんどが壊れているようだ。そうした状況で、離合による待ち時間を入れて45分くらいで頂上近くに着いた。この日はこの近くのホテルで宿泊することになっていた。

 はたして事故はなかったのか、少々心配になる。こんな急な坂道をこのようなスピード(時速80キロくらい出ているのではないか)で、しかも10分おきぐらいに走っていると、絶対に事故が起こると思うのだが、事故が起こったことはないという。にわかには信じられない。

 

 チャティーヨーはゴールデン・ロックで有名な場所だ。

 山頂にある巨大な岩の上に小さな仏塔が建てられている。そこには釈迦の髪が収められているという。そのために、岩は今にも山から転げ落ちそうでありながら、均衡を保って、落ちないでいると言われる。確かに、なぜこれで落ちないのか不思議だ。大きな地震などがあったが、それでも落ちなかったという。そうしたことから、ここは聖地としてミャンマーの人々の信仰の地になっている。事実、ゴールデン・ロックを中心に大きな寺院になっており、岩の前で大勢人が線香をたいたり、お祈りをしたりしている。小さな子供たち、若者、大人、お年寄りも大勢いる。

 ただ、日本人からすると、あれこれと信じられない場面が多い。

 まず、岩が金粉で黄金色に塗られていることに違和感を覚える。これでは岩とは思えない。リアルに感じられない。まるでおもちゃのような気がしてしまう。バチ当たりな精神を持つ私としては、大きな棒を持ってきててこの原理を応用して、この岩を落としてみたくなる。それでも落ちなかったら、奇跡を信じてもいいような気がする。私以外にも、同じようなことを考える人はこれまでいなかったのだろうか。

 来ている人たちも、信仰心にあふれている感じではない。まるで日本の初詣か花見の雰囲気。大きな音でポップ調の音楽がかかり、寺院内のあちこちにネオンが取り付けられ、人々が楽しそうに笑っている。祈っている人もいるが、賽銭箱にお札がたくさん入っており、仏像やら伝説の出来事を紹介する人形のあちこちにもお札が挟まっている。しかも、人形や仏像は、肌色に黒で顔を書いたまるで子供の人形のようなものが多い。

 それ以上にびっくりなのは、多くの仏像の頭にネオンが取り付けられていること。後光だということだが、ネオンが頭から発してチカチカしている。

 ガイドさんは、「ミャンマーの人たちは信仰心が篤いので、ここにきて、熱心に自分に福が舞い込むように、お金持ちになるように、受験などが成功するように祈る」と、疑問を感じることもなさそうに力説していた。いうまでもなく、そのような煩悩をこそ、仏教は否定したと思うのだが、ミャンマーの人はそうは思わないようだ。

 厳かさのほとんどない、現世利益の仏教。宗教が庶民に根付くということはこういうことだとは思うのだが、それにしても、ここまで現世利益だとあきれるというしかない。

 夜の間、ずっと歌声が聞こえていた。お経のような歌。どうやら、24時間かかっていたようだ。翌朝、5時過ぎに目が覚めたが、まだなり続けていた。どうやら、お寺の前のカフェでこの音楽を鳴らしていたらしい。

 

 続きは明日、または明後日書くことにする。今朝、日本に帰ったばかりで、少々疲れた。

 

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