« ピレシュとブロムシュテットのベートーヴェンに興奮した | トップページ | 新日フィルのメンバーによるクラリネット五重奏曲を楽しんだ »

大分のナイヤガラの滝と呼ばれる原尻の滝、そして映画「馬を放つ」のこと

 一昨日(2018年4月21日)から大分市に来ている。市内にある岩田学園を、私が塾長を務める白藍塾がサポートして小論文指導をしているので、その業務の一環として学園を訪れるため。岩田学園を訪れるのは今日(23日)だけだが、大分市は私が10歳から18歳まで過ごした土地なので、少し前に大分入りして、少し近くを回ることにした。一昨日の夜は大分付近に暮らす旧友二人と飲食をともにし、昨日はそのうちの一人の車で、快晴の初夏の陽気の中、原尻の滝にいった。ナイヤガラの滝とよく似た滝だ。今、かなり有名なようだが、私が大分にいるころには知られていなかった。友人も初めてだというので、出かけたのだった。

 友人は仕事と観光で134か国を訪れ、ナイヤガラの滝の近くに住んだこともあるというが、その彼もナイヤガラの滝に似ていると感嘆。その後、佐賀関にあるよしだ会館というレストランで昼食。関アジ、関サバを堪能した。その後、大分のホテルまで送ってもらった。

 夕方にはひとりで大分市内の映画館で「馬を放つ」を見た。岩波ホールで見たいと思いながら、時間が合わずにいた。大分で見られるのはラッキーだった。アクタン・アリム・クバト監督のキルギス映画だ。素晴らしかった。感動してみた。

 ケンタウロスと呼ばれる初老の男。かつては映画技師として働いていたが、現在では建設現場で働き、聾唖の障害を持つ妻との間に言葉を発しない息子と幸せに暮らしている。ところが、夢を見たことから、馬は人間の翼であり、神に近づくことのできるものだというキルギスの伝説を実践したいと考えるようになる。そして、競走馬として飼われた馬たちを野に解き放つ。そこに、遠縁の権力者やケンタウロスに好意を持つ未亡人シェラパット、そのシェラパットに片思いを寄せる泥棒のサルディが絡んで物語は展開する。

 最後、ケンタウロスは村を追放され、サルディに撃たれて死ぬ。が、それと王子に、それまで言葉を発しなかった息子が「倒産」という声を発する。

 ケンタウルスはどこまでも優しい男だ。人間に対しても馬に対しても。馬とはケンタウロスにとって神に最も近い自然そのものなのだろう。人間は自分の都合で自然を破壊する。人間は自分の都合で馬をこき使い、虐待する。ケンタウロスは宗教的な教義には無関心だ。ただ馬を通して神に近づこうとしている。

 キルギスでは中東ほどイスラム教の戒律が厳しくなさそうだ。キルギスの伝説が神の教えと融合しているらしいケンタウロスの考えは異端に属すだろうが、それほど厳しくとがめられない。アクタン・アリム・クバト監督はケンタウロスを肯定的に描く。

 私はドストエフスキーの「白痴」を思い出した。現代に現れたキリストのような他者を愛し、聖なる部分を持つ男性。現代社会に、イスラム社会におけるキリストのような人物が再現し、周囲と折り合うことができずに追放されてしまう。監督はドストエフスキーの徴を映画の中に残しておきたかったのではないだろうか。遠縁の横暴な警察署長、少し頭の足りない宗教勧誘者などドストエフスキー的人物といえるだろう。

 かつて映画館として使われていた場所で村人たち祈りをささげている時、ケンタウロスはふと思い立って、映画技師にもどって馬が走る昔の映画を映し出す。感動的な場面だった。

 何か所か私はかなり深く感動した。

 ただ、大分ではよくあることかもしれないが、この映画を見ていた観客は私を含めて3人だけだった。しかも、私ともう一人は間違いなくシニア料金。いつまでこの映画館が成り立つか少々心配。

 本日、このあと岩田学園で研修を行い、特別授業を行うが、早く目が覚めたので、この文章を書いた。

|

« ピレシュとブロムシュテットのベートーヴェンに興奮した | トップページ | 新日フィルのメンバーによるクラリネット五重奏曲を楽しんだ »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/66641361

この記事へのトラックバック一覧です: 大分のナイヤガラの滝と呼ばれる原尻の滝、そして映画「馬を放つ」のこと:

« ピレシュとブロムシュテットのベートーヴェンに興奮した | トップページ | 新日フィルのメンバーによるクラリネット五重奏曲を楽しんだ »