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NHKで放映された2018年バイロイトの「ローエングリン」の演出に怒りを覚えた!

 さきごろNHK・BSで放映された2018年バイロイト音楽祭の「ローエングリン」をしばらく録画したままにしていたが、今日、やっとみた。近年のバイロイト音楽祭でよくあることだが、演奏の素晴らしさに圧倒されつつ、演出のあまりのひどさに怒るしかなかった。

 私が最後にバイロイト音楽祭に行ったのは2012年だった(高齢の母の体調が万全ではないので、その後、1週間以上の海外旅行を見合わせている)が、その時はノイエンフェルス演出のネズミの出てくる「ローエングリン」に呆れて、怒りをこのブログに書いた。今年のバイロイト音楽祭もそれと同じほど、いや、それ以上にひどい。

 先に演奏について感想を言うと、これは素晴らしいの一言。なによりもティーレマンの指揮があまりに凄まじい。近年のティーレマンの指揮については毎回、ただひたすらその音の威力に痺れるしかない。明確な強い音が鮮明さを保ったまま渦まき、うねる。時に魂をえぐるような音になり、時に天国的な音になる。

歌手もそろっている。ローエングリンのピョートル・ベチャワとエルザのアニヤ・ハルテロスももちろん最高に素晴らしいが、それ以上の迫力なのが、テルラムントのトマシュ・コニェチュニとオルトルートのヴァルトラウト・マイヤ。言葉をなくす凄さ。悪役二人が主役を食うことはこのオペラではしばしば起こるが、この二人はそのレベルではない。悪に輝いている。ハインリヒのゲオルク・ツェッペンフェルトもほかの歌手たち同様に素晴らしい。

で、問題のユーヴァル・シャロンによる演出。ローエングリンもハインリヒも明るさがない。主役格の人たちがみんな背中に不気味な羽をつけており、どうやら彼らは電灯に群がる虫を表わしているらしいことがわかるが、第二幕まではさほど大きなことは起こらない。

ところが、第三幕。エルザがローエングリンの素性を尋ねる場面で、エルザが抗うにもかまわず、ローエングリンがエルザをひもで縛る。どうやら、ローエングリンは「女は黙って男のするとおりにしていればいい。夫の素性などを知ろうと思う必要はない」と考えて質問を禁じ、エルザはそれに納得ができずにいる・・・そのようなやりとりがパントマイムでなされるようだ。

そして、最後の場面。エルザはおそらくローエングリンに幻滅して暗い顔をしている。弟ゴットフリートが登場して、エルザはそのほうに歩み寄る。弟は緑のマントに身を包み、緑の光を持っている。そのとき、ローエングリンやハインリヒやブラバントの人々は全員が倒れ、エルザとオルトルートが生き残る。

どうやら、次のようなメッセージをこの演出は伝えているようだ。「愛する人の素性を知ろうとするのは人間として当然なのに、ローエングリンは妻にそれも許さない。つまり、ローエングリンは男権主義者であって女性を無知のままにしておこうとして束縛している。ハインリヒやローエングリン、そしてテルラムントが行っているのは、虫が電灯に向かって争っているような卑小な権力闘争でしかない。そうした権力闘争から離れていたエルザとオルトルートだけが政治権力とは無関係の緑=自然重視の社会を建設できる」。

私はまったく何の予備知識もなく、何も調べずに映像を見ただけだが、私の能力ではこの演出はこのようにしか読み取れない。

確かにワーグナーはかなり極端な男権主義者だろう。ワーグナーのオペラの中に女性蔑視があることは誰でも気づく。ワーグナーの英雄たちは女性に自己犠牲を押し付け、自分は好き勝手なことをしている。だから、私自身は、ワーグナーの女性蔑視を演出によって取り上げるのは、「源氏物語」の光源氏の女権軽視を指摘するのと同じくらいにあまりに凡庸、あまりに陳腐だと思うが、それでもまあ、そのようなことをしたがる演出家がいても仕方がないと思う。そして、同時にワーグナーを神聖化するのではなく、卑小化しようという動きもある。そのような演出があっても、それまたいいだろう。

