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慶児道代(ソプラノ)、石井里乃(ピアノ)のみごとなチェコ語のリサイタル

201822日、東京文化会館小ホールで慶児道代(けいこ・みちよ)のソプラノ・リサイタルを聴いた。すべてチェコ語による歌唱。ピアノ伴奏は石井里乃。ヤナーチェク友の会の誘いを受け、しかも「イェヌーファ」の抜粋が聴けるとのことで、出かけたのだった。とても良い演奏だった。

曲目は、前半はスメタナの歌曲集「夕べの歌」とドヴォルザークの歌曲集「聖書の歌」。後半はヤナーチェクの「イェヌーファ」、ドヴォルザークの「ルサルカ」からいくつかの場面。

ヴィブラートの少ない美しい声。長い間、チェコで暮らしてきた人なので、きっとチェコ語の発音は完璧なのだろう。ただ、実は歌曲については少し不満を感じた。丁寧に、そして「心を込めて」歌いすぎているために、平板になり、すべての歌が同じような雰囲気になっていると思った。スメタナの歌曲は初めて聴いたが、「聖書の歌」に関して、私がこれまでCDなどで聴いた演奏はもっとメリハリがあり、もっと躍動的でもっと振幅の大きさがあった。まるで日本の多くの人が「荒城の月」や「故郷」を歌うように心を込めて歌われると、チェコの音楽の本質からずれてしまうのではないかと思った。

だが、後半は素晴らしかった。とりわけ、「イェヌーファ」はよかった。これは「心をこめて歌う歌」にはなりにくい音楽なので、必然的に心の叫びになり、言葉そのものの爆発になる。イェヌーファの清楚さ、真摯な叫びが聞こえてきた。声のコントロールも見事だった。

「ルサルカ」もよかった。「月に寄せる歌」もとてもきれい。透明で伸びのある音で、発声がよく、音程がいい。こんなに美しい声で音程が見事で音楽も豊かな歌手は日本人にはなかなかいないと思う。

 そして、私はピアノの石井里乃に驚嘆した。スメタナの第一曲では歌とタイミングがずれたが、その後すぐに立て直して、クリアで清潔でしかも強さのある音の世界を繰り広げてくれた。前半を聴いた時点で、私は「歌はまずまずだが、ピアノが素晴らしい」と思っていたほどだ(後半に入って、歌も素晴らしいことがわかってきた)。

 フリー・アナウンサーの西田多江の司会が入った。音楽にはあまり詳しくない人のようで、音楽的な言い回しがたどたどしかった(「わが祖国」を「交響曲」を呼んだような気がした!)が、落ち着いた声でしっかりと役割を果たしていると思った。一人の歌手のリサイタルの場合、どうしても歌と歌の間に喉を休める時間が必要だ。その間に、このようなMCが入るのもよい方法だと思う。それぞれの作曲家の説明、オペラのストーリーの説明も見事だった。かなり入り組んでおり、しかも簡単にまとめるとどうしてもわかりにくいところが出てくるストーリーを見事にまとめていた。慶児さんの作った原稿なのだろうか。西田さんの語り口も見事だったために、オペラの世界に引き込まれた。

 ところで、「聖書の歌」の終曲のピアノ伴奏は、日本人には「雪やこんこ」にどうしても聞こえる。ある本の中で書いたことがあるが、このこととブラームスの「四つの厳粛な歌」の第1曲が「黄金虫」にそっくりに聞こえるのは偶然ではないと私はにらんでいる。明治の頃、これらの曲を間近で聴く機会のあった人(あるいは人々)が、意識的か無意識的か、童謡に使ったのではないか。ブラームスとドヴォルザーク、すなわち師弟関係の二人の、それぞれ珍しい宗教的な歌曲が、明治以降作られた童謡にあまりに似ているというのを偶然とみなすのは難しいと思う。

実は一時期、このような仮説のもとに、何か解明できないかと童謡作曲の際のいきさつなどを調べていたが、今は諦めている。

ミャンマーから帰ったばかりで、体調が完璧ではない。リサイタルに行くのも少しためらったが、とても良い歌を聴けて満足だった。

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