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桂林旅行中に考えたこと

 今回は、桂林の言葉をなくすような絶景を嘆賞し、世界有数の観光地を回っただけなので、中国について、その社会についてあまり見たり考えたりしなかった。ありふれたことしか考えなかったが、ともあれ、桂林旅行中に考えたことのいくつかを書く。

 

騒音社会・中国

 日本社会の音に対する鈍感さについては中島義道氏がしばしば書いている。私も全面的に賛成する。私も、日本の街の雑踏の騒音、不必要な音楽、不必要なアナウンスに辟易する。映画館やパチンコ屋の前や渋谷などの繁華街の大音響に悩まされている。そのため、カバンの中に耳栓を持ち歩いている。

 が、中国の騒音たるや、日本の比ではないと今回強く思った。もちろんずっと前から中国人同士の会話の声が凄まじく大きいことはよく知っている。知り合いの日本在住の中国人夫婦は、中国語で話すと疲れるので家庭では日本語を使っていると聞いたことがある。中国語で話をするのにエネルギーを要することは、中国人自身が気づいていることのようだ。同じレストラン、同じ船に中国人の集団がいると、日本人同士の会話が聞こえなくなるほど騒音がひどくなる。

 そして、今回、大音量の音楽、大音量のアナウンスを何度か経験した。観光船の中と雑技団公演の際、司会者が大音量のスピーカーを通して、元気いっぱいの声でしゃべりまくっていた。よどみなく、ジェスチャーを交え、息つく暇もないほどに語っていた。そして、雑技団公演では、そのあと大音量の音楽が続いた。大瀑布ホテルの屋上から大量の水が流れ落ちる時にも大音響の音楽。

 中国の人は日本人以上に騒音に無神経だと思う。彼らの喋り自体が大きいために、大音響に慣れっこになっているのが、その大きな原因なのかもしれない。そして、音に関してあまり敏感ではないので、スピーカーの音が割れていても、それほど気にならないのだと思う。

 

「大きいことはいいことだ」主義

 「大きいことはいいことだ」主義を感じた。大規模な資本を集中的に投入して、巨大なものを作る国家資本主義。あらゆるものを大規模化し、大勢の人を呼び、それが好ましいこと、正しいことになっていく。それが都市の形にも表れている。大音響にするのも、その表れだろう。きっと大音響にすることは、彼らにとって良い音楽にすることなのだと思う。必要以上の大きな音にして、大勢の人間を集め、良い音楽、みんなで楽しめる音楽にしようとしているのだろう。

 

「なんでも商売」主義

 観光船に乗る。雑技団の公演を見る。美術館のようなところに行く。日中友好協会のようなところに行く。初めは案内がついて観光や芸術や日中友好の説明がなされる。私たち観光客は商売気のない公的な機関かと思って、話を聞いている。ところが、どこもすぐにそれが「商売」に移っていく。観光船で土産物や香水の販売が始まる。美術館だとばかり思って案内を聞いていると、工芸品やお酒やお茶の販売会になってしまう。

 もちろん、観光ツアーに参加しているからそのような仕組みになっているといえば、それまでだが、それがあまりに露骨だ。どこに国でもツアーに参加すると、確かに「工場見学」などと称して作業場を見学して、その後、その品物の販売会になることがよくある。それでツアーは成り立っている面がある。が、これまで私がツアーで訪れたところでは、それらはあまり公的な臭いのしない小さな「作業場」だった。が、中国では立派な建物を構え、それなりにきちんと公的な仕事もしているような組織がそうしたことをする。そのような「商売」が堂々と成り立っている。

 そのせいか、社会主義と拝金主義によって、現代中国人の芸術意識はかなり薄れているように思った。美術館らしい場所に飾られている絵画があまりにお粗末に見えた。私は美術についての鑑定眼はまったくないが、さすがにこれほど凡庸だと私にもわかる。これらは、日本人を中心とした観光客だけを相手にした建物なのかもしれないが、それにしても、このような「美術品」を飾るセンスに私は疑問を持つ。また、雑技団の演技にしても、それに盛大な拍手を送っている中国人がたくさんいることに驚いた。

 ただし、誤解しないでいただきたい。ここに書いたことは、中国批判に見えるかもしれないが、私は反中国ではない。むしろ、中国びいき。ここに書いたことこそが、中国の原動力であり、その強みだろうと思う。このように組織的に大量に大規模な事業をされると、小規模なところは勝てない。電気自動車の部門でも、AIの部門でも、近いうちに中国が世界をリードするようになるだろう。そして、そのうち、中国も成熟していくだろう。

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コメント

こんにちは。
大騒音、過剰な商業主義と異文化のギャップを大いに感じられたようですね。

中国語はご存知の通り、発音の上がり下がりによって言葉の意味やニュアンスが大いに変わるため、どうしても口を大きく開けて、その上がり下がりを強調しないと通じません。
それゆえに必然的に声が大きくならざるをえないと考えます。日本語の発音は中国語に比べれば極めて平坦だと思いますし、さほど口を大きく開けなくて済むと思います。
日本人的な口の開き方だと、中国語の発音は大変難しかった記憶があります。

拡声器や節操のない音楽。口の開き方同様に、要は控えめという考え方がないのだと思っています。
集客したい、広めたい、伝えたい以上は遠慮 していても何も起きないし、用を成さない。
手段のためには騒音と思われようとも使う。「良い音楽」なのではなく、それが彼らにとっては日常的であるため、意にも介さない。

芸術的センスは私には判断できませんが、俗悪な陳列はどこにでもあるような気がしますし(日本ですら)、中国における都市部と地方の教育や文化格差の問題が根にあるようにも思えます。

「控えめではない」、この国は騒音や人の主張含めて図々しまでに積極的ですが、これが「成熟」により無くなることは私はないと思っています。
しかし、それがこの国の活力であることも事実であります。
では果たして「控えめな」日本がこれほど活力ある未来が今後描けるかといえば、それも・・・

投稿: さすらい人 | 2018年3月26日 (月) 14時02分

さすらい人 様
とても有益なコメントをありがとうございます。なるほど、そういうことなのですね!
ただ、知り合いの中国人留学生たち(必ずしも裕福な家庭の出身ではないようです。農村部出身の学生もいますし、そろって苦学しています)を見ていると、そろって日本人と同じように物静かで声も小さく、若いのに成熟しているように見えます。桂林で見た多くの中国人たちとの違いに驚きます。もちろん、どの民族にも様々な人がおり、しかも日本に留学に来ているということは日本びいきであって、日本人的な素質を持っているということではあると思うのですが、それだけでは説明できないような要因があるような気がします。いずれにしましても、もう少し中国に足を運んで、自分なりに理解を深めたいと思っております。ぜひまた、ご意見をお聞かせください。

投稿: 樋口裕一 | 2018年3月27日 (火) 23時24分

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