しかし、鬼の首を取ったようにワーグナーの女性蔑視を中心に据え、しかも、あれほど勇壮な音楽や輝かしい音楽が鳴り響いている時に、ローエングリンやハインリヒを卑小な虫の集団として描くことは、あまりに無神経だと思う。この演出は、まったく冴えがなく、凡庸であるばかりか、音楽を邪魔している。これでは単に、ワーグナーとは何も関係のない演出家の思想であるフェミニズムと自然環境重視の思想をワーグナーを借りて語ったに過ぎない。オペラの持っている本質的な部分を現代の人間に視覚的に示すという演出の役割を放棄している。

バイロイトもそろそろこのような幼児的な目立ちたがり演出から卒業してほしいものだとつくづく思った。

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コメント

演出が自由と言う名の無秩序に走り、原作を損ね逸脱することを良しとするなら、音楽もそれにつきあう必要がそのうちなくなってしまうかもしれません。

かつてシェーンベルクが「私的演奏協会」でやったような、そういうアレンジを施したワーグナーでその種の演出をやるというなら、大胆な試みということで分からないでもないですが。

作品に対してのリスペクトより演出家のエゴが強く感じられた時点で、自分はレッドカード出してしまうと思います。ただサッカーと違うのは、出した自分が退場しちゃうという点ですが。

投稿: かきのたね | 2018年9月 5日 (水) 01時31分

>そうした権力闘争から離れていたエルザとオルトルートだけが政治権力とは無関係の緑=自然重視の社会を建設できる

僕はまったく逆に、安直に自然に回帰をしようとするエルザを批判してるように感じました(緑のゴッドフリートが不気味過ぎるし)。
エルザの行動にドイツのエコ運動を重ね合わせている気がします。
最後はローエングリン=原発を拒否したせいで自縄自縛に陥っているドイツの現状を揶揄してるのかなあ?と。
ただ演出家の発言を聞いてみないと本当の処は分かりませんが、いろいろ多義的に解釈出来るのはそう悪く無い演出なのかなあ?と感じました。
全体に青色系に統一した舞台で見た目も綺麗ですしね。

あと先生とは逆に、僕は前回のノイエンフェルスのネズミ演出は近年まれなる秀逸な舞台と感じました。
僕だけでなくバイロイトの観客にもかなり好評で上演が一年延長されたほどで、少なくとも観客を満足させるという意味では成功したといえるのではないでしょうか?
もちろん先生が批判するのは全く自由ですし、前衛的な演出をやる演出家自身もブーイングも覚悟の上でしょうが、僕個人はバイロイトは常に新しい演出の実験場であってほしいと思っています(その分失敗作もありますが)。
ちなみに個人的には近年のバイロイトの演出ではバウムガルテンの「タンホイザー」やヘアハイムの「パルジファル」に対しては評価しておらず、去年のバリー・コスキーの「マスタージンガー」やカタリナ・ワーグナーの「トリスタン」は傑作と思いました。
珍奇な現代演出だから無理に褒めるわけではない事を付け加えて置きます。

投稿: | 2018年9月 7日 (金) 13時52分

かきのたね 様
コメント、ありがとうございます。
私は、オリジナルの本質をえぐろうとしていないで、自分に引き付けて語ろうとする演出についてはとても腹が立ちます。音楽の邪魔をしないで、本質を見せてくれるような演出をするのが演出家の腕に見せどころだと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2018年9月 7日 (金) 22時31分

2018年9月 7日にコメントくださった方
コメント、ありがとうございます。
私と反対の意見を書いてくださること、とてもうれしいことです。演奏についても演出についても多様な評価、感想があってこその芸術だと思っております。
ただ、私はノイエンフェルスのネズミ演出はまったく理解できずにいます。このブログに二度書きましたが、それでも納得できません。
http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-aa5f.html

http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-def8.html

もちろん、いつでも結構ですので、ネズミ演出の意図、これを秀逸な舞台と思われる理由を説明いただけると、うれしく存じます。
なお、誤解なさいませんように。私はまったく皮肉でこのように言っているわけではありません。お教えいただけると、こんなうれしいことはありません。なお、このブログをお読みいただけるとお分かりいただけると思いますが、私は基本的に「読み替え演出」は大嫌い、ただし、カタリーナ・ワーグナーやクラウス・グートなど何人かの演出家は素晴らしいと思っております。

投稿: 樋口裕一 | 2018年9月 7日 (金) 22時48分

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