ズヴェーデン+ニューヨーク・フィル ちょっと生真面目すぎる演奏
2018年3月13日、サントリーホールでヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮のニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートを聴いた。曲目は、前半にユジャ・ワンが加わって、ブラームスのピアノ協奏曲第1番と、後半にストラヴィンスキーの「春の祭典」。
ニューヨーク・フィルはこれまで何度か聴いたことがある。そのたびに思うが、機能的にすさまじい。女性奏者が多いように思うのだが、力感がものすごい。数年前、アラン・ギルバート指揮の「幻想」に度肝を抜かれた記憶がある。ところが、ズヴェーデンの手にかかると、力感はそのままだが、重くて深くなるのにびっくり。いかにもブラームスらしい。そのようなオケをバックに、ユジャ・ワンの、これまた力感にあふれ、躍動し、粒立ちのきれいなピアノが加わる。しばしばユジャ・ワンのピアノに酔った。とりわけ、第三楽章は見事だった。
ズヴェーデンは実演を何度か聴いたし、CDもかなり聴いている。好きな指揮者の一人だ。が、こうして聴くと、私は少し生真面目すぎるのを感じた。誇張もしない。突飛な解釈もしない。私の好きなタイプの演奏だ。が、あまりに真正面から音楽に取り組むので、私のような真面目さに少し欠ける人間は、少々窮屈になってくる。
とりわけ、「春の祭典」でそれを感じた。確かにすごい音。音の一つ一つも美しいし、その重なりも見事。音程もいいし、縦の線もあっている。が、あまりに遊びがない。楽器の音は色彩感にあふれているはずなのに、音楽に色彩をあまり感じない。けっして一本調子というのではないが、なんだか退屈する。
アンコールは「ワルキューレの騎行」。これもすさまじい音で見事な演奏なのだが、やはり心に響くものがない。
というわけで、前半のブラームスについてはかなり感動するところが多かったが、「春の祭典」については少々物足りなく思ったのだった。
私的なことを付け加える。
3月6日、大学院生の時代から親しくしていた人が亡くなった。私が所属していた仏文研究室の職員として教員、院生、学部生をまとめていた女性だ。私よりも2歳くらい年上だったと思う。おっとりして、いつも穏やかで周囲のみんなと仲良くしていた。物静かな人だったが、みんなの中心だった。私とは音楽という共通の趣味があったので、そうしたことについてよく話をした。コンサートやオペラで顔を合わせることもたびたびあった。
2016年の12月に電話で話したのが最後だった。病気のことなど何も知らなかった。亡くなったという知らせを突然受けて驚いた。11日の通夜に出席した。
通夜に行く途中、泣き出したくなるほど悲しくなった。そして、今日また会場に向かう途中、サントリーホールで彼女に何度か会ったのを思い出した。また激しい悲しみに襲われた。
年を取るということは、知り合いがだんだんと亡くなっていくということだ。通夜の席で、かつての先生筋の人たちや友人たちが老け込んでいるのに衝撃を受ける。おそらく、友人たちも私を見て同じように思っているのだろう。次に会うのは、この中の誰かの葬儀の席かもしれないなどと不謹慎なことも思ってしまう。人生の先輩たちはみんながこのような思いをしていたのだろう
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コメント
長年のご友人のご逝去、お悔やみ申し上げます。私の周囲でもこのようなことが増えました。寂しいですね。気持ちが暗い方へ、暗い方へと向かって行きます。
投稿: Eno | 2018年3月14日 (水) 22時22分
Eno 様
コメント、ありがとうございます。ツアーで桂林に行っておりましたので、返事が遅れました。
これから、友をなくすか、それよりも早く自分が世を去るかのどちらかになっていくのだと思います。人間は悲しい宿命を負っていることに、友の死のたびに思い知らされます。
ブログ、時々読ませていただいています。とりわけ、 「イル・カンピエッロ」は興味深く読ませていただきました。
投稿: 樋口裕一 | 2018年3月18日 (日) 23時25分