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ヘニング・クラッゲルー+佐藤卓史のグリーグ 感動した

 2018524日、武蔵野市民文化会館小ホールでノルウェーのヴァイオリニスト、ヘニング・クラッゲルーのヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は佐藤卓史、曲目はグリーグのヴァイオリン・ソナタ第123番。とても感動した。

 私はグリーグ好きというわけではないが、3曲のヴァイオリン・ソナタはとても魅力的な曲だと思う。3曲まとめて聴けるチャンスはめったにないし、ノルウェーのヴァイオリニストがどのような演奏をするのか聴いてみたいと思って、軽い気持ちで出かけたのだった。

ところが、予想以上に本当に素晴らしかった。ニュアンス豊かな音色。なるほど、これがグリーグのリズムだったのか!と初めて納得した。これまで1番と2番のソナタを聴いて、とてもおもしろいと思いつつ、独特のリズムに対して不思議な感覚を抱いていた。が、このヴァイオリニストで聴くと、とても素直に心に入ってくる。ノルウェーの舞曲のリズムなのだろうか、あるいはノルウェー語に基づくリズムなのだろうか。いずれにせよ、独特のイントネーション。そうか、これが本場のグリーグなのか! と思った。クラッゲルーのヴァイオリンは若きグリーグの抒情をとても素直に、そして大胆に聴かせてくれた。

ピアノの佐藤も素晴らしかった。しなやかなタッチで、しかも音の粒立ちが美しい。クラッゲルーとどのように音楽を作っていったのかはわからないが、ノルウェー独特と思われるようなイントネーションがピアノの音の中に確かに聞き取れる。二人の息がぴったり合っているのを感じた。

3番はもっとダイナミックでもっとスケールが大きい。ロマンティックで情熱的で、しかも深い。グリーグの人生観がさく裂したような音楽。大きく心を揺さぶる。私の好きな曲ではあるが、これほど感動したのは初めてだった。第3楽章では涙が出そうになった。

グリーグが大作曲家だということを改めて認識した。

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京都の美濃吉での食事、拙著2冊、そして日大アメフト部のこと

 この数か月、とても忙しかった。もちろん、忙しいのは、コンサートや旅行に行っているからであり、引き受けなくてもよい仕事を引き受けているからでもあるので、人のせいにする気はないのだが、それでも忙しくて嘆きたい気持ちになっていた。が、ようやく5月末締め切りの本の原稿を書き終えつつある。5月、6月は少しのんびりできそう。

 一昨日(2018年5月22日)と昨日は京都にいた。京都産業大学付属中学の小論文教育を私が塾長を務める白藍塾がサポートしているので、その研修のために出かけたのだった。研修はきわめて順調。気持ちよく仕事を進めることができた。

 実際には日帰りでもよかったのだが、前日に京都に入って一泊した。なぜそうしたかというと、京都駅前の新阪急ホテル地下にある京料理の店、美濃吉で夕食を取りたかったからだ。京都に行くとき、この美濃吉での食事を何よりも楽しみにしている。美濃吉の中でも、私はとりわけ新阪急ホテルの店の味が好きだ。

 期待通りのおいしさ。私はいつものように、最も手ごろな値段の鴨川という京懐石をいただいたが、白味噌仕立てはいつも通りの絶品。丸茄子の田楽、茄子の鉢物、ちりめん山椒ご飯も実においしかった。そして、鯛の兜煮を注文したが、味のしっかりしみ込んでいる部分と鯛そのものの味の残っている部分のバランスがとてもよく、これまた絶品。

 私はこの店で食べるたびに、「ああ、幸せだなあ・・・」と感じる。それを感じたくて、この店に来る。

 5月23日、研修を終えて、雨の中、新幹線で東京に戻った。

51fkerxfqjl_ac_us200_351gofyqivcl_ac_us200_  ところで、5月中に拙著2冊が刊行された。『頭のいい人は「答え方」で得をする 』 (だいわ文庫)と、『小3までに伸ばしたい「作文力」』(青春出版社 なおこちらは白藍塾との共著)。

前者は、質問された時、何かを答えなければならない時に、どのような心構えでどのようなことを答えるべきなのかを、下手な答え方の例などを交えながら解説したものだ。

 後者は、白藍塾での小学生作文教室で行っている新たな作文指導の方法を紹介したものだ。空想作文を基軸に据えながら、そこに経験や知識を加えて、2020年の大学入試改革に対応する力をつける方法を説明している。付録に最近増加傾向にある中学入試作文問題の例題を示して、そのた対策も解説しているので、きっと役立つと思う。

数日前から、日大アメフト部の悪質プレー、退場させられた日大選手の会見、それを受けての前監督とコーチの会見がテレビで盛んに報道されている。大学に身を置いた人間として関心を持たずにはいられない。それにしても、ひどいプレーであり、ひどい監督、コーチだとつくづく思う。退場になった日大選手の腹を決めた会見は立派だと思う。私もまた、多くの日本人と同じように日大の対応に怒っている。

 私が最も気になるのは、日大の教員たちはどうしているのかということだ。今、表に出てきているのは、日大職員であり、サークルのコーチだ。アメフト部の学生はあまり学業に身を入れておらず、教員との付き合いがなかったのかもしれないが、それにしても教授陣、その代表である学長の明確な発言が聞こえてこないのは不思議だ。日大での教授陣と職員との関係はどうなっているのだろう。私は大学を代表するはずの教授陣の発言をききたいと思う。

