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瀋陽・大連旅行

 201879日から12日まで、34日の瀋陽・大連の1人旅をした。空港や駅とホテルの間のガイド以外は何もないフリープランのツアーを申し込んだのだった。私の記憶に間違いがなければ、7度目の中国観光。東北地方観光は初めて。私は特に日本近現代史に詳しいわけではないが、「満州」にはそれなりに関心を持っている。表面だけでもかつての満州の跡を見たいと思ったのだった。

現地では持ち込んでいたパソコンの調子が悪く(というか、Microsoftの契約が切れたということなのか、ワードの新しい文書を作れなくなっていた。近いうちになんとかしなければ!)、その場で文章を書かなかった。帰国後、簡単に感想を書く。

 

7月9日

成田を飛び立ってANA機で瀋陽到着。到着は夜だったので、入国手続きはきわめて順調。ガイドさん(6年間日本に住んでいたということで、日本人とまったく変わりのない日本語のガイドさんだった)と顔を合わせてそのままホテルへ。

 高速道路もきれい。ホテルは遼寧寶館。ここは昔の奉天ヤマトホテル。満鉄時代の日本資本のホテルで開業は1927年だという。確かに、かなり古めかしいホテル。いちおうは近代的に改装されているが、年代物だということは厳めしい造りや隅々の汚れからわかる。まさしくレトロな雰囲気。これれはこれでなかなか味わいがある。

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遼寧寶館


 

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 朝起きて、近くを歩いてみた。ホテルは中山広場に面していた。瀋陽の中心部を成す広場で、中心に毛沢東の像がある。周囲には歴史的な建物が並んでいる。今はもちろん中国の企業や役所が使っているが、ほとんどが、日本統治時代に作られたものだという。

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中山公園


 9時に、今回のツアーとは別に、午前中だけの市内観光を予約していたガイドさんがやってきた。昨日のガイドさんに比べるとかなり日本語のぎこちないが、好感は持てた。

まず瀋陽故宮博物館にいった。半世紀ほど前に世界史の授業で習ったヌルハチ、ホンタイジといった清朝の歴代の皇帝たちの名前を久しぶりに思い出した。これらの英雄たちやその夫人たちの建てたり住んだりして建物がある。ガイドさんの話がおもしろく、歴史上の人物を想像できた。

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 張氏帥府博物館では、張作霖、張学良の暮らしや歴史が展示されていた。日本の蛮行についてはそれほど大きな展示はなかった。そのあと、昭陵に行った。ホンタイジの墓があり、現在では広大な公園になっている。晴天で気持ちがいい。

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13時前に市内観光ツアーは終えて、その後は一人で市内を回った。ホテルで東北地方特有の味付けの濃い料理を食べたせいか、食欲がない。昼食は取らないままだった。

 ホテルから駅まで道草しながら往復した。上海や広州よりはずっと落ち着いている。だが、やはり店の前では呼び込みのアナウンスが甲高い声で行われ、色とりどりの店があって、中国の大都市であることに間違いない。車の運転はルールを守っている。ただし、歩行者はまったくルール無視。信号が赤でも平気で車が来ている道を渡る。高齢者だけではない。若い人も壮年の人もそうする。気温は30度くらい。広州や上海では、短パンにサンダル姿の人が多かったが、こちらはきちんとズボンに靴を履いている人が大半。オートバイも少ない。

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この界隈には昔ながらも汚い店はほとんどない。冷房のきいていない店もあるが、それでも猥雑、不潔という感じはしない。開けっ放しのレストラン(というか、食堂というほうが近い)も、パキスタンやミャンマーなどと違って、中に入って食べても健康を害することはないのではないかと思わせる(実際には入らなかったが)。青山や銀座のような、私ごときが足を踏み入れることのないおしゃれなお店もいくつもあった。センスの良い服を着た男女(やはり女性が多い)が買い物をしたり、飲食をしたりしている。

 ホテルに戻って、一休みして、近くのこぎれいなレストランで食事。水餃子と蒸し餃子を2皿注文したら、1皿に20個以上入っており、食べきれなかった。様子を見て、そのほかの魚か肉を注文しようと思っていたが、それで済ませた。夜の街を再びふらふらと散策して、ホテルに戻った。

 

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 朝の750分にガイドさんに連れられて瀋陽駅に車で行き、大連行きの切符の手配をしてもらった。そこでガイドと別れ、そこから一人でホームに入って高速鉄道で大連に向かった。

 二度目の中国高速鉄道だが、ガイドなし、ツアー仲間なしは少々不安だった。乗ってしまえば何でもないのだが、荷物検査やパスポート検査があり、検札時間が短いなど、西側と異なるシステムなので戸惑う。が、まあ周囲に紛れて乗り込んだ。観光客らしい外国人はまったく見かけない。

 列車の中では、駅で停車して新たな客が入ってくるごとに、「そこは私の席だ」「あんたが間違っている」といった混乱が起こる。西洋でもそのようなことが多いが、こちらは特別。10分くらいごたごたしている。チケットをきちんと見れば間違いようがないと思うのだが。

