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中日新聞・東京新聞の連載「65歳になったら、○○しなくていい宣言」が無事終了

 昨日、2018年3月31日をもって、1月4日から始まった中日新聞・東京新聞での「65歳になったら、○○しなくていい宣言」の連載が終わった。3か月、60回の連載だった。

 お読みいただいた方、気にかけていただいた方にお礼を申し上げたい。おかげで、とても好意的な便りが寄せられ、私としては大変励みになった。

 東京新聞からお話をいただいたのは昨年の夏ころだった。実はそれよりも前に、まったく別のテーマによる短い連載のお話を東京新聞からいただいていた。が、ちょうどそれは高齢の両親が東京の老人施設で暮らし始め、父が急激に体調を悪化させていた時期だった。連載どころではなかったので、残念ながらお断りするしかなかった。

その後、父が亡くなり、東京新聞に機会を与えていただいて、父の死を契機にして考えた高齢者の生き方の問題をコラムに書いた。そして、その流れで、今回、高齢者の生き方にかかわる60回の連載の話になったのだった。

 私はまだ66歳。高齢者の仲間入りをしたばかりで、高齢者の生き方をまさしく模索している時期だ。だから、高齢者に向かって生き方を説くことはできない。これまで大学受験生や小学生や若い社会人に向けて、文章術を教えたり、ちょっと戦略的な生き方を提唱したりしてきたが、まさか高齢者の戸口にいる私が本物の高齢者に向かって、そのようなことをするわけにはいかない。する能力もなければ、その度胸もない。

 ただ、私は65歳になってからではなく、もっと前から、「できるだけ、しなければならないことを減らそう」「産業社会にどっぷりつからずに、質素でいいので、自分らしい人生を貫こう」「好き勝手に生きよう」と考えて生きてきた。そもそも、この私のブログのサブタイトルにしている「すべての道がローマに通じるなら、ドン・キホーテよ、デタラメに行け!」という新居格というアナキストの言葉は、私のそんな生き方を表わしたものだ。受験勉強もろくにしなかったし、企業で働いた経験もない。ほとんどの時期をフリーランスとして暮らし、56歳になってやっと大学という組織に属した。40歳代のころだったか、小さな会社を設立したが、私は社長なので、気分はフリーランスのままだった。もちろん、必死に働かなくてはならない時期はあったが、ずっと音楽を楽しみ、本を読み、旅行をしてきた。自分を抑えて「・・・しなければならない」とはほとんど考えなかった。したくないことはしなかった。

 私は常々、多くの人が社会的義務に駆られて必死に生きているのを不思議に思っていた。自分の人生や社会の様々なことから距離を取って、余裕をもって生きれば、もっとずっと気楽に楽しく生きていけるだろうにと思っていた。壮年の働き盛りの人は仕方がない。だが、高齢者になってもまだ同じことを続けている人がいる。考え方さえ変えれば、もっとずっと気楽に生きることができるのに、自分を追い込んでいるように見える。

 私は65歳を過ぎ、高齢者になっていくが、今までの生き方を改める気はない。いや、ますます、私のような考えが高齢者にとっては意味を持つはずだ。そのような私の考えを書けば、もしかしたら、高齢の方々への私からのメッセージになるかもしれないと思った。

 こうして連載を引き受けた。私のメッセージがいくらかでも役に立てば、私としてはとてもうれしい。なお、この連載は今年の夏までには書籍化される予定になっている。関心がおありの方には、書籍をぜひ読んでいただきたいと思う。

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