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METライブビューイング「ルイザ・ミラー」に圧倒された

 東銀座の東劇でMETライブビューイング「ルイザ・ミラー」をみた。圧倒されっぱなしだった。

ルイザのソニア・ヨンチェヴァ、ロドルフォのピョートル・ベチャワ、父親のプラシド・ドミンゴの三人の主役がこれほどにそろっていると全体が最高潮に盛り上がる。ヨンチョヴァの透明で強い声、ベチャワの張りのある美声、ドミンゴの衰えることのない美声と演技。第三幕のこの三人の歌はとりわけ素晴らしかった。それにしても、ドミンゴの超人ぶりには驚嘆するしかない。かつてのテノールの輝きは失っているが、ルイザの父親の声としては申し分ない。死にゆく娘を見て嘆く場面では、娘を持つ父親の一人として涙ぐまざるを得なかった。

ヴルムのディミトリ・ベロセルスキーも見事な悪漢ぶり。エライジャ・モシンスキーの演出はオーソドックスでわかりやすい。第3幕にすべてを凝縮させていく手腕に驚嘆。指揮のベルトラン・ド・ビリーも、それほど個性的ではないが、見事にドラマを作り上げていく。

 インタビューの中で触れられていたが、第12幕はドニゼッティ風。が、第3幕で「オテロ」に近づいていく。強い力が渦巻き、ドラマが凝縮し、まさしくヴェルディの世界になる。

ザルツブルクやバイロイトは何度か訪れたが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場には行ったことがない。ライブビューイングを見る旅にこの歌劇場のしっかりした理念と世界最高の歌唱を思い知って、実際に出かけたくなる。

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ヤルヴィ+N響 トラーゼのピアノとヤルヴィの振るブルックナー 素晴らしかった

 2018519日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。曲目は、前半にトルスミ作曲の「序曲 第2番」と、アレクサンドル・トラーゼのピアノが加わってショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番、後半にブルックナーの交響曲第1番。素晴らしかった。

 最初のトルスミの曲は、ショスタコーヴィチから狂気めいた部分を除いたような曲。それなりにおもしろかったが、やはりショスタコーヴィチのほうがいいなとは思う。そのショスタコーヴィチの協奏曲は、トラーゼの独壇場とでもいえるような世界。第1楽章は何気なく始まった気がしたが、第2楽章にリリシズムの深さ、第3楽章の躍動は言葉をなくす凄さ。先日、タローのピアノ、インバルの指揮、都響の演奏でこの曲を聴いて素晴らしいと思ったが、それ以上に感銘を受けた。トラーゼのほうがもっとしゃれっ気があり、いい意味での「けれんみ」がある。ピアノのアンコールはプロコフィエフのピアノソナタ第7番の第3楽章。この後半は息を飲むようにダイナミックに華麗に、そして自在に弾いた。

 後半のブルックナー演奏についてはヤルヴィ、そしてNHK交響楽団に感服した。数年前、ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団を指揮したブルックナーの8番を聴いて、まだ十分にブルックナーの音楽をコントロールしきれていないのを感じたのだったが、今日の演奏は、ヤルヴィがブルックナーを完璧に手中にしているのを感じる。もちろん第1番は8番に比べるとかなり構成がわかりやすいのだろうが、それにしても構成感があり、曖昧なところがなく、音の起伏に説得力がある。どの楽章も終わり方が素晴らしい。とりわけ第4楽章は圧倒的だった。初めてこの第1番に感動した。N響も見事にヤルヴィの求める音を出していると思う。音に厚みがあり、勢いがある。

 前回、NHKホールを訪れた時には、ホールの外の広場でタイ・フェスティバルが開かれていたが、今日はベトナム関連の催しだった。ベトナム人と思われる人が大勢押し掛け、ベトナム料理の屋台がたくさん出ていた。ベトナムも二度訪れたことがある。心惹かれたが、お腹がすいていなかったので、そのまま帰った。

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ラザレフ+日フィル 「ペルセフォーヌ」を楽しんだ

2018518日、サントリーホールで日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はアレクサンドル・ラザレフ、曲目は前半に辻本玲のチェロが加わってプロコフィエフの交響的協奏曲、後半にはストラヴィンスキーのオペラ「ペルセフォーヌ」(日本初演とのこと)。

 実は両方とも知らない曲。交響的協奏曲については、曲の性格がよくわからずに戸惑った。第一楽章前半はオーケストラがバラバラな気がしたが、徐々にまとまりができた。知らない曲なので演奏についてどうこういえないが、辻本がめっぽううまいことははっきりとわかった。ラ・フォル・ジュルネでもこの人の演奏を聴いたが、ソロで聴いて、いっそうこの人の力量に納得した。テクニックも驚異的だし、音も美しい。チェロのアンコールはカザルスの「鳥の歌」。これも音の力に痺れた。昔、テレビの実況中継でカザルスが国際連合の会場(だったかな?)でこの曲を弾くのを見た記憶があるが、あの時の感動を思いだした。

 後半の「ペルセフォーヌ」は音楽としてもとても楽しめた。オペラというか、カンタータというか。ギリシャ神話をもとにアンドレ・ジードが台本を書いたもの。独唱はユーモルブの役(ポール・グローヴス)のみ。合唱(晋友会合唱団)と児童合唱(東京少年少女合唱隊)がついて、ペルセフォーヌの役(ドルニオク綾乃)はナレーションで行われる。