 携帯で大声で話す人、音を外に流しながらスマホでドラマを見たり、音楽を聴いたりしている人が何人かいる。もちろん大声でしゃべっている人も多い。中国の列車は実に賑やか。

 周囲の誰も私が日本人だと思っていなかったようだ。日本人観光客が一人で列車に乗っていると誰も思っていないのかもしれないし、私の服装が中国になじんでいるのかもしれない。

 外の風景は、都市に入るごとに高層マンションが立ち並び、再び田んぼや畑や草原が続くといったところ。魚の養殖をしているらしい場所も工場地帯も通った。途中で雨模様になった。

 2時間弱で大連に到着。前もって言われていた通り、南口に向かって大連の世話をしてくれる新しいガイドさんと会った。少々訛りはあるが、50代の明るくてとても感じのいいガイドさんだった。

 ガイドさんによれば、到着の15分前まで短い時間ながら豪雨だったという。雨はやんでいた。そのガイドさんにはホテルまで連れて行ってもらうだけの取り決めになっていたが、車の中で交渉して、旅順まで行ってもらうことにした。私はホテル到着後、独力で旅順に行こうと思っていたが、なかなかそれは難しいとのこと。正規の料金を支払ってガイドさんに連れて行ってもらうことにした。

 大連はこれまで訪れた中国の町と少し雰囲気が違っていた。ガイドさんに「ロシア」という言葉を言われて、そういえば少しロシア風だと気づいた。明らかにロシア風の建物もある。

 車で1時間ほど、真新しい海の中の道路やきれいな国道を通って旅順に行った。朝夕は大渋滞になるというが、その時間帯はすいすいと進んだ。周囲には高層マンションが立ち並ぶ新興住宅街になっている。若い人は大連に住み、高齢者が安いマンションを求めて旅順方向に住むという。

ガイドを受けながら、東鶏冠山北堡塁で日露戦争のロシアの塹壕、日本軍の攻撃の跡をみた。

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その後、白玉山塔に行った。ここで亡くなった日本兵の霊を祀る塔がある。旅順港を一望できるとのことだったが、雨上がりのため霧がかかっていて、まったく見えない。そのため、旅順港まで行ってもらった。きれいな静かな港。今も軍港として使われている。なるほど不凍港というのも納得できる。

 ロシア式建物の旅順駅を見て、203高地に行った。途中までカートで行き、そこからは徒歩で歩いた。運動不足の身には少々つらかった。頂上で慰霊碑をみて下山。安重根が死刑になった刑務所の前を通って、旅順博物館で大谷コレクション(中央アジアの収集品)を見て、大連に戻った。


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 私は戦争マニアでもないし、司馬遼太郎ファンでもない。日本の近現代史も実はあまり得意ではない。が、子どものころからそれなりに日露戦争の話は聞いてきたし、映画を見たり本を読んだりしてきた。とりわけ203高地は感慨深い。

 ホテルは大連の中心街にある中山大飯店。到着したのは夕方だった。昼食抜きでの旅順観光だったので、すぐにホテル前に飲食店街で鮮魚料理を食べた。高そうなものを指さして、料理法を適当に指示したら、実に大量に出てきて、しかも300元を超える高額だった! 日本円にしたら5000円を超すので、ものすごい豪華料理だったのだろう。もしかしたら、少しボラれたのかもしれない。半分も食べきれなかったが、味はまずまず。まあ、良しとしよう。

 その後、大連駅まで歩いてみた。勝利広場を歩き、地下街を回った。鮮やかな色の店が並び、超現代的な高層ビルには電飾がなされ、上海や広州でも見かけたまさに中国的光景! 大変ににぎやかだが、それでも上海や広州よりも落ち着いている。

 203高地に登って足が疲れたので、20時ころにはホテルに戻って、早めに眠りについた。

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 朝、7時ころから朝の散策に出かけた。歩いて中山広場まで行った。通勤中の男女が歩いていた。広場では何人かが踊りの練習をしていた。

 瀋陽でも大連でも感じるのだが、横断歩道が少ない。広場が真ん中にあり、その周囲の道がロータリーになっている。広場につながる横断歩道がほとんどない。いや、ところどころにあるが、まったく機能していない。車がスピードを緩めることなく、横断歩道を無視して走る。腹を決めて、車を止めさせる覚悟で道を歩くしかない。だから、真ん中に広場があっても、簡単にはそこにたどり着けない。

 大連の中山広場には地下鉄の駅を通って地下からたどり着けたが、なかなか大変。足の弱い老人には困難な状況になっている。

 中山広場とホテル近くの広場の間には地下鉄が通っているのに気付いて、帰りは地下鉄を使うことにした。ところが、切符を買おうとすると、朝であるせいか、職員がいない。荷物検査を受けて自動販売機で切符を買おうとしたが、使い方がわからなかった。困って、荷物検査をしていた女性(警察官?)に英語で尋ねたら、日本語で「日本人?」と問われ、「そうです」と答えると、しっかりした日本語で教えてくれた! ありがたい!

 無事、ホテルについて、朝食。荷物の整理をしてガイドさんを待ち、車で旧日本人街などを案内してくれながら、空港へ。

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