ミャンマー旅行 その2
昨日に引き続き、ミャンマー旅行の感想を書く。
なお、「ミャンマー旅行 その1」に写真を挿入しようとしたのだが、先日、スマホを買いなおしたせいか、それができなかった。技術を身に着けたら、後ほど写真を加えることにする。
4日目 1月30日
朝、6時過ぎに起きて、チャイティーヨの頂上付近にあるホテル付属のレストランで6時47分の日の出を待った。そのテラスは絶壁に建てられており、眼下に山や平原が広がるのを見ることができる。そこは、日の出を見る絶好の場所とのことだった。
6時20分ころからだんだんと明るくなり、35分ころに日の出。なぜか、ネットなどで予告されていた時刻よりも10分以上早かった。どういうわけか。まさか、ここは物理法則が当てはまらない聖地であるため、岩は落ちそうで落ちず、時間もゆがみが生じているというわけでもあるまい。
それにしても絶景。朝焼けになって、だんだんと光が広がっていく。はるか遠くの山並みから太陽が顔を出す。そして、朝になる。
その後、トラックバスで下山。下り坂のほうが上り坂よりもスピードが緩く、それほどのスリルはなかった。その後、バスに乗り換えて、途中、食事をマジながら、またまた5時間以上かけてヤンゴンへ。
ヤンゴンでは、まずボージョーアウンサン・マーケットへ。要するに、大きな外国人向けのお土産物屋さんだ。宝石、特産品などの店が並び、外国人(西洋人、中国人、日本人)やそれぞれの言葉を話す客引きが大勢いた。が、私はそのようなお土産物には関心がないので、ガイドさんに近くのデパートに連れて行ってもらって、そこに入っているスーパーをのぞき、民族音楽のCDを購入した。私はアジア地域に行くと、必ず、少なくとも一枚は民族音楽のCDを購入することにしている(ただし、帰国後聴いてみたら、あまりおもしろくなかった。選択失敗だった!)。
日本企業などが入っている商業ビル、サクラ・タワーの上層階にあるレストランでコーヒータイムを過ごし、高みからヤンゴンを見た後、シュエダゴン・パゴダを訪れた。ヤンゴンの最大の寺院であり、聖地ということらしい。大きな仏塔があり、その周囲に小さな仏塔や建物が林立している。仏塔は大小すべて金箔に包まれており、金色に輝いている。
ここでも私は既視感に襲われた。いくつも同じような寺院を見たような気がするが、とりわけ、タイのチェンマイのワット・プラシンに似ている。いや、似ていること自体は構わない。お寺なんてそんなものだろう。私が気になったのは、ワット・プラシンでは私はかなり感動したのに、ここではそれを感じないことあd。すでに似たようなものを見たことがあるがゆえに、新鮮さの欠如というだけではなさそうだ。タイの寺院には仏塔だけでなく、急な角度の反った屋根と赤茶色の瓦を特徴的なお堂がある。そこで静かにお参りしている人がいる。ところが、こちらにはそれがない。金ぴかの仏像、時にはディズニーの人物のような神々や釈迦の弟子たちの像がある。そして、ここでもいくつもの仏像の背後にネオンが取り付けられており、後光がピカピカと光るような仕掛けがある。少々白けてしまった。峻厳さ、生と死のかなたに肉薄しようとする厳しさ、現世の生きる苦悩から逃れて救いを求めようとする真摯さ・・・そのようなものが感じられない。
これでヤンゴン見物は終わり、夕食をとって、空港に向かった。
これでは、銀座にちょっと寄って、そのあと浅草寺をみただけで東京観物を終えるに等しい。もう少しヤンゴンの深みを見てみたかった。
旅のまとめ
・ツアーであるから仕方がない。が、やはり見たいところを見られなかったという思いは残る。表面だけほんの少し見たに過ぎない。ツアーのよいところもたくさんあるが、限界があることを改めて痛感。
・ツアーというのは、ガイドさんやツアー客によって、よくなったり悪くなったりする。今回のガイドさんは大変良かった。あれこれと気を使い、何かが起こったらすぐに的確な対応をし、客の一人一人を気遣っていた。お客さんもよい方ばかりだった。そのおかげで楽しく過ごせた。
・自分でミャンマーを歩き、じかに人に接したわけではないので、これまでの旅行以上に曖昧なことしか言えないが、ミャンマーの人々の穏やかさをしばしば感じた。殺気立ったところや険しいところがない。物売りが近づいてくるが、しつこくない。
・聖地チャイティーヨに行くとき、トラック・バスに大きな物は入らないのでスーツケースはふもとに残して、頂上のホテルで一泊するだけの分を持っていくように言われていた。が、私はもともと荷物をかなり小さくまとめているので、そのまま持ち込んだ。トラックバスでは問題なかったが、それを降りてホテルまで行くときに、少々重さを感じたので、ポーターに運ぶよう頼んだ。ポーターの存在はガイドさんに聞いていたが、実際に見てびっくり。トラックバスの終点の近くに何人もポーターが待ち受けていた。屈強の男性だとばかり思っていたら、ポーターのほとんどが若い女性だった。高校生くらいの年齢の子もいる。中年女性もいる。籠のようなものを背負って、その中に荷物を入れて運ぶ。数百メートルだったが、6ドル取られた。ガイドさんによると、ほかの何人かに声をかければ、もっとずっと安く済んだだろうという。
・あちこちで中学生くらいにしか見えない子どもがレストランのボーイなどをして働いているのを見た。小さな子どもが物売りをしているのも当然の風景として溶け込んでいる。
・ミャンマーの道の最大の印象、それは「汚い」ということだ。中心街から外れると、途端に歩道や道の両端には、ごみが続く。バスで数十分、それどころか、数時間進んで郊外に行ってもごみが途絶えることがない。ほとんど人の通らない田舎道まで来て、やっとごみが見えなくなる。ごみのほとんどは買い物のポリ袋、ペットボトル、商品の包装、紙切れだ。人家の前にも、ごみがある。人家の庭にもごみが散乱している。ごみが土の上にあるだけでなく、土に埋まって、あちこちからポリ袋などが顔を出している。ちょっとした空き地があると、その多くがごみ溜めになっている。川にもごみが流れ、時にごみが停滞している。カイロに行ったときも同じような光景を見たが、さほど差がない。おそらくミャンマーの人はごみを汚いと思わず、平気でいるのだろう。だが、これは間違いなく汚染だ。この国が途上国から脱するには、まず道端のごみをなくすことから始めるべきだと思った。つまり、衛生観念、公共意識、自分の周りをきれいにしておこうという自尊心の醸成が必要だと思う。
・ミャンマー料理はとてもおいしかった。私は東京でも何度かミャンマー料理を食べたことがあるが、ずっと不満に思っていた。インパクトがなく、雑駁な味だと思っていた。が、今回のツアーでの食事はすべておいしかった。ただ、ごみためのようになった川のすぐそばで、魚を取ったり、農作業をしたりしている人を見た。出てくる食事があんなごみのようなところでとれた食材だと、少々健康が心配になる。
・結論として、私はミャンマーを、ブータンやスリランカやタイのチェンマイほど大好きにはならなかった。バガンには大いに惹かれたが、十分に見ることができなかった。ツアーでミャンマー旅行をしたおかげで少しw事情がわかったので、次にはバガンを中心に個人旅行をしたいと思った。
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