これも知らない曲なので演奏については何ともいえないのだが、ラザレフの手際のよい棒さばきについてはよくわかった。しなやかで力のある音。グローヴスも見事。ドルニオク綾乃(東京都出身でミュージカルなどで活躍しているらしい)もとても感じのいいナレーション。フランス語の抑揚については完璧だと思う。容姿も含めてペルセフォーヌにぴったりだと思った。合唱、児童合唱も、この難しい曲をよく歌いこなしていると思った。

まったく未知の2曲だったが、心から楽しめた。

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ヤルヴィ+N響のシベリウス「四つの伝説」に感動

 2018512日、NHKホールでNHK交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。曲目は前半にクリスチャン・テツラフが加わってベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、後半にシベリウスの「四つの伝説」。シベリウスは素晴らしかった!

 前半のベートーヴェンに関しては、とてもおもしろいと思った。ヤルヴィとテツラフの個性がぶつかり合っているのを感じた。二人とも一歩も引かず、自分の音楽を主張しているように聞こえた。ヤルヴィは強い音で歯切れのよい音楽を作る。テツラフも切り込んで行く音楽。ただ、残念ながら、私には二人の音楽がかみ合っているようには聞こえなかった。とてもおもしろく感じたが、まったく感動できなかった。二人の相性はよいはずなのに、なぜかこの曲に関しては、私は納得できなかった。

 初めて聴くカデンツァだった。ホールの掲示によると、ベートーヴェンがこのヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲した時に作ったカデンツァをテツラフがヴァイオリンのために編曲したものだという。現代作曲家の作曲したものだとばかり思っていたので驚いた。とてもおもしろかった。

 テツラフのアンコールはバッハの無伴奏パリティータ第3番の「ガヴォットとロンド」。テツラフらしい鋭くて引き締まっていて、独自の境地を描く。いろいろなものをそぎ落としたような音。とてもよかった。

 シベリウスの「四つの伝説」を実演で全曲聴くのは、たぶん初めてだったと思う。CDでは何度か聴いたことがあり、「トゥオネラの白鳥」の部分を除いてはあまり魅力ある曲だと思っていなかった。が、今回聴いて、これは素晴らしい曲だと思った。豊かな音楽ではない。だが、根底にしっかりした抒情がある。張り詰めた抒情、冷気の中で徐々に広まっていく抒情とでもいうか。そうした抒情を聴かせてくれたのは、ヤルヴィとN響の功績だろう。弦の重なりも美しいし、木管楽器も美しい。とりわけ、イングリッシュ・ホルンの音色に惹かれた。NHK交響楽団の音の美しさを十分に味わうことができた。最後の盛り上がりも見事。

 NHKホールの外ではタイ・フェスティバルが開かれていた。タイ料理の屋台が出ていた。タイは大好きな国でタイ料理も大好きなので、ちょっと食べようかと思ったが、終了を知らせる「蛍の光」がスピーカーから割れた音で流れていたため、いたたまれずに、その場を急いで離れて自宅に向かった。

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映画「50年後のボクたちは」「父、帰る」「裁かれるは善人のみ」「エレナ」「華麗なるギャツビー」

 数本の映画をDVDなどで見たので簡単な感想を記す。

 

5081redmmccl_sy445_50年後のボクたちは」 ファティ・アキン監督 2017年 ドイツ映画

 先日見た「女は二度決断する」のアキン監督の前作。原題は「チック」。ドイツのベストセラー小説の映画化とのこと。クラスのはみ出し者のマイクは14歳。父は若い女性と浮気、母はアル中。クラスではほかのほとんどの生徒が憧れの女の子の誕生パーティに呼ばれているのに、一人だけ呼ばれていない。そんな時、東方ロシア(つまり東洋系の容姿)出身のチックが転校してくる。マイクの両親が家を離れた夏の日、意気投合して、チックが無免許運転する車で南に向かって無鉄砲な旅に出かける。そのロードムービー。二人は途中で少し年上の女の子イザと出会う。しばらく行動をともにする。山に登り、三人で50年後にも会おうと約束する。

チックの過去もイザがなぜそのようなところにいるのかもまったく説明がない。二人の食事を振る舞ってくれる子どもたちと女性がどのような人なのかもわからない。その夏だけの不思議な体験。そこが面白い。ブルジョワ階級の愛に恵まれない少年が得体のしれない人間たちに出会って、自分の世界の外に出ていく。

子どもの無軌道な行動に対して、大人としてはあれこれ心配になるが、ともあれすがすがしい。なぜすがすがしいかというと、自分にも覚えがあるからだろう。私も中学生のころ、家出したことがある。すべての社会的束縛をすてて無軌道なエネルギーを発散したかった。チックのような、悪いことを教えてくれる同級生もいたし、仲良くしていたこともある。それを思い出す。3人の主人公はとても魅力的に描けている。

 

「父、帰る」 2004年 ロシア アンドレイ・ズビャギンツェフ監督

 確かに歴史に残る素晴らしい映画だと思った!  ただ何を言いたいのかとなると、よくわからない。

 母や祖母と暮らす兄弟(中学生くらいのアンドレイと小学生くらいのワーニャ)のもとに、12年間家を出ていた父親が突然帰ってくる。兄弟は父に連れられて、泊りがけで釣りに行くが、父は強圧的で子どもたちに理不尽に命令し、それに従わないと暴力をふるうばかり。しかも、計画を変えて、別のところに行き始める。そして、湖に行き、ボートで無人島に行って、何かを探す。兄のアンドレイは従順で父親に従う様子を見せ、弟ワーニャは反抗を繰り返す。父は無人島で事故で死に、二人は父の遺体をボートに乗せて帰ろうとするが、父の遺体はボートともに湖底に沈んでしまう。

 カフカ的世界だと思った。父親の行動(無人島に何かを隠していたのを掘り出したらしい)も、兄弟の行動もすべて無駄になる。理不尽な命令にしたがって、兄弟は必死に行動するが、その行動にどういう意味かわからずにいる。何の結果ももたらさない。ただただ理不尽。

 ロシア人は、大きな革命に巻き込まれ、強大な権力によって多く犠牲を出したが、結局、理不尽な結果しかもたらされなかった。殺伐とした精神の中にいる。ロシアの人々はそのような精神状況にいるのかもしれない。そのような世界をこの映画は鋭く描いている。しかし、もちろんそれはソ連にかぎったことではない。現代人は西側の人間もこの映画のような荒涼とした精神の中にいる。この映画を見ると、改めてそのことに気付かされる。

 それにしても圧倒的な映像美。一つ一つが絵画のよう。最後まで招待が明かされず、不気味で理不尽で、しかもどこか人間的な父親を演じる役者にも、二人の子どもたちの演技にも感服。

 先日、この監督の「ラブレス」を見て、とてもよい映画だと思ったが、私は「父、帰る」のほうに圧倒的な感銘を受けた。

 

812wjbvp8al_sy445_ 「裁かれるは善人のみ」 2014年 ロシア アンドレイ・ズビャギンツェフ監督

 同じズビャギンツェフ監督の映画。

 ロシアの海辺の町に住む中年男コーリャ。権力によって欲望を満たす横暴な市長に家を取り上げられ、頼っていた旧友の弁護士に妻を寝取られ、しかも、その妻は自殺したため、殺した疑いをかけられ、15年の刑を言い渡される。踏んだり蹴ったりの人生。その苦悩を荒涼とした風景とともに描く。弁護士も妻も自分なりに懸命に生きようとしている。だが、どうにもならない。誰もが生きる意味を見出すことができず、真実はどこにもなく、ただ欺瞞だけが横行する。そのような世界を絶望感をもって描く。

 日本語タイトルがよくないと思った。これではまるで権力に打ち負かされる善人の悲劇のようではないか。映画の中で「ヨブ記」について語られる。原題は「リヴァイアサン」。ホッブスの著書で有名だが、もとは「ヨブ記」に出てくる海の怪物を意味する。コーリャが、まさしく踏んだり蹴ったりの人生を歩みながらも神を信じるヨブと重ねあわされている。だが、コーリャは飲んだくれで暴力的であって、決して善良な人間ではない。しかも、神を信じていない。もはや神を信じられなくなったヨブが海の怪獣リヴァイアサンに痛めつけられる物語とでもいうか。リヴァイアサンは単に権力を意味しているわけではないだろう。不条理で理不尽な超越的なものだろう。誰もが必死に生きているのだが、わけのわからない力に翻弄されて打ち負かされてしまう。そんな世界を描いている。

 荒涼たる海、廃船、人の通らないさびれた道路、海岸のうらぶれた景色が圧倒的迫力で迫る。だが、作品の出来としては、「父、帰る」には及ばないと思う。

 

71ylkdf6htl_sy445_ 「エレナ」 2011年 ロシア アンドレイ・ズビャギンツェフ監督

 元看護師のエレナは資産家である現在の夫と再婚。平穏に暮らしている。ところが夫が病に倒れ、死を覚悟することになる。夫は遺言書を書くというが、それはエレナにとって好ましいものではない。放置すると、前の夫のとの間にできた子ども一家、とりわけ孫のサーシャの大学進学のための資金がなくなる。エレナは毒薬を夫に与えて遺言書を書きなおす前に殺害する。それだけの話だ。ある意味できわめて単純。最後、夫と暮らしていた豪華な家に子ども一家を呼び寄せる。自堕落で他者に依存しているばかりの家族。とりわけサーシャは勉強もせず、悪い仲間と暴力事件を起こすばかり。映画の冒頭と最後、ほとんど動きなしに家が映し出される。一体エレナの行動にどのような意味があったのか、大罪を犯して手に入れたものはどれほど愚かなものか。それを冒頭と最後の映像が静かに語りかける。とても単純でわかりやすい映画だが、映像の力に唸ってしまう。

 

「華麗なるギャツビー」 1974年 ジャック・クレイト監督

 40年以上前、予告編を見た覚えがある。本編も見たいと思ったが、原作を読む前に映画を見るのに抵抗があった。そして、映画も音楽も文学もヨーロッパびいきで、英米ものに惹かれることの少ない私は、フィッツフェラルドの原作になかなか手が出なかった。最近、やっと野崎孝訳を読んだので、NHKのBS放送を録画していた1974年の映画を見てみた。

 原作を読んだ直後に映画を見ると、あれこれと不満が出てしまう。これでは、語り手のニックがあまりに木偶の坊。トムもあまりに粗暴。デイジー(ミア・ファーロー)、マートル(カレン・ブラック)ら登場人物たちがあまりに大袈裟に演技し、あまりにわかりやすく、原作にある繊細さが感じ取れない。ギャツビー(ロバート・レッドフォード)の純情も魅力も十分に伝わらない。ただ、映画の中の桁外れに裕福で豪華な世界にびっくり。九州出身の田舎者で、しかもそれほどお金に余裕のない階層出身の私は小説を読んでもこれほどの豊かさを想像できなかったが、確かにフィッツジェラルドが描いたのもこのようなスケールの出来事だったのかもしれない。登場人物たちの行動に納得できないところがあったが、なるほどこれほどの金持ちだったら、そういう行動をとるのかもしれないと思えるところはいくつかあった。

 とはいえ、映画を見て、原作での語り手ニックの位置づけなどが見えてくる。収穫はたくさんあった。

 

201391s7xbdz9l_sy445_ 「華麗なるギャツビー」2013年 バズ・ラーマン監督

 1974年の映画を見て、不満を感じたので、2013年に作られた「華麗なるギャツビー」もみてみた。ほとんど漫画的といえるほどに豪華さ、贅沢さを描く。このほうがむしろ不自然さを感じない。語り手ニック(トビー・マグワイア)の役割も納得できる。ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)もいい味を出している。あれこれ付け足して説明過剰ではあるが、原作(村上春樹訳を購入して読んでみた。少なくとも私の世代には野崎訳よりも村上訳のほうがずっと読みやすい。自然にこなれていて、細かいところまで神経が行き届いた訳だと思う)のエッセンスはこちらの映画のほうが伝えているように思った。

 ただ、この映画を見ても、原作の味わいを映像で出すのは難しい・・というこれまで何十回となく感じてきたことを改めて思った。

 

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ラ・フォル・ジュルネ東京2018について考えたこと、そして私のベスト5

 2005年にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まったときから、私はこの音楽祭にかかわった。初めのころは「アンバサダー」として、この音楽祭の素晴らしさを多くの人に伝えようとした。ナントのラ・フォル・ジュルネも三度訪れた。これまで合計490の有料コンサートを聴いた。ラ・フォル・ジュルネ東京2018を終えて、私なりにいくつか考えたことがある。

 

・今回のラ・フォル・ジュルネ東京では、ラルス・フォークトの指揮とピアノを聴けてとても満足だった。直前にフォークトのすごさに気づいて、追いかけることにしたのだった。予想していた通り、そのほとんどが素晴らしい演奏だった。

 

・Aホールの空席が目立った。私が足を運んだ中では、フォークトが弾き振りをしたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のコンサートがあまりにガラガラで、演奏家に申し訳ないと思った。主催者は、フォークト+ロイヤル・ノーザン・シノフォニアを今回のラ・フォル・ジュルネの売り物として大きく打ち出してもよかったのではないかと思う。これまでのコルボ+ローザンヌ声楽アンサンブルに匹敵する実力の持ち主だと思う。彼らがやってくることはあまり注目されていなかったように思う。

 

・スタッフの対応はとてもよかった。客対応に不慣れな人もいただろうが、ふだんこのような仕事をしていない人にこれ以上を求めるのは無理だと思う。見事な運営!

 

・時間通りに始まり、ほぼ時間通りに終わるコンサートが多かった。もちろん、それはそれでありがたいことだ。だが、時間になったら会場が明るくなり、拍手がやんで観客は次の会場に向かう・・・という現在のあり方は、私は初めて訪れて感嘆した2005年ころのナントの状況とあまりに違う。当時は、素晴らしい演奏の後、観客が熱狂していつまでも立ち去らずに遅れてしまったり、演奏者のリハーサルが続いて開演時間になってもまだホールが開かないことも多かった。あちこちに行列ができ、混乱が起こっていた。だが、そうであるからこそ、手作り感があり、熱狂があった。スケジュール通りに進んでいくことと、あちこちで熱狂が起こることは相反することだと思う。私は昔のナントの手作りの熱狂が懐かしい。

 

・拍手喝采があまりに淡白だと思う。ナントのような熱狂をまねするべきだとは思わないが、日本のふだんのコンサートでももっと熱狂的な拍手が起こる。それに匹敵する名演奏でも今回は拍手が少なかった。おそらく、コンサート慣れしていない人たちが多いので、遠慮がちになるのだと思う。コンサート慣れした人がもう少し意識的に拍手を先導してもいいのではないかと思う。

 

・きっと主催者が意識していると思うが、演奏者に美男美女が多い。偶然、これほどそろうことはあるまい。私が聴いたコンサートだけでも、バーエワ、コヌノヴァ、カマリーナはかなりの美人だったし、ポラトはかなりのいい男だった。ある意味でうれしいことだが、演奏家がみんな美男美女というわけではないだろうから、問題を感じないわけでもない。

 

・勝手に今回のラ・フォル・ジュルネのベスト5を上げると、以下の通りだ。

 

・アレーナ・バーエワ(vl) クレール・デゼール(p)プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番など (東京芸術劇場 53日)

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(ピアノと指揮)  シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(53日)

 

・モディリアーニ弦楽四重奏団 ドホナーニの弦楽四重奏曲第3番 、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番 「アメリカ」(54日)

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(ピアノと指揮)、ウェーベルン「弦楽四重奏のための緩徐楽章」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番 (54日)

 

・吉田誠(cl)、オリヴィエ・シャルリエ(vl)、アレクサンドラ・コヌノヴァ(vl)、川本 嘉子(va)、辻本玲(vc)、マタン・ポラト(p

 プロコフィエフ「ヘブライの主題による序曲」、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲 イ長調 op.81 (55日)

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ラ・フォル・ジュルネ東京2018 5月5日(3日目最終日)

 ラ・フォル・ジュルネ東京の3日目。今日は6つのコンサートを聴いた。今年は3日間で合計21の有料コンサートを聴いた。2005年から数えると、有料コンサートだけで490聴いたことになる! 今日のコンサートの感想を簡単にまとめる。

 

・荘村清志(ギター)、 新日本フィルハーモニー交響楽団 パスカル・ロフェ(指揮)

 ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」、ファリャのバレエ音楽「三角帽子」 第2組曲

 

これまで何度か荘村さんの「アランフェス」は聴いたことがある。ますます味わい深くなって素晴らしい。そして、それ以上に新日フィルの底力、ロフェ のオーケストラコントロールに圧倒された。とりわけ、三角帽子組曲の終曲のリズム、色彩が鮮やか。躍動に溢れ、音楽の楽しさが爆発。

 

・パヴェル・シュポルツル(vl)、ジプシー・ウェイ(伝統ロマ音楽)

 ブラームス「ハンガリー舞曲 第5番」、サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」など

 

とても楽しいコンサート。シュポルツルの超絶技巧、ロマ音楽の楽器の音が楽しめた。シュポルツルはさらさらと難曲を弾きこなす。観客を驚かせ、雰囲気に巻き込む。ロマと聞いて思い浮かべるような重い調べではない。軽い気持ちでロマの音楽を楽しめる。ただ、シュポルツルの美音を聴きたかったのだが、マイクを通してアンプで増幅された音だった。シュポルツルの美音と音楽性をよく知っている私としては、ちょっと残念。

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(指揮)

 モーツァルト:交響曲第25番、ショスタコーヴィチの室内交響曲 op.110a

 

改めてフォークトの音楽性、オーケストラの力量を感じた、勢いのある演奏。細かなところまで神経が行き届いている。モーツァルトの交響曲第25番は、若書きのこの曲をまさしく見事な曲として聴かせてくれた。ただ、勢いがあるので、若々しさは失われない。ショスタコーヴィチのほうは、私は室内交響曲のバージョンを初めて聴いた。弦楽四重奏バージョンより強烈になるかと思っていたら、むしろ柔らか味が増していた。フォークトがそのような演奏を求めたのかもしれないが、私としては、もっと激しい演奏が好みだ。とはいえ、やわらかい音から激しい音まで、このオーケストラの弦の音は本当の素晴らしい。

 

 ・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(ピアノと指揮)

モーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」序曲、ショパンのピアノ協奏曲第1

 

 きわめて男性的なショパン。感傷的なところがない。ちょっと聞くと、ショパンと思えないような雰囲気。筋肉質で構築的で、ショパン特有の装飾がそっけない。ショパン好きは不満に思ったことだろう。私はショパン好きではないし、このようなタイプの演奏は大好きなのだが、こういう演奏だとショパンの魅力が、なくなるような気がする。フォークトはショパン弾きではなさそうだ、というのが私の結論。

 

 ・アンサンブル・オブシディエンヌ、エマニュエル・ボナルド(リーダー)

中世の伝統歌 

 

中世の楽器を用いて、デュファイなどの歌や器楽曲が演奏された。歌の内容はよくわからなかったが、楽器の音もおもしろく、歌もおもしろい。ただ、どんな楽譜で、どのくらい伝統通りに忠実に演奏しているのかがよくわからなかった。こちらの勉強不足ではあるが。

 

・吉田誠(cl)、オリヴィエ・シャルリエ(vl)、アレクサンドラ・コヌノヴァ(vl)、川本 嘉子(va)、辻本玲(vc)、マタン・ポラト(p

 プロコフィエフ「ヘブライの主題による序曲」、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲 イ長調 op.81

 素晴らしかった。ベテランのシャルリエが第一ヴァイオリンとして若手演奏家たちを率いての室内楽。まず、プロコフィエフがよかった。吉田誠のクラリネットが、軽妙で勢いがある。そして、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲も最高だった。ドヴォルザークの美しいメロディがオンパレードのこの曲をしみじみと、しかも深くドラマティックに演奏してくれた。シャルリエの音楽は実に味わい深い。濃厚なフランスの味わい。音そのものが味わい深いし、構築感もある。ポラトのピアノの音もくっきりしていて、しかも趣きがある。コヌノヴァもシャルリエの技を盗んでいくうちにきっと表現が豊かになって素晴らしいヴァイオリニストになるだろう。川本と辻本もいい味を出していた。興奮して聴いた。

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ラ・フォル・ジュルネ東京2018 5月4日(2日目) フォークトがすごい!

 201854日、ラ・フォル・ジュルネ東京2日目。今日もフォークトに最も感銘を受けた。今日、8つのコンサートを聴いたので簡単に感想をまとめる。

 

・イ・ムジチ合奏団 

リュリのバレエ音楽「愛の勝利 序曲 、ヘンデルの合奏協奏曲第1 、ボッケリーニ:ピアノ五重奏曲 ハ長調 3楽章「マドリードの通りの夜の音楽」など

 

50年ほど前に一斉を風靡したイ・ムジチ。カラヤンとともに知らない人はいなかった。バロック音楽が流行り、「バロック音楽は朝の寝起きにかけても気持ちがいい」というような不思議な言説が流行したのもイ・ムジチのせいだったかもしれない。現在も心地よいバロック音楽の演奏を続けているようだ。それはそれで一つの見識だと思う。そういう意味ではとてもいい演奏。アンコールは「四季」の「夏」の第3楽章「嵐」。見事。

 

・モディリアーニ弦楽四重奏団 

ドホナーニの弦楽四重奏曲第3 、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12 「アメリカ」

 

素晴らしい演奏。ピタリと縦の線が合い、音程が正確で音が鮮明。精緻な演奏。ドホナーニの曲には、実はあまり馴染みはないのだが、第1楽章ではかなり感動した。現代的な面と後期ロマン派的な面が入り混じっていておもしろい。鋭さと甘美さの表情を描き出していた。「アメリカ」は第1楽章、第4楽章は予想通りの素晴らしさ。第2楽章の美しさには息をのんだ。この弦楽四重奏団を知ってかなりになる。若い弦楽四重奏団と思っていたが、彼らも深い表情を出す年齢になっていた!

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア ラルス・フォークト(指揮) 

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」 序曲、 ストラヴィンスキー「弦楽のための協奏曲」、モーツァルト交響曲第38番「プラハ」

 

フォークトの指揮の見事さを堪能した。「ドン・ジョヴァンニ」序曲の強くてドラマティックな表現に始まり、表情の変化、歌わせ方などに舌を巻いた。ストラヴィンスキーの曲も弦のしなやかさを堪能できた。「プラハ」はまさしく音楽の展開をわかりやすく、しなやかに展開させた。第2楽章をゆっくり、第3楽章で音を颯爽と雄大に積み重ねて、感動的だった。オーケストラもとてもいい。とりわけ弦が素晴らしい。

 

 

・アレクサンドラ・コヌノヴァ(vl シンフォニア・ヴァルソヴィア 廖國敏( 指揮)

 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲

 

とてもよかった。コヌノヴァの弱音が本当に美しい。ただ、やはり清純すぎ、透明すぎて、私には少し物足りない。もっと攻撃的に自己主張してほしい。指揮も自己主張しているようには聞こえないし、見えなかった。

 

・バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)、マティアス・アルゴットソン(p・ハモンドオルガン)、マックス・シュルツ(ギター)、ウルフ・エングランド(ギター、照明デザイン)

 ブルース、黒人霊歌など

 

かつて何度かヘンドリクスの実演を聴いた。実はあまり満足したことはなかった。が、最近、黒人霊歌などを歌っていると知って、気になっていた。マイクを通した声だし、クラシックの歌い方とは違うが、味のある声で神への愛を歌う。なるほどこんな世界を作り出したかったのか!と納得できた。確かにヘンドリクスのクラシックの声域でこのような世界を歌える歌はなかっただろう。

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ジュリアン・ラクリン(vl・指揮)

 ベートーヴェン「コリオラン序曲」、シベリウス「悲しきワルツ」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲 ホ短調

 

かつてヴァイオリ二ストとしてのラクリンは何度か聴いたが、もちろん指揮者としては初めて聴く。「コリオラン」も「悲しきワルツ」もとてもよかった。若々しく勢いのある指揮。「コリオラン」では、激しく心をえぐろうとして、オーケストラに勢いをつける。フォークトの指揮したときのロイヤル・ノーザン・シンフォニアよりもずっと若々しい。メンデルスゾーンも若々しいメンデルスゾーンが出現した。ヴァイオリンはちょっと荒っぽいが、これも一つの魅力だろう。ただ、メンデルスゾーンになると、やはり指揮がおろそかになって、まさしくヴァイオリンの伴奏になっているのを感じる。やはり、フォークトの一日の長があると思った。

 

・マレーナ・バーエワ(vl)、クルージュ・トランシルヴァニア・フィルハーモニー管弦楽団、カスパル・ゼンダー指揮。

チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

 

バーエワのヴァイオリンは最初の音から、コルンゴルト独特の退廃的で官能的な世界に誘い込む。バーエワの容姿も服装も世紀末的というか退嬰的というか。まるでクルムトの描く女性のよう。実に魅力的な世界だと思う。私はバーエワに誘われて、この魔界に迷い込んだ。バーエワの表現力は実に見事。クルージュ・トランシルヴァニア・フィルハーモニー管弦楽団もカスパル・ゼンダーの指揮も初めて聴いた。なかなかよさそう。もっと聴いてみたいと思った。

 

 ・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(ピアノと指揮)、ウェーベルン「弦楽四重奏のための緩徐楽章」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。

素晴らしい演奏だった。ウェーベルンの曲はこのオーケストラの弦の能力を見せつけてくれた。本当に美しい。そして、ベートーヴェンは、勢いがあって推進力がありながら、要所要所で繊細でしなやかで抒情にあふれたオーケストラ。そして、ピアノも強いところもあるし、きわめて抒情的なところもある。第2楽章は男の抒情の極致だと思った。第2楽章と第3楽章では何度か私の身体に感動が走った。このすごい演奏なのに、Aホールはガラガラ。1割か2割くらいしか埋まっていなかったのではないか。あまりにもったいない。客が少ないので演奏家たちもがっかりしたと思うが、フォークトがブラームスのインテルメッツォをアンコール。素晴らしいコンサートだった。

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ラ・フォル・ジュルネ・東京 2018年5月3日 ラルス・フォークト指揮ロイヤル・ノーザン・シンフォニアに驚嘆

 2018年のラ・フォル・ジュルネ・東京が始まった。7つの有料コンサートを聴いたので、簡単に感想を書く。

 

 まずは今年から始まった東京芸術劇場でのコンサート。 

・アレーナ・バーエワ(vl クレール・デゼール(p ブロッホ「ニーグン」、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番、ラフマニノフ「2つのサロン風小品」から「ロマンス」 ストラヴィンスキー「妖精の口づけ」─ディヴェルティ メントから パ・ド・ドゥ

 若くてきれいな女性。素晴らしい演奏。バーエワのヴァイオリンは思い切りがいい。弓をいっぱいに使ってスケールが大きく、ダイナミック。プロコフィエフの第2楽章と第4楽章の躍動感が素晴らしい。第3楽章もしっとりしていて、これもいい。本格派の女流ヴァイオリニストだと思った。

 

 東京国際フォーラムに移動して、その後のコンサートを聴いた。

 

・アレクサンドラ・コヌノヴァ(vl マタン・ポラト(p プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第1番、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ ト長調

 コヌノヴァは若くてきれいな女性。感じのいい演奏。コヌノヴァのヴァイオリンについてはプロコフィエフの第1番第4楽章は見事だと思った。ただ、全体的に踏み込み不足を感じる。ピアノのポラトはクリアな音で明確に弾く。しかし、ともに訴える力が弱い。とりわけラヴェルについては、2人とも真面目すぎると思った。まるでNHKのアナウンサーがギャグを言っている感じ。アンコールは「夢のあとで」。

 

 ・堤剛(vc クレール・デゼール(p バルトーク「狂詩曲第1番」、ショパンのチェロ・ソナタ、マルティヌー「ロッシーニの主題による変奏曲」

私の席のせいかもしれないが、チェロとピアノの音バランスがよくない。ピアノばかりが大きく響く。しかも、メリハリがなく、ダラダラした感じ。堤さんは大好きなチェリストだし、クレール・デゼールの実力はよく知っているのだが、なぜかバラバラな感じ。リハーサルが十分できなかったのだろうか。

 

 ・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(指揮) ハイドンの交響曲第103 変ホ長調「 太鼓連打」、プロコフィエフ交響曲第1番「古典交響曲」

 素晴らしい演奏。 緩急をつけ、表情をつけ、ときにユーモアたっぷりに、ときに颯爽と演奏。あれこれいじっているのだが、音楽に流れと勢いがあるので、嫌味にならない。オーケストラも素晴らしい。フォークトの指から、まるで魔法のように音楽が奏でられる。「太鼓連打」では、じっくりとハイドンをおもしろく演奏、「古典交響曲」のほうは颯爽と勢いよく。その対比もおもしろい。

 

ラケル・カマリーナ(ソプラノ)、エマニュエル・ロスフェルダー(ギター)、ヨアン・エロー(ピアノ)

ラヴェル「シェエラザード」ファリャ「7つのスペイン民謡」チャピ:サルスエラ「セベデオの娘」から カルセレーラ、ドリーブ「カディスの娘たち」

 

 カマリーナはかなり若くは魅力的な女性。ポルトガル出身だという。華奢な体型だが、強い声。音程が正確で張りがある。時々、ドスの効いた声。スペインの歌にぴったり。ピアノもギターも素晴らしい。ラヴェルもよかったが、スペイン語の歌のほうがよかった。アンコールにファドを歌ったが、これも見事。

 

・ロイヤル・ノーザン・シンフォニア、ラルス・フォークト(ピアノと指揮) シベリウス「アンダンテ・フェスティーヴォ」、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5 変ホ長調 op.73「皇帝」

 素晴らしい演奏。シベリウスの曲(ほぼ弦楽合奏)の美しさには息をのんだ。そして、その後の「皇帝」も素晴らしかった。まず、フォークトの指揮に圧倒された。ピアノを生かすためのオーケストラではなく、ピアノと拮抗するオーケストラを作りだしている。勢いがあり、流れがある。ちょっと「前のめり」のリズムになるが、それも魅力だと思う。それだけでなく、抒情的でこの上なく美しい部分もある。第二楽章の冒頭のオーケストラは最高に美しかった。ピアノももちろん素晴らしい。一つ一つの音に表情がある。そして、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアというオーケストラに驚いた。イギリスのゲイツヘッドという町の常設された室内オーケストラだという。弦の音が実にいい。本日最高のコンサートだった。

 

・エドウィン・クロスリー=マーサー(バリトン)、ヨアン・エロー(ピアノ) シューベルト:歌曲集「冬の旅」

 あまり良い演奏と思わなかった。クロスリー=マーサーの音程がずっと不安定に私には感じられた。それに、この歌手は「きれいに歌おう」という意識が強いようにおもった。そのせいで、シューベルトの苦悩が私には伝わらなかった。

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